第二十三話 ──行け。己が未来を掴み取るために

 ◇


「あぁああああああああああああああああああ──ッッッッッ‼」


 男がまさに少女の意識を刈り取ろうとしていたその瞬間。


 風巻の背後から絶叫が響いた。

 視線を向けると、瀕死だったはずの行人が立ち上がって短剣を構えている。


「自棄になったか、クソガキ……! そこを動くな。動いたら、この女を殺す」


 体勢を変え、復活した敵に人質をみせびらかす。首を持ち上げて、行人に向けて突き出した。

 囚われた愛稲の体はだらりと垂れ下がり、もはや抵抗する気力も残っていない。


 そんな愛稲の首に風巻は更に力を籠めた。


「ぎ、あああああ……!」


 愛稲のうめき声が上がり、嗜虐心を刺激された風巻が恍惚の笑みを浮かべた──


 ──瞬間。


「ッッッ──⁉」


 何者かに、真正面から、風巻の体が吹き飛ばされた。

 凄まじい衝撃に、思わず愛稲の首から手を放す。


「がぁ⁉」


 攻撃を食らった風巻は、岩柱に激突した。凄まじい威力に、岩が砕け土埃が上がる。


「は……? なん、で……なんでだ……! 何が起こった……!?」


 風巻の瞳が揺れる。その先には──愛稲を抱きかかえた、進藤行人の姿があった。


「死にかけの、雑魚が、どこからそんな力を……!」


 衝撃を受けたのは、風巻だけではなかった。


「ユッキー……?」


 愛稲もまた、自分の知らない行人を見上げ、唇を震わせる。


「……愛稲、これを飲んで、休んでて」


 行人は静かに言い放ち、最後のミドルポーションを愛稲に手渡した。

 ゆっくりと、赤子をおろすように、愛稲を岩の近くに寄りかからせる。


「見ていてほしい。僕の──僕とコルの戦いを」


 行人は背を向け、短剣を握りしめ倒れる風巻に進み始めた。


「ふっざけんじゃねえぞおおおおおおおおおお!!」


 昨日今日冒険者になったばかりの少年に負けることは、風巻のプライドが許さない。

 ましてや目の前の少年は、あの日自分から何もかも奪った人物。


 どうして動けるか調べるより──とにかく殺してやりたい。風巻は強く強く槍を握りしめた。


「ぶっ殺してやる、糞がぁ!」

「──負けない!」


 そうして、二人の姿が消え──中央でぶつかりあった。

 初撃をお互いに防ぎ、行人は短剣を、風巻は槍を相手に突き刺さんと繰り出していく。


(このガキ、速え⁉)


 風巻は息をまいた。先ほどまでも初心者離れした俊敏さだったが、今の行人はそれに輪をかけて速い。

 スキルを使わずに防げていた一撃が、今やスキルを使って防ぐのがやっとになっている。


(レベルアップした……だけじゃ説明がつかねえ。こいつ、新しくスキルを覚えたのか⁉ この土壇場で⁉)


 風巻の予測は、当たっていた。

 進藤行人には、新しくスキルが発現していた。


 その数は──四つ。

 ギャリッ、と槍の柄を滑った短剣が風巻の眼前でかろうじて止まる。


「ッッ……!」


 冷や汗を流す風巻の頬を──風が撫でた。


(『ウインドステップ』……! 軽装備時に、敏捷を上げるスキル‼)


 一つ目のスキルは『ウインドステップ』。風属性のスキル。軽装備時、という制限はあるが魔力消費無しでステータスを大きく伸ばすことができる人気のレアスキルだ。


 風巻自身も愛用していて、故に風巻はその正体に気付くことができた。


「パクってんじゃねえええ!!」


 自身もウインドステップを使いながら、風巻は攻勢に出る。何度も行人に傷を負わせた槍で、急所を狙う。


「ふっ──!」


 しかし、その悉くが、防がれた。

 行人の握る二つの刃が、風巻の猛攻を弾く。刹那に響き渡るいくつもの撃音。二人を中心にして砂ぼこりが上がる。


(こいつ、怖くねえのか⁉ さっきまで死にかけだったんだぞ⁉ レベルが上がったからって、メンタルがどうにかなるわけじゃ……!)


