第11話 かつ天の仕事(2)

 「少々お待ちください」

とだけ答えて、戻ると、まりもがまた猛烈な勢いでキャベツを切っている。

 「あの……お茶って言われたんだけど」

 「どこのお客さん?」

 「いまのひと……あ、いまとんかつ定食を持って行った……」

 「ん。あ、場所、かわって」

 「はい?」

 「場所場所。こっち入って」

 「あ、はい……」

 言われるままに台所のほうに入る。

 入っても満鶴みつるではキャベツの千切りはできない。すごく時間がかかって、すごく幅の広いぶかっこうな千切りならできるだろうけど、そんなのでは役に立たない。

 「うんっとね」

 まりもが言う。

 「向こうでお皿洗いしといて。けてあるからさ。スポンジもあるから、お湯出して洗剤でちゃっちゃっと。めちゃくちゃていねいにやらなくてもいいけど、油分は残らないようにね」

 「はい」

 「あ、それから、台所で人の後ろ通るときは、通ります、って言って。そうじゃないと事故起こすから。けっこう重大事故起こすから。油とか熱湯とかいっぱいあるからね」

 「はい、あ、通ります」

 言って、まりもの後ろを通り、もういちど

「通ります」

と言っておじさんの後ろを通る。おじさんは短く

「はいよ」

とこたえた。

 行ってみると、白くにごったシンクにご飯茶碗ぢゃわんやお皿が浸かっている。

 いっぱいで、水の中には入りきらないで山盛りに盛り上がっている。

 着ているのはまりものお姉さんの服だ。濡らすと悪いので、腕まくりする。

 お湯の蛇口を開いても出て来たのは冷たい水だ。

 手に触れると体じゅうがぴっと縮み上がった。冷たいというより痛い。さっき手を洗ったので水の冷たさには慣れているはずなのに。

 しばらく待つ。いや、かなり待つと、やっとお湯が出てきた。

 洗剤とスポンジは前にあるので、浸かっているお皿やお椀やお茶碗を次々に洗って行く。お皿洗いは家でもやっているし、生徒会室でもやるので、慣れていると言えば慣れているのだが。

 どこに洗ったお皿を置いていいか教えてもらっていないけれど、おじさんは天ぷらだかカツだかをじっと見ているし、まりもはおじさんから二‐三度定食のトレイを受け取ってから、お客さんのほうに行ってしまったらしい。きけない。わからないなりに流しの横に置く。よく見ると、一度洗ったのでは油が落ちていない。もういちど洗剤をつけて洗う。

 「あっ。ありがとうございます」

と向こうでまりもの声がする。いつもどおり張り上げている。それをきいて、おじさんが満鶴に声をかける。

 「すまないが、ここの油、見ておいてくれ。まあ火がつくことはないと思うがな」

 怖いことを言って、おじさんはさっきまりもが出て行った台所の出口から出て行った。満鶴はお皿洗いを中断して、その油の前に立つ。

 なかではその四角い入れものいっぱいに油が入っている。小さい泡が途切れることなく上がっている。たぶんとても熱いのだろう。

 もしこれに火がついたらどうしたらいいのだろう?

 油もの火災の時には、火を止めて、濡らした大きい布をそっとかぶせる、と、生徒会で先輩から教えられた。

 でも、ここの油にかけられるくらいの大きな布はないし、だいたい火の止め方もわからない。

 おじさんはレジに立ったらしく、ええ、こんなに雪が降るとはね、いや、わたしも初めてですよ、などとお客さんと話している。

 それはそうだよな、と思う。

 それより満鶴は油ものの調理なんかやったことはない。だんだん怖くなってきた。まりもはというと、

「お茶よろしいですか?」

と声をかけながら、客席を回っている。感心なことだ。

 でも、どっちか、早く戻ってきてくれないかな、と思っていると、玄関の扉ががらがらっと開いて、お客さんが出て行った。

 ようやくおじさんが戻ってくれそうだ。

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