その十三

 三ヶ月前のある日のことだ。東京の荒川区の自宅で目覚めると、わかりやすく体調が悪かった。高熱が出ていた。風邪だと思って病院に行ったが、医者ははっきりとしたことは言わず、解熱剤の処方と共に別の病院の紹介状を渡された。大きな病院で様々な検査を受けさせられ、一週間後に結果を言われた。


 余命半年。


 癌だった。もともと人生に立派な目標があった訳でもないし、独り身ではあったにせよ、さすがにこたえた。絶望と言っていいだろう。まさにブラック企業だった勤め先はすぐ電話を掛けて辞めた。上司に何か言われたが、うるせえクソ野郎と叫んで電話を切った。余命を告げられても世の中はクソだった。

 どうしようか。とりあえず昼間から酒を煽って好きなだけタバコを吸った。吉原の高級店にも行った。だが二、三日が過ぎると強烈な虚しさに襲われた。泣いた。他に誰もいない1LDKの部屋で夜通し泣いた。俺はあと半年で死ぬ。何かの間違いと思いたかったが、現実は変わらない。俺は何も残していない。学生時代はいじめられ、大人になってもなんの取り柄もなく、仕事でも何の功績も残していない。日々怒られていただけ。子孫も残していない。なんだこの世の中は。俺は何も成していない。死への恐怖と己の虚しさで、泣いた。

 そんな日が一週間程度続き涙が枯れてきた頃、やっとやりたいことを後悔なくやろうという気持ちが少しづつだが芽生えてきた。やけ酒などではなく、好きだったが今まで観れていないアニメや映画をたくさん観よう。多少高くても金を出して楽しもう。完全に恐怖や虚しさを忘れることはできなかったが、それでも創作物から得られる感動は岸本の気持ちを立て直しはじめた。

 

 そんなある日。好きな映画やアニメのグッズを秋葉原で買った帰り、自宅の最寄りの駅で女性からビラを渡された。普段はそういったものは受け取らないが、ぼーっとしていたところに不意に渡されたので空いていた右手で受け取ってしまった。怪しげな宗教団体のビラのようだった。



 霧の会。



 それがこの団体の名前のようだ。家に帰り無意識にそこらへんにほっぽり出し、その日は寝た。


 体調は日に日に悪化していた。少しだが吐血もした。忘れかけていた死への恐怖は、病院でもらうよくわからない大量の薬では癒やされなかった。そんなとき、あのビラが目に入った。集まりがあるらしい。日時は今日の夕方。場所は近くの公民館。自暴自棄なのか、なにかにすがりたかったのか、野次馬根性なのか、それら全部なのか。今でも整理できていないが、行ってみることにした。

 

 拍子抜けした。公民館はただの集合場所で、実際の会場はもんじゃ焼きのお店だった。老若男女が集まり、酒を飲みながら他愛もない話をするだけだった。そしてそこに、ビラを渡してきた女性もいた。

 女性は皆から先生と呼ばれていた。年齢は二十代後半、身長は150cm台の半ば。そして、かわいかった。本名は梅沢というらしい。先日、ビラをもらった者ですと自己紹介すると、先生は物腰柔らかく笑顔で言った。


「今日は楽しくお話ししましょう」


 ただそれだけだった。心の中でなにか引っかかるものはあったが、周りの人も先生と同じく優しい人ばかりで、その日は飲んだあと先生も含めた何人かと連絡先を交換しただけで終わった。

 数日後、先生から連絡があり公民館での茶話会に参加したとき、意を決して聞いてみた。


「この霧の会は、どういう集まりなんですか?」


 その場にいる約三十人全員が黙る。まずったと思ったが、皆が先生に向き直る。先生が、初めての方もいるので改めて説明しましょうと言ったあと、静かに続けた。





 

 神様は存在する。私は狂っているわけではない。神様は存在する。比喩ではなく、本物の神様が。古今東西の伝説や伝承はそのほとんどが嘘や間違いだが、ほんの一握り本当の話も含まれている。神様は普段はこの世にいない。神様は普段、神聖な場所にいるので我々は行くことはできない。よって、会うためにはこちらに来てもらう必要がある。こういう話によく聞く生贄は必要ない。神様は我々を救ってくださる存在なので、我々の命までを取るようなことはしない。ちょっとした物の用意と我々による正しい儀式があれば、神様はこちらに来てくださる。儀式も難しい複雑なものではない。神様は我々を救い、この世を正してくださる。


 そして、先生は言った。


「岸本さん、あなたの命も救ってくださるのですよ」


 なぜ俺の病気のことを知っている。喋ってないぞ。それにこんな途方もない話とは。こいつらはやばい。特にこの女は。早くここから逃げなければ。

 だが、ふと別のことを考えてしまった。病気になる前だったら考えないことを。



 もし、本当だったら。神様がいるんだったら。



 馬鹿げているとは思う。でも今の自分の考えは二つの意味でしっかりしていた。すがりたい。死にたくない。この最悪だった人生をやり直したい。それに、世の中には俺みたいなクズもいっぱいいる。そいつらを変えなければ。この考えは傲慢か?でも俺がそうだったように、クズは自分では変われない。だからこそクズなんだ。だからこの女に、いや先生に賭けるしかない。


