第7話 「ごめんねー。こんな家で」
店の奥に行くと扉が並んでいる。トイレと、あとは何かに使う小部屋らしい。
そのいちばん奥の引き戸を開けると、コンクリートの段があり、その上で、横に行く廊下と上への階段に分かれている。その横に行く廊下は、たぶん、いまの店の調理場の裏に通じているのだろう。
コンクリートの段のあたりには、大きいゴムの長靴やサンダルが散らばっていた。モップやバケツやぞうきんも雑にまとめて置いてある。
「ごめんねー。こんな家で」
まりもはさっさと靴を脱いで木の廊下に上がった。
上がってから、鞄を投げ出し、マフラーを首の下でぎゅうっとひっぱって無理やりほどき、ばさっとはたいて床に投げつけた。コートも脱いで、またばさばさばさっとやる。
廊下に上がったところには灰色のマットが置いてある。もとは緑やピンクのきれいな色で何か図案が描いてあったらしいが、いまは全体が薄汚れている。
そしてまりものコートから散った氷水はそれよりはるかに広い範囲に飛び散った。かき氷のみぞれみたいになった雪も散らばっている。
ああ、こんなに雪がひどかったんだ、と思う。
まりもは、立ったまま、ぎゅっ、ぎゅっと手で力任せに靴下をはずす。まるまった靴下をまたコートの上に投げつける。足をその汚れたマットでぞんざいに拭いたあと、
「ふうっ」
と声を立て、まだコンクリートの床にいる
まりもは教室と同じセーラー服の制服に戻っている。その制服は、満鶴のいまの制服よりもぱりっとしていた。
まりもは「ふん?」と首を
満鶴はまだコートもマフラーもしたまま玄関に立っていた。
奇妙な
「ああ」
まりもは、その制服姿で自分のマフラーとコートと靴下を拾い、学校の鞄を持って、肩にかける。
「ほんと、手伝いなんかしなくていいんだよ。父ちゃんの勘違いなんだから」
「ああ、いや」
満鶴はなぜか慌てた。
「いや。だって、お世話になるのに、何もしないわけにいかないでしょ? それに、お店、たいへんそうだから」
「宿題とかやっとけばいいじゃん? わたしの机使ってさ」
まりもは立派なことを言う。
「じゃ、まりもはどうすんのさ?」
「わたしは店だよ。あれ、父ちゃん一人じゃどうしようもないんだから」
「じゃあ、わたしも手伝う」
まりもを見上げて、不満そうに言ってやる。
「もし、慣れてないわたしが手伝って、かえってたいへんになるとかじゃなければだけど」
まりもは、口を軽く結んで、いまも紅色のほっぺを小さくふくらませて、満鶴を見下ろしている。
「ま、足手まといはわたしもいっしょだからね。
とまで言ったところで、何かに突かれたように軽く口をつぐんだ。
何に口をつぐんだかわからない。しばらくじっと満鶴を見下ろしてから、またその色のきれいな小さい唇を開く。
「ああ、いや。満鶴ちゃんのほうがしっかりしてるから、ほんとに手伝ってくれるんだったら心強い」
「満鶴……ちゃん……って?」
まりもを見上げる。
こんなときでなければ、気安く名まえで呼ぶな、と叱ってやりたいところなのだが。
「だって満鶴ちゃんがわたしをまりもって呼んだんじゃん? でもほんとにいいの? 労働量多くてたいへんだよ?」
「あ、あ……いい。それはいい。うちも、まあ、農家だから……」
何をしどろもどろになってるんだ、と自分を責める。自分が相手を「まりも」と呼んだかどうかも自分でよくわからない。
「ま、ともかくさ。上がって。まずわたしの部屋行こう」
そう言って、鞄を持ったまま、くるんとあの切れのいい動きで向こうを向く。その動きで、雪の水を吸ったはずの髪の毛がふわんと動く。まりもは右手の指でその髪の毛を整える。
「行くよ」
ちらっと振り向いて満鶴に言うと、まりもは小走りに階段を上がっていく。階段の上は暗いままだったが、上がりきったところでぱちっと電気をつけた。
まりものほうがずっとしっかりしてると思う。
そんなはずはないのに、とも思う。
満鶴は急いでマフラーを取り始めた。もちろん力づくで引っぱり取ったりはしないけれど、できるだけ急ぐ。ぐずぐずしていると、まりもが気にしてまた下りて来るかも知れない。
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