第一話 いじめられっ子、冒険者になる

 進藤しんどう行人ゆきと。県立横浜北高校に通う一年生。十五歳。運動経験無し。

 幼少期に両親を亡くし、今は親戚の家に預けられている。

 それが僕の現在のステータスだ。どこにでもいる──いや、ちょっとだけ普通より不幸な、ただの人間。


「なぁ進藤。ちょっと金を貸してくれるだけでいいんだよ。いつか返すからさぁ。今日から夏休みだろ? 遊び倒したいって気持ち、同じ高校生のお前ならわかるよな?」


 そんな僕は今、人気のない路地裏でカツアゲされている。


「む、無理だよ鷲崎……もう僕はお金を持ってない。それに、今まで貸したお金も、返してくれてないじゃないか」

「あぁん?」

「ひっ⁉」


 なんとか反論したが、ぎょろりとした三白眼に睨まれて僕は震え上がった。

 目の前の不良男子──鷲崎傑とは同級生だ。悲しいことに、中学から一緒。受験するときにもっとちゃんと調べておけばよかった、と遅すぎる後悔に苛まれる。


「別にお前が金を持ってなくてもよ……お前の寄生先なら金があんだろ? なあ、優しい優しい前田さんなら、少しばかり盗んでも許してくれるんじゃないか?」

「そ、そんな酷いこと、できないよ……!」

「あれもできないこれもできないうるせえなあ!」

「がはっ⁉」


 苛立ち交じりの声と共に、腹部を強く殴られた。痛みに蹲ると、チカチカした視界の中でアスファルトの粒子が僕を見ていた。


「あー、すげえイライラしてきた。これってお前が悪いよな。お前が言うことを聞かないんだもんな? なあ、だったらお前でストレス発散しても──いいよなぁ⁉」

「うぐっ!」

「なあ、痛いか? 痛いよなぁ! やめてほしかったらなんて言うんだぁ?」

「うっ、うぐぅ……!」


 頭を何度も蹴りつけられる。衝撃が脳天を突き抜けて、全身に大きなダメージを与えてくる。

 謝ればいいだけだ。盗んでくると言えばいいだけだ。そうすれば、この暴力の雨から解放される。


 痛みに耐えるのは馬鹿らしい。苦しいならさっさと安全策を取ればいい。

 頭ではわかっているけど、心が否定していた。


 前までの家ならともかく、今の居候先である前田家の人々に迷惑はかけたくない。

 だから、鷲崎が飽きるまで、ここは耐える。耐えてみせる──!


「あー、埒が明かねえ」

「うっ……?」


 頭や肩や背中を蹴りつけていた鷲崎が、太い両腕で僕の襟ぐらを掴んで無理やり起き上がらせた。

 鍛えられた拳が引き絞られ、僕の顔面に向けて狙いを定める。


「……チッ、もう大分慣れてきやがったな、負け犬。だったら、歯の一本でも折ってやるよ──!」


 ──ああ、やられる。


 僕は僕の弱さが嫌いだ。僕の運のなさが嫌いだ。こんなに酷いことをされても抵抗の一つもできない自分が、心底嫌になる。

 自分の脆弱さを嘆きながら、僕は固く瞳を閉じた。


「なにしてんの、鷲崎!!」


 痛みに備えていた僕の耳に、雷鳴のような怒声が響いた。


「……我妻、さん……?」


 薄く目を開けると、路地裏に一人の女子高生が立っていた。

 亜麻色の髪をポニーテールにし、大きな瞳を怒りで釣り上げている。雪のように白い肌と、すれ違う人全てを魅了するかのような、花のような可憐さ持った同級生。

 クラスメートでバスケ部所属の我妻あづま愛稲あいなさんが、鷲崎を睨みつけていた。


「あ……? チッ、我妻か……!」

「あんた、冒険者でしょ⁉ 一般人にてぇだしたら、犯罪だよ?」

「喧嘩だ。女はすっこんでろ」

「ふぅん? 喧嘩ねえ……一方的に暴力をふるってるようにしか思えないけど?」

「……チッ! 進藤、お前、これで助かったと思うなよ?」

「あうっ!」


 急に手を離されて、僕は汚れたコンクリに尻で着地した。

 捨て台詞を残して、鷲崎は路地裏の向こうへと去っていった。


「さいってー……進藤、大丈夫⁉」


 心底軽蔑した瞳を彼の背中に向けていた我妻さんは、やがて僕の元へ駆け寄ってくる。


「だい、だいじょうぶ……ありがとう、我妻さん」

「ちょっと、頭から血が出てるじゃん⁉ 鷲崎、ほんとに最低だね」


 こんな僕を、本気で心配してくれているんだろう。

 我妻さんは鞄から刺繡の入ったハンカチを取り出して僕の額に当てようと──


「い、いやいやいや! 我妻さんの私物を汚すわけにはいかないよ! どっかのドラッグストアで包帯買うから!」

「そんな状態でなに言ってるの……ほら、動かないで」


 ぐっ、力が強い……! 一年生にしてバスケ部のエースとはいえ、まさか女子に力比べで負けるなんて……!


