その七

 分隊は、廊下を進んでいる。怪物と交戦などしていないかのように、訓練のように整然と進んでいる。分隊の意思は5分ほど前、用務員室を出るまでに統一されていた。


 

 用務員室での連隊本部との通信でもたらされた、主力到着が遅れるどころかその時刻が未定との報。自分が殺されるかもしれないのに助けが来ない。戦争映画でよくある話。映画では大体新兵が取り乱し、未だ血気盛んな古参の軍曹がそいつを殴り飛ばして規律を維持する。恐怖は伝染するからだ。この分隊には新兵、陸上自衛隊的に言えば新隊員はいないが、動揺が走っていないと言えば嘘になる。ましてや今回は、相手が相手だ。本田2曹は相変わらずだが、上原3曹はやや動揺している。阿河も若干の動揺は隠せない。



 だが分隊には新兵を殴る古参の軍曹もいない。いるのは人柄と能力を兼ね備え、33歳の若さで1等陸曹の階級章を襟に縫い付けている斥候分隊長である。その分隊長は淡々と事後の行動について話しはじめた。


「まぁ、このメンバーならなんとかなるよ。あいつらとのコミニュケーション、尋問とかは不可能だろうけど、任務は敵情の解明だから正体につながりそうな物があったらすぐ言ってね。弾薬は節約気味でいこう。けどそれに拘り過ぎて間合い詰められないようにね」


 この人の命令指示は、基本的には命令指示の口調ではない。何故なのか理由は聞いたことはない。が、聞かなければならないというより、聞きたいと思わせられる。玉木1曹自身は動揺していないのだろうか。

 

 いや、演技か。この状況でも余裕を失わない指揮官という演技。


「さっきもちらっと言ったけど…。任務終了後は色んなとこから色んなこと聞かれると思うけど、責任は俺がとるから、みんなはみんなが正しいと思ったことをやってね」


 各々の警戒は怠らぬまま、阿河が了解と発し、本田2曹が頷いて、上原3曹が引き締まった顔ではいと答える。

 これが指揮官というものなのかな、と阿河は思う。現状の厳しさを理解しつつ諦めたわけではない。理想の指揮官として振る舞い、任務遂行の意思を捨てず、部下への気配りができてしまう男。


「さて、そろそろ行きますか。前進経路は変更なしで」

 

 玉木1曹の指示の下に分隊が用務員室から廊下に出るため、入口に集結する。だが廊下に出る直前、そういえば一番大事なことを言っていなかったと、玉木1曹が最後の命令を付け加えた。珍しく命令口調だった。



「やられる前に、やれ」



 今度は全員が玉木1曹と目を合わせ無言で頷き、分隊の意思は統一された。

 


 分隊は、廊下を進んでいる。怪物と交戦などしていないかのように、訓練のように整然と進んでいる。


 廊下を進むと、やつの死骸が再び見えてくる。紫色の体液が廊下に更に広がっている以外は変化はない。改めて見るとグロいな。ありきたりな感想が頭に浮かぶ。身元が分かる物などを探したが、成果はなくその脇を通る。


 生物兵器か何かなんだろうか。センスがないものを作るもんだな。目的は何だろう。使いどころはあるにはあるだろうが、これを量産して兵器として使っても、現代戦で劇的な戦況の変化をもたらすものではないだろうに。

 いや、こいつが兵器なんじゃなくて、兵器によって変化させられてしまったのか。だが生物兵器にしても化学兵器にしても、人体にここまでの変化をもたらすものは聞いたことがない。そもそも、この日本で生物化学兵器を作ろうとするのは不可能と言っていい。頭がおかしい宗教集団がそれを使って地下鉄でテロを起こして以来、規制や取り締まりが厳しくなったからだ。

 ということはどちらかということだ。どこか海外の国か組織が、とんでもない生物化学兵器を作り日本でテロを起こした。もしくは国内外問わない誰かが、生物化学兵器ではない方法でこんなことをしたか。生物化学兵器ではない方法とは。外科手術。いや無理だろう。あれは何かを移植して済む話ではない。では、一体。今のところは神のみぞ知る、か。この校舎内にヒントがあるのだろうか?



 分隊は敵に遭遇することなく一階の残っていた何部屋かの安全を確保し、職員室に到達しようとしていた。体育館を除き、この職員室で校舎一階の安全化は一通り終了する。分隊と入れ違いで敵が二階から一階に侵入する可能性もあったが、この状況では完璧ではないにしても最善を尽くしている索敵と言っていいだろう。


 職員室が近くなってきた。中から、複数の足音や何かにぶつかる音が聞こえてくる。

 

 そりゃ、いるよな。


 阿河は後ろを振り返り、玉木1曹に小さく頷く。様子を見てくるの意だ。一人先行し、入口の扉の窓から職員室の中を覗く。そこに広がっていた光景を見て、阿河は鼻で笑った。恐怖はない。やるしかない。


 

 敵は三体いた。

 


 一体目は右足が30cmくらいで、左足が150cmくらいある身長2mくらいの男。

 二体目は、男か女かわからない。背中に虫のようなぐちゃぐちゃになった羽があり、首から上は見たことがない虫、強いて言うなら三つ目の蟻のようになっている。

 三体目は女性。あれは普通のにんげ…いや、口が後頭部まで裂けている。

 

 この三体が儀式かのように、職員室の中をぐるぐる歩き回っている。椅子や机に頻繁にぶつかっているが、気にしている様子はない。足がアンバランスなやつが何か喋っている。


「しぃあーわせーだぁなぁ」


 冗談はよせと思ったが、そんなことより次の言葉が気にかかった。


「せぇんせーはーどぉこ」


 学校の先生?先生を探しに職員室へ?元々はここの卒業生だったのか?だが母校でこんな大それたことをする意味なんて…。いや、まずは報告か。阿河は後退し分隊に小声で状況を報告する。

 素通りするか、掃討するかの二択。分隊長は掃討を決心する。こちらが数的有利のうちに各個撃破しておきたい。加えて我々が二階に上がったあと、二階の敵とこいつらに挟み撃ちされる可能性もある。


 分隊が突入準備に入る。やるべきことは二つだけ。情報を集めることと、怪物を倒すこと。

 簡単だろ?自分に聞く。簡単じゃなかったら?大丈夫。玉木1曹についていけば。それに大丈夫じゃなかったとしても、対処法は知っているだろ。



「時間が解決するさ」



 阿河が小さな呟きを言い終わるか終わらないかのうちに玉木1曹が扉を勢いよく開け、阿河は部屋に突入した。



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