第33話 ダンス

 話が途絶え、満鶴みつるは穴埋め問題に取りかかる。

 最初の空欄は、たぶん「ダンス」なのだと見当がついた。でも、ダンスって英語の綴り、どうだっただろう?

 「dans」だっただろうか? それとも「e」がついて「danse」?

 いや、どっちも違ったような……。

 辞書、引かなきゃ。

 あのまりもでさえ、ずっと首っ引きというので辞書を引いている。

 だったら、自分だって。

 だから辞書に手をかけて、「D」のところを開こうとする。

 でも、手をかけて辞書を開けようとすると、その辞書のペーシが重い。重さに気を取られていると、何を引こうとしていたか忘れる。

 ああ、ダンス、だった。英語でも「ダンス」だったはず……。

 それを辞書で調べる。「ダンス」って単語、dansか、danseか、いやちょっと違うような……。

 でも辞書のページが重い。でもまりもだって辞書を……。

 まりもに負けないように……まりもと……まりもと……ダンス……ダンスを……。

 まりもの手を取って、もう片方の手も取って……。

 踊りには自信がないけれど、そこはまりもがリードしてくれるだろう。いきなり何かやれと言われたときに物怖じしないのが、この二人なのだ。

 いや、何をしようとしていたんだろう? そうだ。辞書を引こうとしていたんだ。そして、「ダンス」の綴りが……。まりもも辞書を引いている。自分が辞書を調べないわけには。まりもも……まりもとダンスするならどんなダンスだろう……。いや、辞書を引かなきゃ……。

 そんな繰り返しを、何度も繰り返す。どれだけ繰り返したか、覚えていない。

 「ほら」

 まりもが素っ気なくふと満鶴を抱いた。

 しかもいきなり首に手を回した。思い切りよく。

 まりもの体の温かさと、その手に残る石けんの匂いと、あと軽い鉛筆の木のにおいと……。

 そうだ。ダンスだったら、ここまで深く相手と体を組まないといけないんだ……。

 左手で満鶴の体を抱いたまま、まりもはすうっと右に回り込み、その右手でさらに満鶴の左肩を抱こうとする。

 ここまでやってくれるならば、もうまりもに体を預けたほうがいい。

 すうっと体が沈む。まりもに体を委ねる。やわらかくて、温かくて、その息に、吸ってから一瞬だけ息を止める癖があって……。

 心地いい。

 「じゃあ、消すよ」

 さっきのまじめなまりもの低い声と、いつものテンションの高い声との中間ぐらいの声がした。

 かちっと音がして、あたりが暗くなる。まっ暗になる。

 あのダンス部の発表会のとき、そうだった。

 体育館全体が暗くなって、そのまん中を一筋のライトが照らし、そこでダンスが始まる。

 本番だ。

 満鶴は、その一筋の白い明かりに照らされて、まりもと踊る。

 優雅なドレスを着て。

 いや。違う。そんなのは着ていなかった。

 まりもも満鶴も、あの陣屋町じんやまち高校の制服を着ている。

 茶色で山をかたどった刺繍ししゅうの入ったシャツに、ベージュ色のジャケットに、黒のスカート、いまの季節は白いタイツに……あと、ネクタイはどんなのだったかな?

 それは、どうでもいい。

 まりもと満鶴は、かっこよく、凜々しく、疲れを知らずに踊り続ける。

 いつまでも。

 いつまでも……。


 * 「ダンス」の綴りはdanceです。

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