第二十一話 立ちはだかる現実

「僕が前に出る!!」


 風巻が動き出すと同時に僕も抜き身の短剣を閃かせ、地面を蹴った。

 風巻の槍と僕の短剣が激突する。


「ぐぅ……!!」

「足掻くな、雑魚がぁ!!」


 攻勢に出れたのは、最初の一合だけだった。そのあとは瞬く間に攻守が逆転し、風巻の気迫に呑まれそうになる。


 槍の穂先が目まぐるしい速度で僕を穿ち殺そうと突き出されてくる。それをなんとか短剣で弾く。息をついている暇も無い。一手間違えれば、死ぬ。


 死神が背中から抱きしめてくるのを感じながら──それでも、僕は歯を食いしばって短剣を振るい続けた。


 最初の不意打ちと違って、今の攻撃は見える。元々僕は、敏捷だけは高かった。それに、風巻の動きに目が慣れてきている。防戦一方ではあるが、瞬殺されないのなら、勝機はまだある!!


「コラァアアアアアアアアア──!!」

「ちぃ──鬱陶しいなぁ!!」


 僕への攻撃に夢中になっていた風巻の側面から、コルのブレスが襲った。

 風巻は悪態をつきながら炎から逃れるべく後退する。

 その隙を、突く。


「な──炎の中を突き進むだとぉ⁉ 正気か⁉」


 コルの炎は、僕のことだけ燃やさない。ゴブリンリーダー達との戦いで知ったその特性を利用し、僕は炎の絨毯を疾走する。

 体勢を崩していた男の懐に入り込む。槍では取り回しがきかず、短剣を自由に振るうことが出来る──僕の間合いだ。


「ふっ──!」


 ダイアウルフの短剣を風巻の体に叩き込む。


「なめんな、糞がっ!」 


 風巻は槍の柄で僕の攻撃を受け止めた。

 技術は圧倒的に向こうが上だ。いや、技術だけじゃなく、冒険者として過ごした歳月も、持っているスキルの数と質も、ステータスも。


 今の僕にできるのは、どうしようもなく開いているその差を少しでも縮めるために──足掻くことだけ。


「あぁあああああ!!」

 初撃を防いで勝ち誇っている風巻に、ホルスターから引き抜いたレンタルナイフを放つ。


「こんの……! 双剣術まで持ってんのかよ……!?」


 倍に増えた手数で、風巻に攻勢を仕掛ける。

 けれど、僕の刃はどれも槍一本で防がれてしまう。


「ほらほら、これで終わりかあ!?」

「くっ……!」


 風巻が余裕の表情を浮かべる。その態度を崩すことは、今の僕には出来ない。


「まだまだぁあああああ!!」


 だから、ただ剣を振るうことしか出来ない!


「コルルアアアアアアアアア──!!」

「ちっ──!」


 コルが炎を吐き、風巻が再び後退する。間髪入れず追い、二本の短剣を握りしめる。


「うっ!?」


 風巻が逃げた先には、一際大きな岩があった。岩壁に阻まれ、風巻の体が止まる。

 追い詰めた──僕がそう思った瞬間。


「調子にのんな、ガキィ!」


 風巻の体を中心に、風が吹いた。

 人知を超えた、身体能力からかけ離れた力の気配が僕の全身を粟立たせる。

 魔法スキル──!


「【ウインドカッター】!」


 放たれる、風の刃。

 空気を切り裂く緑色透明の疾風は、凄まじい速度でボス部屋の中を突き進み──避ける間もなく僕の体に命中した。


「がぁああああああああ!!」


 僕の体は無数の魔法に切り刻まれ、至る所から鮮血が吹き出る。

 咄嗟に急所は庇えた。芳樹さんがくれた胸当てが、威力を軽減してくれた。けど、ダメージの余波で足が震えて動かない。


「とどめだああああああああッッッ──!」


 勢いが止まった僕の体に、風巻が突進する。

 風巻の視線は、僕だけを見ていて、その殺意は、僕だけに向けられている。


 ──それで、いい。


 僕は痛みに呻きながらも、勝利を確信した。


 風巻の背後から頭上に舞う、一つの影。

 それは、岩の影に隠れ気配を消していた、愛稲の姿だった。

 僕は最初から、ただの囮だ。とどめは──愛稲が差す。


「うりゃああああああ!!」

「──このゴミ共がぁ!?」


 風巻が瞠目し、稲妻を纏った愛稲が空中で吠えた。

 電流を蓄えた愛稲の拳と、咄嗟に構えた風巻の槍がぶつかり──


 ドッッッッッ!!