 行人の瞳には、恐怖も迷いもなかった。ただまっすぐに、眼前の敵を、打ち破るべき困難を、乗り越えなくてはならない壁を見据えている。


 二つ目のスキル──『不撓不屈』。恐怖恐慌に打ち勝ち、平静を保てるレアスキル。

 行人はこれまで、レベル1の身でありながら、魔物から攻撃を食らいながら、中級冒険者に殺されかけながらも、決して折れなかった。


 逆境に陥るたびに、歯を食いしばって立ち上がってきた。

 その彼の日々が、結実したスキル。

 支えが無くても歩けるようにという、彼の友の願いが通じたもの。


「はぁあああああああ!」

「がぁっ⁉」


 二本の短剣が、風巻の槍を弾いた。

 胸元が空く。隙が生まれる。


「うぁああああああああああああああッッッ──‼」

「ぐぉおおおおおおおおおおおおおおッッッ──⁉」


 一撃。

 ダイアウルフの短剣が、風巻の体に叩き込まれた。


「がっ……くっそ、が……!」


 衝撃が内臓を痛めつけ、風巻は血を吐いた。安全圏で狩りを続けていた彼が、久しく覚えていなかった痛み。


 千鳥足で後退する。行人は息を切らしながら、その風巻の姿を見ていた。


(そもそも、なんでこんな急に強くなりやがった……? 一つや二つのレベルアップじゃあ、説明がつかねえ……今のガキのレベルは、最低でも──)


 30を超えている。


 先ほどまで、1レベルだった冒険者が。


(これも、何かのスキルか……? 『狂化』系のスキルなら……いや、理性を失っているようにも、ウインドステップ以外のスキルを使ってるようにもみえねえ……純粋に、ステータスが上がっていやがる……‼)


 風巻は行人との戦いに集中していて、本来の自分の目的だったレアモンスターが居なくなっていることに気付けなかった。


 行人のレベルを引き上げたコルの力は──三つ目のスキルとして行人の中に残る。


 それはまるで、人から人へ受け継がれる──聖火の様に。


聖火の炉心イグニス・ファンタジア』。

 効果は『経験値の貯蓄と還元』。行人が本来戦いで得るはずの経験値の半分を、貯めておくスキル。行人はそれを、必要に応じて引き出すことができる。


 この世でただ一人、進藤行人だけが持つ──『ユニークスキル』だ。

 現在の進藤行人のレベルは──34。

 レベル46の風巻との実力差は、大きく縮められていた。


(タネはわからねえ……だから、考えても無駄だ)


 風巻は荒い呼吸を繰り返しながら、思考を巡らせる。

 行人は動かない。恐らく、止めを刺すか迷っているのだろう。そういった部分は、非常に未熟だった。


(こんな、冒険者になってまだ一週間かそこらのガキに……舐められたまま終われるかよ……‼)


 七年。風巻が冒険者として活動してきた歳月。


 最初から風魔法を覚えていた彼は、その力でダンジョンを次々に攻略し、力を高めていって──そして、打ちのめされた。

 現在彼が所属している組織のボスに、叩き潰された。


 その日から彼は組織に加わった。始まったのは上級ダンジョンについていくだけの日々。組織の幹部クラスが次々に鬼や巨人や竜を倒していく姿を、風巻は後ろから見ているだけだった。


 だというのに、レベルが瞬く間に上がった。上級ダンジョンであれば、姫のように守られながらでも強くなれた。風巻が一人で必死になって戦った日々の経験は、観客席にいるだけの日々に簡単に覆された。


