脚光:暴れ、死に咲く華

HTR.24

読切



 昼、久しぶりの曇り日。ここ最近晴れていたばかりに、この程度でも多少気が滅入ってしまう。昼食を終え、なんでもない一日が過ぎていくのを頭でぼんやりと認識する。なんてことはない、日常の一端が世界には映っていた。父は仕事の関係で外に出ており、家には母と二人。食器を片付けるとおもむろに母が言った。


「そういえば買い物に行かなきゃと思っていたんだわ。エリー、悪いけど留守を頼める? 今から街に行ってくるから」


 ……僅かに、僅かに自分の心が漏れそうになって言葉を詰まらせる。しかし、直ぐに言葉を紡ぎなおした。


「うん、大丈夫。私は部屋の掃除でもしておくから、早く帰ってきてね」

「ええ、それじゃあ」


 これでいいのだ。街に行き、色々な品物を見て母の裾を引き、子供のようにねだる姿を想像したりもしたが、そんな我儘を言ってはいけないと思考を閉じる。我慢をすれば、大抵は上手く回る。世の中、静かにしているのならば、人生はきっと事もなげに過ぎていく。


 それで、いいんだ。


 そう思って、箒を手に取ったその時……


「それは君、本気で言っているのかい?」


 急に掛けられた声の方に、驚きと恐怖を持って振り返る。そこにいたのは……影?のような何かだった。


「黙っているのが女の役目って? 未来は男の手の中だと」


 何を言っているのか、“これ”は。男のような声で聞こえるが、顔は一片として分からない。加えて何なんだ、その突飛な発想は。私はただ、ただ……


「私はただ、変に意見して困らせてもいけないって……」


 恐る恐る発言する。男の表情は見えないが、若干目を逸らすように上を向いて続けた。


「まあな、そんなところだろうよ。自分を殺してしまえば、テーブルには蠟燭一つ。それをみんなで囲えばいい家族に見えるもんな」


 食卓の上のランタンを男は指さす。すると、ランタンは触れてもいないのに急に灯った。驚く私を傍目に、男は持論を語りだす。


「私はね、この光が複数あったっていいと思うのだよ。具体的には青い炎や緑の炎みたいにさ。それらからランタンの色を決めてもいいじゃないか」

「何を言っているんですか。灯りは赤以外にないでしょう」

「おや、それはどうしてかな?」

「どうしてって……それ以外の炎の色なんてないでしょう」


 男の顔は未だ見えない。それでも、顎に手を添え少し上向いた顔は、薄目で口角を挙げている表情を容易に想像させた。


「なるほどねぇ」


 男はふう、と一息つくと言葉に真っ直ぐな意思を乗せて放った。


「それが、今の政治だよ。私がここにいる理由もそれ絡みでね。“そうあるもの”として組み立てられた出来レースが、君の人生に重なるんだ。君は知っているだろう?」


……心当たりが一つあった。


「……女性の参政権のことですか」

「その通り! まあ、君の父親がそれを支持しているのだから、多少なり認知してるよね」


 男の声は少し上機嫌そうで、さらに優しくなった声色が一層軽薄さを感じさせた。


「なんで父が運動に参加してることを知っているんですか」

「まあさ、そんなことはいいじゃないか。それよりも私がここに来たのは、その先の話をするためだよ」


 その先の話? その先って……


「君は、遂に女性政治参画を推し進める第一人者となるんだ。どうだい、ワクワクしてこないかい」


 その声は興奮気味だ。冗談は好きじゃないが、男の声は不思議とそう感じさせなかった。


「第一人者って。私が? どうやって? 父の参加している運動に私も参加しろと?」


 男は違う、と言わんばかりに突き立てた人差し指を振っている。


「君が組織し動くんだよ。君にしかできないことだからね」


 見えない。見えないが、その口角は上がっているのだろう。そして私にしかできない?


「そんなことはないでしょう。頭の固い政治家たちと話をすることなんか、他の人だって」

「違うよ」


 男のトーンが落ち着いた、そして深い声になり遮るように言った。


「言葉で通じると思うかい。問題はそう楽じゃないよ。まずは君が、先頭に立って未来を示すんだ」


「そう、力でね」


 おかしかった。人を勧誘するにしても最悪の触れ込みではないかと思った。それでも、否定する言葉は続けられなかった。その言葉に、冗談を孕んでいるようには到底思えなかったから。ただ同時に、その話を聞いて思う。それはとても危険なやり方だと。何せ、それをした結果として、女性の参政と暴力が紐づけられようものならもう戻れない。


「そりゃあ危ないと思うだろうさ」


 見透かすように男は続ける。


「それでもね、今君を取り巻く世界は関心が低いんだ。広く活動を知らしめるには多少なりともリスクがいる」


 そんな未来、想像できない。できないよ。



 ……できないけど。


「そう、君はする。これは願いではなく、事実だ」

「影響を、衝撃を与えろ。そして、」


「世界を、覆せ」


 確信した物言いが最後、扉の開く音がした。


「ただいまー」


 母が帰ってきた。驚きの表情を向けていると


「ん? どうかした?」


 怪訝そうな表情を浮かべた。それで気づいた。この男は、やはり私だけに見えている。


「エリー? 大丈夫?」


 心配そうに私を見つめる母の傍ら、男を見つめる。


「未来を頼んだ、エメリン」


 最後にそう言ったそれは、扉を抜けると、霧のように消えていった。男は随分な結末が見えていたのだろうが、私には分からない。それでも、男の信じているものが私の肩にあることが分かっているだけで、とても胸が張れる気がした。


 母親は見たという。


 何が起こるかは分からないが、昨日を忘れるような輝きを放つ目をした娘がそこにいた。そして、真っ直ぐに母を見つめ直し言葉と明日は紡がれる。


「うん、大丈夫だよ。ところでなんだけどさ……」



 かくして未来は、動いた。

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