至神転生―始まりの龍と堕ちた神―
五月 和月
至神転生―始まりの龍と堕ちた神―
少し高くなった丘の上から東を向けば、見渡す限りの大地が暗緑色に覆われている。ただ覆われているだけではなく、それらは蠢き、確実にこちらへと近付いていた。
「なんてことだ……」
「も、もう終わりだ……」
斥候として丘までやって来た二人の兵士が絶望を口にした。
その異変がクアルマス王国の国王、ジアルド=フォン・クアルマスに報告されたのは約2ヵ月前。
クアルマス王国は、歪な「C」の形をしたラムスノア大陸の北部中央に位置する。人族の国としては北部の最東端で、それより東は耕作に向かない硬い岩盤が果てしなく続く荒野の筈だった。
畑は作れないが、野生動物や魔物の類も少ないため、沿岸部を中心に漁業や畜産を営む小さな村がいくつも点在していた。そして、それらの産物は流通網に乗って商人達が運ぶ。
きっかけは商人だった。村が丸ごと「消えた」と騎士団に報告があった。村が全滅したのではなく消えたと言うのである。
あまりに突拍子もない話に最初は取り合わなかった騎士団だったが、そのうち同じような報告が立て続けに入った。そして遂に、見た事のない生き物が大量に発生し、西、つまりクアルマス王国方面に移動しているという目撃証言が商人からもたらされた。
調査のために最初に派遣された20人からなる小隊は戻って来なかった。そして、次に派遣された小隊から驚くべき報告がなされた。
暗緑色の肌をした人型の生物が大挙して王国方面へ移動している、と。
小隊は途中で数えるのを諦めたらしい。数えるのが馬鹿らしくなるくらい、大袈裟ではなく大地を埋め尽くす程だったと言うのだ。
クアルマス王国人なら誰もが知る通り、王国の東側に人族の国はない。果てしなく続く岩だらけの荒野しかないのだ。それほどの数の生物が、一体どこに潜んでいたのだろうか?
王国は大混乱に陥った。隣国とは概ね良好な関係を保っているし、まさか誰もいない東側から攻められるとは考えた事すらなかったからだ。主要な防衛施設は全て国の西側にある。東側に常駐している騎士団の人数は僅か500人ほど。最初に派遣した小隊が戻らない事から、その「生物」は王国に敵対するものと見て間違いないだろう。
戻って来た小隊の報告で、暗緑色の肌をした人型の生物は、二足歩行しているものの人族とは全く異なる事が分かった。
小型のものは人族の子供くらい。大型のものは2メートルを超えると思われる。腰に布を巻いて棍棒を持つものや、金属と思われる鎧を着けて剣や槍に似た武器を持つものまで様々であったと言う。
見た目の醜悪さから、王国ではそれらの呼称を「邪人」と決定した。
「このままでは、無防備な東側が全滅しますぞ!」
「かと言って、全戦力を東に向ける事は出来ますまい。西側に隙を見せる事になります」
「ホルムスの街に邪人が到達するまでどれくらいだ!?」
「恐らく1週間以内かと……」
「時間が無さ過ぎる!」
「仮に全戦力を差し向けたとして、勝算はあるのか? 大地を埋め尽くすともなれば、その数は数万ではきくまい」
「いや、我が国が誇る騎士団なれば、例え10万の敵でも蹴散らせるでしょう!」
騎士団の総数、およそ1万。邪人の戦力が未知数なのに、10万でも勝てるというのは楽観が過ぎるだろう。
「ベルキア王国に支援を要請する。必要なら他の国にもだ」
ベルキア王国はクアルマス王国の西隣の国である。
「陛下! それではベルキアに借りを作ることに――」
「民が大勢死ぬかも知れぬのだ! これは我が国の存亡の危機である!」
国王ジアルド=フォン・クアルマスの一言で軍務会議の場に一瞬の静けさが訪れる。
「西側の拠点には最低限の騎士を残し、残りは全軍ホルムスに向かわせるのだ」
「 「 「 「かしこまりました!」 」 」 」
「アルファ・ハイランドを呼べ」
「はっ!」
王都中心部に位置する騎士団本部。その団長室で、アルファ・ハイランドはホルムスに常駐する騎士団からの報告書に目を通していた。
(消えた村……代わりに突如出現した未知の生物……これはルミナスから聞かされた『神々の遊戯』の特徴と合致する)
赤みがかった茶色の髪は、軍人らしく短く刈り上げられている。青みを帯びた黒い瞳には憂いが浮かんでいた。
騎士団長に就任してから18年。これまで国と民を守り続けて来た。実年齢は48を迎えたが、どう見ても20代後半の容姿。身体能力も全盛期から衰えていない。アルファが若いままでいることは、クアルマス王国騎士団に纏わる七不思議の一つに数えられている。
ルミナス――妻から随分昔に聞かされた話。「神々の遊戯」とは、神が自ら作り出した生物同士を戦わせ、その優劣を競うというもの。
初めて聞いた時は「そんなまさか」という思いしかなかった。祈りを捧げ、我々を守り正しき道へとお導き下さる崇高な存在と信じていた神が、そのような
だが、他ならぬ神――そのような遊戯に耽る神々に異を唱え続けるも、変わらぬ天界に嫌気が差して自ら下界に堕ちた「堕神」であるルミナスから聞かされた話である。
「信じる信じないではなく、それが事実なのです」と淡々と語られれば、神という存在への認識も改めざるを得なかった。
ただし、それを他の者へと伝えるような事はしなかった。民衆がパニックになる怖れがあったし、「異端者」「神に対する冒涜」などと言われ縛り首になる可能性が高かったから。ルミナスの話は信じたが、アルファはその話を自分の胸の内に留めた。
そして現在。「神々の遊戯」と思われる現象が実際に起き、その脅威が守るべき者達へと迫っている。
(俺が最前線へ行くべきだ)
アルファが心に決めたのと同時に、団長室の扉をコンコンと叩くノックの音が聞こえた。
「失礼します!」
「入れ」
「陛下がお呼びです。至急登城されたし、との事です!」
「分かった。馬を回してくれ」
「はっ!」
国王の執務室には、ジアルド国王その人と、宰相のバストア・ギブリール、軍務大臣のカロル・ベリドアが待っていた。
「陛下、お待たせいたしました」
「良い。呼び立てたのは儂の方だ」
国王、宰相、軍務大臣の3人は、たった今入って来た男に注目する。
アルファ・ハイランド騎士団長。その体躯は、取り立てて大きな訳ではない。寧ろこの国の成人男性の平均くらい。しっかりと鍛えられているが筋肉隆々でもなく、どちらかと言えば細身だ。
妻と3人の子供をこよなく愛するこの男は、歴戦の兵というより理知的な教師のようである。
だが国王達は知っている。この男こそ、名実共にこの大陸で最強である事を。
この場にいるアルファ以外の3人は、この男が自分達の味方で心底良かったと考えている。味方であるだけではなく、国に対する忠義に厚く野心もない。その強さに反して本人は平和主義である。だからこそ騎士団長を任せられるのだ。
