油断大敵1

穏やかな春の日差し。心地良さそうに枕に沈むレティシア。ここが冒険者ギルドの受付カウンターでなければなんと微笑ましい光景だろうか。


 このままではレティシアはただの給料泥棒だが、そうは言っても相手は命の恩人。その穏やかな眠りを妨げて良いものかとルイスがカウンターの前で悩んでいると、バックヤードからフィーナが現れる。


「こんにちはルイスさん、依頼ですか?」


「あぁ、これを頼む」


「ですってよ給料泥棒さん」


「ぬぁー痛い痛い痛い痛い!」


◆◇◆


 涙目で頬を膨らませ、ごにょごにょと文句を垂れながら耳をさするレティシア。満面の笑みのまま腕組みをしたフィーナが、その背後に立つ。


「さぁ給料泥棒さん。見ててあげるからしっかり仕事しなさい?」


「な、なんか悪いなレティシア」


「ルーイースーさん!」


 フィーナに睨まれ苦笑いするルイス。レティシアはルイスから手渡された依頼書を一瞥すると、無言でスタンプを押した。


【西の平原でスライム退治】 難易度★★

西の平原でスライム40匹を討伐し、魔石を納品すること。

依頼主 領主 期日 4の月 30日

報酬 2万ゴル 


「ありがとう、レティシア」


「……風下に気をつけたまえ」


 レティシアの手から依頼書を受け取るルイス。フィーナはジト目でその様子を見つめる。


「レティシア、最後の一言はどういう意味かしら」


「ふあぁ……なんだ、わからないのかね」


「俺もわからん、説明してくれ」


 レティシアは長い長い欠伸の後で口を開く。


「今日はまだ4月の中旬。この街の周辺に棲む狼達は今ちょうど子育ての時期で、獲物に飢え、凶暴になっている。奴らは基本的に夜行性だが、この時期なら例外も珍しくない。そんな奴らの風上から、傷ついたスライム獲物の匂いが流れてきたらどうなる」


 匂いに勘づいて風上に向かって走り出す飢えた狼の姿が、ルイスの脳裏にありありと浮かぶ。


「……なるほど、風下に気をつけなければならないわけだ」


 目を瞑ってそれを聞いていたフィーナが、突然満面の笑みで目を見開く。


「偉いわレティシア! あなたちゃんと勉強しているのね!」


「ゃああぁあ」


 レティシアを抱きしめ、わしゃわしゃと撫で回すフィーナ。


「やーめーたーまーえーっ!」


「けどそれはそれ! そんな態度で受付しちゃダメでしょ!」


 レティシアの肩を掴み瞳を覗き込むフィーナに、レティシアはむくれて顔を逸らす。


「もっと愛想よく丁寧に! 今みたいにカウンターが混んでない時は、ちょっとした世間話くらいできるようになりなさい!」


 ますますむくれるレティシアをルイスがなだめる。


「レティシア、フィーナさんはお前のことを思って言ってるんだよ。冒険者には気性の荒い連中も多い、迂闊な接し方をすれば無用なトラブルを招くことになる」


 目を閉じて明後日の方を向くレティシアに、フィーナが呆れて肩をすくめる。


 その時、ギルドの扉が開いて一人の男が入ってきた。ルイスと同じくらいの若い男だ。


「ちょうどいいわ、正しい受付のやり方を教えてあげる」


 そう言って笑顔で男の方へ向き直るフィーナに苦笑いするルイス。レティシアは頬杖をつき、偉そうにそれを眺め始めた。


◆◇◆


「いらっしゃいませ、本日はどういったご用件でしょうか」


「今日は依頼を頼みに来たんだ。配達の依頼さ。これを、ユドっていう街まで急ぎで」


 そう言って大きな包みをカウンターに乗せる男。男が首から下げる冒険者証がレティシアの瞳に映る。


(鉄級冒険者……)


 冒険者ギルドが発行する依頼には、国や教会、商工業ギルドなどの組織から受ける依頼と、民間から募る依頼の2種類がある。冒険者は普段は依頼を受ける側だが、今回のように民間人として依頼を発行することも珍しくない。


「ユド、というとゲルノーラ山の麓の?」


「そうそう、王国一の温泉郷さ! 家族に近況報告と、ちょっとした仕送りをしたくってな。本当は自分で行きたかったんだが、今ちょっと依頼が立て込んでて……」


「なるほど、荷物の中に割れ物などはありませんか?」


「割れ物はない……ただ、ユドに行くにはどうしても中央山脈を越えなきゃならない。危険な場所を通ることになるから、できれば腕利きに頼みたいんだが……その、予算がな」


 男が銀貨数枚をカウンターの上に乗せる。書類に必要事項を記入していたフィーナの手が止まる。


「うーん、この予算だと銀級以上の冒険者への依頼は難しいかもしれませんね」


「だよなぁ……うーんじゃあせめて、依頼を受けられる冒険者を獣族の人間に限定できないか? 屈強な獣族なら山脈越えをしやすいだろう」


 王国には、ただの人間以外にも様々な種族の人間が生活している。獣族は王国で暮らす種族の1つで、強靭な肉体と鋭敏な感覚、そして獣の耳を持っている。


「かしこまりました。では、獣族の方限定で依頼を発行しますね。……ちなみに、ご家族の皆様は何をされているんですか?」


「ユドの東のあたりで大麦を作ってる。ビールを作るのさ。温泉上がりに、ゲルノーラ山の噴煙を眺めながらの美味い飯と美味いビール! これがまた格別なんだ!」


「それは素敵ですね。……では、お荷物たしかにお預かりしました。お仕事頑張ってください」


「あぁ、ありがとさん」


 男はフィーナから荷物預り証を受け取るとギルドを後にした。受付嬢スマイルでそれを見届けたフィーナは、レティシアの方に得意げに向き直る。感心して声を上げるルイス。


「おぉ、あざとすぎず程よくフレンドリーで丁寧な対応! しかも世間話に織り交ぜて届け先の情報を聞き出したぞ!」


「どうかしらレティシアさん、ご感想は」


 レティシアはそっぽを向き、何故か偉そうに口を開く。


「ふん。気色悪い話し方はともかく、世間話で情報を聞き出したあたりは素直に褒めてやろう」

 

 情報が足りないことを直接指摘せず、ストレスフリーな世間話で届け先を確かめたフィーナの腕前は褒められるべきである。

 眉をピクつかせながらも満足気なフィーナ。


「きしょっ……! ま、まぁいいわ。そうでしょうそうでしょう。ユドの東側で大麦を作っている農家! 私の会話術がなければ、この依頼を受けた冒険者さんが聞き込み調査で届け先を探さなきゃだったんだから!」


「俺もこの手の依頼で届け先がわからず苦労したことがある。素直に見習うんだぞ、レティシア」


 そんなことを言う2人の方へ振り向き、眉をひそめるレティシア。



「……君たち、君たちはあの男の話をちゃんと聞いていたのかね?」



「え、ユドの東で大麦を作っている農家さんでしょ? あ、大麦じゃなくて小麦だったかしら」


「いや、ビールは普通大麦だろう。聞き間違いはしていないと思うぞ」


 そんな2人を見て、レティシアがため息混じりに口を開く。



「あの男、嘘をついているぞ」

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