 凄まじい衝撃波がボス部屋の中に響き、僕は思わず顔を覆った。紫電が迸り、周囲の岩柱を次々に砕いていく。

 風巻の足下が砕ける。愛稲は全力で力を叩き込んでいる。

 しかし、風巻は確かに愛稲の攻撃を防いでいた。


「こんのおおおおお!!」

「ルーキーの癖に、俺を追い詰めてんじゃねえええええ!!」


 重なる二人の叫び。それに弾かれるようにして、傷を負った体を追い込み、僕は走り出した。

 風巻は今、防御に手一杯。まさか防がれるとは思ってなかったけど、愛稲が絶好の機会を作ってくれた。


「コル──!」

「コルルァアアアアアアア!!」


 僕の声に応え、コルが炎を吐き出した。


「ぢいぃいいいいいッッッ!!」


 炎に呑まれた風巻の、野太い悲鳴が響く。

 効いてる。これなら──!


「あぁああああああああああああ──!!」


 僕は短剣を振りかざし──風巻へ肉薄した。

 僕の視線と、風巻の視線がぶつかる。


 彼の瞳には──嘲笑が、宿っていた。


「──【ストームパンク】!!」


 風巻の体を竜巻が覆った。竜巻は瞬く間に膨れ上がり、僕を、愛稲を、コルを──凄まじい力で弾き飛ばした。


「ぐっ──!?」

「コルゥ──!?」

「きゃああああああああ!?」


 まともに風巻の魔法を喰らった僕達は、三方にその体を吹き飛ばされる。


「──がっ!」


 岩柱に背中を強かに打ち付け、血反吐と共に酸素を全て吐き出した。僕がぶつかった拍子に岩がひび割れ、柱の破片がぱらぱらと周りに落ちる。


「あ、が……」


 早く起き上がらないと。そう思っても、僕の体はぴくりとも動かない。

 コルも、愛稲も、遠くで沈黙している。


「くくく……武器に魔法耐性を付与できるなら、防具にも当然同じことが出来る──そうは考えなかったか? ルーキー共」

「っっ……」


 痛いぐらいに、僕は歯を食いしばった。

 風巻の身につけている白銀の防具。あれは恐らくミスリルと呼ばれる、ダンジョンでしか採れない鉱石で出来ている。


 ミスリルの効果は単純明快──属性ダメージの軽減。


 あくまで軽減で完全に無効には出来ない。故に、先ほどまでの風巻の声も演技やブラフではなく、心の芯からでたものだ。

 故に──僕らは騙された。嵌められた。その身を削る、彼の罠に。


「まあ、レベル40を超えてる俺をここまで追い詰めたのは、素直に褒めてやるよ。ガキ共」


 風巻は余裕の態度を崩さない。その身には少なくないダメージが入っているというのに、そんなものは微塵も気にしていない様子だ。

「だがまあ、これが現実だ。ダンジョンではつええ奴こそが正義。強者に逆らったら、待つのは死のみだ」


 ──勝てない。

 心が、悲鳴を上げた。脳が、機能を停止した。魂が、震え上がった。

 この人に勝てる未来が、可能性が、僕には見えない──。


「──コルゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッッッ──!!」


 絶望する僕の前で、風巻に小さな影が飛びかかった。

 コルだ。僕同様ボロボロの体で、それでも果敢に風巻に立ち向かう。

 何度目かわからない、炎を口腔内に宿して──


「──チッ、お前は殺せねえんだよ」


 ──だが、コルの決死の特攻も、レベル40の中級冒険者の前ではお遊戯に等しかった。


「コル!?」


 気怠げに振られた槍の先端が、コルの小さな体を弾き飛ばした。

 コルはボールみたいに何度も地面を跳ねて、僕の横で制止する。


「こ、る……!」


