その十二

 音楽室に響いていたのは、子どもたちの歌声や先生の弾くピアノの音色ではなく、アサルトライフルと軽機関銃の銃声、人間と怪物の発する大声であった。バッハやベートーヴェンら偉大な音楽家たちが、複雑な表情で戦いを見守っている。


「足じゃない!次は足以外だ!」


 玉木1曹が叫ぶ。分隊は足に射撃を集中していたが、致命傷は与えられなかった。バイタルは足ではない。バイタルを見つけるまで撃ちまくるしかない。怪物が本田2曹に向かって突進する。MINIMIの射撃が次々に命中するが、止められない。間一髪で本田2曹は怪物を横っ飛びで回避し、怪物はグランドピアノに突っ込んで止まった。製作者の意図しない音色を奏でつつピアノが壊れていく。


 本田2曹は素早く後退し射撃を継続する。怪物の顔のうち、羆と鹿の顔は本田2曹を睨んでいるが、それは彼を狙っていることを意味しない。人間の顔が睨んでいるのは。やつの背中の触手が素早い動き、人間には出せないような速度で岸本に向かって伸びていく。俺は間に合わない。いま岸本を失えば真相は闇の中。その危機感と、自衛官として民間人を守る義務感を抱いていたのは、阿河だけではなかった。近くにいた上原3曹が岸本を押し倒し覆いかぶさる。その背中にやつの触手が突き刺さり、無線機が粉々になる。防弾チョッキを触手が貫通したかはわからない。が、上原が声にならない声を出すのを目の当たりにして、仲間が陥っている状況を見て阿河の内心に湧きあがる感情は一つであった。


 殺してやる。


 阿河が射撃する。怒りによって照準がやや定まらないが、その荒れた射撃で怪物がこれまでで一番大きな悲鳴をあげた。

 なぜ。考えられることは。バイタルに当たったからだ。どこだ、どこに命中したんだ…?そういうことか。背中から生えている触手。人間の足が連なって構成されている触手。やつが振り回しているそれにたまたま命中したのだ。あれだ。あの触手がバイタルだ。まさかバイタルを振り回して武器にしているとは。先入観があって見逃していたが、やつのあの様子だと間違いない。知らせなければ。


「玉木さ…」


「背中の触手だ!撃ちまくれ!」


 玉木1曹が、わかってるよという意味のこもった命令を口にする。ですよね、と思いつつ阿河も触手を狙う。軽機関銃を立ち撃ちしているにも関わらず、本田2曹も驚異的な射撃精度を見せつける。だが、やつが触手を振り回す様子はさらに激しくなる。根本を狙おうにも、本体のステップのような動きが増した。


「気づきましたか。でも、形勢は変わりませんよ」


 両手に衝撃が走った。なにが起こったか理解するのに一秒ないくらいの時間を要する。俺は?どうなっている。生きてる。両足で立っている。両手は多少痛いが、大丈夫。もぎ取られたわけじゃない。折れてもいない。だが、なにも持っていなかった。

 両手でしっかりと持っていたはずの89は触手によって吹き飛ばされ、ひん曲がりつつスティックの代わりにシンバルに突っ込み盛大な音を立てていた。火器が使えなくなった。くそ、弱点がわかったのに。上原はまだ呻いていて立ち上がらない。分隊の残弾も少ない。どうすれば。


 無意識に左胸を見る。防弾チョッキで直接は見れない。だがそこに二つあるものを、授与されたあと迷彩服に苦労して縫い付けたものを、自分が何者か自覚するために見た。一つは月桂樹に囲まれた金剛石の徽章。屈しない意思を持つ勝者の意味。部隊レンジャー徽章だ。もう一つは月桂樹に囲まれた盾と矛の徽章。近接戦闘において攻防を司る勝者の意味。それを左胸に縫い付けることを許される者とは。



 部隊格闘指導官。



 阿河は、右腰に据えられている銃剣を引き抜いた。狙うのは触手ただ一点。あの振り回している状態では難しい。やはり根本か。なんとか触手をかいくぐって本体にとりつくしかないが、本体の動きも激しい。怪物は部屋のほぼ中央に陣取っている。怪物から見て右前に玉木1曹と本田2曹、左前に阿河、倒れている上原3曹と岸本が位置している。


 「本田!足だ!足を撃て!」


 玉木1曹が叫ぶ。阿河が抜剣したのを見て意図を汲んだのだ。二名の射撃が足に集中する。やつも回避するが、徐々に足に被弾していく。動きが鈍ってきた。が、まだ根本を狙える状態ではない。

 触手自体の動きは衰えない。玉木1曹に触手が素早く伸びる。玉木1曹がなんとか回避し、テッパチをかすめて触手が壁に突き刺さる。やつの三つの顔に一瞬動揺の表情が浮かぶ。早く引き抜かないと触手がやられるからだ。だが引き抜くことは叶わなかった。理由は二つ。一つは触手が壁に深く突き刺さっていたこと。もう一つは、黒い物体が綱引きの要領でやつが触手を引き抜こうとする力に抗っていたからだ。


「早く!」


 その正体である岸本が叫ぶ。玉木1曹と本田2曹が触手を狙うが、今度は触手が水分不足のミミズのように激しくたわみはじめ、狙いがつけられない。それに岸本が掴んでいる先端部分を攻撃したとしても、ダメージは与えられるだろうが致命的とは限らない。やはり根本から切断するしかない。


