第15話 かつ天の仕事は続く(2)

 いま洗い物はない。いま帰ったお客さんのお皿を早く下げて洗ってしまったほうがいいんじゃないか。そう思って

「通るよ」

と言ってまりもの後ろを通ろうとする。

 「あ、どこ行くの?」

 「いまのお皿、下げて来ようと思って」

満鶴みつるが言うと

「まだだめ」

とまりもは言ってこんどは澄まして笑う。小声で教えてくれる。

 「まだお客さんが店のなかにいるあいだに食器下げちゃったら、いかにも、あんたが帰るの待ってました、みたいなことになるじゃない? よほどお皿に余裕がないときは別だけど、そうじゃないときはしばらく待ってからでいいよ。うちの店では」

 「ああ、そうなんだ」

 そんなことは考えたこともなかった。

 外食屋さんってそういうものなのか。

 うちって外食ってあんまりしないからな。だいたい、うちの近く、たぶん歩いて一時間の範囲には食堂なんてないから。

 もしかすると、このまりもの家がいちばんうちに近い外食屋さんかも知れない。

 ところが、レジを打ち終わったおじさんが、その人の食べ終わったトレイをさっさとカウンターに上げている。まりものほうが近いのでまりもが受け取った。

 まだいまのお客さんは店から出ていないのに。

 まりもがそれを満鶴のほうに回しながら、また声をひそめて

「もう、せっかちなんだから」

と言って、今度はまた人が悪そうに笑って見せた。で、おじさんが回したストップウォッチを見て

「お、時間だ」

と言って網を取って天ぷらをすくう。ささっと油を切って網の上に置き、次の天ぷらを網ですくう。

 おじさんが戻って来て、まりもは場所を空けた。おじさんは残りの天ぷらを鉄の箸で手早く引き上げた。まりもがすくい上げた天ぷらを見て

「ああおまえ引っ張り上げ方が雑なんだよ」

などと小声で言いつつ、大きめの天ぷらをがしっと包丁で二つに裂いている。

 まりもはそのお小言をきいていたはずだが、何も反応せず、ただ紙を敷いてお皿を出した。

 おじさんがその上に天ぷらを載せる。まりもが、ご飯と、味噌汁と、お漬け物と、それから天つゆを入れ、大根おろしを添えて、自分でカウンターの上に置き、台所の外に出る。

 おじさんがあごをちょっと動かして合図した。それで持って行くべき場所がわかったのだろう。

 「お待たせしましたー!」

 学校でよくきくのうてんきな声で言って、おぜんを出している。それで無事に帰れるかというと、別のお客さんに

「あ、ビールちょうだい」

とか言われている。

 それはそうだな。お酒を飲むお客さんもいるわけだ。そのお客さんと何かやり取りしたあと、カウンター越しにおじさんに

中瓶ちゅうびん一本ね」

と言っている。

 おじさんは黙ってしゃがんで冷蔵庫からビールを出した。

 こちらは、まりものようにしなやかにはずむようにはいかない。しゃがみ込むとしばらく立てない。

 まりもとおじさんと、互いに悪口を言い合いながら、この台所のなかは、うまく、温かく回っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る