第五話 受け継がれる物

 傷口に注意しながらシャワーを浴びて、汗を洗い流した後。

 額の裂傷を長い前髪で隠すように整えてから、僕はリビングに入った。


「すみません、お待たせしました」

「ううん、料理は今できたところよ。美晴と一緒に、配膳を手伝ってくれる?」

「はい」


 別室にいる芳樹さんを呼びに行く美紀子さんとすれ違いながら、台所に入る。


「あ、義兄さん。ご飯をついでもらえますか」

「わかったよ、美晴」


 そこに立っていたのは、黒髪の美少女。部屋着姿ながらも美貌に曇りを感じさせない大和撫子然とした、僕の義妹。


 前田美晴。この前田家の一人娘で、僕と同じ高校一年生。誕生日が僕の方がわずかに早いということで、「義兄さん」と呼んでくる。正直、ちょっと恥ずかしい。


 美晴の言葉に従って、僕は炊飯ジャーを開けた。炊き立ての白米が、ほかほかと湯気を立てている。


「あ、私の分は少なめでお願いします」

「え、うん……減らす必要あるかな?」

「義兄さん。乙女というのは見えにくい場所の脂肪を気にするものなんです」

「ご、ごめん」


 ほっそりとした彼女の体は、ダイエットなんて必要ないと思うけど……まあ彼女の言う通り、男子にはわからないタブーがあるのだろう。

 代わりに僕の分のご飯を多めによそって、テーブルへと運ぶ。


 ちょうど所定の位置に四つのお椀を並べたところで、美紀子さんと一緒に一人の男性が入ってきた。

 左足の膝から下のない男性が、この家の主人──前田芳樹さんだ。

 芳樹さんは僕の顔を見ると、柔和な笑みを浮かべた。


「やあ、行人くん。無事、冒険者にはなれたかい?」

「はい。想像以上に人が多くて、びっくりしました」

「今は『冒険者の世紀』と呼ばれるような時代だからねえ」


 芳樹さんは「よっこらせ」と扉に一番近い椅子に座った。


「君が冒険者になりたいと言ってきたときにも言ったけど、行人くんは良い冒険者になるよ。元冒険者の僕が保証する」

「あ、ありがとうございます」

「それで、僕から君に渡したいものがあってね──」

「ほらもう、芳樹さん。話すのはご飯中でもいいでしょう」


 美紀子さんがあきれ顔で芳樹さんの肩を叩いた。


「それもそうだね」


 穏やかな夫婦のやりとりを見届けた僕は、台所から残りの食品を運んだ。

 そうして、前田家三人と僕が席に着き、揃っていただきますを言って、夕飯の時間が訪れる。


「冒険者って、若い子にも人気なのね。行人くんから送られてきたメッセージを見て、びっくりしちゃった」

「私の学校でも、夏休みに冒険者になるって人は多いよ」

「時代は変わったわね~おばさん、ついていけないわ」


 食事中の会話は、主に美紀子さんと美晴が担っている。僕は会話が苦手だし、芳樹さんも物静かな人だ。


「でもねえ……今更行人くんの選択に水を差したくはないけど、冒険者ってやっぱり危険な職業なのね」


 僕が冒険者になることに芳樹さんと美晴は好意的だったのに対し、最後までやんわりと反対していた美紀子さんがためいきをついた。


「ま、まあ……やっぱり魔物は怖いですよね」


 僕が苦笑交じりに返すと、「それは当然なんだけれどね」と首を振る。


「最近、ダンジョンの奥で人を襲うために待ち伏せしている冒険者が居るって聞くわよ? ボスの部屋の異変には十分注意するようにって、さっきニュースで冒険者管理組合の人が話してたわ」

「そ、そうなんですか……?」


 わかめと豆腐の味噌汁を嚥下した僕は、美紀子さんの言葉に顔を強張らせた。


「美紀子さんは心配性だね。そういう冒険者狩りは昔からあったけど、殆どは中級や上級の冒険者を狙ったものだ。冒険者になったばかりの行人くんが狙われるようなことはないと思うよ」

