その十一

 「聞くな!」


 玉木1曹が叫び、自ら射撃を再開する。それを合図に分隊の射撃も始まった。阿河も我に戻り、空になった弾倉を交換し射撃を継続する。が、やつは怯まない。体にある無数の弾痕など全く気にしていないようだ。まずい。職員室に逃げ込んだという状況から、職員室に追い込まれたという状況に変わった。また廊下に逃げ出したところですぐに追いつかれる。追いつかれるということは死を意味する。時間を稼がなければ。


 「足だ!足を撃ちまくれ!」


 普段の射撃訓練と違い耳栓をしていないせいで聴力がそろそろ馬鹿になってきても、玉木1曹の指示は聞き逃さない。岸本以外の皆もそうだ。分隊の射撃がやつの足に集中する。なるほど。怯みはしなくても、生物であることに変わりはない。物理的に足をめちゃくちゃにすれば走れない。世の中にはこんな状況でも頭が切れる人間がいる。

 分隊の射撃によってやつの前足がちぎれはじめた。骨が剥き出しになり、5.56mm弾で粉砕されていく。先に右足、直後に左足が脛の部分からちぎれ、怪物が悲鳴を上げながら前のめりに倒れる。阿河は違和感を覚えるが、その正体はわからない。

 

 「後ろの出口だ!行け行け行け!」

 

 玉木1曹が射撃を継続しつつ指示を出す。怪物のいない方向のもう一つの出入り口から脱出するのだ。自分がしんがりを務めることを皆に伝え、皆が出口へ走りはじめる。最後に阿河が部屋を出ようとしたとき、今度は鹿の顔が阿河に喋った。


「簡単には行かせないです。私もすぐに行きますね」


 ふざけるな。さらに数発だけ撃ち込んで部屋を出る。怪物の両前足からはおそらく羆のものではない新しい足が生えはじめていた。

 分隊は当初、廃校に進入した経路を再び戻ろうと、つまり職員室を出て左に向かおうとした。しかし羆の怪物がその言葉通り、背中の足だけを分隊の進行方向の出入り口から廊下に出して振り回し妨害してきた。その向こうの廊下には、四体ほどの人型の怪物も見える。迷っている時間はない。分隊長は引き返し、体育館と二階への階段へつながるT字路へ向かう決心をした。


 「体育館はやめろ!」


 岸本が叫ぶ。理由はわからないが、それなりの理由があるのだろう。分隊はその言葉に従ってT字路を左ではなく右に曲がり、二階を目指して階段を駆け上がった。階段を登り終えたところで粘液まみれの人型の怪物に遭遇する。相変わらずバイタルへの射撃はあまり効かないが、火力を集中し素早く倒す。

 分隊は二階の廊下を奥へと進むが、突き当たりまでは進まず途中の音楽室へと入る。一番奥まで行くと時間は稼げるが逃げ場が限定されるからだ。本田2曹が羆の怪物が来るであろう方向を、阿河が逆方向をそれぞれ廊下に半身を出して警戒する。


「上原は本部に状況伝えて、主力到着急かして。岸本さん。あいつは一体…」


 上原3曹が本部を無線で呼び出しはじめる。岸本が呼吸を整えたあと玉木1曹に話しはじめた。


「…この島には数は少ないが羆が生息していたらしい。他の動物もそうだろう。学校に近づいてしまって、体育館にいるあいつに変えられてしまったんだ」


「あいつ?」


「とにかく今は羆の化け物を倒さなければ。すぐここにやってくるぞ。…これはいま考えついたことだが」


 岸本がこれは推測で根拠はないと前置きし、続けた。


「あいつらはめちゃくちゃだ。そうだろ?人っぽいが人じゃない。羆っぽいが羆じゃない。それはたぶん中身もだ。内臓とかもめちゃくちゃなんだ。脳や心臓みたいな主要なものもめちゃくちゃなんだ。だから、本来あるべきところにそれらはない」


