第8話 まりもの部屋で(1)

 タイツは水に濡れていたが、ひとの家の玄関で脱ぐわけにもいかないので、横にあったスリッパを勝手に突っかけて階段を上る。スリッパは濡れるけれど、廊下や階段に氷水で足跡をつけながら行くよりはましだろう。

 まりもの部屋は階段を上がってすぐ左にあった。

 わりと広い。

 入って左に作り付けのたんすとか押し入れとかがあり、その向こうが作り付けのベッドになっているらしい。押し入れの前にはこたつが立てかけてあった。

 その反対側に机が置いてあって、その隣がやはり押し入れで、その手前に本棚があった。けっこういっぱい本が詰まっている。

 向かい側に窓がある。床は板の間だけど、まん中に毛足の長いふかふかの白い絨毯じゅうたんが敷いてあった。

 まりもはもう着替えて、Tシャツにジーパン姿になっていた。上の制服はハンガーに吊ったばかりらしく、ハンガーが揺れている。スカートはさっきのコートやマフラーや靴下といっしょに床にたたきつけるように無造作に投げ出してあった。

 部屋の片隅でストーブの赤い炎が揺れているが、つけたばかりらしく、寒い。

 夏のようなそのかっこうで、まりもは、左手をそのストーブの上に伸ばし、右手でスマートフォンの画面を見ている。

 「ああもう。こういうときだけ携帯にメール飛ばして……」

とひとりごとを言っている。満鶴が来たのに気がついても、画面を見たままで

「あ、入り口閉めて。寒いから」

と言う。

 閉めてもあまり温度は変わりそうもないが、言われたとおり閉める。ごろごろと扉の閉まる音に、まりもははじめて顔を上げた。

 「父ちゃんさ、ふだんはメールなんか不便だしすぐに返事が来ないしって軽蔑してるくせに、こんなときだけメール送ってくるんだよ。もう!」

 すると、それに答えるように、廊下の外から野太い声が響いた。

 「おい! 何やってるんだ! さっさとしろ!」

 扉一枚隔てているにもかかわらず、満鶴みつるはその声に縮み上がる。でもまりもは少しも驚いた様子はない。

 「ちょっと」

と満鶴の横を足早に通り過ぎ、満鶴が閉めたばかりの扉を勢いよくがらっと開けた。

 「お客さんもいるのにそんな早くできるわけないでしょ! ちょっとは考えなさいよっ!」

と怒鳴り返した。親に向かって「ちょっとは考えなさい」とはよく言ったものだ。

 でも、これで店に余裕がないことが満鶴にもわかった。

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