第十九話 目指すは全国優勝(?)

 ──相模原ダンジョン、十三階層。


 階段を降りたら即ボスバトル──とはならず、眼前の光景は今までの階層と同じだ。僕達はこれから、この階層の奥にあるボス部屋に向かうことになる。


「ついにきちゃった……」

「来ちゃったね~」


 ごくりと生唾を飲み込んでいると、我妻さんが気の抜けた返事をしてきた。僕にとっては初めての最下層でも、彼女にとっては慣れたものなのだろう。


 ……そんな我妻さんが倒せなかったロックリザードを、僕がいたところで倒せるようになるんだろうか。


「お、また不安そうな顔になってるよ!」

「ごめん、あんなこと言ったばかりなのに」

「いいよいいよ。私も初めてのボス戦は緊張で心臓バクバクだったし。県大会決勝の時ぐらいかな」

「ごめん、その舞台に立ったことないからわからない……」

「あははー、やっぱり? ま、でも私はそこからまだ進めてないから……その点では、進藤と一緒だよ」


 それまでの緩んだ空気が嘘のように、我妻さんは真剣な光を瞳に灯す。


「準優勝じゃダメだ。優勝して、一緒に全国に行こう」

「……うん」


 正直、彼女の例えはよくわからないけど、言いたいことは不思議と伝わってきた。


「──コル!」

「「っ──!」」


 ウエストポーチの中から頭を出したコルが、警戒するような声を上げた。僕達は雑談をやめ武器を構え、前方を注視する。


 視線の先には、上層に出現するゴブリンを一回り大きくした、濃緑色の皮膚をした二足歩行の魔物が立っていた。こちらに背を向けていて、まだ気付かれていないみたいだ。


「ハイゴブリンだね、三体」


 ゴブリンリーダーとはまた違う、ゴブリンの上位種。統率能力がない代わりに、全てのステータスが高い。


「まだこっちに気付いてない……行くね」

「わかった。サポートは任せて」

「うん──シッ!」


 我妻さんに背中を預け、僕は疾走する。一週間前とは比べものにならないほど軽くなった脚で迷宮の地面を蹴りつけ、油断している緑鬼達との距離をぐんぐんと詰めていく。


「──ゲギャ?」

「はぁっ!」


 足音に気付いて振り返った一体の首を、短剣でそのまま跳ね飛ばした。


「ゲギャギャギャギャ!」

「ギャガガガガ!!」


 仲間をやられた残りの二体が、手に持った棍棒を僕に叩き付けてくる。広いダンジョンの空間を使って、僕はそれを躱していく。


 速い。ゴブリン感覚で戦っていたら、痛い目を見そうだ。


「【ショックボルト】!」

「ギィ⁉」


 僕の頭に狙いを定めて棍棒を振り上げていたハイゴブリンの動きが、びたっと止まる。

 我妻さんの雷魔法だ。ハイゴブリンは現在、「麻痺状態」という体が痺れて動きが鈍くなるバッドステータスに見まわれている。


 この好機を逃すわけにはいかない。

 僕は動きが鈍くなった子鬼の頭に短剣を突き立てる──!


「ゲギャギャギャ!」

「──ふっ!」

「ゲ……ギャ……?」


 ──というフェイントに釣られた、背後から狙ってきた万全のハイゴブリンに振り向いてその首を切り飛ばした。


 不思議そうな声を上げるハイゴブリンの頭から目を離し、今度こそ麻痺状態のハイゴブリンの心臓に短剣を突き刺す。


 やがて、三体の鬼は全てドロップアイテムと魔石になった。


「ふぅ……」

「お疲れ-。いいフェイントだったよ。私も一瞬騙されかけた」

「ありがとう。我妻さんの魔法も助かったよ」

「どういたしまして。まさか三体共倒しちゃうとは思わなかったけどね!」

「あ、あはは……ごめん」


 にしし、と我妻さんが屈託無く笑うのに釣られ、僕もぎこちなく笑みを浮かべた。


「コル! コルルル!」


 と、ポーチからコルが不満げな声を上げる。


「わ、完勝したのにコルはどうして怒ってるの?」

「えーっとこれは……俺も活躍したかった! かなぁ」

「欲張りだなぁ……」


 さすがの我妻さんも、ちょっと呆れていた。


 その後も何度か接敵し、特にピンチになることもなく僕達は十三階層を進んだ。十二階層までは基本的に我妻さんの討ち漏らしを僕が担当していたけど、僕が前衛で動くのも結構上手くいっていたんじゃないかと思う。


 そして──。


「ここが……」

「そ。にっくきロックリザードのいるボス部屋」

「コル……」


 僕達の目の前には天上まで届く巨大な両開きの扉がそびえ立っていた。


 扉は全体的に青白い光を放っている。これは、「中で戦闘が行われていない」「ボスが待機している」というメッセージだ。ネットで見た。


 逆に扉が赤く発光していると、「ボス部屋で戦闘が起きている」という意味になるらしい。扉が赤く光っている時は──中から助けを求められない限り──他の冒険者は入らないのがマナーだ。


