第二十話 後悔は捨ててきた

 ──結局、作戦は全て大はまり、二人と一匹のコンビネーションでロックリザードを楽々撃破──とは、ならなかった。


「……あれ?」

「何も、いない……?」


 ボス部屋には、巨大なトカゲはおろか蜘蛛の子一匹すら居なかったからだ。


 眼前には、地面から生えたニメートルほどの巨大な岩が点在する荒野が広がっている。相模原ダンジョンは洞窟型だったのに、ボス部屋になるとこんなにも様相が変わるのか。


 新しい知識を頭に入れながら僕は辺りを見回した。けれどやっぱり何も居ない。


「ロックリザードが地中から這い出てくるとか……ある?」

「いままで十一回挑戦したけど、そんなケースはなかったよ。絶対にあの中央の空き地に──」


 そこまで言って、愛稲が固まった。僕も釣られて彼女の視線が向けられた方を見る。


 そこには、本来の主の代わりに青黒い穴が浮かんでいた。穴は波のように中心から外縁へと揺らめいている。


「あれって、ワープゲート……?」


 実際に見るのは初めてだけど、間違いない。目の前の穴はネットで見たワープゲートとそっくりだ。


 ダンジョンのボスを倒すと現れる、瞬間移動装置。これがあるおかげで、冒険者はボス戦で疲弊した体でダンジョンを一階ずつ戻るという苦行をせずに済んでいる。ダンジョンに意思があるのかはわからないけれど、人によっては「ダンジョンが設けた救済措置だ」と言う人も少なくない。


 ボス戦の影の報酬──それがワープゲートだ。

 けれど、それが今目の前にあるのはおかしい。


「ボスを倒してもないのに……」

「うーん……前の人が戻るために使ったのがそのまま残っちゃってたのかな? 一回外に出てみようか」

「そうだね……」


 愛稲に続いて、僕はワープゲートに背を向けた。

 その時。


 ──チリッ。


 悪寒が首筋を撫でる。


「っ……!」


 なんだ、何を見逃している? 体を抱きすくめるこの違和感の正体はなんだ?


 他の冒険者が使ったワープゲートがそのままになっている──本当に?

 思い出せ。この状況。初めてだけど、既視感がある。思い出せ。なにかある。絶対に、何かがおかしい。


 そうだ、僕はこの状況を知っている──!


 ──最近、ダンジョンの奥で人を襲うために待ち伏せしている冒険者が居るって聞くわよ?

 ──ボスの部屋の異変には十分注意するようにって、さっきニュースで冒険者管理組合の人が話してたわ。


 いつかの美紀子さんの言葉と。


「──コル!」


 コルの警戒音が。


 同時に耳に届く。


 そして、前を進む愛稲の脇から飛び出る黒い影を──視界が捉えた。


「──愛稲っっっ!!」


 無我夢中で固まる愛稲の肩を押して、壁になるために影の前に立ちはだかる。

 咄嗟に短剣を胸元に構えられたのは、全くの偶然だった。


「ぐぅっ──!」


 ガキィン! という甲高い音を意識する前に僕の体は凄まじい衝撃に押され、後方へ吹っ飛ばされた。


 近くの岩柱に背中を強かに打ち付けて、体内の空気が全部外に吐き出される。


「ユッキー⁉」

「愛稲、敵だ! 逃げて!」


 震える唇で、ただそれだけを伝える。けれど、突然の事態に狼狽えているのか、愛稲は僕と襲撃者を交互に見やってその場から動けないでいた。


「あーあ、まさか反応されるとは思わなかったぜ」


 襲撃者は──黒いフードを被って顔を隠している男はせせら笑いながら、彼の獲物である片手槍を曲芸のようにくるりと回した。


「このっ……! 【ショックボルト】!」

「おっとぉ。雷魔法か。当たりスキルだな、羨ましいぜ」


 愛稲の指先から放たれた電流は、男に届く前に槍によって防がれた。男は余裕の態度を崩さない。


「うそ……なん、きゃ──⁉」


 呆然とする愛稲の体を、男は容赦なく蹴り抜いた。僕とは反対方向に彼女の小さな体が吹き飛ばされる。


「愛稲!」

「ダンジョン素材で作られた武器は、魔法を防ぐ効果を持つ。覚えておきな、ルーキー……まあ、ここから生きて帰れたらだけどな」


 そう言いながら男はフードを頭から外した。


「ぁ……!」

「お、その反応は覚えてくれてたみたいだな」

「あの、時の……!」


 短く借り上げた緑髪と、つり上がった細い瞳。百八十を超える長身と鍛え上げられた肉体。暴力の化身のような人。


 一週間前、コルを探していた人だ。

 そして、コルを酷く怯えさせていた張本人でもある。


「コ、コル……」


 ウエストポーチの中のコルがか細い声を漏らす。錯覚ではなく、確かに震えている。庇うように僕はコルの入った鞄を背中側に回した。


 そうこうしているうちに、男は動けない僕の前に近付いて立ちはだかる。


「そう、そうだ。一週間前にお前に大事なものを奪われた、可哀想なお兄さんだよ。なあ──やってくれたなぁ、糞ガキ!!」


 鋭い蹴りが、頭を揺らした。


「がはっ……!」

「お前がぁ! あのレアモンスターを盗んでくれたおかげでぇ! 組織での俺の立ち位置がぁ! あっという間に最底辺だぁ! なあ、なあなあなあ! どう落とし前つけてくれんだ、おい! 何とか言えよ糞ガキ!!」