「──っと、はい。不格好なのは許してね」


 気が付くと、僕の頭には包帯がまかれていた。


「余ってたやつが役に立ってよかったよ。今日はさっさと帰って、鉄分とって寝な」

「ごめん、色々お世話になっちゃって……ハンカチを駄目にするだけじゃなく、手当まで……」

「困ったときはお互い様、でしょ? じゃあ私は行くから。進藤も、鷲崎に見つからないように、気を付けて帰りなよ」

「うん……あっ、待って!」

「うん? どうしたの?」


 自転車に跨ろうとしていた我妻さんは、呼び止めた僕へ視線を向ける。


「その……ありがとう。本当に、助かったよ」

「……いいってこと!」


 向日葵のような笑顔を浮かべ、我妻さんは自転車に乗って去っていった。

 路地裏に残されたのは、僕一人。


「はぁ……終業式の日に、散々な目に遭った」


 学校に行かなくてもいい──つまりは鷲崎に会わなくてもいい夏休みに心を躍らせていた矢先の出来事だった。

 僕はため息を吐きながらのろのろと立ち上がる。ワイシャツについた靴跡を叩いてから、鞄を肩に引っ掛けて我妻さんが去っていった方を見た。


「いい人だったなあ、我妻さん」


 高校で屈指の人気を誇るのも頷ける。明るくて可愛くて、スポーツが大の得意で、おまけにとても優しいなんて。勉強が苦手だって教室で叫んでいた覚えがあるけれど、その欠点も意味がないほどの魅力だ。


「……きっと、何かを諦めたことも、自分を嫌いになったこともないんだろうな」


 ぽつりと無意識にこぼした言葉は、恩人に対して投げてはいけない言葉だった。

 慌てて首を振った。血が出ていた場所が、罰のようにずきりと痛む。


 自分で自分が嫌になる。何も変えようとしないくせに、他人に不幸を押し付けようとする自分が。


「でも……それも今日までだ」


 僕は足を踏み出して、路地裏を抜けた。

 太陽の輝きが、瞳を焼いた。思わず手を傘にして立ち止まる。


 駅前の大通りは、同じ横北生や周辺住人で溢れていた。夏の日差しがじりじりと舗装された道路を焼き、熱気で包んでいる。


『──冒険者ギルドは、新しい冒険者をいつでもお待ちしております! あなたも、ダンジョンに潜って未知の可能性を探ってみませんか?』


 ──ふと、駅前の大ビジョンに流れる映像と音声に目を引かれた。

 モニターに映し出されるのは、この世界とつながるもう一つの世界の光景。


 薄暗いどこかの洞窟の中で、剣や槍を構え鎧に身を包んだ人々が、角や牙の生えた生物と攻防を繰り広げる様子。


「──冒険者かあ」

「夏休みだし、始めてみねえ?」

「バイト代わりにはちょうどいいかもな」

「一攫千金も夢じゃないしな」

「バーカ、そんなの初心者には無理だろ」


 モニターを眺めていた同じ横北の生徒が、談笑しながら駅へと向かっていった。

 立ち止まってしばらく映像を眺めていた僕は、同じ場面が流れ出したところでようやく動き出す。人波を縫うように足を進め、横浜駅の構内に向かう。


 ──変えたい。

 嫌いな自分を。弱い自分を。情けない自分を。

 幸せを待つのではなく、掴み取りに行けるような人間に、なりたい。

 ──だから。


 ──僕は今日、冒険者になる。


 ◇


 ダンジョン。

 新世紀と共に突如地球上に無数に現れた穴。その中には未知の世界が広がっていた。


 何年も消えない炎。飲み水が勝手に湧き出る器。空飛ぶ魔法の絨毯。痛みを感じなくなるペンダント。誰も見たことのない宝石。ダイヤモンドよりも固い鉱物。

 これらのダンジョン資源を確保せんと、各国は軍隊を送り込んだ。


 しかし、ことはそう上手く運ばなかった。


 武器を持った小鬼。二足歩行の豚。車よりも大きい狼。山のような巨人。天を駆ける怪鳥。魔法を使うゾンビ。灼熱を吐くドラゴン。

 穴の中に生息する生物は魔物と呼ばれ、調査に入った当時の軍人達を苦しめた。


 やがて人々は特殊な力──『スキル』を発見し、本格的なダンジョン攻略に乗り出す。

 スキルを使えば、戦車砲で傷つかなかったゴーレムも、銃で頭を撃ちぬいても再生するゾンビも、どう倒せばいいかわからない巨大スライムも、倒せるようになった。


 この時点で、ダンジョンは人々の管理できる存在へとなった。

 そうして、軍人だけではすべてのダンジョンを攻略できないと悟った各国の上層部は、民間の人々を雇用することを決断する。


 ──それこそが、冒険者。

 未知を探求し、困難に抗い、富も力も名声もすべて手に入れられる──人を超越した者たちの呼び名だ。

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