第二話 冒険者ギルド

 ◇


 地元相模原にある冒険者管理組合──通称、ギルド──は、人でごった返していた。


「冒険者に新規登録したい方は、こちらにお並び下さーい!」

「相模原ダンジョンは、そちらの階段を下った先にあります! 押さないで、ゆっくりと入って下さい! ダンジョンは逃げません!」

「ステータス更新所、ただいま大変混雑しております! 先に着替え等済ませてください!」


 溢れんばかりの人波の上を、職員らしき人達の声が通り過ぎていく。


「すご……」


 呆気にとられて入り口で固まっていると、「邪魔だよ」と言われ慌てて隅に寄った。

 ぱっと見たところ、僕と同じ高校生が目立つ。夏休みを利用して冒険者になろうということなのだろう。


 そんな学生服の人達が集まる場所が──今日の僕の目的地だ。

 赤い矢印と共に冒険者新規登録受付と書かれた案内板の先に進み、角を曲がる。


「うわっ⁉」


 思わず僕は声を上げてしまった。蛇行する長蛇の列が目に入ったからだ。


「凄いな……みんな考えることは同じなんだ」


 ここ日本では、十五歳から冒険者になれる。しかし、義務教育は終えていないといけないので、多くの人は中学を卒業する三月か、高校に入学して最初の夏休みに冒険者登録するらしい。


「……あ、最後尾、ここです」

「あ、ありがとうございます」


 蛇の尻尾を探していると、「こちら最後尾」と書かれたプラカードを持った物静かな少女が声をかけてきてくれた。

 最後の人がこのプラカードを持つルールだと教わり、親切な少女からそれを受け取る。


 一分後に、僕の後ろに女子高生の集団がやってきた。同じように僕も案内板を引き継ぐ。


「……」


 さっそく手持ち無沙汰になってしまった。

 列の進みは遅い。細長い通路に人が詰め込まれているせいか、冷房の恩恵をあまり感じない。鞄を漁って、駅で買った麦茶を口に含んだ。


 そうだ、美紀子さんに連絡を入れなくちゃ。

 居候先の夫人の顔を思いだした僕は、スマホのメッセージアプリを開く。


『想像以上に混んでます。もしかしたら夕飯の時間に遅れるかもしれません』


 買い出し材料の連絡が主な簡素な会話の履歴が残るアプリに、また新しく質素な連絡を残す。

 まもなくして美紀子さんから返信が来る。


『わかりました。室内とはいえ、水分補給はしっかりと取ってね』


 こちらの身を案じてくれているのが、文字越しにも伝わる。僕は麦茶を左手に持って、右手のスマホで撮影した。


『(画像添付)大丈夫です!』

『よろしい。晩御飯は美晴と行人くんが好きな生姜焼きです』


 やった。美紀子さんの生姜焼きは、ちょっと甘じょっぱくて美味しい。


『楽しみにしてます』


 こうして、文字での会話が終わる。前田家に引き取られて四か月ほど経つけど、いまだにあの家の人達とどんな距離で接すればいいのかわからない。コミュニケーション能力不足をこういう時に実感する。


