第10話 かつ天の仕事(1)
下りていくとまりもが手を洗う場所を教えてくれた。トイレの隣の、さっき通り過ぎた扉を入ったところだった。
コンクリートがむき出しで、寒々としている。
「食品を扱う前にはきちんと手を洗うこと」というのは生徒会役員として
このあたりは、学校でいつも実践していることなので、慣れたものだ。
家では実践していないけれど。
それで、まりもに教えられたとおり、エプロンを着けて台所に戻る。戻る前に鏡で顔と髪の毛とを確認する。
戻ってみると、まりもはすごい勢いでキャベツを刻んでいた。
包丁を握った左手をかたときも止めない。一定のペースで包丁をむだなく上下させている。キャベツは半円の形から見ているうちに千切りの山に姿を変えていった。
おじさんは、向こうの調理場にいる。
じっと下を見ている。
そこからふっと上を向いて、長い菜箸を取り、下からひょいと何かを取り上げた。表面がきつね色にきれいに仕上がったカツだ。それをまな板の上に置いて菜箸を包丁に持ち替え、さくっさくっと切って行く。やっぱり動きにむだがないと思う。
「おい」
おじさんが横を向く。
「はい」
まりもが答えた。自分の切ったキャベツを大きい皿に盛りつけ、横にマヨネーズとからしを添える。その上におじさんが自分の切ったカツを置いている。まりもはくるんと後ろを向いて味噌汁をお椀によそい、つづいてご飯をご飯茶碗によそう。小さいショーケースのようなところから小皿を取り出す。
「あ、満鶴ちゃん、ごめん」
さっきまでのまりもからするとずっと抑えた声で声をかける。
「はい」
「あ、そっち回って」
指でぐるっと行く方向を指図する。
「はい」
なにをまりもなんか相手にかしこまってるんだ、と思うけれど、そういう立場だからしかたがない。
カウンターをはさんでまりもの向かい側に回る。すぐ横のカウンター席にはお客さんが座って、自分の頼んだものが来るのを待っているので、気をつかう。
まりもはいま用意したカツの定食のトレイを満鶴のほうに軽く突き出した。小声で言う。
「これ、左から二つめのテーブルのお客さんのとこ、持って行ってくれない?」
「はい」
「あっと、とんかつ定食頼んだ人、って言って」
「あ、はい」
「あと、おんなじテーブルで、
「はい」
言われたとおり、トレイを受け取る。
トレイは思ったより重かった。上のお皿やお椀がぜんぶ焼き物で、しかも分厚いのだ。トレイを胸の前に持ち直して、言われた席に持って行く。
そこには男の人一人と女の人二人が座っていた。家族ではなさそうだし、どこかの会社の人なのかな。
「とんかつ定食の方」
言うだけで緊張する。
満鶴は、生徒会役員として、生徒や先生の前はもちろん、保護者の前に立って何か言う機会も多い。
でもそれとは違う緊張がある。声がうわずる。
「あ、はい」
と、赤い服を着てアクセントの強いお化粧をしている女の人が言う。
向こう側の席だ。お椀に入っているものをこぼさないように、ゆっくりとトレイを下ろす。途中で相手の人が受け取ってくれたので助かった。
言われたとおり戻ろうとすると、手前の男の人が
「あ、お茶ください」
と言う。
「あ、はい」
と答えたものの、どうしていいかわからない。
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