 分隊が岸本の言いたいことを理解した。


「個体差はあるだろうが、頭とか胸を撃ってもあまり意味はない。例えばケツとか足とか、関係ないところが急所だと思う」


 だからやつら、なかなか倒れないのもいたのか。そうだとすると羆のあいつは。どこだ。どこを撃てばいい?前足はダメージは受けている様子だったが致命的ではなかった。胴体前面と頭もそうだ。ならば残りの胴体か後ろ足か、あるいは…。


「玉木さん。本部からで、主力到着は最新の見積もりで一時間後だそうです」


 上原3曹が玉木1曹に報告するのを耳にする。あと一時間。それまであの得体の知れないやつら相手に持久できるか。やるしかないのはわかっていても、それを疑問に思うくらいの権利は俺にもあるはずだ。だって、年末年始休暇中に得体の知れない怪物と交戦しているんだから。あぁ、帰りたい。シャワーを浴びてから昼寝したい。それから夕方くらいにだるさを感じながら起床し、歯を磨いたあと町に繰り出して、酒を飲みながら函館の新鮮ないかの刺身を食べつつ煙草が吸いたい。相手は仕事でやっているとわかっていても、キャバクラでちやほやされたい。金を使い過ぎてしまった、場内指名をいれてしまったからだと同期とバカ話をしつつ営内に帰りたい。なんでこんなことになっているんだ。くそ。


 こんな状況なのに自暴自棄にならないのは。その理由は。やっぱりそこに帰ってくるのか。自衛官だから。正直、今は辛い。なぜなら疲れてるし、眠いし、耳鳴りがするし、二日酔いだし、怪物に殺されるかもしれないから。でも自衛官だから、やる。自衛官として受けた教育が、魂が上げる悲鳴を否定していた。


 そして、玉木1曹がいるから。この状況でも指揮官として振る舞い続ける男がいるから。あんなのが指揮官だったらやるしかない。演技に徹するしかない。この未曾有の事件に冷静に対処した陸上自衛官としての演技に。くそ、やってやるさ。ただし、函館に帰ったら溜まりに溜まった代休を消化してやる。

 

 阿河の思考が目の前の現実に戻る。やつの咆哮が聞こえたからだ。いい加減うるさいと感じつつ振り向くと、両前足が巨大な狐のそれになったやつが階段を上り終えたところだった。こちらとの距離は30mほど。やつの人間の顔が話しかけてきた。


「大丈夫です。ちょっと痛いだけですから、一緒に行きましょう。岸本さんもいるんでしょう?」


 岸本は室内で顔面蒼白になっている。玉木1曹が分隊全員に射撃用意を命じたのち、怪物に話しかけた。


「お前ら、何者なんだ?」


「そちらから見ればこちらは普通じゃないでしょうが、こちらから見ればそちらが普通じゃないんです。まあ話しても無駄ですから、さっさと済ませましょう」

 

 言い終わると、やつが小走りでこちらに向かってきた。玉木1曹が再度命じる。


「バイタルとは逆のところを狙え、まずは足だ。近づかれたら射撃を継続しつつ散開しろ。射撃用意、撃て!」


 分隊の射撃がやつの足に集中する。何発かの命中を認めるが、やつがその巨体が嘘かのように軽やかにジャンプしてその後の射撃を避ける。

 気づけばやつはもうすぐ近くに来ていて、一階での交戦と同じようにこちらに突っ込んできた。分隊は一階での交戦と同じように室内に逃げ込み、やつは一階での交戦と同じように室内に突っ込んできた。

 だが、一階での交戦と違うことが三つある。まずここは一階ではない。また、職員室ではなく音楽室だ。そして…。



 我々はやつの弱点を知っている。



 玉木1曹が分隊に新たな命令を下した。



「大丈夫、倒せるさ。さぁ、やっちまおう」



 阿河は、口を笑みの形にひきつらせた。




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