 岸本はこの日、正式に入会した。


 後日の集まりで詳細を聞かされた。まず儀式の場所。北海道にある、名前も聞いたことがない離島だった。北海道出身でその島のことを知っている者が提案した。理由は邪魔になる人間が少ないこと。過疎化が進んでいるし、島というある程度隔絶された島は好条件だ。警察などの治安機関も手薄とのこと。それに加え島には廃校があるという。先生によると、神様は人間と同じ大きさとは限らないそうだ。廃校ならば体育館がある。ある程度の大きさを有し、気象条件に左右されない儀式の場所。打ってつけであった。


 そして、儀式に必要な物。医療廃棄物。

 

 これも先生によると、神様を呼ぶには人間の血が必要だという。なぜなら人間が呼ぶからだ。だが生贄は駄目だという。なぜなら神様は人の命はとらないからだ。神様は我々のことを慮ってくださっているので、生きている人間を傷つけて得られるものは駄目。だが死体安置所を荒らしたり、あるいは誰かを殺して死体やその血を得ることは先生の本意ではないし、皆も望んでいなかった。輸血のために採血された血も同様だ。それに必要な血はそこまでの量ではないという。医療廃棄物ならば、その条件を満たす。

 だが医療廃棄物を我々が入手するということは犯罪を意味する。東京などの島から遠い病院で盗んでから移動となると、その間に足がつき儀式をはじめる前に警察に捕まる可能性がある。だが島に近すぎても駄目だ。それはそれで警察がすぐ島に来てしまう可能性がある。それらを考慮した、島にある程度近い北海道の病院で盗む。既に何人かが札幌に赴き、情報収集を行なっているとのことだった。12月の23日に札幌に移動、24日の夜に医療廃棄物を盗み、25日には島に移動、準備を行い夜に儀式を決行する。


 それまでの間、何回かの勉強会に参加した。医療廃棄物の奪取作戦の詰めの話し合いや物の準備などに加えて、儀式についての話があった。

 先生以外の人がやることは簡単だった。先生と医療廃棄物を取り囲むように座りある言葉を唱え続けること。聞いたことがない外国語のようで、最後まで上手く発音はできなかった。強いて言うなら、せてりり、みたいな発音の単語だった。予行を何回か繰り返していくうちに、体調と反比例してよくわからない自信がついてきた。この儀式は成功する。世の中を変えてやる。


 12月23日夜に飛行機で北海道に移動した霧の会の面々の姿は、札幌のすすきのにあった。先生の呼びかけで団結会が開かれていた。もちろん儀式の話はしない。それはホテルで済ませてある。皆がしたい話、趣味やこれまでの人生を話し合い大いに盛り上がった。岸本自身も皆はもちろんのこと、特に仲が良く二人で飲んだこともあるおじさんと話が弾んだ。なぜなら、明後日には新しい世界が待っているから。先生についていけば間違いないから。岸本の死への恐怖はなくなっていた。


 12月24日夜、二組に分かれ札幌の二つの病院の医療廃棄物を奪取した。鍵をこじ開ける工具や覆面などは用意していたが、それでも最低限の用意しかしていない。普通なら一週間以内に捕まる素人の犯行。でもそれでいい。24時間捕まらなければいいだけだから。


 12月25日の昼、電車や車、船を使って島に到着した。先生は夜までは楽に過ごしてと皆に言い残し、準備があると部屋に籠った。そんな悠長に過ごしていては、と思ったが、先生の言うことには上手く表現できない説得力があった。それに従い、皆は思い思い過ごした。万が一のための見張りを交代で行いつつ、昼寝する者、釣りをするもの、緊張で落ち着かない者と様々だった。岸本は緊張、いや高揚していた。俺は正しい。やっと世の中を変えられると、テレビをなんとなく見ながら思考を巡らしているうちに、夜を迎えた。






「…続いてのニュースです。札幌市北区の帝神大学病院で、医療廃棄物が大量に盗まれていたことが分かり、大学は今日記者会見を開きました。同様の事件が他にも札幌で発生しており、警察は関連を調べています」


 地上デジタル放送を辛うじて映し出しているテレビの場面が転じ、記者会見の様子を写しだす。



「医療廃棄物の管理は徹底されてたんですか⁈」


「はい、こちら側としても管理を徹底しつつ…」


「被害に遭ったのは、警備が手薄だったからでは?」


「はい、こちら側としても…」



 寂れた旅館の一室で、横になりながらテレビを見ていた岸本は一人ほくそ笑んだ。手品師はこういう気持ちなんだろうか。真相を知っている優越感というのは悪くない。わからないだろう。貴様らに俺たちが目指すものなど。何かを考えているつもりでただ楽をするだけの日々を送る貴様らには。