 僕が唇を震わせて呼びかけても、いつも元気いっぱいの魔物は横たわったままで動かない。その光景に、顔から血の気がひいていくのを感じた。


「……お願い、です」

「あン?」


 血で真っ赤になった視界を見据え、僕は口を開いた。


「僕、僕だけは殺しても、コルと愛稲だけは……殺さない、で……!」


 それは、世界で一番情けない懇願だった。

 あれほど息巻いて、逃げるという選択を捨ててまで戦った結果──仲間の命乞いをしている。愚かで浅ましい、弱者の姿だった。


「──ぷっ、ぎゃははははははははっっっ!!」


 それを決定づけるように、風巻は声を上げて、腹を抱えて笑った。


「お前、そんなことが今更通じると思ってんのかぁ!? バァーカ! 逆らった時点で──いや、あの日俺を騙した時点で、ンな選択はとっくに消えてんだよ! お前が出来るのは、ただ俺にぶっ殺されるのを待つことだけだ!!」

「ッッッ……」


 風巻の言葉は弱っている僕の心臓を直接殴打して、蹴撃して、ギリギリと鷲掴みにする。

 泣きそうになるのを、必死にこらえた。


 泣く資格なんて、僕は持っていない。これは全部、因果応報。

 僕が撒いた種だ──。


「──けどまあ、喜べよ。お前の願いは叶うかもしれねえ」


 ふと、風巻は哄笑を辞めて、僕に獣のような顔を向けた。

 僕をいじめる鷲崎や前の家族がよく見せた、醜悪で暴力的で、人の尊厳を忘れ去ったかのような、大嫌いな表情。


 その顔を浮かべていた人々が碌でもないことをするのを、僕はよく知っている。乾いていた口内が、最早砂漠のように乾涸らびていく。


「その魔物は、殺さねえ。っていうか殺せねえ。大事な商売道具で、ボスのお気に入りだ。それを殺したら、今度は俺が殺される」


 それは、先ほど風巻自身が言っていた。


「──そして、お前の仲間の、あの女。あれは──上玉だ」


 その言葉に。


「──ぁ?」


 目の前が、真っ暗になった。


「あれを殺すのは勿体ねえ。単純に顔面偏差値が高いし、生意気な性格も俺好みだ。胸はあんまないけどな。殺しちまうぐらいなら──俺のモノにする」


 風巻は、嬉しそうに、楽しそうに、笑った。


「だから──お前は、そこで見てろ」


 風巻はそう言い残して、僕に背を向け──反対方向にいる愛稲を見た。


「ひっ……」


 愛稲がびくっと体を震わせる。逃げようとしているが、彼女の体もまた、僕と同じくダメージの蓄積で動かすことが出来ない。


「この女の心がぶっ壊れて、俺の奴隷になるところをよ──」

「ぁああああああああああああああ……」


 僕は、か細い叫びを上げながら、風巻に追いすがろうとした。

 しかし、それも出来ない。限界を迎えた僕の体は、ちっとも言うことをきいてくれない。


 血が、足りない。頭がぼうっとして、自分が今どんな姿勢でいるかもわからない。


「騒ぐな、カス。これに懲りたら、もう二度と冒険者になろうなんて思わないことだな、糞ガキ……まあ、お前にもう次はないけどな」


 風巻は、ゆっくりと、まるで見せつけるように、心を削るように、愛稲の元へ歩みを進める。


「い、やぁ、……こない、でぇ……」


 愛稲のか細い声が、僕の脳を焼く。

 彼女だけは、巻き込んでしまった彼女だけは、駄目だ。無事に逃がさなければ、駄目だ。絶対に助けなければ、駄目だ。


 頭ではわかっているのに──!


「ああ、ぶっ壊しがいがありそうだなあ。まずは首でも絞めてやろうか。ダンジョンだとどれだけ女冒険者の首を絞められるのか興味があったんだよなぁ……ガキ、お前はそこで、この女の末路を見とけ」


