その八

 教室の掃除用具ロッカーの中に入ったのは、そういえばいじめられていた中学生のとき以来だな。

 そんなことを考えているとき、遠くから大きな声が聞こえた。多分一階だろう。人間がいる…。今、銃声も聞こえた。戦争映画みたいな銃声だった。警察、いや自衛隊か?とにかく、人間が来てくれた。もうあれからどれくらい時間が経っただろうか。隠れるのは疲れた。あ、薬はどこにやったかな。まぁいいか。

 今にしてみれば、情けないと思う。昔からそうだ。親に罵声を浴びせるくせに、親の稼いできた金で飯を食う。交通違反で捕まったときはいいだけ文句を言っていた割に、やんちゃな輩に絡まれたら警察が助けてくれると信じている。様々な自分の無様を屁理屈でごまかし、自分は間違っていないと自分を騙しつづけた。その傲慢さを変えられず、あんなことに加担した結果がこれだ。

 だが信じてくれ。誰に言っているのかわからぬままそう思う。気持ちは本物だった。世の中を変えようと思った。自分でも薄々気づいていた。自分が何の才能もなくわがままな人間だということに。だから良いことをしようと思った。腐った世の中を変えて、俺みたいなダメな奴や困っている人を救おうと思った。あの人、先生について行けば間違いないと思ったし、皆そう思っていた。当然成功するとも思っていたし、万が一失敗してもただそれだけの話。また何らかの形で挑戦すればいい。



 それが、あんなことになるとは。



 もう皆いない。正確にはいなくなったわけではないが。見知った皆が見知らぬものになってしまった。一緒の時期に活動を始めたあの優しいおじさん。よく二人で飲みに行って話を聞いてくれた。勉強会の度に饅頭もくれたな。一時間ほどくらい前か、物陰から一瞬だけ見えたあのおじさんは、3mくらいある腕を引きずりながら廊下を歩いていった。その光景を思い出し、込み上げる液体と嘔吐したい欲求を必死に抑える。喉を焼いた胃液がそれで満足して本来の居場所に戻って行く。

 

 しかし、なぜ。何がまずかった?できることは全てしたはず。全て先生の言う通りにしたし、先生自身も納得している様子だった。用意は完璧だった…。

 

 

 まさか。

 


 そんなこと。いや、まさか。そんなことがありえるのか。いや、しかし。そもそもの話だった?計画が始まったときからの話だったのか?だからあの結果に?簡単には認められない。だが、可能性はゼロではない。むしろそう考えれば納得いく。

 だとすればどうすればいい。俺はクズだ。はっきり認めてやる。俺はクズだ。だが、この状況を放置するほどのクズではない。どうすれば俺は止められる。こんなクズが止めるには。どうすれば。


 そうか。

 

 今さっき認めたではないか。俺はクズだ。俺にはできない。やってもらえばいい。やってもらえばいいのだ。俺にはできないから。それをできるものにやってもらえばいい。 

 しかし、そのためには俺は…。いや、ここまで来ればもうそれはいい。とにかく行かなければ。あの場所に行けばなんとかなるかもしれない。隠れながらこっそり行けばあるいは…。いや、途中で怪物となってしまった皆に襲われてしまう。仮に辿り着けたとしても結局、準備の間に襲われる。そもそもあの場所には例のやつがいる。やはり護衛が必要だ。ここに来た銃を持った連中、おそらく自衛隊の助けを借りるしかない。正直に話せば信じてくれるだろう。というより信じるしかないはず。銃声が聞こえたということは、戦っているということ。もう皆のこと…いや、あの人間もどきのことは認知しているはず。やつらの正体と解決策を俺は提示できる。そうすれば俺に協力するしかない。


 当面の問題は校内の自衛隊とどうやって接触するか。今は下手に動かずここで待つのがいいだろう。自衛隊はここで一体なにがあったのか探るために派遣されて来たはず。ならば俺のいる二階にも来る。そのタイミングで接触するしかない。

 待てよ。あの人間もどき達はこの学校から出ようとはしていない。理由は多分やつだ。やつは多分、まだ長い距離を動ける状態ではない。やつが動けるようになったら、人間もどき達を引き連れ外に繰り出すに違いない。あいつらが外に解き放たれたら…。

 

 今ここで待つ時間などないのでは?委細構わず、今すぐ自衛隊と合流してあの場所へ向かうべきでは?


 その考えが頭によぎり動き出そうとしたとき、物音が聞こえた。慌てて動きを止め、扉の空気穴から教室内を覗く。人間もどきが入ってきた。

 一体だけ。全裸だ。全身からネバネバしたやや紫色の粘液が出ている。男か女かわからないのは、髪の長さがどっちにも捉えられるし性器がないからか?割と普通だな。あとは眼球が眼窩に収まっているのではなく、眼窩から伸びる20cmほどの長さの触角と言うか触手の先に付いている以外は普通の人間だ。そいつが教室内を徘徊し始めた。

 自分の普通という感覚が麻痺してきたのは自覚していたが、そんなことより問題はこれからどうするか。こいつと戦うか?いや、あのとき見ただろ。こいつら相手に素手で戦いを挑むのは無謀だ。じゃあ隙を見てロッカーを飛び出して逃げる?あいつらは動きが鈍いのが多い。それだったら。

 いや、待て。廊下にもう一体いる。はっきりとはわからないが…。やつらなのは間違いない。いる場所が問題だ。この教室は校舎の端の方で、つまり逃げる方向は限定されている。廊下の人間もどきはその方向を塞いでいる形で位置している。つまり、今逃げるのは無理だ。時間はない。だが今は隠れて待つしかない。個体差はあるかもしれないが、幸いにもこいつら一体ごとの様々な能力、例えば知能は高くないようだ。掃除用具ロッカーに隠れるという子供騙しで俺が生き残れているのがその証拠でもある。このまま隠れていれば大丈夫。今のようにある程度の追跡をして来れるのは、あの親玉の何らかの能力?そりゃそうか。あいつは腐っても…。


 触手の先と目が合った気がした。バレた?こちらに歩いて来る。バレた。なんで。あいつらの知能は…知能じゃないのか。あいつのあの目か。この僅かな隙間から俺を見つけた。心拍数がそれが原因で死ぬかと思うくらい上がる。どうする。ロッカーを出るしかない。出たあとは?廊下の人間もどきのことは?名案が思い浮かばない。だが今出ないと終わりだ。捕まえられて、俺もあいつらみたいになってしまう。やるしかない。やる以外選択肢はないだろ。

 



 だって、クズなんだから。




 粘液まみれの手がロッカーの扉を開けようとした瞬間、岸本はロッカーを飛び出した。





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