 それに気付いた時、風巻の中で何かが途切れた。

 実力を伸ばすことを諦め、プライドばかりが肥大する日々が始まり、今日まで続いていた。


「冒険者のなんたるかを……圧倒的な力を前にした時の絶望を……なんも知らないガキに──負けてたまるかよぉおおおおおおおおおッッッッッ──!」


 大音声と共に、風巻は大地を蹴った。


「【乱れ突き】!」


 繰り出される高速の槍。上級槍術スキルによって体が半自動で動き、行人の体に凶器の雨が降り注ぐ。


「ッッ──‼」


 行人は瞠目しながらも槍の雨を的確に捌いていく。どころか、その黒い眼差しは反撃の隙を虎視眈々と狙っていた。


「足元がお留守だぜぇッ!」


 無詠唱で『ウインドカッター』が放たれる。機動力を削ぐために足を狙ったもの。行人はたまらずその場を離れた。


 風巻は後退する行人を追い──かけなかった。

 ここまで、彼の狙い通り。『その場所』に行人を運ぶための、布石。


「【ストームジャベリン】ッッッ!!」


 何もない空間に、無数の風が生まれる。風は逆巻き、荒れ狂いながら、巨大な槍の穂先を形作った。


 行人の顔に焦燥の色が浮かぶ。咄嗟に退避しようとした彼に向け、風巻は醜悪な笑みを浮かべた。


「逃げるなよ、クソガキ。逃げたら後ろの仲間が死ぬぜ」

「なっ──!」


 行人が驚愕に目を見開いた。

 彼の後ろには、いまだ動けないままの我妻愛稲が居た。


 それこそが、風巻の狙いだった。


 行人が窮地の仲間を見捨てるような人間ではないことを、この戦いで見抜いていた。だからこそ、間接的な人質を作り上げたのだ。


「っ……‼」

「死ね」


 歪みに歪んだ行人の顔に向け──風巻は風の大槍を解き放った。


 ◇


 死が飛来する。

 風巻の魔法が、僕の体を穿とうと迫りくる。


 避けられない。避けたらこの暴力の塊は、愛稲へと向かってしまう。

 受けられない。一発でもまともに受けたら、僕の体はちぎれてしまう。

 負けたくない。こんな卑怯な手を使ってくる人に──絶対に負けたくない‼


「ッッッ──!!」

 故に、選択したのは迎撃。

 二本の剣で、風の槍を弾き落とす。


 【竜焔双刃フランベルジュ】。


 頭の中に浮かんだスキルの名前を、心の中で呟く。


 グオッ──と僕の両短剣に炎が宿った。


 愛稲が息を呑む気配を感じた。風巻が驚愕するのを視界の中に捉えた。

 それら全てを掻き消すように、嵐の大槍が襲いかかり──


 ドガガガガガガガッッッッッ──‼

 ストームジャベリンと炎の短剣が激突し、悍ましい音を上げた。


 巻き起こる旋風。舞い上がる火の粉。風は炎に怯えるように霧散して、炎は風をうけて喜ぶように猛り狂う。


 属性相性。炎は風に強く、風は炎に弱い。


 それでも、追い詰められているのは僕の方だった。


 ギシッ、という音が、レンタル短剣から、次いでダイアウルフの短剣から響いた。

 ここまでの激しい戦いに、僕だけじゃなく、武器も疲弊しきっていた。


 ごめん、頼む、堪えて。

 通じるわけもないのに、そんなことを強く祈ってしまう。


「あぁあああああああああああああッッッ‼」


 必死に吠えながら、無様に足掻きながら、僕はただ目の前に迫る死を切り刻んだ。

 風が頬をかすめ、血が噴出した。足を取られそうになって、必死で踏ん張った。


 致命傷だけを避けて、僕はただ必死に双剣を振るう。


「きゃあああ──‼」


 愛稲の悲鳴が上がる。

 ごめん。僕があの時止めを刺していれば、こんなことにはならなかった。

 ごめん。僕がもっと強かったら、こんなことにはならなかった。

 ごめん。僕が魔法を覚えていたら、もっと簡単に防げた。


 いくら謝っても、謝り切れない。

 だから、何度だって謝ろう。


 ここを生き延びて、二人で地上に帰って──何度だって‼


 心臓が燃える。誰かが、負けるなと叫んでいる。

 だから僕は、血を吐き出しながら立ち向かった。


 ◇


 恐怖に固く目を閉ざし、身を縮めていた愛稲はうっすらと瞳を開いた。

 目の前には、見慣れた背中。そして、彼に飛来する絶望の風。


 それを防ぐ、聖火の如き輝き──。


 壮絶な光景を前に愛稲は涙を浮かべ──そして、行人がまだ諦めていないことを悟った。


「うあぁあああああああああ──‼」


 行人は吠えていた。行人は戦っていた。傷だらけになりながら、脂汗を流しながら、足掻き続けていた。


 致命傷になる場所だけを、短剣で防いでいる。凄まじい集中力と反射神経をもって。


 行人は確かに追い詰められていた。死にかけていた。それはさながら、壁際に追い詰められたネズミのようだった。


 だというのに。


(きれい……)