「アルファよ、また其方の力を借りねばならん」
「私に出来る事でしたら何なりとお申し付けください」
「うむ。東から我が国に向かう『邪人』の討伐を任せたい」
「敵である事は間違いないと?」
「既に辺境の村々が被害を受け、偵察に赴いた小隊の行方も知れん。まして言葉が通じるかも分からぬ相手である」
「甚大な被害が出る前に手を打つべきなのだ!」
国王に続いて宰相と軍務大臣も声を上げる。
「かしこまりました。
「うむ、頼んだぞ」
「御意」
その日の午後遅く。王都から東に300キロ離れた都市、ホルムスにアルファの姿があった。ルミナスと出会って獲得した全魔法属性のうち、無属性の「転移」で移動したのだ。
事前に訪れた事がある場所なら一瞬で移動可能な「転移魔法」。アルファは王国内全ての騎士団が駐在する場所にいつでも転移出来る。
「アルファ団長!」
「団長が来てくれたぞー!」
「ありがとうございます、団長!」
「もうこれで安心だ!」
僅か500人で途方もない数の邪人を迎え撃たねばならない、と悲壮感が漂っていたホルムス騎士団支部は、アルファの到着で俄かに士気が上がった。
「敵はどこまで来ている?」
「はっ! ここからおよそ20キロ先であります!」
「そうか。馬を回してくれ」
「す、すぐに向かわれるのですか?」
「ああ」
20キロと言えば、歩兵の行軍速度なら3~4時間で到達する距離。王都では、邪人がホルムスに到達するまでまだ1週間あると考えていたが、その想定は間違っていたようだ。
(すぐに来て良かった)
騎士団が用意した馬を駆って、アルファは東へと向かった。
約1時間後。今にも倒れそうな馬を労いながら、アルファは眼前の小高い丘を見上げる。そこには、隠れるように地面に寝そべって丘の向こうを偵察する2人の兵士がいた。
「なんてことだ……」
「も、もう終わりだ……」
そんな絶望的な言葉を呟く兵士達に向かって、アルファが声を掛ける。
「そんなことはないぞ?」
突然の声に、2人の兵は文字通り飛び上がった。
「 「だ、団長!?」 」
「ご苦労だったな。ここはもういいから、馬を連れて出来るだけ遠くに後退してくれ」
アルファの顔を見た途端、大の大人である2人の兵士は半ベソ顔になった。それは、騎士団長に対する絶対的信頼から来る安堵の顔だった。
「 「りょ、了解です!」 」
丘から東の様子を確認する。まだ距離は500メートル以上離れているが、強化された視力を持つアルファには邪人の子細な部分まで良く見えた。
(黒ずんだ緑色の肌、猿と犬を混ぜたような顔、黄色い眼球。額や頭頂部から生えているのは角か?)
「ギョッ、ギョウ」
「グゴゥワァ」
風に乗って聞こえてくる耳障りな音は、邪人の声だろうか。獣のような眼光、耳近くまで裂けた口から覗く牙、そこから垂れる涎。なるほど、確かに人族とは全く異なるし、話が通じる相手にも見えない。
(さて。相手の力が分からないから、最初から全力で行くか。なるべく広範囲かつ強力な攻撃なら……)
丘の上で立ち上がったアルファは、意識を集中し魔力を練り上げる。
「――
それまで晴れ渡っていた空が急激に暗くなる。頭上を真っ黒な分厚い雲が覆い、その中で幾筋かの稲妻が光った。
そして次の瞬間、視界が眩しい白で埋め尽くされる。黒雲から、数千本の雷の柱が地上に放たれたのだ。
鼓膜が破れそうになる程の轟音。金属が焼けるような臭い。それに続き、肉が焦げるような臭いが漂って来る。
幅1キロ、奥行き2キロの見える範囲は、全て「死の雷」によって蹂躙されていた。
「ふぅ。さて、討ち漏らしを倒していくか」
風魔法「
見渡す限り黒焦げの死体が折り重なっているが、中には仲間を盾にして生き延びた邪人もいた。見つけ次第、魔法や槍の攻撃で殲滅する。
アルファが放った最初の一撃、最強の魔法である雷魔法の「
こうしてクアルマス王国の危機はたった一人の男の力で回避されたのだった。
◆◆◆◆◆
生まれてから20歳になるまで、アルファ・ハイランドはベルキア王国との境にある広大な森に近い小さな村に住んでいた。
アルファが6歳のとき、最初の奇跡が起こった。
村の北側には、森から流れる澄んだ小川がある。小川には川魚が泳ぎ、水は農耕や生活用水として使われていた。
川の近くには自然にできた花畑があった。あちこちから飛んで来た花の種が、豊かな土壌と綺麗な水のおかげで色とりどりの花を咲かせたのだろう。
男の子のアルファだが、彼はこの花畑が大好きだった。暇さえあれば花畑を訪れ、元気がない花を別の場所に植え替えたり、害虫がいれば駆除したり、日照りが続けば川から水を運んで撒いたりした。
ある時、村の年上の男の子達が悪戯で花畑を踏み荒らした。親に怒られた腹いせだったらしい。アルファは荒らされた花畑を見て泣いた。泣きながら花を植え替え、水やりをし、折れた茎に添え木をした。しかし、3分の1ほどの花は枯れてしまい、その様子にアルファはまた涙した。
地面に膝をついて泣くアルファだったが、そのうち花畑の上を淡い光を放つ何かが飛び回っているのに気付く。黄色い光の粒子が花畑に降りかかり、枯れたり折れたりした花は、ゆっくりと元の姿に戻って行った。
「うわぁ……」
元の美しさを取り戻した花畑に、アルファが感嘆の声を上げる。涙を袖でぐいっと拭い立ち上がると、光を放つ何かがフヨフヨと近付いて来た。目を凝らすと、光は小さな人の形をしている。
「アナタには、アタシが見えてるの?」
「ひぇっ」
光に話し掛けられ、変な声が出るアルファ。
「見えるだけじゃなくて声も聞こえるのね」
「え? えっと、見えてないし聞こえてない」
「絶対見えてるでしょ!?」
誤魔化そうとしたがダメだった。
「アナタが、ずっとあの子達の面倒を見てくれてたの、アタシ見てたわ」
「あの子達?」
「やっぱり聞こえてるじゃない……あのお花のことよ」
「えっと、き、君は……?」
「アタシはウルシアナ。精霊よ。特別にウルシアって呼んでも良いわ」
ほぼそのままじゃないか、と思ったが黙っておく。
「あ、僕はアルファ」
「そ。よろしくね、アルファ」
ウルシアナはこの花畑に宿った精霊であると教えてもらった。手の平に乗るくらい小さく、光っているので細部までは見えないがどうやら女の子の姿をしているようだ。そして、小さいくせにちょっと生意気な感じだった。
精霊は信頼を得なければその姿を見る事が出来ない。物心ついた時から花畑の世話をしていたアルファは、知らないうちにウルシアナから気に入られたのだ。
「アナタに精霊の加護をあげる」
「加護!?」
「怪我したり病気にかかった時――」
一瞬で治るとか!?