「そう? それならいいんだけど……」

「あはは……当分はギルド直轄の相模原ダンジョンにしか潜らないつもりですし、深くまで潜りませんから……」


 僕がそう言うと、美紀子さんはようやく「くれぐれも気を付けてね」と身を引いた。


 本当に、心から心配してくれているんだろう。人によっては鬱陶しいとか過保護と思うかもしれないけれど、僕は美紀子さんの言葉が純粋にうれしかった。

 血が殆どつながっていない僕を、ここまで心配してくれることが。


 前田家は、死んだ父の遠縁にあたる家らしい。僕が持っている情報は、本当にそれだけだ。河川に投げられた枝のように、流されるままこの家に引き渡された。


 どうして僕を引き取ったのか、どうしてこんなに良くしてくれるのか。

 そういった理由を訊く機会は何度もあったけど、結局僕は彼らの内面に踏み込むことはできなかった。生来の臆病が、ここでも悪さをする。


 ため息をつきそうになり、本人たちの前なので慌てて抑え込んだ。

 ……ただ、前の家と比べたら、僕にはもったいないぐらいの居場所だ。


 主人の芳樹さんは物静かで落ち着いていて、僕を怒鳴ることも、殴ることもしない。

 妻の美紀子さんは料理とガーデニングが趣味で、いつもにこにこ微笑んでいる優しい空気の人だ。よく僕の好物を料理に出してくれる。酒に酔った勢いで僕にグラスを投げてくるような人じゃない。

 そして、その二人の娘で僕と同い年の義妹である美晴も──正直何を考えているかわからないことが多いけど、危害を加えてきたりしない。


 前田家の人達が本当に善良だから、今までが嘘のように幸福な生活を僕は送れている。

 可能性は低いけど、冒険者になってまともにお金を稼げるようになったら、前田家には何か恩返しがしたい──そう思えるくらいには、僕はこの人達が好きだ。


 だから、美紀子さんをこれ以上心配させないように、ダンジョン攻略は慎重にやっていかなくちゃ。

 僕はそう意気込みながら、残りのご飯を掻き込んだ。


 今日は僕が当番だったので、みんなが使った皿を洗った後。

 僕は芳樹さんに呼び出され、彼の書斎兼仕事部屋へと向かった。


 背の高い本棚に囲まれた文机と木製の椅子が僕を出迎える。前田家に引き取られた日に案内されたことがあるけど、ここに入るのはそれ以来なかった。二回目の訪問になる。


「よく来てくれたね。行人くんに話があったんだ」


 夕飯前に、そんなことを言っていたと思い出す。

 けれど、どんな話をされるのかは夕飯中も考えていたが、全く見当もつかなかった。


「話って……」


 僕が首を傾げていると、芳樹さんは机の陰で何かをゴソゴソと漁りだす。


「これを──君に使ってほしい」

「えっ──!?」


 そうして机の上に置かれたものを見て、僕は目を見張った。


「これって……! 短剣と、防具一式じゃないですか⁉」


 おかれたのは、ホルスターに入れられた短剣。それと、上下のレザーアーマーに白銀の胸当てだ。


 冒険者の仕事道具ともいえる武器と防具──さらに言えば、初心者の僕には逆立ちしても買えないような高級品──に視線が吸い寄せられる。


「うん。僕が昔、使っていたものだよ」


 芳樹さんは、かつて冒険者をやっていたらしい。

 十二年前のダンジョン絡みの災害で左足を失ってそのまま引退したと聞いている。


 僕の前に並べられているのは、冒険者時代の芳樹さんが使っていたものだった。

 でも、そんなものをどうして僕に見せるんだろう。

 使って欲しいって──まさか!


