幕間 エルフリーデ侯爵と王太子達
その日、エルフリーデ侯爵は書斎で執事と応対していた。
「アスタロテお嬢様の事ですが、本日は馬車をランベルグのお屋敷まて呼び寄せた後は、トリスタン様とどちらかへ出かけられたようです」
執事からの報告に侯爵はうなずいた。
「いかがいたしましょう、やはり無理やりにでもお嬢様を連れ戻しましょうか」
「放っておけ。しばらくはあいつの好きにさせておくといい」
「ですが、エルフリーデ侯爵家のご令嬢が貴族の端くれとはいえ、あんな男と同じ家で寝食を共にしているなどと、お嬢様のこれからの婚姻に影響を与えるのではないでしょうか」
「幼い頃から決まっていた王太子との婚約を派手にぶち壊したんだ。しばらくはあれと結婚したい、などと言うおめでたい話も出てこないだろう」
「しかし……」
まだ何か言いたいことがありそうな執事をエルフリーデ侯爵は手を降って黙らせた。
「王太子に婚約破棄などされて、ただ黙っているような娘ではないとは思っていたが……」
まさか自分からも婚約破棄するとは。あそこにいた全員があっけにとられただろう。
「しかもあの王太子の顔ときたら」
エルフリーデ侯爵は人の悪い笑みを浮かべた。アスタロテに逆に婚約破棄されたあげく、公衆の面前で粗末だのマンネリだの罵倒されまくってさすがの王太子も呆然とした顔を晒していた。
アスタロテが高笑いとともに去ったあとの会場はというと、一気に人々が騒ぎ出して興奮状態となり、侯爵自身もあれは一体どういうことなのかと、周りの貴族連中に質問攻めにあったのだった。
「良いのですか、今街中ではアスタロテ様が王太子に向かって酷い婚約破棄をしたという話が広まってます。なんとか沈めませんと、お嬢様に悪評が付いてしまいますが」
「元からあの娘の性根の悪さは広まっていたのだ、これ以上悪くもならんだろう。むしろあの行動でアスタロテの株は上がったと言ってもいい」
あのまま王太子に一方的に婚約破棄されていたら名門のエルフリーデ侯爵家の名前に傷がついていただろう。
だが即座にアスタロテが王太子に向かって逆に婚約破棄を宣言した事で流れが変わった。
王太子が悪評の高いアスタロテと婚約破棄したのではなく、アスタロテが男の魅力に欠ける王太子を振ったのだと、人々は認識しただろう。人の記憶とは簡単に塗り替えられるものだ。
「我が娘とはいえ、なかなかやるじゃないか」
ただの性格のキツいワガママ娘かと思いきや、面白い手を打ってくる。
「それよりも、例の王太子の新しい婚約者の方はどうなった、何か掴めたのかね」
侯爵が執事に問うと、長年エルフリーデ侯爵に使えている忠実な執事は侯爵の満足するような解答を出してきた。
「それが、ある筋から興味深い情報が出てきました。なんでもあのレティシアという娘、彼女は奴隷上がりだという話です」
「ほう……」
執事の報告に侯爵はニヤリとした。これはまた一波乱ありそうだ。
◇◇◇
「いやぁ、デミトリも災難だったなぁ」
完全に面白がっている声で言ったのは長い金褐色の髪を後ろでゆるく結んだ頭のエミリオだ。
王太子の友人で顔の広い社交家としても知られる彼は、昨日から情報を知りたがっている貴族達から引っ張りだこになっているらしい。
「笑ってる場合か、街中では王太子が不能で無能なせいであの極悪令嬢に振られたと噂になってるんだぞ」
そう言った親衛隊隊長で赤毛のライドも半笑いの表情だった。
普段は真面目な彼も王太子の置かれている状況に笑いをこられきれない様子だ。
「まあまあ皆さん落ち着いてください。何もデミトリが粗末な物の持ち主でベッドの中ではマグロ男だと決まったわけではないんですから」