 愛稲は行人の背中から目を離せなかった。目を離したくなかった。

 少年の勇姿とか、覚醒の謎とか、コルの居場所とか、聞きたいことは山ほどあったのに。

 そんなことはもう、どうでも良くなっていた。


 行人の戦う姿が、ただひたすらに──美しかったから。

 先程、大切な物を奪われそうになっていたことも、忘れてしまうほどに。


 勝ちたいと思った。行人と一緒に、この困難を乗り越えたいと強く思った。


 追いつきたいと思った。彼女が今まで見たどんなものよりも美しいその姿に、自身もたどり着きたいと激しい憧れを抱いた。


 そして、行人の力になりたいと──このとき、愛稲は心の底から願った。


 ──やがて。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……‼」


 荒い息を吐き出し、行人ががくりと項垂れる。もはや傷のついてない部位はなく、固まった血と新たに吹き出た血で全身が赤黒く染まっていた。


「マジかよ……」


 その姿を見て、風巻は頬をひきつらせた。

 行人の周囲は、風にえぐられた地面が広がっていた。


 行人と、その背後にいる愛稲が立つ場所は──無傷だった。


「全部、撃ち落としたっていうのか……! 俺の魔法を……⁉ なんだ、あのスキルは……!?」


 行人は風巻の策を打ち破った。

 自分の命も、愛稲の安全も守り切った。

 だが──


「あっ⁉」


 愛稲の短い悲鳴が上がる。

 行人が両手に握っていた短剣は、どちらもボロボロに砕け切っていた。


 役目を果たした武器が、風巻の魔法の威力を物語っていた。


「予定が狂ったが……今度こそ詰みだな」


 風巻が口角を釣り上げて、槍を構えた。


「ユッキー……! ここからは、私が……!」


 愛稲は震える体を起こしながら、行人の身を案じた。


「──愛稲」


 そんな彼女に振り向いて。

 行人は小さく笑った。


 安心させるように。祈るように。

 その顔を見て固まる愛稲に、行人は告げた。


「──僕の動きを、よく見ていて」



 ──ダンジョンで奇跡は起こらない。無から有を生み出すことは出来ない。

 レベルという絶対のルールに、人は従わなければならない。


 しかし──例外は存在する。


 巨竜が、仲間と力を合わせた冒険者の集団に倒されるように。

 特攻兵が決死の覚悟で放った一撃が、敵の急所を刺し穿つように。

 世界を覆う絶望の闇を、子を持つ一人の親が打ち払うように。


 小数点の可能性を手繰り寄せる者──それこそが冒険者。


 ──故に。

 雑魚狩りだと油断していた中級冒険者が、突如謎のレベルアップを果たした新人冒険者に負ける可能性は──僅かだが確かに存在する。


 先程までスタートラインにすら立っていなかった少年は、大切な友を犠牲にして得た力で、遥か彼方の「奇跡」を手繰り寄せる資格を得た。


 彼我のレベル差は、12。


 しかし、強者にくっついて歩んできた者と、短い間ながらも戦い続け覚悟を決めた弱者の力量差は、単純な数字で計るよりも小さくなっている。


 これより行われるのは、その証明。

 たった一つの「勝利」を掴み取るために、強者の矜恃と弱者の意地がぶつかり合う時。


 天秤がどちらに傾くのかは──もはやダンジョンですら分かりえないことだった。


 ◇


 武器が砕けた。

 レンタル短剣は当然のことながら、芳樹さんから貰ったダイアウルフの短剣までも。


 予備の短剣はない。

 けれど──武器はまだある。残っている。


 刃が折れたら、柄で殴る。柄までもなくなったら、余った部分を投げてやる。


 戦いは終わっていない。僕はまだ負けていない。僕はまだ立っている。


 心臓が、賛同するように大きくはねた。


 突き動かされるように、僕は身をかがめ、短剣を持つ両腕を交差させる。

 そうだ、僕はまだ生きている。思考が働き、心臓が動いている。

 だから──行け。


 走れ、進め、立ち向かえ。


 心臓に宿った炎が、燃え続けている限り‼


「うおあああああああああああああああああああああああああああああッッッッッ‼」


 気炎を吐き出して、僕はボス部屋の中を駆けだした。

 目標はただ一人──目の前の、冒険者。


「ついに気が狂ったかぁ!」