「治るのがちょびっとだけ早くなるわ」
微妙だった。精霊ウルシアナは精霊としてはまだ生まれて間もなく、それほど力を持っていないのである。
(でも、無いよりはマシかな……)
「ありがたく思いなさい!」
「う、うん。ありがとう」
これがアルファとウルシアナの出会い。この先
◆◆◆◆◆
二つ目の奇跡は、アルファが17歳の時に起きた。この頃、アルファは近くの森に獲物を狩りに行く狩人の役目を担っていた。4年前に病で父を亡くし、残された家族は母だけ。その母も体調を崩しがちで、母や村人のために薬草を摂るのもアルファの仕事だった。
「アルファ、向こうに薬草が生えてるわ!」
「ありがとう、ウルシア」
6歳の時からずっと一緒にいる精霊は、他の村人には見えなかった。幼い頃は見えない何かと話すちょっと頭のネジが飛んだ子だと思われていたが、成長するにつれ、人前ではウルシアナと話すのを控えるようになった。
その代わり、森で二人きりの時は誰にも遠慮せず話す。もう11年も一緒にいるのだ。家族のようなものである。11年経ってもウルシアナは相変わらず手のひらサイズ。一方のアルファは180cmを超える身長に育ったが、優しい気性はそのままだった。
「む。アルファ、止まりなさい!」
「どうした?」
「……何かしら? 不思議な気配がする」
「魔物か?」
「違う。今まで会った事ない」
ウルシアナにとって、この森は慣れ親しんだ自分の庭のようなもの。こんな事を言うのは初めてだった。
「引き返すか?」
「いえ、ちょっと様子を見ましょう。警戒してね」
「分かった」
慎重にゆっくりと、なるべく音を立てないように進む。
(あの大きな樹の向こう側よ)
20メートル程先に直径5メートルはありそうな大木がある。その向こう側に、何やら動く気配があった。
(なんだあれは!? 蛇か?)
一部しか見えないが、筒状の何かが動いていた。この辺りにいる蛇にしては大き過ぎるし、色が綺麗過ぎる。その生き物が動くたび、透き通った青い鱗がキラキラと陽の光を反射している。
(大きく回り込んでみよう)
左側の木と下草が密集している方に中腰になって移動した。草の隙間から向こうを覗くと、その生き物の顔が見えた。
蛇のような平べったい形ではない。口の部分は蜥蜴のように長く、その後ろに羽毛の無い猛禽類のような顔。頭頂部には後ろ向きに枝分かれした長い角がある。そこから背中の方に馬のたてがみのような真っ白な毛が生えていた。
(なんなんだ、この生き物は……?)
よく見ると手と足がある。背中には折り畳んだ羽も見える。全長はどれくらいだろう……10メートルくらい? 真っ直ぐじゃないからよく分からないな……
未知の美しい生き物をもっと観察しようと僅かに身を乗り出した時、視線を感じた。ふと顔を上げると、鱗と同じ透き通った青い瞳と目が合った。
「っ!?」
こちらが観察しているつもりが、どうやら観察されていたらしい。顔の横にいるウルシアナを目だけ動かして見てみると、いつも口うるさい彼女がビタッと硬直している。
(ウルシア? どうしたウルシア?)
アルファの狩人の部分は「この場から全力で逃げろ」と告げている。しかし、アルファの別の部分――根源的な何かがこの場に留まらせた。或いはその生き物が放つ神聖な雰囲気がそうさせたのかも知れない。
とにかくアルファは逃げなかった。すると、その生き物がゆっくりとこちらに近付き、鎌首を持ち上げるように目の前に立ちはだかった。
『あなたは、この世界で標準的な生き物ですか?』
突然頭の中に声がする。それは柔らかくて優しげな女性の声だった。
「標準的? ……た、たぶんそうです」
標準とはいったい……と一瞬迷ったが、自分は標準から大きく外れている訳ではないと思うし、異常でもないと思ったので、とりあえず肯定した。
『ではあなたの姿を参考にさせていただきます』
えっと、俺を参考にして何をするのだろう?
疑問に思ったのも束の間、アルファは自分の内側から何かを吸い出されるような感覚に陥った。そして、直視出来ない程の眩い光が放たれる。熱くないし痛くもない。不思議と危険だと感じなかった。ただ、目を固く瞑り、手を翳して光が収まるのを待った。
1分ほど経っただろうか。ようやく光が収たったので目を開く。先程の生き物がいた場所には、アルファと同い年くらいの少女が一糸纏わぬ姿で立っていた。
「わっ!? ご、ごめんなさい!」
アルファは慌てて後ろを向く。何が起こったかさっぱり分からないが、女性の裸をまじまじと見てはいけないだろう。少なくともアルファの常識ではそうだ。
(俺の上着を貸すべきだろうか? いや、知らない男の上着なんて着たくないかも……)
「ハッ!」
固まっていたウルシアナが正気を取り戻した。
「え? えぇーっ!? と、とりあえず、えい!」
後ろでシュルシュル、カサカサと音がする。ウルシアナが何かしたようだがアルファには見えない。後ろを振り返りたいが理性を総動員して我慢する。
「アルファ、もう大丈夫よ。植物で体を覆ったから」
「そ、そうなのか?」
「ええ」
アルファはゆっくりと振り返った。ウルシアナが言うように、植物の葉や蔓が少女の体を袖なしのワンピースのように覆っている。
少女は自分の体を初めて見たとでも言うように、右手と左手を交互に顔の前に持ってきてじっくり観察している。
(ウルシア、もしかしてだけど、さっきの大きな生き物がこの子になったのか?)
(ええ、そうよ。姿は変わっても気配が同じだわ)
(彼女? は一体何なんだ?)
