第32話 進路の話(2)

 まりもの話をききつづける。

 まりもは、答えを書いてしまうと、次の文もノートにていねいに写している。

 いや、まりもはバカではない。

 英文を写しながらほかのことを考えるという、満鶴みつるでも集中力が高まっているときしかできないことを、こともなげにやっている。

 「陣屋町じんやまちの偏差値が低いのはさ、それは勉強のできない子が行くからだけど、でもさ、それ以上に、あそこ、農業学校でしょ、ほんとは。農業とか、その、なんか飼ったりとかさ、牛とか豚とか」

 「ああ」

 そういえば、そのカジカガエルのマスコットを手作りしていた陣屋町の先輩たちがそんなことを言っていた。

 物腰のやわらかい、親切そうなひとだったな。

 ああいうひとが生徒でいて、それでも、偏差値が五〇を切るとかいうことが問題なんだろうか?

 まりもが言う。

 「そういう農業とかに関心のない子は最初から受けないから。それで偏差値低いんだよね。農業やるのが偏差値低いとか言ったら怒られると思うけどさ」

 それはそうだ。満鶴の家も農業だ。

 「まあ、つまり偏差値高いほうの受験生がごそっとよそを受けちゃうってことだよね。そんなところだから、まあお姉ちゃんには向いてなかったよね、ぜんぜん。ああ、いや、ぜんぜんでもないかなあ」

 言って、また単語を最初から引き始める。

 いや、さすがに最初の「I」は引かなかった。

 「美術の選択、当たってたら、ぜんぜん違ってたかも知れないなあ」

 「でもさ、まりも」

 はっきり、「まりも」と呼ぶ。

 「あんたは農業とかって関心あるの?」

 こっちはほんとに農家の家の子なんだ。

 でも、だから、農家じゃない家の子が農業とかに関心を持つのが許せない、とか、自分は農業に関心なんかないのに、とか、そういうのでもない。

 じゃ、何だろう?

 自分で自分の気もちがよくわからない。

 「わからない」

 まりもは言った。

 たぶん、それが正直な答えなのだ。

 続ける。

 「でもさ。うちで使う材料? 食材っていうの? それの値段が安定してないんだよね。いきなりふわっと上がったりして。それもめちゃくちゃ上がったりして。下がるときは下がるんだけど、たいてい上がったらなかなか下がるところまで来ないんだよね。キャベツなんか、どん、と下がって、よかった、と思ってると、また、どん、と上がったりして、さ。父ちゃん、前はそれで怒ったりしてたんだけど、もう最近あきらめちゃっててさ。それでもさ、あのトンカツとかで千円とか取って、それでもうけがあんまり出ません、とかじゃさあ。それ、どうなってるんだろう、って思うよ。だってそれ、うちだけの問題じゃないもん、絶対に」

 低い声でそこまで言って、また辞書のページを繰る。

 「そういうの、わかりたい。で、父ちゃんは当然、また、高校行くんだったら明るいうちに帰れるところ、とか言うに決まってるから、ちょうどいいでしょ? 陣屋町で、親は安心だし、わたしはいま疑問に思ってることに取り組めるわけだし」

 鉛筆ですらすらすらと単語の意味を書いて行く。それで行き詰まって、また辞書を開く。

 「まあ、将来、おカネ持ちになって親に楽をさせてあげられる道とかじゃないよね、お姉ちゃんもわたしも。成績上げて、学費がかからなくて就職のいい大学に行って、給料の高い会社に行って、っていう、さ。そういうのはお姉ちゃんもできないしわたしもできない。そういうところはバカなのかも知れないけどさ」

 「いいじゃない」

 ずっとことばをはさむことができなかった満鶴の口から、ことばが自然にすべり出た。

 まりもは問題を解きながらずっと低い声でしゃべっているのに、満鶴はさっきから少しも解くのが進んでいない。

 「いいじゃない。それはさ、まりもが自分でバカだってっていうのなら、それはそうなのかも知れないけど、でもそれはいいバカだよ。よくない優等生よりずっといいよ」

 じゃあ、満鶴自身は、よくない優等生なんだろうか? それとも、それもわからないくらいのバカなんだろうか?

 よくわからない。

 「満鶴ちゃんにそう言ってもらえて嬉しい」

 まりもは顔を上げて笑って見せた。りんごのような紅色の頬の色が前よりかげっているようで、でも、それが嬉しかった。

 どうしてなのか、わからない。

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