 言葉をくぎるたびに、容赦のない暴力が僕の体に降り注ぐ。まともに言葉を発せられない。それどころが、男の叫びすら遙か遠くに聞こえた。


「あっ……!」


 髪を引っ張られ、無理矢理前を向かされる。

 痛みに呻く僕の顔を、男の鋭い視線が射貫く。


「──おい、どうせあのレアモンスターを引き連れてんだろ? 調べはついてんだよ。お前とあの女がギルドの食堂でぺちゃくちゃしゃべってたからなあ」

「っ……!」


 迂闊だった。あの時、この男が近くに居るなんて思っていなかった。


 きっと、この男はずっと僕が怪しいと睨んでいたんだ。それで僕の調査をしている内にコルを庇っていることに気付き、今日僕達がダンジョンの奥に進む日を狙っていたんだ。


 コルを攫った僕を──始末するために。


「今、あのモンスターを引き渡せば、腕の一本で済ませてやる。冒険者なんてやめて、一生敗北者として惨めに生きとけ」

「あ、がっ……!」


 槍の穂先が僕の利き腕である右腕に突き立てられる。血が流れ出る感覚が、全身の痛みを押しのけて伝わってくる。


 男の言葉が本当なら、今すぐコルを引き渡すべきだ。一緒に過ごしたのはたったの一週間。命をかけるほど親しくなったわけじゃない。それに、この場には愛稲もいる。無関係な彼女を、これ以上危ない目に遭わせるわけにはいかない。


 ──わかってる。わかってるんだ、そんなことは。


 けど、けれど。


「コル……」


 あの日と同じように震えているコルを、目の前の男に引き渡す──?


 ──そんなの、死んでも御免だ。


「……ぁ、だ……」

「あん?」


 男が訝しげに肩眉を上げる。


「絶対に、いやだ……!」


 僕は拒絶する。

 男の要求を呑むことを。自分を偽ることを。友を失うことを。


「あなたの言うことは、聞けない……!」

「──そうかよ、だったら──死ねやぁ!」


 額に青筋を浮かべた冒険者が、僕の腕に突き刺していた槍の穂先を引き抜いて、構える。

 切っ先が僕の脳天へ突き刺さろうとした──その時。


「コルルァアアアアアアアアアアアアアアアアア──!!」


 僕の体から、炎が吹き出た。

 いや、ウエストポーチの中にいたコルが炎のブレスを吐き出したのだ。


「な──がぁああああッッ⁉」


 炎の息吹は狙い違わず男に直撃した。男がたまらず僕から手を離し、炎をかき消すべくその場を転がり出す。


「──コル!」

「コルル! コルッ!」


 コルはまだ微かに震えながらも、僕を見るとその大きな瞳を細めた。

 自分も戦うと──そう言っている気がした。


「うん、一緒に戦おう!」

「コル!」


 コルを引き連れて、僕は愛稲の元へ向かう。


「愛稲!」

「ぁ……ゆっ、きー……」

「今、ポーションをかけるから!」


 ウエストポーチから取り出した虎の子のミドルポーションを思いっきり愛稲のボロボロになった体にかける。すると、軽傷と半重傷と呼べるような傷が瞬く間に癒えていく。


「……ありがとう、ユッキー」

「ううん。僕こそ、こんなことに巻き込んで、ごめん」

「気にしないで、共犯者じゃん。それよりも……」


 愛稲は視線を僕から、その背後で絶叫を上げている男へと向ける。


「……逃げる?」


 その問いは、覚悟を問うものだった。

 ここで逃げれば、命は助かる。ギルドに報告して、男を捕まえられる可能性が出てくる。

 それに、ボス部屋の前には他の冒険者が待機しているかもしれない。その人達に助けを求めることだって、できる可能性がある。


 けれど、その仮定が全て上手くいかなかったら──僕達は、永遠にあの男の影に怯えなければならない。


 ダンジョンの中だけでなく、街中でも。


 だからといって、今ここで戦っても、あの男に勝てる可能性はゼロに近い。コルを戦力に数えても、勝負になるかどうか──


「──やろう。僕達で」


 ──それでも、ここで退くことは出来ない。


 困難に、逆境に、危機に、立ち向かわないで冒険者を名乗れるわけがない。


「──ユッキーがそう言わなかったら、私が一人でやるところだったよ」


 愛稲は癒えきらない体を起こし、不敵な笑みを浮かべた。


「──がぁ、くっそ、がぁああああああああああああ──!!」


 同時に、男から風が巻き上がりコルの炎を払いのけた。


「んだぁ、今の……あの魔物、ブレスなんて吐けなかっただろうが……!!」


 男の纏っていた黒い外套は炎で焼け焦げ、その下に身につけていた銀色の防具が覗いた。


 僕はポーションを飲み干して、短剣を構える。コルが横でうなり声を上げ、愛稲も半身を構えた。


 抗戦──僕達の姿勢からそれを読み取った男は、ひくひくとこめかみを痙攣させた。


「ふざけやがって、ガキ共……! もう容赦はしねえ。皆殺しだ。『サトゥルヌス』の風巻を舐めたこと、死ぬまで後悔させてやるよぉおおおおおおおおっっっ!!」


 怒りの叫びを上げながら、男が──風巻が僕達に飛びかかってきた。

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