 風巻もまた、侮蔑と嘲笑と共に、僕を迎え撃とうと走り出す。

 負けない。負けたくない。勝ちたい。勝ちたい、勝ちたい、勝ちたい‼


「僕は、強くなりたいッッッ‼」


 心臓が、さらに燃え上がる。

 炉心が放つ熱が、肩を伝い、腕を通り、手のひらを介して、短剣に宿る。

 グオ──と、双剣が炎の刃を灯した。

「さっきと同じスキルかッ⁉」


 その光景を見た風巻が怯み、進行が遅くなる。その間も僕はまっすぐに、ただまっすぐに駆ける。


 彼我の距離が瞬く間に縮まり──僕は右手に握った、折れたダイアウルフの短剣を肩上まで振り上げた。


「──馬鹿が、最後の最後で焦ったな」


 風巻が、構えていた槍を僕の心臓に向かって繰り出した。


 短剣の間合いの外。槍の間合いの内。


 その距離を見誤った──そう、風巻は思っているだろう。


 まもなく槍の穂先が僕の胸を刺し穿とうとした、その瞬間。


「【ショックボルト】」


 僕の背後から声が聞こえた。

 何度も聞いた声。何度も助けられた声。ともに冒険者になって、ここまで一緒に戦ってきた──誰よりも頼りになる、愛稲の声だ。


 ──愛稲が後衛から魔法を放つ時、なんかの合図を決めておいた方がいいかなって。

 ──あー確かに。でもそれは名前を呼ぶとかで良くない?

 ──うーん……なるべく傍目からはわからない方がいいかな。相手に勘付かれちゃうと厄介だし。


 ──言葉じゃなくて行動でいこう。僕が大きく──肩くらいまで右手の短剣を上げたらそれを合図にしよう。

 ──おっけー! ユッキーの動き、よく見とくよ。


 ボス部屋の前に入る前に交わした愛稲との会話。

 それがいま、こうして力になる。


 形勢を、逆転させる──!


 バチチッッ‼

 電流がほとばしり、風巻の脇腹に直撃した。


「ガァアアアア⁉」


 風巻の動きが止まり、痺れで体を痙攣させた。


「なん、で……俺の、防具は、属性耐性、が……」

「その防具は、さっき僕が破壊した」

「っっっ……この、ゴミカス、がぁ……!」


 先ほど風巻に食らわせた一撃で、彼の防具が砕けた。彼を守る物はもう、何も無い。


 そうして空いた左わき腹に、愛稲が寸分たがわず麻痺電流をぶつけてくれたのだ。


 ──最後の間合いを詰める。

 再び両腕を交差させて、風巻の懐に潜りこむ。


「ッッ……!」


 風巻の顔に焦燥が浮かぶ。しかし、震える彼の手は、麻痺状態に陥っていてもうまともに動かすことができない。


 この瞬間が欲しかった。

 絶対に逃げられない、防がれない、誰にも邪魔されない舞台ができるのを、狙っていた。


 心臓が跳ねる。


 呼応して、双剣に宿った炎が大きく燃え上がる。

 刀身を伸ばしたその姿は──まるで、竜の翼のようだった。


 これが、第四のスキル。

 コルから貰ったもの。コルが僕に残していったもの。

 僕に宿った、コルの焔──その、具現。

 必殺の一撃の名を、僕は叫んだ。


「──【竜焔双刃フランベルジュ】ッッッッッ!!」


 大火咆哮。


 世界を焼き尽くさんばかりの巨大な焔が、僕の双剣から解き放たれる。


 ドッッッッッッッッッッッッ!!


 何もかもが砕けるような、凄まじい音が響き渡った。


「ぐぎゃあああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッッッ⁉」


 炎の直撃を浴びた風巻は、絶叫と共にはるか後方へ吹き飛んだ。


 火の粉が舞い、世界の温度が上がり、凄まじい風が吹き荒れる。


 やがて──炎の轍を刻みながら岩柱を突き破ってでも止まらなかった風巻の体が、ボス部屋の壁に激突して、ようやく制止した。ズドン、と大きな音が鳴った。


「くそが……この、おれ、が……」


 呻き声をあげた風巻は、やがて電池が切れたかのように、がくりと首を折り──沈黙した。


「……スゥ──はぁあああ……」


 固唾を飲んでいた僕は、それを見て大きく息を吐いた。

 呼吸を繰り返し、荒ぶる心臓を宥める。


「あ痛たた……」


 それだけで、全身が悲鳴を上げた。思わず顔をしかめ、ポーションを探ろうとウエストポーチを見たら──先ほどの炎の余波で燃え尽きてしまっていた。中にあったポーションも、瓶ごと割れて地面に流れている。


