第四話 Monster in the house

 息を吐きながら靴を脱ぎ棄て、僕は四月からお世話になっている前田家に転がり込んだ。


「──た、ただいま帰りました!」

「あらお帰り。思ったより早かったのね」

「あ、はい──」

「……? ってちょっと、行人くんその包帯どうしたの⁉」


 リビングから顔を覗かせた美紀子さんが、僕の姿を確認してぎょっと目をむいた。

 しまった、包帯の言い訳を考えていなかった……!


「あいやこれは、サッカーボールが当たってしまっただけです! 大袈裟ですよね、あはははは!」

「……もう、冒険者になるんだから、ちゃんと注意しなきゃダメよ?」

「で、ですね……」

「夕飯までもう少しかかるから、先に着替えてシャワーを浴びてきて頂戴」

「は、は~い」


 美紀子さんとの会話を終え、僕は二階にある自室に飛び込んだ。

 日中の熱をため込んだ部屋に思わずむせそうになりながら、冷房を入れる。

 汗を拭いて、僕は鞄の前に座った。


 ……おそらく、あの男性が探していたのは、この鞄に入っている生き物だ。

 それを僕は、噓をついて匿ってしまった。

 尋常ではないほどに怯えている様子が伝わってきたから、僕のしたことは間違いじゃないと思いたいけど……窃盗、と言われても言い訳はできない。


 とんでもないことになっちゃったなと思いながら、僕は鞄のチャックを開けた。


「……もう大丈夫だよ」

「──……コル?」

「……え」


 鞄から顔を覗かせたのは──赤紫色の鱗を持ったトカゲ……のようなナニカ。

 上下の白い瞼の奥にある黒い瞳は、ガラスのように透明で澄んでいる。背中からは小さな蝙蝠のような羽が生え、尻尾は二股に分かれている。


 そのナニカは鞄から這い出て、しっかりと四本足で僕の部屋の床を踏みしめた。体長は五十センチほどか。トカゲというより、イグアナの方が近い気がする。


 けど、こんな生き物、地球上に存在しない。存在するわけがない。

 つまり、目の前のこの謎のイグアナは──!


「……まさか、まさかまさかまさか──魔物⁉」

「──コル!」


 僕の驚嘆に答えるように、イグアナのような魔物は元気にうなずいた。

 口の中に、真っ赤な血のような長い舌が見えた。


「どうしよう……まさか、魔物だなんて……」


 僕は頭を抱えた。拍子に包帯の下の傷口が痛むが、そんなの気にしていられない。


 魔物。モンスター。ダンジョンに生息する人類に敵対する生き物。長い爪や鋭い牙、さらには加工された武器を持って人を襲う危険な存在。


 当然、魔物をダンジョンの外に連れ出すのは法律で固く禁じられている。そんなことをしたら、社会に混乱をもたらすのはわかりきっているからだ。


 稀に友好的な個体も発見されるらしいけど……そういった魔物は国の施設で厳重に保管されるか、「テイム」というスキルを持った冒険者に引き取られる。

 当然、今日冒険者になったばかりの僕にそんなスキルがあるはずもなく。


 だというのに、偶然とはいえ、魔物を家に匿っている。

 とどのつまり、僕のやっていることは犯罪だった。窃盗と魔物の持ち出しという、二つの罪を一日で犯してしまった。


「……終わった。僕の冒険者生命……いや、人生……」

「コル? コルル、コルル!」


 がくりと肩を落とす僕の足に、魔物が乗っかってくる。呑気だなあ……。

 ただ、この人懐っこさを見るに、この子は希少な友好的なモンスターなのだろう。僕が襲われていないのがその証拠だ。


 それに、あの男の人から逃げてきたということは、恐らく戦闘力もそんなに高くないはず。

 とりあえず、危険性はなさそうだ。


「……明日、ギルドの人に相談するしかない、か。街中で偶然見つけたって説明したら、そんなに怒られないと思うし。きっと施設に引き取ってもらえる」

「コル⁉ コルルルルル! コルルァ!」


 僕の独り言を聞いた魔物が、「それは嫌だ!」と僕の服にしがみついてくる。


「嫌だって言っても……君はここでは生きられないよ。人間には人間のルールがある」

「コルルゥ……」

「施設の人達は、きっとあの男の人みたいに意地悪はしてこないよ。だから安心して」

「コル……」


 うっ、なんだこの罪悪感は。雨に濡れる捨て猫を見てるような気分だ。

 魔物は瞳を潤ませて、僕に無言で訴えてくる。そんな、庇護欲を掻き立てる顔はしないでほしい。


「ダメだってば、本当にマズいんだよ……」

「コル……」

「というか、なんでそんなに僕のそばにいたがるんだよ。君とは偶然会っただけで、成り行きで助けただけの、赤の他人なんだよ?」

「コル! コルルル! コラ!」

「助けてくれたから、って……単純すぎないか……?」

「コル?」

「う~~~~……」


 こてん、と首をかしげるしぐさを見て、何かが決壊する音が、僕の心の中で響いた。


「……わかった。一緒に暮らそう」

「──!」


 僕が頷くと、魔物はぱあっと表情を輝かせた。「コル~♪」とご機嫌な態度で僕の体に擦りついてくる。


 ……ま、まあ、魔物と一緒に居れば、テイムのスキルが発言するかもしれないし? 意思疎通も可能だから、人を襲わないよう躾けられそうだし? 人語を理解できるなら、その他もろもろの注意も理解して受け入れてくれそうな知能があると判断できるし?


 ──単純に、魔物と一緒に過ごす、というのが楽しみだというのも、事実なわけで。


「一緒に暮らすなら、名前を付けないとね」

「コル!」

「じゃあ、鳴き声から『コル』で。気に入ってくれるかな?」

「──コルッ! コルルル!」

「はは、よかった」


 我ながら安直なネーミングだが、魔物が──コルが喜んでいるから良しとしよう。


「──行人くーん? お風呂入ったー?」

「あ、はーい! コル、ごめん。この部屋の中でじっとしてて! 絶対に、部屋から出ちゃだめだからね!」

「コル! ……コルゥ」


 元気よく返事をするコルのお腹から、きゅるると音が響く。


「しまった……食料のことを忘れてた」


 魔物だって生き物なので、当然食べるものが必要になる。でも、魔物の食べ物なんてわからないな……生肉とか?


「コル!」


 悩んでいると、コルが僕の机の引き出しに近づいていく。あの中には確か……。


「コル、これが欲しいの?」

「コル!」


 試験勉強中の当分補給として買っていた、ミルクキャンディーだ。こんなものでいいのか。いいと言っているのでいいのだろう。


「えっと、これは飴玉っていって、こうやって口の中で舐める物なんだよ」


 個包装の袋を破いて、乳白色の玉を口に入れて転がす。コルにも剥いてやると、それを長い舌で受け取ってみせる。ちょっと不気味に感じたのは内緒だ。


「コル~♪」


 どうやらお気に召したらしい。僕は残っている飴玉を全部剥いて、ティッシュの上に並べた。


「それを食べて待っててね」

「コル!」


 元気のいい返事をしながら、前足を上げるコル。

 その愛らしい仕草に、コルが魔物だと忘れそうになった。

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