「これを、君に譲ろうと思う」

「ちょ……!?」


 僕の思考を肯定する芳樹さんの言葉に、僕は固まった。


「おさがりで申し訳ないけど、なかなかに良い道具がそろっているんだ。この短剣はダイアウルフの牙を使っているから切れ味が鋭い。ハイクロコダイルの皮を使ったレザーアーマーは、伸縮性と耐久性に優れている。プロテクターには軽鉄と少量のミスリルが混じっているから、軽くて魔法のダメージを軽減してくれる。どうか、役に立ててほしい」

「まっ、待ってください芳樹さん⁉ そ、そんな高価なもの、受け取れないですよ!」


 話を聞く限り、目の前の道具は僕みたいな初心者が身につけていいものじゃない。中級の冒険者辺りでやっとだ。


 普通、冒険者になりたての人はギルドから武器や防具をレンタルする。そうして少しずつお金をためて、自分だけの道具を手に入れるのだ。


「いいんだ。これらはね、僕が冒険者を引退した後、売ることも捨てることも出来なかったものなんだよ。このままこの部屋で腐らせるより、若くて未来のある行人くんに使われる方が、道具も喜んでくれると思う」

「芳樹さん……」


 家主の表情は柔らかく、声も比例して温かかった。


「道具を用意できるなら、初期費用が大きく浮く。それでポーションを多めに買うといい。一人でダンジョンに潜るつもりなら、生命線は絶やさないようにすべきだ」


 ポーションとは、砕いた魔石とダンジョンの水で作られる薬だ。飲めば風邪が治り、軽傷であれば患部にかければ治してくれる。

 自分では回復魔法を使えず、ヒーラーの仲間もいない僕にはとても重要なものだ。


 芳樹さんは、単なる優しさだけではなく、先輩冒険者として僕を導いてくれているのだと、ようやくわかった。


「……ありがとう、ございます。大切にします」

「そう言ってくれると嬉しいよ。ただ、気を付けてほしいこともいくつかある」


 芳樹さんが瞳を細める。


「美紀子さんも言っていたけど、冒険者が冒険者を狩るというのは、そう珍しいことじゃない。彼らの目的は、冒険者の持っている武器や防具だ。本来なら初心者の行人くんにはその心配はいらないけど、僕のおさがりはそれなりに高価だから、狙う人も出てくるかもしれない」

「……はい」

「だから、まずはギルドの近くのダンジョンで地道に強くなりなさい。ある程度の戦闘力がついたら、他のダンジョンに行くといい」

「わかりました」

「そして、優秀な道具に振り回されないように。きちんと自分の手足になるように訓練に励みなさい。最後に物を言うのは結局、君自身のステータスなんだから」


 芳樹さんの瞳は、先ほどの柔和なものからいつの間にか真剣なものに変わっていた。


「それと、武器だけは予備を用意しておくこと。万が一の際に備えてね」

「なるほど……わかりました!」


 僕が頷くと、芳樹さんは再び穏やかな笑みを浮かべる。


「うん。ちょっと説教臭くなってすまなかったね。遅くなったけど──冒険者の世界にようこそ、行人くん」


 芳樹さんのその言葉は、ギルドで聞いた同じ言葉より、僕の胸を熱くした。



 ──自室に戻ると、コルが僕のベッドで眠りこけていた。


「お腹がいっぱいで、眠くなっちゃったのかな」


 床には、飴玉をのせていた皿が空っぽの状態で置いてあった。結構量があったはずだけど、あれを全部食べたのか……糖分過多にならないかな。

 よくわからない心配をしていると、睡魔が込み上げてきた。大きくあくびをして、僕もベッドの上に寝そべる。


「……今日は、いろんなことがあったなあ」


 鷲崎に脅され、我妻さんに助けられ、彼女と一緒に冒険者になって、芳樹さんから大切なものを譲られて──そして、コルと出会った。


「コルルル……コリャァ……」

「ふふ、変な鳴き声」


 微笑ましい光景にひそかに笑っていると、やがて僕の瞼も落ちていき──

 こうして僕は、波乱万丈な一日を終えた。

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