 そのポーチもまた、僕の冒険を支えてくれていた大切な仲間だった。


 ──もう、隠れる子もいないし、仕方ないか。


 胸に去来した寂しさを押さえつけ、僕はもう一度風巻を見た。

 炎の轍の向こうで、壁にめり込んだ状態の風巻は、完全に沈黙している。先ほどまで荒れ狂って暴れまわっていたのが嘘のようだった。


「………………勝った」


 その姿を見て、ようやく僕の中に実感がわく。

 安堵と達成感がぐるぐると渦巻いて、不思議な気持ちだ。


「──勝った」


 もう一度、噛みしめるように、確かめるように、呟いた。


「ユッキ~~~~~~~~~~~~~~~~!!」

「ぐわぁ⁉」


 突然背後から抱き着かれ、僕の体が悲鳴を上げた。僕もダメージボイスを上げた。

 犯人の愛稲が、涙でぐちゃぐちゃになった顔で僕を強く強く抱きしめてくる。


「ユッキー、ほんとにすごかったよ! めっちゃかっこよかった!」

「ああああああ愛稲、お願いだから離れて……!」


 ゼロ距離で黄色い歓声を上げる愛稲に、僕は顔を真っ赤にしながら情けの無い抗議の声を上げた。


 抱きしめられた衝撃で全身がひどく痛むから──というのもあるけど、愛稲の体が密着して理性が沸騰しそうだ。


 なにせ、僕は自分のスキルの余波でレザーアーマーの至る所に穴が開いている。愛稲は僕ほどじゃないけど、風巻の攻撃で防具に裂傷が入り素肌が露出した状態だ。半裸の状態で肌を重ねている──誇張でもなく、僕にとっては真剣にそう思える状態なのだ。


