べた惚れだってこと

 翌日、なんだか幸せな気持ちで目が覚めた私はしばらくベッドの中てボーッとしていたのだが、はたと気づいて飛び起きた。


「だ、だ、駄目だわ!こんなベッドで寝ていたら!」


トリスタンのベッドからなんとか這い出る。体が熱くて顔から火が出そうだ。


(ひ、酷い夢を見てしまったわ、あんなエッチな……、って、いくら大人向けゲームの世界だからって、まだ早すぎるわよー!)


「ㇳ、トリスタンのベッドなんかで寝ていたから!きっとそうよ!」


彼の匂いのこもったベッドで寝ていたからそんないやらしい夢なんか見てしまうのだ。

でもそれって、私が彼を男として意識しているってことで。


「あううぅ……」


妙な気持ちになる前にこの部屋を出よう。私はそっとドアを開けて周りに誰もいないか確認すると、急いで部屋に戻った。


「い、一日目からこれでこの先三ヶ月本当にここで生活できるのかしら…」


もの凄く不安になってきた。というか、今日トリスタンの顔をまともに見れる気がしない。


「どうしよう、今日はやりたい事があるのに……」


そのまま私は緊張しながら朝食を食べ終えて、馬車でとある場所へ向かった。

途中トリスタンを意識しないためによそよそしい態度を取ってしまったけれど、そうでもしないと昨日見た夢を思い出してしまいそうで、会話しながらもついつい目をそらしてしまう。

そうこうしてる間に馬車が停まったのは大通りに面するある店の前だ。


「ト、トリスタン、さあそちらを持って着いてきてくださる?」


どうしても話しかける時に緊張してしまう。これじゃあ駄目なんだけど、そう思っていると店の奥から男が飛んできた。


「これはこれはエルフリーデ侯爵家のアスタロテ様直々にいらっしゃるとは、本日はどのようなご要件で」


馬車に高々と掲げられた侯爵家の紋章を見て慌ててやって来たらしい壮年の紳士が慇懃な態度でアスタロテを迎えた。


「ええ、トリスタン、そちらの荷物をお開けになって」


「はいはいっと……」


そう言われてトリスタンはテーブルの上に重い鞄をドスンと載せると鞄の金具を開けた。


「おお!これは……」


中身を見た紳士と開けたトリスタンが驚愕の表情をした。アスタロテがトリスタンに開けさせた鞄の中にはびっしりと金貨が詰まっていて陽の光を浴びて黄金色に輝いている。


「こちらの端金でランベルグ家の屋敷を直して頂きたいんですの。もし足りないようならばエルフリーデ侯爵家に請求なさってくださってかまわなくてよ」


そう言い放ったアスタロテをこの店の責任者でもある「R&D石工所」の片割れでもある壮年の紳士リチャードはあんぐりした顔で見た。


「それはそれは、もちろんアスタロテ様のご依頼ならば喜んで承りさせて頂きます。……それで申し訳ありませんが、ランベルグ家のお屋敷とはどちらになりますでしょうか」


相棒のドリスと共に親方から独立して早二十数年、腕の立つ大工として数々の貴族達の屋敷の建築と修繕に取り組んだリチャードはこの街の名だたる貴族の屋敷は把握しているつもりだったが、エルフリーデ侯爵家令嬢の言うランベルグ家の屋敷というのはまったく心当たりがなかった。

気性の激しくてわがままだと評判な侯爵家令嬢相手であるので内心冷や汗をかきながらリチャードはアスタロテに恐る恐る聞いてみる。


「えーと……、どこでしたっけトリスタン」


アスタロテは扇を広げて傍らのトリスタンと呼ばれた男を見やる。


「ああ、場所はレーン通りの……」


トリスタンの告げた通りと番地名にリチャードは首をかしげた。


「レーン通り?あのようなところに貴族の屋敷がありましたかな?」


もう少しで辺鄙なところ、と言いそうになったリチャードは慌てて口をつぐんだ。


「屋敷というか、まあボロ家だけどな」


肩をすくめてトリスタンは言った。


「もうお聞きかもしれませんけれど、この度、私このトリスタンと婚約いたしましたの。ですけど私が過ごすのにはランベルグのお屋敷は少しばかり建物が傷んでおりまして、全体的な修繕をお願いしたいんですわ」


えらいこっちゃ、リチャードは奥から心配な顔をして出てきた相棒のドリスと顔を見合わせた。

昨年、リチャードとドリスはエルフリーデ侯爵家の改修工事のために屋敷へ訪れたが、その際に接したアスタロテの態度といったらそれはもう最悪なものだった。自分から無理難題を押し付けるのにいざ出来上がってみるとイメージと違うだのなんだの怒り狂ってやり直しをヒステリックに命じる、できれば二度と関わり合いたくない部類の人種だが、依頼を断る訳にはいかない。なにせこっちはしがない平民であちらは大貴族なのだ。

