その九

「せぇんせー。せんせぇーえー」


「お前達は何者だ?ここで何があった?」


「ぅむぅくぉーうがーあーわかーりぁー」


「何だ?何て言ったんだ?」


「たぁのししーたぁのぉしー」


「…これが最後だ。お前達は何者だ?」


「あぁあーいぃきたぁあいーまあちぃあーあゃ」


「やっぱりダメか」


 そう言うと、玉木1曹がとどめとなる弾丸を撃ち込んだ。



 床に散らばった数十発の薬莢と、各々の銃の銃口と薬室から立ちこめる硝煙は、やや収まってきたもののまだ部屋の空気のかなりの割合を占めている。普段の訓練では一発でも紛失を許されない薬莢をふんだんに散らかしている現状は爽快感すら感じるが、それはいわゆるトリガーハッピーと同義語なのだろうか。阿河のなかで答えがはっきりする前に、玉木1曹から新たな指示が達せられる。

 

 

 分隊は、職員室を制圧したところだった。中にいた三体のうち二体は呆気なく無力化されたが、蟻みたいな頭部をしているやつが厄介だった。身体が硬い甲皮を持っていたため、射撃に怯みこそすれダメージをなかなか与えられなかったのだ。それなりの弾薬を射耗して倒したが、その後も息があった。蟻みたいな顔になっても器用に独り言を喋りはじめた瀕死のやつを見て、玉木1曹が意思疎通を試みたが駄目だったようだ。やはり尋問といったコミュニケーションによる情報収集は無理。だが、探らねばならない。この怪物達がどこから来たのか。その目的は何なのか。

 

 玉木1曹の指示の下、制圧力は優れているが取り回しの悪いMINIMIを携行する本田2曹が周囲を警戒し、他の三名はそれぞれ三体の死体の検索をはじめる。阿河は、口が後頭部まで裂けている女の持ち物を調べようとしていた。自分が撃ち殺した異形の生物の死体。歯の生え方がめちゃくちゃだ。犬歯の位置に奥歯があり、奥歯の位置に人間のものではない牙が生えている。喉には喉仏が上下に二つ現れている。この歯では何かを咀嚼するのは難しいし、声を出すのに喉仏は一つで良い。何と言うか、無駄。余計?いや、そういうことじゃないのか。じゃあこれは…。


 気づけばズボンのポケットから財布を探し出していた。思考を現実に戻し、その中身を革手袋をはめた手で乱雑に確認していく。スーパーのポイントカードや各種割引券の次に免許証が出てきた。


 町屋真白まちやましろ、23歳。東京都在住。


 玉木1曹にその事実を報告すると、玉木1曹がこちらに近づいてきて自身の目で免許証を確認する。


「やっぱりそうだよね。上原さ、交戦の事実、異状なしの報告と敵の数と形態、あと免許証のことを本部に一報しようか。」


 その言葉を受け、上原3曹が動揺を感じさせない声で本部と連絡をとりはじめた。

 

 大体写りが悪くなるのにかわいらしく写っている免許証の写真と、見る影もなくなった死体を見比べながら玉木1曹が言ったやっぱりの意味を考える。

 やっぱり、元々はちゃんとした人間だったということ。この異形の生物たちは、人間の目を盗んで太古から生きながらえてきた訳でもなければ、新種の生物が突然誕生した訳でもない。元々は人間だったが、何らかの理由でこの姿になったということ。東京在住。北海道だけではなく、全国から集まってきている。やつら、こんな姿になるために集まってきたのか。もしくは、予期しないトラブルが起こったのか。


 そしてこの場合。俺達は人を殺したことになるのだろうか?いや、考えまい。生きて帰ったあとに考える時間はいっぱいある。悔いるかもしれないし、意外となにも感じないかもしれないし、そんな自分に複雑な感情を抱くかもしれないが、それは今ではない。今それは考えるべきではない。それを考えてしまえば動きが鈍るから。


 やる前に、やられてしまうから。


 他の二体の死体からは何も見つからなかったところで、無線に耳を傾けていた上原3曹が口を開く。


「玉木さん、本部からで、引き続き任務継続しろっていうのと、主力はまだ出発できてないとのことです。通信終わりでいいですか?」


 玉木1曹が終わりでいい、とだけ答える。本部からは相変わらずの通信内容。気の利いた激励とかを言う気はないようだ。


「もうちょっと気の利いたこと言えないんですかね」


 上原3曹が話しかけてきた。偶然か。いや、顔に出ていたか。マジそうだよねと返答しつつ、相変わらずかわいいなと思ってしまう。この状況で。自分の女好きには嫌気が差してくるが、今更その生き方を変える気にもなれない。任務が終わったら飲みにでも、と誘ってみるか。それは死亡フラグって言うんだっけか。


「敵はバケモノだし、今日は久しぶりに彼氏と会う予定だったのに…マジ最悪です」


 阿河は死亡フラグを回避した。苦笑いしつつ、いつから付き合っているのか質問しようとしたがそれはできなかった。


 阿河の脳が何かが起こったことを認識したから。その何かを理解はできなかった。圧倒されたからだ。それからほんの僅かに遅れて、その原因が咆哮だということを理解する。耳と全身で感じたのだ。耳をつんざくような、建物ごと阿河を振動させた咆哮を。人間の大声などといったお遊びではない。これは…。以前に聴いたことがある。テレビの自然ドキュメンタリー番組と、札幌の円山動物園で。演習で出くわす可能性もあるから、部隊でもよく教育される。




 ヒグマだ。




 この聞こえ具合だと、この建物内にいる。そしてこの状況だと、自然界にいる普通のやつじゃないだろう。あの怪物と関係する羆。冗談じゃない。


 「集合!」


 玉木1曹が皆を集める。先ほどの咆哮を受け、新たな指示を出すためだ。おそらく、この咆哮の主については玉木1曹も同じ結論に達しているはず。どう判断するのか。とは言っても選択肢は二つしかない。闘争か逃走か。戦うか逃げるか。俺の想像が正しければ、相手はどちらを選んでも一筋縄ではいかないやつだ。


「たすけてくれ!」


 玉木1曹が話しはじめる直前、遠くから人間の声が聞こえた。男の叫ぶ声だ。分隊全員が反射で職員室を出る動きを見せたが、それを止めて顔を見合わせる。聞こえたのが自分だけじゃないことを確認するためと、全員が同じことを思い出したからだ。最初の交戦を。人間の女に擬態していた最初に出会った怪物を。あのときのあいつも助けを求めていたが、たすけて以外の意味のある言葉は発せなかった。


「囮ですかね?」


 上原3曹が発言し、皆が同意の視線を向ける。今度こそ囮か。これでのこのこ出て行った我々を羆の怪物がなぎ倒すつもりか。だが、そんな作戦を立てられるやつらがわざわざ咆哮なんかするのか。もし、そうじゃないとしたら?



 さらに声が聞こえた。


「俺は怪物じゃない!人間なんだ!助けてくれ!」




 各々が身につけている装備品の重さを感じさせない勢いで、分隊は職員室を飛び出した。



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