 このダンジョンで初めて見るオブジェと、その奥に居る強大な存在を思うと冷や汗が頬をつたう。


 とはいえ、ここで怖じ気づいていたらなんのためにここまで頑張ってきたのかわからない。僕は汗を拭って我妻さんを見た。


「僕は今すぐでもいけるけど……我妻さんは?」

「うん、いける……と言いたいところだけど、ちょっと作戦会議をしたいかな」

「作戦会議……?」


 この探索の本命であるロックリザード戦の話は、ダンジョンに入る前から我妻さんと固めていた。


 基本的に我妻さんがダメージを与え、僕はポーションを使っての回復と陽動、コルがブレスでの援護という形だ。


 今更確認する必要は無いと思うけど……。


「私、進藤がアタッカーをやる方がいいと思う」


 そう考えていた僕の頭に、衝撃が走った。


「え……?」


 僕の呆けた顔を、我妻さんは真剣な眼差しで見つめる。冗談で言っているわけではなさそうだ。


「その、僕じゃダメージをまともに与えられないよ。だから我妻さんがメインアタッカーをやるって話になってたでしょ?」

「うん。今日一緒に潜るまで私もそう思ってたんだけどね。ブラッドウルフもハイゴブリンも一撃で倒せる進藤なら、ロックリザードにも傷をつけられると思う」

「そ、そうなの……?」


「うん。それに、進藤は素のアジリティなら私と遜色ない。鈍いロックリザード相手なら余裕でヒットアンドアウェイできるよ」

「でも、それならやっぱり我妻さんの方が、相手の動きを知ってるし……」

「そう。だからこそ、前衛より戦況が見やすい中衛以降にいたほうがいいんだよ。進藤がアタッカーで、私はデバフと魔法の援護。何度かシミュレーションしたけど、これが一番ダメージを稼げる。注意すべきはロックリザードが使ってくる魔法かな。でも、それも特定の動きをするから私の合図で避けられるはずだよ。ロックリザードに不利な属性のスキルしか使えない私より、進藤の方が適任なんだ」

「そう、なの……かな?」


 我妻さんの言っていることは的を射ている気がする。ロックリザードと戦ったことが無いから実感がわかないけれど、彼女がここまで言うのなら作戦を変更するのもアリかもしれない。


 けど、ボス初見の僕が前に出るのはやっぱり色々危ない気もするな……。五分五分で僕の頭の中で我妻さんの案に乗るかが分かれている。


 まさに「考える人」の銅像のように顎に手を当て考えていると。


「……いや、ごめん。いまのはやっぱりナシ」


 ──我妻さんはほんの少しだけ不安そうに僕から視線を逸らした。


「え……?」

「初めてのボス戦なのにいきなりメインアタッカーをやれなんて、すっごい理不尽なことを言ってると思う。そもそも私の我が儘に進藤を付き合わせちゃってるわけだし。嫌なら、元々の予定通り、私がアタッカーをやるよ」