リチャードは痛む頭を抱えながら気を取り直すようにゴホンと咳払いをした。


「かしこまりました、では早速お屋敷へ伺いましょう」


「お願いいたしますわ、あと、それと…」


侯爵令嬢アスタロテが珍しく言い淀んでいるのでリチャードは首をかしげそうになる。


「……お屋敷に、ネ、ネ、ネズミが出るんですわ、できたらその処置もお願いできますかしら」


「ははあ、ネズミですか。でしたら穴を塞ぐよりまずは駆除が先決でしょう。知り合いにいい駆除業者がおりますのて早速向かわせます」


傲岸不遜な侯爵令嬢にも苦手な物があったのだな、リチャード可笑しく思った。


「アスタロテ様、今回もエルフリーデ侯爵のお屋敷のように大理石をふんだんに使った豪華な仕様にいたしましょうか」


今まで様子を見ていたドリスが口を挟んだ。お屋敷まるまる修繕となると使う石材も多くなるので気になるところだろう。


「そうですわね、ええと……、」


アスタロテは隣に居るトリスタンを見ると慌てたように言った。


「わ、私のお屋敷ではなくてトリスタンの屋敷ですから、彼の言う通りに直してくださるかしら、決してエルフリーデのお屋敷のような派手な作りにしなくて、もっと家庭的な、その……」


言いながらアスタロテはスカートを掴んでもじもじしている。


「かしこまりました、ではトリスタン殿、後ほどお屋敷にうかがいますのでそちらで詳しく」


「はあ、まぁ」


侯爵令嬢とそのお付きの男が帰るとリチャードとドリスは顔を見合わせた。


「まさかエルフリーデ侯爵家の令嬢がわざわざ店まで来るなんて、どういう風の吹き回しなんだか」


リチャードはアスタロテが残した鞄にびっしり詰まった金貨を見ながら緊張で吹き出した汗をぬぐって言った。

侯爵のような大貴族ならば屋敷まで店の者を呼び寄せるのが普通なので、馬車を走らせてわざわざ店にまで来たアスタロテを見てまずは驚いてしまった。

だがなんとか無事に商談が終わってほっとひと安心だ。あのワガママ令嬢のアスタロテもヒステリーを爆発せずに帰っていったし、手付金にしては多すぎる量の金も残していった。


「しかし噂は本当だったんだねぇ、あの侯爵令嬢が王太子と婚約破棄して貧乏貴族とくっついたって言うのは」


ドリスがまるまるとした顎を撫でて言った。


「いや、私は逆に王太子に婚約破棄されたと聞いたぞ」


リチャードが昨日仕事先で聞いたのは逆の話だった。


「どちらにせよ、確かなことが一つあるな」


ドリスは指を立てた。


「なんだ?」


「あの侯爵令嬢はあの男にべた惚れだってことさ」



◇◇◇



「あの……、トリスタン、怒っているのかしら」


帰りの馬車の中で私は恐る恐る聞いた。


「別に怒ってはいないんだけどな、なんでそう思ったんだ」


「だ、だって持ち主の貴方に黙って勝手にお屋敷の修繕なんか決めて、勝手な女だって思ってるはずなんてすわっ」


トリスタンの顔を見られずに私は膝の上のスカートを掴んだり離したりしながら言った。

昨日思いついた時にはいいアイデアだと思ったのだけれど、お金にものをいわせて勝手に人の家の改修を頼むだなんて、これじゃあゲームの中のアスタロテそのままだ。

自分自信が転生したアスタロテのキャラクターに影響されるってあるのかしら?だとしたらこれから先の計画が上手くできるんだろうかと不安になってくる。

うう、駄目よ弱気になっちゃ、まだ始まったばかりなんだから。


「さすがに家を勝手に侯爵家の屋敷みたいにゴテゴテに改修されたら黙ってないけど、そうじゃないんだろ?」


「その、その、あなたの家がボロすぎるとかそういうのではなくて、ただ私はネズミが出る穴を塞ぎたくて……。ちょうど家から持ってきたお金もありましたし、私を泊めてくれるお礼もしたいし、…少しでも役に立てたならと思って……その……」


語尾が段々小さくなっていくのがわかる。言っていて支離滅裂すぎると自分でも思ったのだ。


「分かった分かったって、まあ悪気は無いんだろうなってのはよく分かったからさ。相変わらずやる事がぶっ飛んているけどな」


「本当に怒ってらっしゃらない?」


恐る恐るトリスタンの顔をうかがうと、相手は照れたように馬車の窓の外を見ている。


「……とはいえ、ランベルグ家当主としては複雑な気分だな。まさか人の金で屋敷を直すことになるとはね。あんな金額とても俺一代じゃあ返せないだろうし、それに見合った仕事もできるかどうか」


「気になさらないで、これは必要経費ですわ」


「そうは言ってもね……」


トリスタンの顔は複雑そうだ。


「しかしやっとこちらを見て喋ってくれたな。朝からよそよそしくてやっぱり恋人のフリなんて嫌になったのかと思ったけど」


トリスタンにそう言われて私は慌てて否定した。


「あなたの事が嫌になったとかじゃありません!ただその……」


(トリスタンを見てると夢のことを思い出してしまうから、なんて言えるわけがないじゃないの!)


否定しながら顔を赤くしている私に、


「ふーん、じゃあ俺のベッドで寝てその気になったとか」


「そ、そ、その気になんて、あるわけありませんから!!」


トリスタンの言葉に、夢のあれやこれやのシーンを思い出して私は火が出るほど顔を赤くして絶叫した。。

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