第十六話 Bump of Chikcken!

 鷲崎の背中を追って、僕は人気の無い裏通りに入った。


 鷲崎が顎で奥に行けと促してくる。渋々従って僕は袋小路の奥へ進む。


「鷲崎……どうして相模原にいるの?」

「うるせえ、たまたまだよ。相模原ダンジョンにエクススライムが出現したって噂が流れていたから、確かめに来ただけだ」


 僕は思わず舌打ちをしそうになった。もうそんなに情報が出回っているなんて。僕が蒔いた種には、こんな嫌な形で実を結んでほしくなかった。


「そしたら、間抜け面を浮かべたお前が見えたから、声をかけたんだよ。ギルドにいたってことは、冒険者になったんだな──ハッ! ダンジョンに潜れば、強くなれるとか思ってたのか? それとも、誰にも迷惑かからない場所で死のうとしてたのか?」

「そんなんじゃない……」


 どうして彼は、こんなにも僕に絡んでくるのだろう。

 何か気に障ることをした覚えはない。ただ、中学二年生のある日を境に、彼は変わってしまった。


「まあ、ンなことはどうでもいい。テメエ、さっきの通話相手、我妻だったよなぁ。どんな手を使って近づいたんだ?」

「別に……偶然だよ」


 威圧的な声は、ずっと苦手なままだ。こちらの人権を無視するような、紙やすりのように心を削ってくる彼の声は、嫌いだ。


 鷲崎の表情が、歪む。人から獣の顔に変貌し、獲物である僕をどう痛めつけてやろうか考え始める。


「はっ、偶然ねえ……そうやってお前はどんどん寄生先を見つけていくんだよな。我妻も馬鹿だよなあ。お前みたいな面倒なヤツを相手しなくちゃいけないんだからよ」

「我妻さんは……そんな人じゃない。同情だけして、哀れむだけの人じゃない。彼女は……ちゃんと僕と向き合ってくれている」

「どうだかな。大方、『不幸な進藤の世話をする自分』に酔ってるだけなんじゃねえの」

「──違う!」


 鷲崎の言葉に、僕は初めて声を張り上げた。


「我妻さんは……まっすぐで、優しくて、強い人だ。僕のことはともかく、彼女を侮辱するのは……許さない!」

「……テメエ、誰が誰を許さないってぇ……?」


 鷲崎が距離を詰め、僕の胸倉を掴んだ。


「ぐっ……!」

「冒険者になったからって、調子に乗ってんじゃねえぞ!! お前はどうせ、この先どこに行っても何をやっても、弱いままだ! 弱え奴は、俺みたいな強者に黙って搾取されりゃあいいんだよッ!」


 傲慢だ、そんなの。本当に強い人は、弱い人を食い物になんかしない。


 本当に強いのは、手を差し伸べられる人──前田家の人々や、我妻さんみたいな人のことを指しているはずだ。僕はそう信じている。


「……なにが、強者だ」


 少ない酸素の中で、僕は言葉を紡ぐ。


「弱い者いじめをしているだけのくせに……!」

「ッ!」

「がっ!」


 左の頬に、鋭い衝撃と痛みが走った。殴られた──そう気づいたのは、血走った鷲崎の目と、固く握られた彼の右拳をみてからだ。


「このゴミ寄生虫がぁ! どっちが上か思い出させてやるよ!」


 目をむいた鷲崎が、何度も僕の顔に、体に拳を放ってくる。

 そこで、僕は異変に気付いた。


「くたばれやぁ!」


 痛くない──正確には、前ほど痛みを感じない。


 鷲崎の拳より、エクススライムの体当たりの方が、ゴブリンリーダーの棍棒の方が、もっとずっと痛くて、重かった。


 そもそも──どうして僕は、さっき彼に口答えしたんだろう。

 夏休み前までの僕なら、彼の言葉に思うところはあっても、恐怖が勝って反論できなかった。


 恐怖──そう、恐怖だ。


 今の鷲崎は、怖くない。


 自信過剰で人を見下すのが好きな、ただの高校生だ。

 鷲崎と比べたら、ダンジョンの方がよっぽど怖かった。


 目にも止まらないエクススライムと相対したときの方が。

 ゴブリンリーダーの罠に嵌って死にかけた時の方が。

 ポイズンバットの毒が頬をかすめた時の方が。

 足元からハイドワームが飛び出してきた時の方が。

 ダンジョンホイールに攻撃が通じなかった時の方が──もっとずっと、怖かった!