 少し早口になりながら、我妻さんは言う。

 いつも自信満々な彼女にしては珍しい──そう思うと同時に、初めて彼女と会話を交わしたときのことを思い出した。


 ──私、部活で浮いちゃってさ。どんなに練習メニューの改善案出しても、試合前のミーティングで意見出しても、ムシ……されちゃって。

 ──今思うと、独りよがりなところもあったって反省してるんだけど、その時はもうなんか全部くだらなくなっちゃって、辞めちゃった。


 そうだ、我妻さんはつい最近、前に出ようとして打たれたばかりなんだ。

 僕みたいな奴に提案を出すのも不安でしょうがなくなってしまうぐらいの、苦い記憶が色濃く残っているんだ。


 まともに話し始めてまだ一週間しか経っていないけど、我妻さんは他人に理不尽を強いる人じゃないことぐらいは僕にもわかる。


 ──せっかくなら、私は冒険者のトップになりたい。

 ──上級……ううん、『超級』を目指したい。


 けれど、彼女の理想はいつだって、大勢の人がまともに考えもしないぐらいに高くにあって、その理想に向けて我妻さんはまっすぐ進み続ける。


 我妻さんの元チームメイトはそんな彼女についていけなくなったのではないだろうか。そうして彼女を排斥しようとして──いや、あまり憶測で決めつけるのはよくない。


 ただ一つ言えるのは、我妻さんは自分と他者の乖離に、気付いたばかりなのだ。

 そして今この瞬間は、まだ傷も癒えていない彼女を、再び痛めつけるか否かを、僕が選ぶ場面なのだ。


「……コル!」


 ぱしん、と背中を軽い力ではたかれた。

 犯人のコルは、ポーチから頭を出して僕をじぃっと見つめている。


 まるで、「ここで日和るのは情けないぞ」と叱咤するように。


「──うん、そうだね」

「進藤……?」


 一人で勝手に頷いている僕に、我妻さんが怪訝な視線を向けてくる。

 そんな彼女に向けて、僕は口を開いた。


「──我妻さんの作戦に乗るよ。アタッカーは僕がやる」

「え……いい、の……?」


 我妻さんは目を丸くしながら訊く。


「うん。それが、全国に進むために一番可能性が高い選択なんでしょ?」


 僕なんかが力になれるかはわからないけど、それでも彼女の助けに、少しでもなれればいい──そう思いながら僕は肯定した。


 我妻さんの理想を。そのために過酷な手段をとることを。

 我妻さんはしばらく固まったまま、僕を見ていた。僕もまた、大きな瞳から視線を逸らさない。


 やがて、我妻さんは花開くように笑った。


「──うん、そう、そうなんだよ! さっすが進藤、わかってるね!」

「あはは……痛いよ、我妻さん」


 一転して明るい笑顔を浮かべる我妻さんにバシバシと背中を叩かれながら、僕は苦笑を浮かべた。


「いやー、前まではこんなことなかったのに、緊張した~ここが私のボス戦だったね」

「それは気が早いんじゃ……油断せずにいこう」

「冗談だよ。全く進藤は固いな~……」


 けらけら笑っていた我妻さんは、不意に真顔になって僕を見てくる。


「……? 我妻さん?」

「作戦をスムーズに進めるために、さ」

「うん?」

「お互いに名前呼びの方がいいと思うんだよね」

「……はい?」


 お互いに、名前呼び? それはつまり、我妻さんが僕を「行人」と呼び、僕が我妻さんを「愛稲」と──


「いやむりムリ無理! 無理だよ⁉ 女子を名前でなんて……!」

「めっちゃ拒絶するじゃん。これも全国に行くために必要なんだよ。バスケ部だとコートネームっていう渾名みたいなもので呼び合ってたしね。しんどう、の四文字より、ゆきと、の三文字の方が呼びやすいから」

「そ、そういうものなの……?」

「まあ行人だとなんか可愛くないから、ユッキーって呼ぶことにするね」

「情報が多すぎて頭が破裂しそうだよ……」


 下の名前で呼ばれるどころか、渾名で呼ばれてしまった……。


「じゃ、じゃあ僕も何かニックネームで……」

「別にいいけど、私の愛稲って名前、渾名にしづらくない? いなちん、とかあいちゃんとか呼ばれてたけど」

「ちょっとそれはハードルが高いね……でも渾名って、別に名前からとらなくてもいいんだよね?」

「え、まあそれはそうだけど……」


 そうだ、別に本名に拘る必要はない。我妻さんという人柄を表せればそれでいいのだ。


 我妻さん、元バスケ部、冒険者仲間、快活、笑顔、元気、雷神の加護──雷、これだ!


「あ、じゃあ『サンダ』はどうかな? サンダーを略して、サンダ……なん、です……けど……」


 おかしい、瞬く間に我妻さんの顔から表情が失われていく。


「……愛稲って、呼ぶように」

「はい……」


 結局、何度か練習して僕は我妻さんを愛稲と名前で呼ぶことになってしまった。


「よーし、じゃあユッキー! いよいよロックリザードと対面だよ!」

「なんか既に満身創痍になった気分だよ、あづ……愛稲」

「情けないこと言わない! ほら、コルもそう思うよね?」

「コル! コルルァ!」


 コルが無責任に我妻さんに賛同するかのような鳴き声を上げる。


「はぁ……あ、ごめん最後に一つだけ」

「ん? どうしたの?」


 愛稲がきょとんと首を傾げる。


「愛稲が後衛から魔法を放つ時、なんかの合図を決めておいた方がいいかなって」

「あー確かに。でもそれは名前を呼ぶとかで良くない?」

「うーん……なるべく傍目からはわからない方がいいかな。相手に勘付かれちゃうと厄介だし。ロックリザード相手に考えすぎかもしれないけど」

「なるほど……いや、全然考えすぎじゃないよ。戦いが長引くと、私の攻撃パターンがどんどん通じなくなっちゃってたからね。ロックリザードには高い知能があると思う」

「そっか。じゃあ言葉じゃなくて行動でいこう。僕が大きく──肩くらいまで右手の短剣を上げたらそれを合図にしよう」

「おっけ。おっけー! ユッキーの動き、よく見とくよ。……なんか、冒険者っぽくなってきたね」

「だね」


 僕と愛稲は笑い合って、巨大な扉の前に立った。


「準備はいい、ユッキー?」

「いつでもいいよ、愛稲。コルもやる気満々だ」

「コル! コールコル!」

「──よしっ! それじゃあいっちょ、ロックリザード討伐しちゃおうか!」


 愛稲のかけ声と共に、重厚な音を上げてボス部屋の扉が開かれた。

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