 愛稲の瞳と目が合う。大きな彼女の瞳は恐怖で濁り、涙を流しながら僕に助けを求めている。


「ぁ……めろ」


 掠れた声が漏れた。風巻は僕の言葉を無視して、愛稲へと歩を進める。


「コルゥ……」


 そばで横たわっているコルが、死にかけの体を震わせた。

 僕には、何もない。何も出来ない。

 愛稲が風巻に汚されるのを、壊されていくのを、見ていることしか出来ない。


 崖際まで追い詰められた──なんて、生ぬるいものじゃない。

 体はとっくに崖の向こうへ投げ出されて、腕一本──いや、指一本でしがみついている状態だ。


「恨むんなら、お前自身を恨むんだな」


 風巻が愛稲に接近し、そして跨がった。


「ぅあっ……!」


 愛稲の短い悲鳴。風巻はその声を聞いてますます頬を緩める。


「初めて見たときから、俺の女にしたいと思ってたんだよ……二度と反抗しないように、しっかりと苦しめてやるからなぁ!」

「いや、やめて……! やめてぇ……! あっ、が、ぁああ──!!」


 40レベルを超えた男のステータスが、その人間離れした握力が、愛稲の細い首に込められる。

 叫びを上げ、じたばたともがき、それでも愛稲は風巻の腕から逃れられない。あの愛稲が、純粋な力だけで、抑え込まれている。


「──めろ、やめろ、やめて……!」


 怒りで視界が真っ赤に染まる。今にも風巻の体を殴り飛ばして、愛稲を助けたい。

 なのに、遠い。何もかもが、遠すぎる。


 僕の体は動かないままで、遠距離からの攻撃も出来なくて。

 ただ胸の奥から湧き上がる怒りだけが、雫となって瞳から流れていく。


 ──嫌だ。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ!

 涙でぼやける視界に呑まれそうになりながら、僕は心の中で叫んだ。


 死にたくない、失いたくない、逃げたい、死にたくない、全て忘れたい、目を背けたい、助けたい、救われたい、逃げたい、逃げたい、逃げたい──


「こ、ル……」


 ──コルの尻尾が、僕に微かに触れた。

 ぐちゃぐちゃになっていた思考に、冷水をぶっかけられたような気がした。


「っ……!」


 傷だらけになりながら、その黒い眼差しは僕に何かを、強く、強く訴えて──


 ──「あきらめるな」


「っ……ぅ、ああああ……!」


 僕は、強くなりたかった。弱い自分を、消したかった。

 だから、冒険者になった。


 冒険者は、こんなところで逃げない。戦場で涙なんて流さない。

 生きてる限り、抗い続ける──それが、僕の理想の冒険者。


 そんな人に、なりたかった──違う、なるんだ。

 ここから、今から。


「逃げたく、ない……」


 僕は、心の中に巣食う弱い僕を否定する。


 負けたくない、逃げたくない、生きたい、生き残りたい、愛稲とまた一緒に笑いたい、コルと一緒にもっとダンジョンに潜りたい、生きたい、芳樹さんや美紀子さんや美晴ともっと沢山話したい、負けたくない、強くなりたい、負けたくない、負けたくない、負けたくない──


 ──勝ちたい。


 僕は、勝ちたい。

 あの人に、この絶望に──打ち勝ちたい。


 僕は残り滓みたいな力を振り絞って、生まれたての子鹿の様に震えながら体を起こす。手を支えにして、脚に力を入れる。

 全身が痛い。多分、色んなところに罅が入ってる。芳樹さんからもらったプレートアーマーはぼろぼろになって、近くに転がっていた。


「まけ、て、たまるかぁああああ……!」


 振り絞って、絞りきって、僕は掠れた声を限界まで張り上げた──。



 ──けれど、奇跡は起こらない。


「あっ……?」


 がくん、と全身から力が抜けて行人は地面に尻餅をついた。

 驚愕に見開かれた瞳。眼球が左右に忙しなく揺れる。


 当たり前のことだった。それこそが自然の摂理だった。

 残滓までを絞り切ったら、それ以上動くことは不可能なのだから。


 泣いたら神が助けてくれることはない。

 傷ついたら聖女が癒してくれることはない。

 涙を贄にして、力が目覚めることもない。


 とっくに限界を迎えた体が、血潮を流し落とした肉骨が、レベル1の冒険者が起き上がることは──ない。

 覚悟は、決意は、気合は、力を与えてくれるわけではない。


 冒険者である限り、そのステータスは──絶対。

 魑魅魍魎が蔓延り、金銀財宝を内包する幻想世界において、力こそがただ唯一の理。

 そして、この中で最弱の行人の体はその法則に従うまで。


 レベル1には、奇跡を願うことすらも許されない。


「いや、だ……」


 行人は絶望の表情で小さく呟き、虚空に腕を伸ばして──。


 ──そこで、彼の意識は闇に呑まれた。


 その傍らには、物言わぬ小さな魔物が寄り添っていた。

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