「っ……!」


 繰り出された拳を、左手で止める。パァン、と乾いた音が鳴り、鷲崎の顔に驚愕が満ちた。


「てめえ、なんで……!」

「……せ」

「あぁ⁉」

「──放せッッ!」


 裂帛の気合とともに、僕は右手を鷲崎の顔面に叩き込んだ。


「が、ぁ……⁉」


 鷲崎の手が離れ、自由になった僕は彼から離れる。

 よろめいた鷲崎は手で鼻を抑えながら、獣のような目で僕を見た。


「て、てめぇ……!」


 信じられない、信じたくない、信じてたまるか、何かの間違いだ。そんな感情が鷲崎の瞳に次々に浮かんでいくのが見て取れた。


「鷲崎……僕は冒険者になった」

「だから、なんだってんだよぉおおおおおおお!」


 鷲崎がその大柄な体を震わせ、次の瞬間、僕に飛び掛かってきた。

 冷静に動きを見定め、僕は身をよじって躱す。その際に彼に足を引っかける。


「ぐあああ⁉」


 いっそ間抜けなまでに、鷲崎は地面に転んだ。

 地面に這いつくばる彼を、僕が見下ろす。

 今までと、立場が逆する。


「僕は、弱くて臆病な自分が嫌いだった」


 起き上がろうとする鷲崎に、声を投げる。


「そんな自分を変えるために、冒険者になったんだ」

「くそ、が……!」

「そして、僕は少しだけだけど、変わった──もう、君には怯えない。君の理不尽を聞くことは──もう二度と無いッッ!!」


 覚悟を叩きつけた。徹底抗戦するための、克己の意思表示を真正面からぶつけた。


「ふざけんな、ふざけんなふざけんなふざけんなぁ!!」


 鷲崎が立ち上がり、僕に再び殴り掛かってくる。


「雑魚のくせに、虫のくせに、俺に歯向かってんじゃねえ!」


 もう、反撃する気も起きなかった。鷲崎の拳の速度は、今の僕には遅すぎる。

 ダンジョン攻略で培われた動体視力と、瞬発力と、身のこなしのおかげだ。


 ステータスが無くても、僕は確かに変わっている。


 変わらないのは、鷲崎だけだ。だから、躱せる。当たることは、万に一つもあり得ない。


「なんで、なんで当たらないんだよ……! 俺はレベル20の冒険者だぞ⁉ 春からずっと、ダンジョンに潜り続けて、ここまで上げたんだ!」

「そうなんだ……」


 彼の心を折るために、僕は小さく笑って見せた。


「──僕はレベル1だけどね」

「ッッッッ⁉」


 その一言が、鷲崎の膝を折った。


「うそ、だろ……レベル1……? レベル1に、俺は、おれは……!」


 わなわなと震え、鷲崎は顔を両手で覆った。

 自分よりレベルの低い冒険者に歯が立たなかったなんて、彼の高いプライドが許さないだろう。


 僕はそんな彼から視線を外し、路地裏を後にした。


 後悔も、達成感も、その他のあらゆる強い感情は一つもなかった。

 僕の心は、自分でも不気味なぐらいに凪いでいた。



 鷲崎を置き去りにし、我妻さんとの通話を途中で切られたことを思い出した僕は、慌てて彼女のスマホに連絡を入れた。


 けれど、発信音が鳴るだけでいつまでも通話がつながらない。


 仕方がないので、一旦ギルドに戻ることにした。最初の鷲崎の攻撃でそれなりに傷を負っていたので、ポーションをのみながら歩く。

 ──と、走りながら辺りを見回している我妻さんの姿を見つけた。


「──進藤っ!」


 我妻さんも僕の姿に気付いて、たったったと駆けてくる。


「我妻さん、さっきはごめん。もしかして、探してくれてた?」

「当たり前じゃん! ダメージボイスの後にいきなり電話が切れたから、もう心配で心配で……」


 ああ、彼女はやっぱり、強くて優しい人だ。彼女の顔に流れる汗が、どれだけ僕を探して走り回っていたのかを何よりも明確に伝えてくれた。


「……ありがとう、我妻さん」


 僕がお礼を言うと、何故か我妻さんが顔を逸らす。


「その、今……走り回って、汗とかで顔やばいから見ないで」

「そう……? 別にやばくないと思うけど。きれいだと思うよ」


 んぐっ、と我妻さんの喉から変な音が鳴った。


「……あ~出た出た進藤の人タラシ。それは今反則でーす。ピー、退場」

「ルールが厳しい……」

「まあそれはいいとして……何があったの、進藤?」


 我妻さんは表情を引き締めて僕に訊いてきた。


「あー……鷲崎に絡まれたんだ」

「うわマジで? あいつ、相模原に来てたんだ」

「相模原ダンジョンの噂を聞いてきたらしいよ」

「あー、あのエクススライムが出るって話ねー。しかも一階層で」


 我妻さんも知っていたらしい。そんなに有名になっちゃってるのか……。


「まあでもあくまで噂でしょ。鷲崎もそれを信じるなんて、割と純粋だね」

「そ、そうだね……」


 情報提供者である僕は気まずくなって視線を泳がせた。


「それで……大丈夫だったの?」


 我妻さんが、伺うように僕を見る。心配してくれてる彼女を安心させるように、僕は小さく笑った。


「うん……多分もう、絡まれることはないんじゃないかな」

「やるね、進藤」


 我妻さんがぐっと腕を突き出してきた。なんだろう?


「もー、グータッチ! 青春だよ!」

「あ、ああごめん!」


 僕は慌てふためきながら我妻さんの拳に自分の拳をぶつけた。


「ぷっ……あはは! なんかあんまり似合わないかも」

「あはは、初めてやったからね……」

「じゃあこれから何回でもやろうよ」

「やる機会があるかなあ……」


 確かに青春っぽいけど、だからこそ僕には無縁なもののような気がする。


「あるよ! いや、進藤がよければ、なんだけど……」


 と、我妻さんが急にもじもじし出した。そういえば、何か頼みがあるみたいなことを言っていた気がする。


「そういえば、さっき言ってた頼みって……?」

「うん……その、進藤の都合がよければなんだけど……」

「うん」


 僕が頷くと、我妻さんは意を決したように顔を上げた。


「──私と、相模原ダンジョンのボスに挑戦してほしい」


 そうして、予想外のお願いを繰り出してきた。

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