「ねー。冒険者でお金入ったら何買う?」


 考え事にふけていると、突如後ろから声が聞こえて、僕はびくりと肩を震わせた。

 肩越しに視線を送ると、先ほどの女子高生四人組だった。結構派手な格好をしている。僕の苦手なタイプの人種だ。


「っぱ新しいコスメかな」

「あーしはスイパラいきたーい」

「欲望に忠実かっ! までも、私もりょうくんとプール行きたいな」

「は~リア充うぜ~」

「あ、まゆたゃ動画更新してるよ」


 えーうそうそ、マジうける、顔天才──少女たちの会話はやがて僕のよく知らない世界のものに変わっていった。

 いいなあ、一緒に冒険者をやってくれる仲間がいて。


 鷲崎に目をつけられている僕は、クラスの他の人達から腫れもの扱いされている。当然学校で誰かと話すことはない。

 さらに言えば鷲崎が、「進藤行人は訳アリで親戚の家を転々としている」という話を広めたことによってより一層遠巻きに見られるようになってしまった。


 実際は三歳から中学卒業まで同じ家に住んでいて、高校入学前の春休みに前田家に引き取られたんだけど……そんな事情を説明する相手もいない。

 そんな訳で、僕は完全に独りぼっちだった。学校で会話するのは、精々同じ日直になった人か教師だけ。


 そんな僕に冒険者仲間ができるだろうか。いやできない。

 あまり推奨されないダンジョンのソロ攻略が、僕には課せられている。


 というか人と話さな過ぎて、誰が冒険者なのかも知らない。鷲崎も冒険者だけど、彼は論外だ。


 ──困ったときはお互い様、でしょ?

 ふと、我妻さんの笑顔が頭に浮かんだ。彼女ならきっと、僕が誘っても嫌な顔せずに頷いてくれるんじゃないだろうか。


 ……っていやいや、何を考えているんだ僕は。我妻さんと僕なんかが一緒に並べるわけないだろう。

 大体我妻さんはバスケ部のエースだし、冒険者やってる暇なんて──。


「──あ、進藤じゃん」

「うわぁ⁉」


 我妻さんのことを考えていたら、我妻さんに肩を叩かれた。場所もわきまえずに、驚きの声を上げてしまった。


「ちょ、びっくりしすぎ。進藤も冒険者になるために、ここに来たの?」


 我妻さんが微苦笑を浮かべる。蛇腹折りになっている列のため、僕より前にここに到着した我妻さんと隣り合うことになっているのか。


「え、あ、うん……「も」ってことは、我妻さんも……?」

「そそ──あ、そっちに行くね」

「え」


 何かを言う前に、我妻さんは列を抜け出して僕がいる尻尾付近に入ってしまった。


「いや、え、なん、え……?」

「いや、進藤と話すならこっちのほうがいいじゃん? 私の方に進藤を引き込むのはマナー違反だし」

「理屈はわかるけどさ……僕なんかと話しても、面白くないよ」

「面白いかどうかは、私が決めるよ。っていうか、一人でスマホ眺め続けるのも飽きてきたところだしね」


 我妻さんはそう言ってにかっと笑った。すごいな……これがよく聞く陽キャって奴なのか……。


「てか進藤、まっすぐ帰りなって言ったじゃん」

「あ、それは本当にごめん。でも、今日絶対に冒険者になりたかったんだ……その、思い立ったら吉日というか、一回日和ったら、夏休み終わるまで冒険者になれないような気がして……」

「ふーん、なるほどね~。まあその気持ちはわかるよ。今日はスリーポイント十本連続で決めるまで帰らない! みたいな感じだよね」

「……ごめん、それはよくわからない」


 スリーポイントって確か、遠くからゴールすると三点はいるってルールだったっけ。

 僕が戸惑っていると、我妻さんが目を丸くした。


「マジか。進藤って、バスケやったことないの?」

「バスケどころか、他のスポーツも殆どないね……体育で習った程度で、その時もまともに動けなかったし」

「それでよく冒険者になろうと思ったね」

「返す言葉もございません……」


 我妻さんの端的な感想が、胸の深いところに突き刺さった。


「ごめんごめん。何か新しいことを始めるのって、凄いいいことだと思うよ。私もそんな感じだしね……それにしても、進藤ってなんで相模原で冒険者登録すんの? 横浜でよかったんじゃない? 私はここが地元だからなんだけど」