「あ、ごめんごめん。いきなりなことされたらびっくりするよね」


 愛稲は若干ずれながらも、僕の意図をくんでくれたらしくぱっと身を離してくれた。予定外の戦いを終えた僕はバクバクと跳ねる心臓を抑える。


「……愛稲も、ありがとう。最後のアシスト、助かったよ」

「あはは……私にはあんなことしかできなかったよ。ユッキーが言ってくれなかったら、作戦を思い出せてもいなかったし」


 僕が感謝を述べると、愛稲は謙遜して──というより、自嘲した。


「私、手も足も出なかった……」


 目を伏せて悔し気に俯く愛稲。


「それは……僕も、一緒だよ。コルが力を貸してくれなかったら、何もできないまま死んじゃってたと思う」

「──あ、そうだよ! ユッキー、コルは!? さっきから姿が見えないけど……」

「……コルは──」


 僕は喪失の痛みを覚えながら、風巻との闘いの途中に見た精神世界での出来事を愛稲に話した。


「──え、じゃあ、コルは今、ユッキーの心臓に……!?」


 話を聞き終えた愛稲は、驚愕で大きな瞳を限界まで開いた。


「うん、多分……心臓から『コル!』って聞こえてくるわけでもないし、正直曖昧なんだけど……きっとコルはあの時、僕に力を貸すために、僕の心臓に宿ったんだと思う」


 語りながら、僕は心臓をそっと抑えた。とくん、とくん、と今はもう穏やかな心音が伝わってくる。思わず僕は、ベッドで眠りこけるコルの姿を幻視した。


「そっか……そんなこともあるんだね……」


 僕の話を聞いていた愛稲は、神妙な顔で頷いた。

 そして──僕の左胸に、そっと手を置いてきた。


「えっ──あ、愛稲?」

「──ありがとう、コル」


 戸惑う僕を他所に、愛稲は小さな、本当に小さな声でつぶやいた。俯いた彼女の陰に、雫が落ちていくのが見えた。


「私と、ユッキーを助けてくれて、ありがとう……!」


 彼女の震える声に、つられて。

 僕の瞳からも、一筋の涙が零れた。


 時間にしてみれば、一週間しか一緒に過ごしてないけれど。僕が彼について知っていることは、殆どないけれど。


 それでもコルは──大切な友人で、戦友で、家族だった。


 あの食いしん坊でやんちゃで人懐っこい魔物と別れたことを──僕は今になって、ようやく実感した。


 二人のすすり泣く声が、残火が揺れるボス部屋の中に、小さく響き渡った。


 二人してさんざん泣いた後。

 僕と愛稲は風巻を二人で抱えながら、ワープゲートへと向かい始めた。


 あんなに激しい戦いがあった後だというのに、ワープゲートは来た時のまま、部屋の中央に静かに浮いていた。


「なんだか湿っぽい感じになっちゃったけど……無事に終わってよかったね、ユッキー」

「そうだね。装備は色々と壊れちゃったけど……それでも、生きているだけで儲けものって思わないと」


 愛稲の言葉に答えながら、僕は苦笑した。

 ボスは倒せなかったし、ボスの討伐報酬の宝箱も風巻に奪われて、ミドルポーションを始めとした消耗品は使い切り、芳樹さんからもらった装備一式も壊れてしまった。


 踏んだり蹴ったりな結果だが、こうしてまだ愛稲と笑いあえているから良しとしよう。

 きっとこれが、コルがくれた最後の置き土産なのだから。


 風巻へのダメージは大きく、こうしてゆっくりとしゃべっている間も、彼が目を覚ます気配は一向にない。


 強化された身体能力のおかげで、気絶した成人男性を担げるのがありがたかった。拘束用のロープなんて持っていなかったし。


「あーあ、これ上に戻ったら、結構な騒ぎになっちゃうんだろうな」

「確かに……」


 愛稲のぼやきに疲れきった声で同意する。

 ギルド直轄ダンジョンで起きた初心者狩り──事情を知らない人から見たらそうとしか思えない大事件だ。


「すっごい長い取り調べ受けるのかな~私、尋問されるの初めて」

「僕はこの前、それっぽいことがあったね……」

「え、そうなの!?」

「うん、まあそれも追々話すよ」

「約束だからね」

「うん」


 二人して、傷だらけの顔で笑いあう。


「もし取り調べになったら、コルのことはなんて言う?」

「……正直、話したくはないけど、ルールを破っていたのは事実だし……それに、風巻が目を覚ましたらすぐ発覚することだから、ちゃんと言わなきゃいけないと思う」

「……わかった。私もちゃんと謝っとく」

「い、いや、愛稲は知らなかったって言っていいんだよ?」

「言ったでしょ、共犯者だって。一緒に怒られなきゃ、共犯者じゃないよ」

「……ありがとう」


 もう何度彼女に言ったかもわからない言葉を述べると、愛稲は「いいってことよ」と笑った。


 そうこうしているうちに、僕達はゲートの前に辿り着いた。

 短くて濃かった冒険も、これで終わり。この先には現実と、日常が待っている。


「じゃあ、いくよ? せーの──」

「──あ、ごめん、愛稲! ちょっと待って」


 いざワープゲートをくぐろうとしている愛稲を慌てて止める。

 彼女はがくっと体を揺らして、責めるような瞳で僕を見た。


「もー、どうしたのユッキー。何か忘れ物?」

「ああうん、物というか、コトというか……」


 僕は曖昧に笑い、少々の照れくささを感じながら──風巻の腕を持っていない、左手を愛稲に向けて差し出した。

 手のひらを固く握りしめた──じゃんけんのグーの状態で。

 固まっている愛稲に、僕は笑いかけながら言う。

「その、まだやってなかったなって……勝利祝い、みたいな。多分、向こうに戻ったらそんな暇もないだろうし……」


 自信満々に差し出したくせに、言葉をつなぐたびにしどろもどろになっていると、愛稲がくすくすと笑うのが見えた。


「あはは、ユッキー、これ気に入ったんだ?」

「あ、ま、まあ……」

「うん、私も好きだよ。ユッキーとこれやるの」


 そう言って笑った愛稲の表情に、僕の心臓がどきっと跳ねる。これはきっと、コルじゃなくて僕が動揺しているんだろうな……。


 顔が熱くなるのを感じていると、愛稲が笑いながら右手を差し出してきた。もちろん、拳を強く握りながら。


「私達の──」

「僕達の──」


「「──勝ちだ」」


 こつん、と二人の拳がぶつかった。


 そうして、僕たちは大きな荷物を抱えながら、二人で「せーの」でワープゲートの中に飛び込んだ──。

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