 岸本の力が触手に負けはじめた。が、今度は射撃を止めた玉木1曹と本田2曹が命をかけた綱引きに加わる。いたずらに射撃するより、あの男に賭けたほうがいいと判断したから。


「阿河!」


 必死に触手を掴んで引っ張っている玉木1曹から声を掛けられたときには、阿河は怪物に向かって走りはじめていた。恐怖はもうない。部隊格闘指導官教育で、笑うしかないくらい強かった上級格闘指導官たちと戦っていたときのことを思い出す。あんな化け物たちに比べれば、大したことない相手だな。とにかく急がなければ。やつが触手を引き抜こうとするのを止め、一か八かで突っ込んでくれば蹂躙される。今しかない。阿河は猛烈な勢いで、怪物に向かっている。


 怪物の三つ首のうち、人間の顔だけが阿河を見る。その顔が舌打ちした直後、やつの左後ろ足が胴体に綺麗に引っ込み、左肩のあたりの皮膚を突き破って生えてきた。足は細くなった分長くなっており、突き破った勢いそのままに阿河に突っ込んでくる。


 捌き。何百回、いや千回は練成したか。相手の攻撃を避けつつこちらの態勢は確立する体の動き。着剣小銃やナイフを避ける訓練の成果が発揮され、阿河は自分を突き刺そうとする怪物の足を避けつつ前進し怪物の背中に飛びかかった。怪物が暴れまわる。が、離さない。下手したらこれが最後のチャンスだ。阿河は左手で触手を掴み、右手に持っている銃剣で触手を切断しはじめた。見た目は人間の足だが、出てくる血液は紫色である。気持ち悪い、グロいという感情に身を任せる贅沢は後にとっておく。

 この調子で倒せそうだな。こんな怪物を相手にしてなぜ。あぁ、協力しているからか。屈強な男と二人と貧弱な男一人が触手を掴んでくれているから。そういえばさっきから聞こえてきている銃声は、上原3曹が戦闘復帰しているということだ。怪我は大丈夫なんだろうか。俺を振り落とさせないために、やつの足を狙って射撃しているようだ。良いチームワーク。帰ってから飲みにいくときは皆を誘おう。もちろん岸本も含めて。


「わかった、わかった!止めろって!わかったから!止めろ!」


 やつの三つの顔が異口同音に言う。触手はもう少しで切断できそうだ。元々その発言者になにをするかを決めていた阿河には、迷う要素はなかった。


「ごめんな。死ね」


 阿河は触手を勢いよく断ち切った。やつは映画や漫画みたいな暴れつつ断末魔をあげるような真似はせず、電源が切れた人形のようにその場に倒れた。まだぎりぎり息はあるようだが、これで終わりだろう。

 阿河はやつから少し離れ銃剣を構える。他の分隊の全員もやつを取り囲むように、一定の距離をとって各人の個人携行火器を怪物に指向する。岸本も、よくわからない構えをして戦う姿勢をとっている。


「最悪だ。まったく。もう。最悪だ」


 やつの鹿の顔が話す。人間と羆の顔はもう生き絶えており、口をあんぐり開けて目は宙を見ている。特に人間の顔の表情は…悔しそうだ。


「お前の望む結果はなんだったんだ?」


 阿河が鹿の顔に向かって話しかける。情報収集のためだったが、興味があったことも否定できない。やつの言動は、俺たちの殺害を目的としているようではなかったからだ。ではやつは何をしたかったのか。


「…岸本に聞け。俺は退場するよ」


 やつはそう言い残し絶命した。やっと終わった。いや、危ない危ない。終わっていない。むしろこれから本番だ。気を抜くな。


「阿河は上原を診てやれ、本田は廊下を警戒しろ。俺はケータイが通じるか試してみる。事後についてはまた話す」


 阿河は上原3曹を横にさせつつ、無線機を下ろさせ着ている防弾チョッキを脱がす。無線機は酷い有様だ。これでは使い物にならない。防弾チョッキの背面は、表面の迷彩柄の布は破けているもののプレートは無事だった。つまり、やつの触手は貫通しなかった。無線機と防弾チョッキに上原3曹は守られたのだ。すごい衝撃だったことには変わりないが、致命症は負っていないようだ。意識もはっきりしている。

 本田2曹はMINIMIの弾薬ベルトを新しいものに交換し、廊下の警戒についた。今のところ他の怪物は来ていないようだ。

 玉木1曹の電話はつながらなかった。他の分隊員や、岸本にも頼んで試してみたが同様だ。天候なのか、ど田舎だからなのかわからないが電波が無い。つまり、連隊との連絡手段は無くなった。

 だが、今後のやるべきことに変化はない。そして、まず最優先でやるべきことは。話を聞くこと。玉木1曹が発言する。


「岸本さん、話を聞かせてくれますね?」


「…その前にタバコを一本くれないか?」


 阿河が迷彩服の右裾のポケットからメンソールのタバコとライターを取り出し、自分も吸いたい欲求を必死に抑えつつ岸本に渡す。岸本がタバコに火をつけ、これでもかというほど美味そうに何口か吸った後、話しはじめた。


「時間はない。だが、これからする話は長くなってしまう。菓子とコーヒーでも用意した方がいいかもしれないな」


 岸本は苦笑いはそのままに、少し間を空けてから、続けた。






「だが、聞いてくれ。頼むから」





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