(アタシも実際会うのは初めてなんだけど……)
(うん)
(たぶん……神様だと思う)
「はぁーっ!?」
こそこそと話をしていたのに、思わず大きな声を出してしまい慌てて口を押さえる。その声に、少女が思い出したかのようにアルファとウルシアナを見た。
腰まで伸びた髪は雪のように白い。肌も、アルファが今まで見た事のあるどの女性より遥かに白かった。瞳は透き通るような青。ピンク色の唇だけが生を感じさせる。
見た目は冷たく厳かな感じなのに少女が放つ空気は春先の日なたのようで、傍にいるだけで心が温まるようだ。
ウルシアナは「神様」と言ったが、本当に女神のように思える。
「精霊さん、服をありがとう」
「ひぇっ! いえ、とんでもないでしゅ、です!」
突然話し掛けられたウルシアナは噛んだ。
「そしてあなたはこの精霊さんの加護を受けてるのね」
「は、はい」
「お名前を聞いても?」
「お……私はアルファ・ハイランド、この精霊はウルシアナと言います」
「アルファとウルシアナね。私はルミナスです」
ルミナスと名乗った少女がにっこりと微笑む。心が溶かされるような笑みだった。
「あの、お聞きしてもよろしいですか?」
「ええ。何でしょう?」
「先ほどの大きな生き物はルミナスさ……様だったのですか?」
ルミナスは唇に人差し指を当て、少し考えてから教えてくれる。
「アルファ、それにウルシアナも。誰にも話さないと約束してくれますか?」
「はい」「約束します」
ルミナスの瞳は全てを見透かすかのようだ。とても嘘などつけない。二人に一つ頷いてから話し始める。
「先程の生き物――あれは『龍』という生き物なのですが、あれが私本来の姿です」
ルミナスは「龍神」という神の一柱であった。
「神様が、なぜ私達の世界に?」
「他の神々の考えについて行けなくなったからです」
数万年前から、多くの神々の間で「ある遊戯」が行われるようになった。それは、神自らが生み出した生物同士を争わせ、どの生物が優れているかを競うゲームであった。
ルミナス曰く、神という存在は不老不死であるが故に感情が非常に希薄である。また、神には一般的な意味での善悪の区別がない。神が成すべき事は世界を作る事であり、一度作った世界に干渉しない。その世界が繁栄しようが滅びようが、神にとってはどちらでも構わない事である。
新たな世界を作り、その世界がどうなっていくかを淡々と観察する。それが過去、現在、そして未来永劫に渡って続く神の
そんな中、ある神がふと思った。他の神はどんな世界を作っているのだろう? そこにはどんな生き物がいるのだろう?
始めは世界の交流だった。世界と世界のごく一部分だけをほんの僅かな時間だけ繋ぎ、それぞれの世界がどのような反応を示すか観察した。それは神にとって刺激的な試みであった。
そして、やがて生き物を行き来させるようになる。異なる世界の生き物が出会うと、必ずと言って良い程争いが起きた。争いの結果、世界が思いもよらない進歩を遂げる事もあった。それは神に更なる刺激を与えた。
「やがて生み出した生き物同士を争わせ、どちらが優れているか競うようになったのです」
「それが『神々の遊戯』?」
「そうです。私は止めさせたいと思っていたのですが、神々は聞く耳を持ちませんでした」
「しかし……今のお話では、ルミナス様がこの世界にいらっしゃった理由にはならない気がしますが……」
アルファの言葉に、ウルシアナもこくこくと頷く。二人の様子を見たルミナスが「ふむ」と話を続けた。
「まあ、言ってしまえば……腹いせですね。言う事を聞かない神々への」
「は、腹いせ!?」
神は不老不死故に感情が希薄――そう言ったのはルミナス自身である。だが、ルミナスが地上に来た理由はとても感情的だ。まるで親に反抗して家出した思春期の少女である。
「さて、アルファにウルシアナ。私はこの世界に来たばかりで何も分かりません」
「はい」
「ついては、その、私の、め、面倒を見てもらえませんか……?」
「あ、はい……えっ!?」
「その代わりと言っては何ですが、アルファには『龍神の加護』を授け、ウルシアナを『上位精霊』に進化して差し上げますが……いかがでしょう?」
ルミナスが、上目遣いで潤んだ瞳を差し向ける。
(俺の姿を参考に、って言ってたけど、俺の要素ゼロだよな……)
キラキラした超絶美少女の上目遣いに、アルファはもちろんウルシアナも抵抗出来なかった。
「あの、私の住んでる村は貧しくて、きっとルミナス様にご満足いただけるようなおもてなしは出来ないと思うんですが」
「あ、そういうのは大丈夫です。私がいれば村も豊かになるでしょうし。あと、普通に喋ってもらって構いませんよ?」
「それなら、俺達で良ければお世話させていただきます」
ウルシアナもこくこくと頷いているが、途中で「ハッ!」とした顔になり、遠慮がちに疑問を口にした。
「あのぅ、『上位精霊』になると具体的にどうなるんでしょう……?」
「他の精霊から力を借りたり、逆に与えたり……他にも、『精霊の加護』の力が強くなったり、あと自由に『転生』したり出来ますね」
「ほぇー」
「あ、俺も聞いていいですか? 『龍神の加護』というのは?」
「ああ、それは私が地上で使える力の一部が使えるようになる加護です」
「力の一部、とは?」
「この世界では『魔法』と呼ばれるものですね」
「魔法!? 俺が魔法を使えるようになるんですか!?」
「はい。加護が更に強まると『寵愛』に変化します。そうなると私の力をそのまま使えるようになりますよ。お得ですね!」
お得、なのか……? よく分からないが、アルファはそういうものだと思う事にした。
「で、では、村に案内します」
「これからよろしくお願いしますね、アルファ、ウルシアナ!」
「 「こちらこそよろしくお願いします」 」
アルファがルミナスを連れて帰ると、村は大騒ぎになった。
「誰だあの美人は!?」「アルファが森からどえらい美人を連れて来た!」「どこの貴族令嬢だ!?」「うちに嫁に来てくれ!」
病弱だったアルファの母は腰を抜かして驚いた。ルミナスが一つ屋根で暮らし始めると母はみるみる元気になった。
