その十五

「取り扱いはわかるな?」


 本田2曹が個人携行火器を失った阿河に9mm拳銃と予備弾倉二本を渡しながら聞く。通常、陸上自衛隊の一般隊員、つまり89式小銃携行者は拳銃を携行しない。拳銃を携行するのは分隊支援火器の携行者や幹部、狙撃手などである。だが阿河は連隊の施策として拳銃の訓練も受けていた。本田2曹の質問はそういう意図である。

 阿河は拳銃を受け取って各種の点検を行なったのち、スライドを引いて薬室に初弾を装填する。そして残っていた89式の弾倉を二本、本田2曹に代わりに渡す。本田2曹の弾薬射耗の度合いが激しいからであった。分隊の残弾は約330発。足りないだろうな。羆のあいつとの交戦が痛かった。あいつよりも太刀が悪いやつを倒さないといけないのに330発とは。いや、倒さなくていいのか。移動させればいい。そして時間を稼ぐ。変なおじさんの変な儀式のために変な生き物の注意を引きつけ命懸けでそいつの場所を移動させる。つまりはそういうこと。


「各人もう一度武器装具を点検しようか。上原、戦闘復帰できる?」


 玉木1曹が、役に立たなくなった無線機を下ろした上原3曹に聞く。これが普段の訓練なら玉木1曹は休んでいろと言っていただろう。というか訓練から外すレベルだ。自衛隊は旧軍とは体質が変わった。自衛隊は旧軍はもちろん、民間の会社と比べてさえ人員の健康状態を気にする。過剰とも言えるほどに。確かに武器は開発から運用開始まで時間がかかる。だが足りなくなれば生産すればいいだけの話。訓練された人間は違う。経験に基づく適切な判断能力や体力などの必要な要素を兼ね備えた人間は一朝一夕では出来上がらない。ある意味では人間こそが自衛隊において一番高価な装備品だ。自衛隊は人を大事にする。恒常業務での残業は考慮してくれないにしても。

 

「戦えます」


 大丈夫です、などという曖昧な言葉ではなく上原3曹が答える。痛みはまだあるはずだが。彼女もまた演技しているんだろう。陸上自衛官としての演技。



「自衛隊さんはすごいな。さて、そろそろ行こうかと思うが」


「時間がないのはわかるが、作戦は?どうやってすやつを移動させる?」


「俺がまず話す。やつはきっとこちらと意思の疎通ができる。俺はきっかけ作りだ。そのあとにあんたらの誰かが話して、それで怒らせろ。あんたらがドンパチやって気を引いてる間に俺がなんとかする」


「結局、出たとこ勝負ってわけか」


「やつの詳しい習性などわからん。つまるところ覚悟と幸運だよ。他になにか良い案があれば聞くが?」


「…やろう」

 

 岸本と玉木1曹の会話は終了した。内心は別だとしても今更、俺たちに死ねってことかなんて無粋なことを岸本に言う者はこの分隊にはいない。お前らのせいでなんで俺たちが死ななきゃいけない、なんてことを言う者もいない。どうあがいたって、この騒動に決着をつけられるのは俺たちしかいないという事実は変わらないからだ。まったく。12月のボーナスはB判定だった。6月のボーナスはS判定じゃないと暴動を起こしてやる。


「分隊、行こうか。やつとは俺が話す。状況によっては皆にもやつに話しかけてもらう。会話の中でやつが気になること、言い換えれば譲れないものを探すんだ。そこを挑発して交戦に入る。会話ではなく射撃等でいけるならそれでもいい。目的はあくまでやつを移動させること。それを忘れないようにしよう。質問は?」


 玉木1曹の指示に質問はなく、認識統一は終わった。皆で音楽室を出ようとしたとき、岸本が言った。


「俺自身が生贄になるから、本物の神様が現れたときには俺はもういない。そのあとは任せたぞ」


 この男も腹を決めていたのを思い出した。分隊は誰も何も言わなかった。もはや彼に何も言うことは無い。いまさら、他に手があるはずだなどと叫ぶ必要はない。本来ならば止めるべきなんだろう。そして彼は法の下に裁かれるべきである。彼と彼ら霧の会の行為が何罪に当たるかはわからないが。俺たちも罪に問われるかもしれない。彼が生贄になるのを止めなかったから。他に手段はなかったのかと問われるかもしれない。

 それでもやるしかない。ギャンブルなのは認める。それでもやるしかない。後になって外野からごちゃごちゃ言うのは簡単だ。それに楽。自分だったらこうする、とそれっぽい知識や過去の事例を披露しそれっぽい表情をして批評や批判をすればいい。今もテレビやネットに蔓延っている、軍事や戦闘の専門家を自称しながら自衛隊に的外れな指摘しかしない残念なおじさん達のように。

 だが残念ながら、俺たちはそんな贅沢な立場にいることを許されていない。俺たちがやるべきことは人の仕事にケチをつけることではない。人にケチをつけられない仕事をすること。なぜなら俺たちがもし失敗すれば、俺たちにケチをつけてくる人すらいなくなるかもしれないから。


「よし、行こう」


 玉木1曹が場を仕切り直し、分隊が阿河を先頭に音楽室を出て左に曲がり前進を開始する。窓から見える天候は相変わらずの吹雪である。

 目指すは階段を降りた先の体育館。が、順調すぎる。不思議と経路上の廊下にも、階段にも、他の教室にもやつらはいない。体育館に集まっているのだろうか。自分たちの親玉の守りを固める為に。もう気づけば体育館の扉は目の前だ。さぁ、ここからだ。ここからが地獄だぞと自分に言い聞かせる。

 扉を前にして分隊が突入準備に入る。阿河が拳銃のグリップを握り直したとき、岸本が阿河に話しかけてきた。


「なぁ、彼女はいるのか?」


「いない。なぜ聞く?」


「この騒動が収まったら彼女を作れ。人は一人では生きられない。人は誰かのために死ぬことは出来ても、自分のために死ぬことは出来ない。俺はそれに気づくのが半世紀ほど遅かった。愛する人を見つけろ」


「なるほどな。じゃああんたが紹介してくれ」


「笑わせる。すまないな、俺はこれから死ぬんだ」


「わかってるさ。そのあとは任せろ」


「…ありがとう」



 玉木1曹が全員とアイコンタクトをとる。全員の目から覚悟を感じ取った玉木1曹は、慈愛に満ちた顔で言った。



「よし、じゃあ世界を救おうか」



 本田2曹の表情が変化せず、上原3曹の顔が引き締まり、岸本が微笑み、阿河が苦笑いしたのを確認した玉木1曹は、勢いよく体育館の入口の扉を開けた。

 



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