第22話 まりもの物語(3)

 「おっ、よく知ってるねえ!」

 まりもにいつもの学校での調子が戻る。

 それで満鶴みつるもいつもどおり素っ気なく

「進学資料で見たから」

と答えた。

 芸術系の進学は考えていなかったけど、進学資料の本の芸術系のところに出ていたのを読んだ。

 そのときは、美術が中心の学校に行くなんてすごいけど、行くのはどんな人たちだろうと思っただけだった。

 行くのは、一年生の最初にあこがれて、それからすぐ嫌いになった子のお姉さんだ。

 身近にいたのだ。

 「で、そんなところに受かったから、父ちゃんも反対しきれなくて。自分で最高の教育とかなんとか言っちゃったわけだからさ。でも、学校、葭内よしうちだからね。調べてみたら、半場はんばから葭内の駅まで二時間半ぐらい、それからまた歩きだから。当然、独り暮らし始めたんだけど。ところが、今度は、父ちゃんが、学科でも美術でも最高の成績を取らないと仕送りを打ち切るとかなんか言ってプレッシャーかけてさ。それで、お姉ちゃん、無理しちゃったらしくて、倒れちゃったんだよね。画材買ったり、スケッチ旅行行くための旅費とかのためとかで、おカネ切り詰めてたらしくて。その春華しゅんかの学校の先生が慌てまくって電話かけてきて。それで、手術とかはならなかったけど、点滴打って何日か入院、って」

 「うん……」

 「それで、父ちゃんは連れ戻せとか言ったんだけど、今度はお母さんが怒っちゃって、倒れたのはお父さんのせいですよ、とか言って、自分で行ってお姉ちゃんのめんどう見るから、って、葭内に家借りて、お姉ちゃんといっしょに住むことにしちゃったわけ。そしたら、父ちゃんのほうがこんどは慌てちゃってさ」

 言って、まりもは「きひひひっ」と笑う。

 続ける。

 「父ちゃんが、お母さんにも、仕送りなんかしないぞ、とか言ったんだけど、お母さんのほうはもう働くところも決めててさ、あーら、お父さん、いっしょに来ないんですかぁ、とか言ったら、ますます父ちゃん慌てちゃって、もちろん慌ててもでもどうにもならなくてさ」

 笑いながら言っているということは、そんなに深刻な話ではないのだろうか。

 深刻な話というのは、たとえば、離婚とか。

 それとも、ほんとは深刻な話なのに、満鶴に気をつかっている明るく言っているのだろうか。

 半日前までの満鶴なら、まりもがそんな気づかいができるわけがない、と思ったところだけど。

 まりもはいちど大きく息をついた。

 「まあ、お母さんも、自分が行くって言ったら、父ちゃんも店やめていっしょに来るだろうと思ってたたらしいけどさあ」

 天井を見上げる。その、色の変わった笠のついた蛍光灯のほうを。

 「でも、父ちゃんさ、そこで意地でも店やめなかったんだよね」

 それはわかると思った。

 さっき、あんなに店が混んでいたのだ。この店がなくなったら、そのお客さんたちはどうするだろう?

 「お客さんのため?」

 「ああ」

 ふいをかれたようにまりもが声を立てる。

 「ああ、いや。そんなことないよ、たぶん。たぶん、そんなことない。ここからちょっと半場のほうに行ったら、おんなじような店、いっぱいあるから、ここがなくなってもだれも困らないし、それに父ちゃんはそんな考えかたはしないから」

 「うん……」

 相づちを打つわけにも反対するわけにもいかない。

 まりもは少し身を起こした。

 「父ちゃんってさ。お母さんと結婚したっていうより、ここのトンカツと結婚したようなもんだから。その意地だよね」

 「ええっ?」

 大げさな反応だと自分で思う。

 いつものまりもみたいだ。でも、もういいだろう。

 「何それっ?」

 トンカツと結婚ってなんだ?

 「ふふん」

 まりもは軽く笑った。

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