そして、アルファは強力な魔法を会得し、同時に槍で無類の強さを誇るようになった。
アルファの評判はクアルマス王国の王都に届き、騎士団からスカウトされる。アルファは村を守る兵士を常駐させる条件と引き換えに騎士団へ入団した。その頃には、周辺の村から人が集まり、アルファの村は町と言える規模にまで栄えていた。野生動物や魔物、盗賊から一人で町を守っていたアルファだったが、十数名の兵士が常駐する事になった為、安心して後を任せた。
20歳になったアルファは、母とルミナス、そしてウルシアナと共に王都へと向かった。2ヵ月後、騎士団に入団すると同時に、アルファはルミナスと結婚したのだった。
◆◆◆◆◆
「騎士団長アルファ・ハイランド。この度の邪人討伐、誠に大儀であった」
「勿体ないお言葉でございます」
国王ジアルド=フォン・クアルマスの執務室で、アルファは国王の前に跪いて頭を下げていた。国王の後ろにはバストア・ギブリール宰相とカロル・ベリドア軍務大臣も控えている。
クアルマス王国の東に広がる荒野で邪人を殲滅してから2日が経っていた。
結局、アルファが一人で殲滅してしまったため邪人の脅威度は分からないままだった。だが騎士団員の総数は約1万、対して邪人は10万を軽く超えていたと言う。邪人個々の脅威が低かったとしても、数は暴力である。甚大な被害が出た可能性は高かった。
(またしてもこの男に救われたか)
ジアルド国王はアルファを複雑な思いで見つめる。この男が万夫不当、天下無双の強さを誇ることは疑いようがない。そして絶対の信頼が置けることも事実である。
だが、アルファとて人の子。若々しく見えるがいつか必ず衰える。守護者を失った時を考えると不安を拭えない。それほどまでにこの国はアルファに依存しているのだ。
アルファが衰える前に、もっと軍備を強化しなければ。ジアルド国王は決意を新たにした。
「アルファよ、顔を上げてくれ」
「はっ」
「して、あの邪人どもは一体何だったのだ? 其方の考えを聞かせてくれ」
アルファは迷いを顔に出さないようにした。ルミナスから聞かされた「神々の遊戯」、その話はあまりにも荒唐無稽。それが真実だとしても、邪人が「異世界から来た生物」という話は俄かには信じられないだろう。
「恐らく……我々の知らない所から来たのではないかと」
「それは未知の島、或いは大陸ということか?」
アルファは曖昧に頷いた。
「そうだとしたら、この先も邪人が襲来する可能性はある、と言う事だな」
「ならば東側の防衛強化を早急に検討するべきですな」
「兵力の増員と武器の強化も急ぐべきでしょう」
国王と宰相、軍務大臣が話を始める。「神々の遊戯」は、ルミナスによれば恐らく今後数百年は起きない。だとしても国を守る準備を今からやっても無駄にはならないだろう。次にこの国の近くで「神々の遊戯」が起こった時、俺は間違いなくこの世にいないだろうから。
「おお、すまんなアルファ。今日は帰ってゆっくり休むといい」
「お心遣い、感謝します」
国王への報告を済ませたアルファは、その足で騎士団本部へと向かう。いくつかの報告を受け、副団長に仕事の引継ぎを行った。今回の邪人討伐では少し力を使い過ぎた。休養が必要である。
(俺も年を取ったな)
最強の魔法である「雷魔法」は、威力の凄まじさと引き換えに魔力の消費が著しい。2日経ってもまだ回復したとは言い難いほどである。
「そうだな、一週間休みを貰う事にする。自宅にいない時は別荘にいるから、緊急時には連絡をくれ」
「了解しました!」
副団長に仕事を任せ、アルファは自宅に向かった。こんなに早い時間に帰ったらルミナスは驚くかも知れない。いや、ルミナスの事だから心配するかもな。
あの故郷の村に近い森で出会ってから31年。伴侶となって28年経つ。3人の子供も授かった。上は24歳の男の子で、結婚し、先日孫も誕生した。下は20歳になった双子の女の子。二人とも結婚し、家を出ている。
アルファの孫が生まれた時、一番大騒ぎだったのはウルシアナだ。相変わらず小さい女の子の姿だが、上位精霊へと進化し、アルファの子供と孫に「精霊の加護」を授けまくっている。だいたい家にいるが、自由な精霊らしく気分次第で子供達の家に遊びに行ったりしている。
ルミナスは、今も出会った頃とほとんど変わらない姿をしている。不老不死だから老いないのだが、それでは不自然なので少しだけ年を取ったように装っていて、神なのにそんな事を気にするのが人間っぽくて愛おしい。
アルファが若々しい姿を保っているのは「龍神の寵愛」を授かったからだ。見た目が若いだけではなく身体能力も全盛期のままである。そんなアルファが消耗し、休養を必要とするほど「雷魔法」の使用は過酷なのだ。
騎士団本部から徒歩10分。貴族街の端にある、小さな庭園が美しい二階建ての真っ白な家。それがアルファ達の住む家である。長年使われて飴色に変色し、美しい木目が際立つどっしりとした木の扉を開けて家の中に声を掛ける。
「ただいまー」
「あら、アルファ? おかえりなさい!」
家の奥からルミナスが返事した。
「アルファ、こんな時間に珍しいわね!」
ウルシアナが淡い光を放ちながらフヨフヨと漂って来る。
騎士団に入団する時、一緒に王都に来た母は6年前に他界している。ルミナスとウルシアナは延命させようとしたが、母自身が「老いて死ぬのは自然の摂理よ」と言ってそれを断った。
そして、子供達も独立して行った。狭く感じていた家が急に広くなった。
寂しくないとは言えない。しかし、親は先に亡くなるものだし、子供は成長する。母が言った通り、それが自然の摂理だ。
今は、ルミナスとウルシアナ、3人の時間を楽しめと言う事だろう。
その日の夜。食事の後、アルファは「神々の遊戯」と思われる邪人の襲来について二人に話した。それから休みを取った事を告げ、久しぶりに別荘に行こうと提案する。
「いいわね! アタシあそこ好きよ。自然が多いから!」
「たまにはゆっくりするのもいいと思います。あなたは働き過ぎですから」
二人の同意が得られたので、次の日から別荘に行く事に決めたのだった。