 気持ちはわかる。俺もそうだった。自分は頭がいいと思っている割には、なにかと言い訳をして行動は起こさなかった。自分はやろうとしている、環境が悪いんだと自分と他人問わず訴え続けた人生は約半世紀ほど経った。だが、俺は変わった。変わったんだ。だから行動している。自分が天才などとは思わない。むしろ逆ですらある。だから、俺ができることは…。



「行きましょう」



 部屋の外から女性の声がする。盛大に咳き込みよろけながら立ち上がった岸本は、目を擦りつつ大きなボストンバックを持って部屋を出て行った。

 

 外は雪が降っている。テレビはニュース番組が終わり、バラエティ番組を映し出していた。



「さぁ始まりました!お笑い大乱闘クリスマススペシャル!今回は…」

 





 雪が降りしきり、なにか野生動物の鳴き声が聞こえる中を皆で歩いて学校に向かった。先行していた数名によって解錠と邪魔をする者がいないことは確認されている。やや息を切らして到着した廃校には、さすがにもう電力は供給されていないようで廊下や各部屋のスイッチは作動しなかった。真っ暗な中を携帯電話のライトや懐中電灯を使って進みここ数ヶ月目指していた場所、つまり体育館に到着した。

 先生が岸本と仲間の一人からバックを受け取り、東京のそれと比べると小さな体育館の中央付近に医療廃棄物を並べる。不規則なように見えて、何か決まりがあるらしい。

 いざ儀式が始まりそうなとき、岸本が妨げてしまった。不覚にも腹が痛くなったからだ。先生にその旨を伝えると、先生は笑いながら許してくれた。急いで体育館の流れない大便器と年代物のトイレットペーパーで事を済ませ、いびつな円形に並べられた使用済み注射器や使用済み手袋を取り囲む皆の最後列、一番出入り口に近い位置に座った。

 その中心に先生が立ち、皆に言った。



「はじめましょう」



 皆の表情が引き締まる。先生がお願いします、と言うと、皆が例の言葉を唱えはじめた。


 せてりり。


 目を閉じて一心不乱に唱える。神様。お願いします。来てください。どうか。お願いします。人の手では人の世の中を変えられませんでした。だからお願いします。この腐った世の中を変えてください。せてりりせてりりせてりりせてりり…。

 20秒ほどが経過したとき、目を開けた。違和感を覚えたから。音ではない。新たな光や匂いがあったわけでもない。だが、そんなことはどうでもよくなった。



 先生の目の前に何かいた。暗闇の中、それは皆のケータイや懐中電灯のまばらな光に照らされていた。5mくらいの高さ。黒、いや黒と紫色で構成された何か。生き物のようだ。詳しくは見えない。芋虫の胴体からムカデの足が何本も、おそらく数十本まばらに生えていてそれに支えられて直立しているような。その足の一本が、先生を貫いた。

 

 悲鳴。叫び声。まさに阿鼻叫喚。忘れていた死の恐怖。岸本は動けなくなった。皆も同じだ。その一瞬のうちに、ムカデのような足が四方八方にのび、大多数の人間を貫いた。


 岸本はひたすらに走って逃げた。何人か一緒に逃げようとしたが、続々と餌食になっていた。体育館の出口に辿り着き、後ろを一瞬振り返る。謎の生物が瀕死の皆を自分のもとへ引き寄せていた。そして、瀕死の先生が明らかに岸本に向かって叫んでいた。




「にげてぇぇぇぇぇぇ!」




 完全にパニックだった。学校から出れば良いものを、階段を駆け上がり掃除用具箱に隠れる始末。携帯電話は体育館に置いてきたし、そもそもこの島は電波が悪い。気づけば異形の生物が校内を徘徊しはじめ、岸本はそのまま隠れ続けることになった…。




「だいぶ省いたが。これがことの経緯だ」


 岸本が話し終えたが、阿河はなにを聞いていいのかわからなくなっていた。上原3曹も同様だ。

本田2曹は無言で廊下を警戒したまま。まだ頭が働いている男が岸本に聞く。


「そいつは…。倒せるのか?」


 玉木1曹の質問に、岸本がかぶせ気味に答える。


「おそらく難しい。生物だからダメージは与えられるだろうが、相手はなにせ神だ。核兵器とかなら可能性はあるが、銃程度では駄目だろう。だがやりようはある。別の神様を呼ぶんだ」


 分隊の正気を疑う視線を意に介さず、岸本は続ける。


「あれは先生が望んだ結果ではない。先生はそもそも間違ったんだ。神様を呼ぶことには成功したが、呼ぶ神様を間違ったんだ。だからどうにかしてもらうんだ。本物の神様に」


「そうか。なるほどな」


 本田2曹が、口を開いた。


「つまり体育館にいるそいつは…」


 本田2曹が、続けた。










「偽物だ」






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