第38話 いいバカの空想

 満鶴の無断外泊事件の記憶も薄れ、その冬のことが、いつもの年よりも寒かったとしか思えないのにテレビで「今年も暖冬だった」と言われるようになった三月に、市の広報誌というのが満鶴みつるの家にも配られた。

 その表紙の絵を見て、満鶴は「あーっ」と緊張感のない声を立てた。

 見たことがある!

 濃い青色の空の下で、雪が何もかもを覆っている。

 アスファルトの地面も、田んぼも、低い垣根も、遠くの山も。

 そのなかに、一本、杉の木が雪に覆われずに黒く突き立ち、しかし、よく見ると、その杉のてっぺんも雪に覆われている。

 低い垣根は竹の垣根ではないように描かれていたし、道路の上のわだちで融けかけた雪も描いていなかったけれど、それは、あのときまりもがスマートフォンで撮った写真にそっくりだった。

 裏表紙に作者の名まえとプロフィールが出ている。

 「絵・川端かわばたあまもさん … 兎野うの市出身で、現在、葭内よしうち市の名門春華しゅんか美術大学附属ふぞく高校で美術を学ぶあまもさん。「妹が、雪が降ったと言って兎野市の写真を送ってくれました。あの町がこんな銀世界になるなんて。いまは兎野市を遠く離れて絵の勉強をしていますけど、こんなすてきなふるさとなんだから、いつかは町に帰って、学んだことを活かして兎野市の魅力を伝えていきたいです」と語る。一つのことに打ち込んだらほかのことを忘れてしまうくらいに熱中するというあまもさん。がんばって、そしていつかはまた兎野市をホームグラウンドにして活躍してほしいと願わずにはいられません!」

 そして、はにかんだような、髪の長い女の人の写真が出ていた。

 まんまるな顔のまりもとは似ていない。でも、もしかすると、あいつもあの「まんまるさ」を取り去るとこんな顔になるのかも知れない。

 服は私服のようで、白いカーディガンの下にピンクのシャツを着て、胸に細いリボンを結んでいる。

 この人には、たしかにあの陣屋町じんやまち高校の訥々とつとつとした制服は似合わない。

 満鶴はふと想像してみた。

 あのまりもと、自分とで、陣屋町高校のベージュのジャケットと校章入りのカッターシャツと黒スカートと、そして、自分は白のタイツを穿き、あの子は裸足で……。

 それでこのふんわりした雪の上でダンスをしてみたい。

 手を組んで、体を引きつけたり放したり、右肩を抱いて右に回ったり、くるんと逆転して逆向きに回ったり。

 雪は、きらきらと白く、でもよく見ると一つひとつの小さな光が違う色を放って、まるでダイヤモンドのようで。

 もちろん雪は冷たい。綿菓子のように見えても現実は厳しい。タイツには雪解け水かみるし、裸足の足はまっ赤になるだろう。やがて二人の足には感覚がなくなる。

 それでもかまわない。感覚がなくなった足で学校から一キロのバス停まで歩いたのだ。だったら、ダンスだってできないわけがない。

 あの高校の制服を着るころになったら、まりもはまた昔のスタイルのよかったまりもに戻っているだろうか?

 太るのは気にしているみたいなので、これ以上は太らないだろうと思うけど。

 でも、ありのままのまりもと、二人で。

 二人きりでいつまでもいつまでも踊っていたい。

 バカな空想だと思う。

 それでも、それはいいバカの空想だ。

 よくない優等生にはけっしてできないと思うと、満鶴は照れてひひひっと笑った。


 (終)

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