王都の南、馬車で約3時間の所に、美しい湖と森に囲まれた場所がある。アルファの別荘はそこにあった。別荘と言っても太い木を組み合わせたログハウスのような建物だ。
馬車なら3時間かかるが、「転移魔法」を使えるので移動は一瞬だ。ルミナスも自分で転移できるし、上位精霊のウルシアナはアルファやルミナスの体に同化して一緒に転移できる。
「ふわー! 天気もいいし、最高ね!」
どこまでも澄んだ青空、優しい風が湖面にさざ波を立て、森からは新緑のかぐわしい匂いが漂って来る。
ウルシアナがあちこちをフヨフヨと飛び回っている間、アルファとルミナスは別荘の掃除に取り掛かった。
――数時間後。
王都から持って来た食材で夕食を終え、ポーチに2つ並べた椅子に座り、満天の星空を眺めながら酒を嗜む。
アルファの隣にはルミナスが座り、2人の肩をウルシアナが行ったり来たりしている。ウルシアナの手にも小さなカップが握られていた。幼い子が人形遊びで使うカップだが、それでもウルシアナには大きくて両手で包み込むように持っていた。
アルファとルミナスはワイン。ウルシアナは蜂蜜酒だ。
ウルシアナと出会って42年、ルミナスとは31年。精霊や神にとっては一瞬とも言える時間かも知れないが、アルファにとっては長い時間だ。出会った時は、まさかこんなに長い時を共に過ごすとは夢にも思っていなかった。
2人と出会ってから俺の人生は大きく変わった。強くなり、大切なものを守る力を得た。可愛い子供達も授かったし、孫の顔まで見ることが出来た。この幸せは2人のおかげだ。
きっと2人は俺が死ぬまで傍にいてくれるだろう。
故郷の村を思い出させるこの別荘にいると、体の芯から寛げる。ゆったりとした時間は、まるで王都とは時間の流れそのものが違うかのようだ。
酒を飲み干した3人は屋内に戻り、そのまま眠りについた。
別荘に来た3日目の昼前。馬の蹄の音が近付いて来るのが聞こえた。
「むっ?」
「騎士団の誰かのようですね」
別荘までわざわざ来るという事は、騎士団長の判断を仰ぐ事態が起きたという事だ。
「だ、団長―! お休みの所失礼します!」
制服姿の若い騎士団員が伝令としてやって来たのだった。アルファは別荘の外で騎士団員を迎えて話を聞く。ルミナスは気を利かせて中で待った。
「すまん。王都に戻らなくてはならないようだ。君はここに残るかい?」
「いいえ、私も帰ります」
(もちろんアタシも)
慌ただしく帰り支度を整え、ルミナスとウルシアナは王都の自宅に、アルファは直接騎士団本部へと転移した。
「団長、お休みの所申し訳ありません」
副団長がアルファを出迎える。
「構わない。何が起こった?」
「ルザイア支部から報告があり、緊急事態と判断しました」
ルザイアの街はクアルマス王国西端にあり、西隣のベルキア王国国境に近い。国境警備の要所である。
近いと言っても国境までは10キロ近くあるし、1本の街道を除けば広大な森林と山岳地帯が広がっている。また、国境から最寄りのベルキア王国側の街までも、同じく10キロ近く離れている。
それだけ離れているにも関わらず、ベルキア王国から相当な人数の避難民がルザイアの街に押し寄せていると言うのだ。
「避難して来たベルキア人の話では『天変地異が起きている』との事で、ルザイア支部から小隊を偵察に向かわせました」
「それで詳細が分かったのか?」
「それが……何とも要領を得ないのです。何でも、空の一部が血のような赤黒い色に変わっており、それが徐々に広がっている、と」
「血のような色、か」
「はい。それに、時折『真っ黒い稲妻』が走っている、と」
「黒い稲妻だと? 確かに要領を得んな。この事は王城には?」
「はい、既に報告しております」
「そうか。…………俺はこの現象を知っているかも知れない人物に話を聞きに行く。その後はそのまま現地へ向かうかも知れん。後の事は任せるぞ?」
「了解しました!」
副団長に後を任せ、アルファはそのまま自宅へと向かう。転移すれば一瞬だが、歩きながら考えを纏めたかった。
(血の色の空、黒い稲妻……ルミナス、或いはウルシアなら何か知っているかも知れない)
考え事をしながら歩いていると、すぐに自宅の建つ通りに出た。そして、門の前でルミナスが立っているのが見えた。自然と駆け足になる。
「ルミナス、こんな所でどうした?」
「アルファ……あなたがすぐに帰って来ると思ったのです」
悄然とした表情のルミナスの肩にはウルシアナが座り、珍しくオロオロとしていた。
「取り敢えず中に入ろう」
ルミナスのただならぬ様子に、アルファは肩を抱いて家の中に促す。リビングのソファに座らせ、自ら紅茶を淹れた。自分もルミナスの隣に腰掛け、話し始めるのを辛抱強く待つ。
「アルファ、あのね、ルミナス様は――」
「ウルシアナ、自分で話します。ありがとう」
沈黙に耐え切れなくなったウルシアナを遮り、ルミナスがぽつりぽつりと話し始めた。
「この世界に来て初めて、大きな『
自分と同じように、なんらかの「神」がこの世界に顕現したのかも知れない。もしそうなら、それは自分を天界に連れ戻すのが目的ではないか。ルミナスが話してくれた事を要約するとそんな感じだった。
「ベルキア王国で、何やらおかしな現象が起きているらしいんだ」
アルファは自分がついさっき知った事を話す。空が血のような赤黒い色に染まり、その範囲が次第に広がっていること。その空には時折黒い稲妻が走っているのが見えること。
その話を聞いたルミナスは目を見開き口を手で覆った。
「まさか……『亜神』を起こそうとしている……?」
「アシン? ルミナス、アシンってなんだ?」
「神に次ぐものという意味の『亜神』。神が世界を作り出すとき、必ず最初に仕込む安全装置」
「安全装置?」
「ええ。作り出した世界が想定から大きく外れた進化や退化を遂げた場合に、その世界を滅ぼすものです」
「世界を滅ぼす、だと……?」
「でも、亜神の使用には厳しい制限があって……それに主神アマテラス様しか使えないはず」
「だったらなんで――」
アルファはハッとして口を噤んだ。自分の口調がルミナスを責めるようになっていたのに気付いたからだ。ルミナスが悪い訳ではない。彼女には何の責任もないのだ。