「あ、僕も相模原住なんだよ」

「うそ、マジで⁉ 最寄りは?」

「麻生台だね」

「えー⁉ 私と一緒じゃん! 同中だったっけ?」

「いや……中学までは横浜だった」

「あっ……ごめん。そうだったね」


 我妻さんは気まずそうに自身の首筋を撫でた。

 ああ、やっぱりこの空気は苦手だ。触れてはいけない場所に触れてしまったような人の顔は、どうしても好きになれない。


「気にしないでよ……っていうか」


 話を変えるために、僕は気になっていたことを訊くことにした。


「我妻さん、麻生台から横北まで自転車で通ってるの……?」

「え、うん」


 彼女は当然とばかりに頷いた。何時間かかるんだろう……想像もできない。


「風を感じられてきもちいーよ。部活の朝練の時は、起きるのがきついけどね」

「そうなんだ……多分僕には理解できない世界だね……」

「そうかなぁ?」


 そうです。


「……あっ、そういえば我妻さん、今日はバスケ部は良いの? 終業式だから、休みだったり?」

「あー、うん、まあ……」


 我妻さんはそれまでの元気の良さを消して、歯に物が詰まったような態度を見せる。


「やめた」

「え?」

「バスケ部、やめた」

「え、ど、どどどどっど、どうして……⁉ 我妻さん、エースだったはずじゃ……」


 まともに会話をするのは今日が初めてなのに、何かとんでもないことを聞いてしまった気がする。

 慌てふためく僕に「ちょ、きょどりすぎ」と我妻さんは笑いかけてきた。


「七月の頭には辞めたから、もうみんな知ってるよ」

「あっ、そうなんだ……ごめん、今更無神経なこと聞いて」

「私もさっき進藤にそれやっちゃったから、これでチャラにしてね?」

「……うん、わかった」


 彼女の引きずらない性格が、今はとてもありがたくて、羨ましい。

 思わず目を細める僕の横で、我妻さんは話を続ける。


「六月ごろからかなぁ……私、部活で浮いちゃってさ。どんなに練習メニューの改善案出しても、試合前のミーティングで意見出しても、ムシ……されちゃって」


 ふるり、と我妻さんの体がわずかに震えた。それを抑えるように腕をさすりながら、彼女は続ける。


「今思うと、独りよがりなところもあったって反省してるんだけど、その時はもうなんか全部くだらなくなっちゃって、辞めちゃった」


 その思い切りの良さには、我妻さんらしさを感じた。

 どうやら大分吹っ切れているようで、彼女の表情は明るい──ように見える。

 先ほど体が震えたことを指摘する気にはなれなかった。


 けどそうか……なんとなく部活って入ったら辞められないイメージがあったけど、別にそんなことないんだ。


「それで、冒険者に?」

「まあ辞めて暇になったから、バイトしようかなーって思ってたんだ。で、冒険者なら運動しながらお金稼げるじゃん、って思って今日に至ります」

「なるほど……」

「まあでも、妥協はしないけどね。やるならとことんやるのが、私の信条だから」


 我妻さんの瞳に、激しい炎が宿った気がした。


「せっかくなら、私は冒険者の高みを目指したい」


 我妻さんは、前を見据えて言う。


「上級……ううん、『超級』を目指したい」

「超級って……」


 冒険者は、そのレベルによって初級、中級、上級に分けられる。

 しかし超級は、文字通りその枠組みを超えた冒険者にしか与えられない。

 100で打ち止めの筈のレベルを、それよりも上まで引き上げる──限界を超えた人たち。


 日本には十人しかいない、生きる伝説だ。


 凄いな……彼女はそんなにも先を見ているのか……。

 自分を変えたい、なんてふわふわした動機で冒険者になろうとしている自分が、少し恥ずかしくなる。


「……なれるよ、我妻さんなら。応援してる」


 だから、彼女のことを純粋に応援したいと思った。僕と浜は全く違う彼女には、目標を達成してほしいと素直に思った。


「ありがとう……笑わないなんて、進藤っていいやつだね」


 我妻さんは嬉しそうに顔を綻ばせた。

 照れくさくなって、僕は慌てて話題を変える。


「……それにしても、運動するの好きなんだ」


 自転車で相模原から横浜に行くぐらいだし。


「まあね。好きじゃなかったら三歳の頃からバスケ続けてないよ」

「三歳の頃から……⁉」


 やっぱり僕と我妻さんの住む世界は違う……。

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