その六

 阿河が引き金を引いたのは、玉木1曹が撃てと叫んだのとほぼ同時だった。阿河に続いて玉木1曹と本田2曹も射撃を開始する。

 89のパン、パンという単発の射撃音と、MINIMIのダラララという連続した射撃音が廊下に響き渡り、それに比例した数の薬莢が各々の銃から排出される。人間の女性だったものにはその全弾が命中していた。怪物が運動神経の無いダンスを踊り、胸から生えていた手が吹き飛ばされるのと同時くらいにその歩みが止まった。


「撃ち方やめ」


 玉木1曹の号令で廊下が静かになる。約マッハ3の速度で撃ち出された十数発の5.56mm弾を受けた怪物が、ふらついたあとに前に倒れた。


 頼む。頼むぜ。これで終わりだと言ってくれ。バイタルに何発撃ち込んだと思ってる。ひぐまでもただじゃ済まないぞ。

 そう思いつつ、そうならないとも思っている。いや、分かっていると表現した方がいいのか。訓練教官はいつでも嫌なときに嫌なことをしてきた。大体の任務は週末か休暇中に訪れる。起きて欲しく無いことは起きる。そしてそれは、いつも自分の予想の斜め上からやって来る。

 

 阿河の期待を裏切ることなく、怪物が老人の寝起きのような面倒くささで起き上がる。

 正解には起き上がった訳ではない。四つん這いのような状態になっている。手が生えてきていた胸からは今度は足が生えてきた。左の肩口からも足が生えてきたが、その足は人間のそれではなく、キツネのような足だった。両手も足のように使い始め、人間の女性はいびつな左右非対称の六足歩行の生物に変態を遂げていた。顔は下を向いたままだったが、頭頂部に現れている大きな単眼がこちらを見つめている。

 

「あぁ、くそ」


 阿河がそう呟いたあと、玉木1曹が再び射撃を命じる。今度は上原3曹も加わった射撃が加えられ、しばらく清掃されていない廊下が紫色に染められていく。分隊が射撃を止めたときには、怪物は原形をかろうじて保っている程度の肉塊になった。


 5秒に満たない程度の時間で、分隊が肉塊を観察する。痙攣していたが、三度動き出す様子はない。頭頂部の単眼は破裂し、代わりに大きな空洞となっている。背中には新たな足が生えはじめていた形跡がある。あの足は…あれは鹿か?



 こいつは一体何だ。脳内麻薬がやや切れてきて、阿河の思考は混乱の中にあった。頭が休みたがっている。こんな形で迎えると思っていなかった実戦の興奮や、自分達に襲いかかって来る得体の知れない怪物に対する恐怖が自分の頭の許容を超えかかっている。

 

 だがこれまで自衛官として受けてきた教育が、思考を停止したい欲求を否定していた。じゃあ、どうする。じゃあ、今すべきことは。

 


 ここに留まるのは危険じゃないのか。



「行くぞ」


 阿河と同じく、思考を感情に支配されていない斥候分隊長の声が聞こえた。

 

 完全な無力化のため数発だけ肉塊に弾丸を撃ち込んだ後、阿河達は突入する予定だった教室の前を離れ、進んで来た経路を70mほど戻り用務員室へ入る。廃校らしい汚く雑然とした部屋の安全を再び確認すると、必要な者が弾薬を再装填し、入口や窓を警戒する態勢を素早く整える。玉木1曹と本田2曹は入口を、阿河と上原3曹は窓を警戒している。窓越しに見える外は吹雪がますます強くなっているようだ。動揺と沈黙の空気をほんの少しだけ四人で味わい、玉木1曹が口火を切った。


「…まずは報告だ。上原、00呼び出して。にしてもな。相手がバケモンとは」

 

 上原3曹がまだ少し動揺が残っている声で連隊本部を呼び出しているが、通信状況が悪いのか時間がかかっている。男三人は警戒を緩めぬまま、その間に会話を交わす。我々の武器で殺傷できるのは分かった。あいつが元々は事前情報にあった観光客とやらだったとすれば、敵はあと28、9人くらい。恐らくは武器を扱う能力は低い。落ち着いて対処していけば大丈夫。だがあれだけの弾を食らっても動き続けたあの耐久性は異常だ。一体に約40発射耗してしまった。こちらの残弾は約930発。このままのペースで射耗すると必要数は1100発ほど。弱点を見つけるなりしなければまずい。また単純な数的不利な点も否定しがたい。複数に一気に襲われたら詰みだ。それに…今度は一体どんな怪物が出てくるかわからない。主力到着まで持ち堪えられるのか。

 しかし、あくまでも分隊の任務は敵情の解明。主力到着前に我々は明らかにしなければならない。さっきのあいつ、そしてまだいるであろうあいつらの正体と目的を。

 

 本田2曹は頷くだけだったので、実質男二人の会話が終わりかけたとき、連隊本部と通信がとれた。玉木1曹が上原3曹から受話器を受け取り、冷静さを保って話し始めた。



「00、01、01については敵と交戦、一名射殺した。我の人員装備損耗無し、送れ」


「01、00、了。どのような敵だったか、送れ」


「00、01、敵は人間ではない、人間に似ているが…未知の生物のようである、送れ」


「…01、00…あー、再送せよ」


「00、01、敵は人間ではない。未知の生物のようで、こちらに襲いかかってきたので射殺した、送れ」


「…01、00…敵は人間ではない、01は任務継続支障無し、これでよいか送れ」


「00、01、その通り」


「01、00…了。01については任務継続されたい、主力については更なる天候悪化のため前進開始時刻未定、決心次第連絡する、送れ」


「…00、01、再送せよ」


「01、00、主力の前進開始時刻については未定である、送れ」






「00、01、了、終わり」




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