「限定起動かも知れないわ」
「ゲンテイキドウ?」
「世界を滅ぼす亜神は5体いるの。そのうちの1体だけなら、12柱の神の同意と神気があれば限定的に起動が出来ると聞いた事がある」
「仮にそうだとして、目的は何だろう?」
ルミナスは、可憐な眉の間に皺を寄せて苦しそうに呟いた。
「この大陸ごと私の肉体を滅ぼして、天界に連れ戻すつもりだと思います」
自分のせいでたくさんの人や生き物が死ぬ。何の罪もない大勢が、抗う術もなく死んでしまう――
「ルミナス、君のせいじゃない」
アルファはルミナスをそっと抱き寄せた。
「アルファ、ルミナス様?」
それまで黙っていたウルシアナが口を開いた。
「どうした、ウルシア?」
「あのさー、まだそうと決まった訳じゃないでしょ? それに、この大陸だってまだ無事だし。もしその『亜神』ってヤツが起きるんなら、アルファがぶっ飛ばしちゃえば?」
目の前にフヨフヨと浮いて、両手にクッキーの欠片を持ってモグモグと食べながら放たれたウルシアナの言葉に、アルファとルミナスはお互い目を見合わせてから「ふっ」と肩の力を抜いた。
「ああ、ウルシアの言う通りだな。さすが上位精霊」
「でっしょー!」
「ウルシアナ、あなた最高です」
「えっへん!」
口の周りにクッキーの粉を付けながらウルシアナが無い胸を張る。
「俺の大切なもの連れ戻すなんて、そんな事は絶対に許せないよな。そのために大陸を滅ぼすって言うなら、その前にそいつをぶっ飛ばそう」
ルミナスが、アルファの腕をぎゅっと握った。
「龍神ルミナス、上位精霊ウルシアナ、俺に力を貸してくれるか?」
「もちろんです」
「あったりまえよー!」
「よし! 亜神とやらをぶっ飛ばしに行こう!」
クアルマス王国西端の街、ルザイアにある騎士団支部へと転移したアルファ達3人。団長のみならず、その妻まで転移して来たのを見た支部長は腰を抜かし掛けたが、何とか平静を装って一通りの報告を済ませた。
余談だが、騎士団内部ではルミナスは超絶美人の人族と思われており、龍神が人化した姿だとは誰も知らなかった。また、ウルシアナもその辺をフヨフヨしているが、普通の人には見えないのである。
「さて。ベルキア王国側には俺も行った事がないから転移できないのだが」
ルミナス自身は行った事がない場所でも転移可能だが、アルファ達を連れて行く事が出来ない。仕方ないので馬に乗って行く。
2人乗りの馬は、国境まで1時間程で到着した。クアルマス王国側に入国する関所はベルキア王国から流れて来る人々で大混雑していた。逆に出国側は閑散としている。
「アルファ騎士団長!? これからベルキア王国へ行かれるのですか?」
関所の兵士が驚きの声を上げる。
「ああ。騎士団長たる者、我が国に危険が迫っているのか確認しなくてはならないからな」
「し、しかし……偵察ならわざわざ団長が行かれなくても……」
「気にするな。それより自分の仕事に戻りなさい」
「は、はっ!」
兵士が心配して声を掛けてくれているのは分かっている。だが止まる訳には行かない。本当に「亜神」なのか、そして「亜神」なら全力を以て止めなくてはならないのだ。
しばらく進むと、今度はベルキア王国側の関所がある。こちらも入国側はガラガラだ。
「おい、止まれ止まれー!」
人目がない隙に通ってしまおうと思ったが甘かった。こんな所で揉めるのは時間の無駄なので素直に止まる。
「ベルキア王国民か? それともクアルマス人か? 身分証を出せ」
アルファはクアルマス王国騎士団の、ルミナスは王都民の身分証を提示した。クアルマスとベルキアは現在友好的な関係なので、平時なら問題なく関所を行き来出来るはずだが、今は平時とは言えない。
「クアルマス王国騎士団……騎士団長!? あなたがあの、『雷撃のアルファ』様ですか!?」
雷撃の…………自分が知らない所で妙な二つ名を付けられていたアルファは動揺を顔に出さないよう必死に堪える。その様子を見たルミナスは関所の兵士から顔を背けて肩を震わせていた。
(ルミナスの奴め。笑い過ぎだろ)
「あー、雷撃云々は初耳だが、多分それは私のことだろう」
「ついこの前、東の果てに現れた邪人の大群をたった一人で殲滅したと言う、あのアルファ様ですか!?」
兵士が大声で解説するものだから、周囲の目が集まる。やれやれ……。
「あー、まあ、それなら私かな」
それにしても耳が早いな。まだ1週間も経っていないのに、隣国まで情報が届いているとは。
「す、少しお待ちいただけますか!? 隊長―! 隊長ぉぉおー!」
無視して素通りしては駄目だろうか? 駄目かな、やっぱり……。兵士が大声で叫びながら走って行き、すぐに一人の大男を捕まえて来た。
「おお! あなたがアルファ様ですか! 私はこの関所を任されているグラハムと申します」
「クアルマス王国騎士団長、アルファ・ハイランドだ」
「ご存じかも知れませんが、この先で異変が起きております。今のところ人的被害は出ていませんが、周囲の様子が一変しており――」
「空の色がおかしいとは聞いたが」
「はい。その後、一夜にして草木が消え、不毛の荒野に変わり果てているのです」
その情報は初耳である。ルミナスにちらりと目をやると微かな頷きが返って来た。
「ここからどのくらい離れている?」
「2時間程前の報告では、ここから約5キロの地点から荒野に変わっております。今はもっと広がっているかも知れません」
「私も直接確認したいのだが、ここを通してもらえるだろうか?」
「アルファ様は、あれが何かご存じなのですか?」
「それを確認したい。もし私が知っている現象なら何とか止めたいと思っている」
「そう、ですか……本当ならお止めするべきでしょうが……我々には何が何やら。アルファ様に縋るのは違う気がしますが……お願いします」
「承知した」
グラハム隊長に礼を言って再び馬に乗る。ここから見える空も、遠くの方が既におかしな赤色をしている。
関所から3~4キロ進むと明らかに木が疎らになってきた。
「この辺から歩いて行こうか」
適当な所で馬を降り、関所の方に馬の頭を向けて尻を叩く。関所まで辿り着ければ誰かが保護してくれるに違いない。
「アルファ、気を付けて!
しばらく進んだ所でルミナスが声を上げた。アルファは背中に括り付けた槍を手に構える。疎らな木々の間をいくつかの白い塊が滑るように動いていた。
(……5体か)
「ルミナス、俺の後ろに」
「分かりました」
ルミナスはアルファの背中側に回り、槍を動かしやすいように距離を空ける。白い塊は猛スピードでジグザグに動いていた。見える範囲にいる5体は全てアルファ達に向かっている。
腰の高さで槍を構え、左足を前にして半身になる。膝を軽く曲げていつでも動けるように準備。槍の穂に魔力を纏わせる。
白い塊は大型の犬のような形だ。ただし耳や尻尾に当たる部分はない。陶器のようにつるりとした感じで、頭部には緑色に光る目のような円い突起が3箇所ある。6本ある足のうち後ろ側4本で移動し、巨大な鎌のような鉤爪の付いた2本の前足を蟷螂のように胸の辺りで折り畳んでいる。
(
瞬きの間に1体の守護獣に迫り、槍を斜めに一閃。首を刎ねた感触を確認し、すぐさま2体目の真横に
地面に縫い付けられた守護獣はまだ生きていた。槍の柄を握り「雷撃」で止めを刺す。守護獣が動かなくなってから槍を抜いた。
この槍はルミナスからの贈り物だ。曲刀のような大きな穂は白く、柄と鋭い三角錐の石突は光沢のある黒。それぞれ龍神の牙と鱗を素材に、ルミナスが強い願いと強力な神気を込めて槍に仕立てたもの。
アルファはこの愛槍を密かに「ルミナランス」と呼び、その呼び名は誰にも知られていないと思っているが、ルミナスとウルシアナはちゃっかり知っていていつか茶化そうと考えていた。
「もう守護獣の気配はないか……ルミナス、どうかな?」
「ええ。近くにはいません」
「じゃあ先に進もう」
更に進むと、真昼の筈なのに辺りは薄暗く、木どころか草一本生えていない荒野へと景色が変わった。
空は濁った赤色に染まり黒い稲妻が走っている。稲妻は空についた傷痕のようにいつまでも消えない。まるで空がひび割れているようだ。
もうルミナスに聞かなくても分かっていた。これは亜神が出現する前触れだろう。
「ルミナス、ウルシア。君達だけでも逃げ――」
「 「ダメよ!」 」
足元に振動が伝わって来る。低くなった遥か先の地面から土煙が上がるのが見えた。
この光景に怖れを抱かない者などいるだろうか? これは世界の終わりだ。人の力でどうにか出来るものじゃない。
だが俺なら。止められるとしたら、ルミナスから力を授かった俺だけだろう。
「アルファ、アタシの力でアンタの再生力を目一杯高めてあげる。絶対に死なせないからね!」
ウルシアナがそう言ってアルファの体に同化した。
「アルファ、あなたこそ逃げなさい」
決意の籠った眼差し。この目をしたルミナルは梃子でも動かない。
「いや、俺が止める。ウルシアもやる気だしな。ルミナス、ここで見ていてくれ」
遥か遠くの大地が大爆発を起こし、地下から何かが飛び出した。
「とうとう来たか……」
アルファは自身の持つ魔力の限界を超えて練り上げる。生命力そのものを魔力に変換し全てを亜神にぶつけるつもりだ。ルミナスには、アルファが命を
「アルファ、本当にいいのですか?」
「ああ。これしかない」
「でも、あなたじゃなくても――」
「俺しかいない。分かってるだろう?」
俺には守りたいものがあるんだ。息子、娘達、生まれたばかりの孫。騎士団の仲間、王国に住む無垢の民。
生意気な精霊。儚くも美しい龍の神。守らなければならない。命に代えても。
彼方の地中から飛び出した巨大な物体は、土煙が晴れるにつれてその異様さが際立つ。宙に浮く穢れの無い真っ白な球体。こちら側を向く中心から、表面に赤く光る線が放射状に走った。その線に沿って球体が開こうとしている。
「もう時間がない。後のことは頼んだぞ、ルミナス」
「アルファ……あなたを愛しています」
「ああ、俺もだ。俺も愛してる」
ルミナスはアルファを強く抱きしめた。
「また会おう、いつか」
「ええ。私はあなたを探し――」
アルファはルミナスの言葉を最後まで聞くことなく
「
右手に持つ槍の穂が青白く光り、バチバチと音を立てる。穂先に目が眩む程の球体が出現し、音を置き去りにして亜神の真ん中に吸い込まれて行った。その直後、球体に向かって天空から光の柱が落ち、耳をつんざく轟音が響く。
ウォォオオオオオン!
亜神が苦悶の声を上げるが、その声だけで体がバラバラになりそうだ。
「
龍神の牙で作られた槍の穂先に青白い光が渦を巻いて集まる。そこに出来た直径5センチ程の球体は青白い太陽のように眩く光り、やがて槍の穂から柄、そしてそれを握るアルファの体まで包み込んだ。
雷の刃と化したアルファは真っすぐに亜神の中心へと突き進む。あと数秒で接触するという所で、花弁のように開いた球体の中に緑色の光が溢れた。光はすぐに収束し、アルファに向けて放たれる。
(来るわ! アルファ、避けて!)
頭の中にウルシアナの声が響く。眼前には緑色の光の壁。もう回避することは不可能だ。
そのまま光と激突すると思った瞬間、アルファを巨大な黒い龍が追い越し、その体で緑色の光を受け止めた。
全長100メートルを超える黒龍。それは龍神ルミナスの真の姿だった。アルファはその姿を過去に一度だけ見た事があった。
この世界で貫けるものなどない、深い光沢のある黒い鱗。それが、緑の光を受けて砕け散る。体から剥がれた鱗がばらばらと地上に落ちていく。
黒龍はアルファを包み込むように体を丸め、亜神が放った緑の光を全て防いだ。アルファが無事だった代わりに、光を受けた黒龍の体は半分近く鱗が剥げ、肉は焼け焦げて所々骨が露出していた。
「ルミナス!」
(ルミナス様ぁ!)
黒龍は透き通る青い瞳でアルファを一瞥し、ボロボロの体で向きを変えると一筋の黒い稲妻と化して亜神の中心に突き刺さった。
次の瞬間、亜神が真っ黒なドームに覆われ、辺りは静寂に包まれた。静か過ぎて耳が痛くなる程だ。そして黒いドームがどんどん小さくなり、一瞬光を放って消えた。
そこには亜神も、黒龍の姿もなかった。
濁った赤色にひび割れのような黒い筋が無数に走っていた空は、いつの間にか元の青さを取り戻していた。しかし、草木一本生えていない荒野には、アルファ以外に生き物の気配がなかった。
◆◆◆◆◆
亜神が緑の光を放とうとした時、ルミナスは決断した。あの光はアルファとウルシアナを滅ぼしてしまう。神である自分は不死だから、肉体が滅んでも
緑の光を受け止めながら、ルミナスは下界に堕ちた自分がいかに力を失っていたかを知る。思っていた以上にダメージを受けたからだ。そして、この亜神を退けても、次々と亜神が起動されればいずれこの世界が滅んでしまうと分かった。
アルファがいて、ウルシアナがいて、子供達がいる世界。
この世界を守る為には、ルミナス自身がこの世界から離れ、神々の目を逸らさなければならない。だから亜神諸共自らの
バラバラになったルミナスの
こうして、300の欠片となって散ったルミナスの
◆◆◆◆◆
ルミナスを失った後、アルファはウルシアナと共に旅に出た。
神であるルミナスがいずれ復活する事は分かっていたが、自分が生きている間に復活は叶わないだろうとも思っていた。それでも悲観はしない。「また会おう」と言った自分に、ルミナスは「ええ」と返事したから。自分が何度生まれ変わろうと、ルミナスは必ず自分を見つけてくれると信じていたからだ。
旅の目的は、亜神が眠っている場所を特定し、それを排除または封印する方法を探す事。亜神がいつ現れるか分からない状態では、ルミナスも安心して復活出来ないだろう。
こうして、アルファは残された生涯を亜神探しに費やした。その命の灯が消える時、ウルシアナはアルファの魂に寄り添って一緒に世界を渡り、二人で幾度も転生した。
そして3000年後。アルファの魂は、奇跡的にルミナスの
―了―
至神転生―始まりの龍と堕ちた神― 五月 和月 @satsuki_watsuki
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