「お前が一番酷いことを言ってるよ」
エミリオとライドの両方につっこまれたのは白金の髪をした幼馴染の伯爵家の息子ユーリスだった。
王太子の幼馴染て貴族なのに、庶民にも分けへだてなく優しくて常識人と言われているのだが、偶に言い方が直球すぎることがある。
王太子デミトリはというと、部屋の真ん中で頭をたれてうなだれている。エミリオ達が部屋に来てからずっとこの調子だ。なんなら入る前からこの体勢なのかもしれないと、エミリオは思った。
デミトリの隣には、婚約者のレティシアがいて心配そうに手を握っている。相変わらず天使のように可憐な少女だ。
「まああれだ、あの侯爵令嬢が暴れもせずに離れていったんだから良かったじゃないか。俺なんかレティシアがあの令嬢にビンタされるんじゃないかってヒヤヒヤしながら近くで見張ってたけど何もなかったし、俺的にはあの婚約破棄は成功したと思うんだがな」
ライドが言った。彼の言う通り本来のゲームの中では婚約破棄に怒ったアスタロテがレティシアに食ってかかり、親衛隊隊長のライドに止められるというストーリーだったが、ゲームの中のキャラクターである彼らには知りようもない話だった。
そしてもう一人部屋には全身を黒い鎧で身を包んだ漆黒の騎士ディランが立っている。
顔も兜で覆った姿で四六時中いるため、誰も素顔を見たことがなく、実は酷い火傷の跡があって見られた顔じゃないんだ、とか男に見せかけて実は女だ、とか隣国の追放された王族の落胤だとか、様々な噂が立っている男だ。
「…………」
いつものように終始無言で立っているが、それが普段の彼の様子なので、それに慣れている三人は話を進めた。
「
ユーリスが言う。
「ゼロだとは言ってなかっただろう。ええと、なんだっけ、粗末でマンネリで……」
「それ以上はやめてくれ…………」
ライドの言葉を王太子デミトリが絞り出したような声で止めた。声にはいつもの張りがない。やはり相当ダメージを受けているようだ。
「でもあのアスタロテ嬢の婚約破棄返し、タイミングが良すぎて、事前にレティシアの事を知っていたんじゃないのかな」
エミリオは考えるように言った。
王太子とレティシアが出会ったのは二週間前、隣国に訪れた帰りの道中の事だった。
奴隷だったレティシアが扱いの酷い主人の元から友人とともに逃げ出して、寒さと空腹で倒れそうになっていたところに盗賊にも襲われて、もう駄目だ、というところに止めに入ったのが、王太子とここに居る四人だったのだ。
その後短期間で王太子は優しいレティシアに惹かれていき、とうとう小さい頃からの婚約者のアスタロテと婚約破棄までするくらいラブラブになったのだった。
「しかし、レティシアのことはここに居る私とお前たち四人しか知らないはずだ……」
元奴隷を保護したということは国王や王妃にも言っていない。恋愛感情を持った後はなおさら存在を知られないように気を使った。
さすがにレティシアが元奴隷だということが知られたら、王太子のデミトリがなんと言おうと婚約はなかったことにされるだろう。
レティシアの奴隷という過去を消すため、後見人になってくれそうなある貴族と交渉中だ。
それがまとまれば、レティシアは田舎の貴族の傍流の娘だということにして結婚しても問題はなくなるだろう。
「デミトリ、使用人の存在をも忘れているよ」
ユーリスの言葉にデミトリは少しイラ立って返した。
「だとしても信頼できる使用人にしかレティシアの世話はさせていない。アスタロテにバレてはいないはずだ」
「でもそれにしてはタイミングが良すぎだよなあ、先制攻撃をするはずが、見事にカウンターをくらって撃沈した、っていうのが今の王太子様の状態だな」
ライドが親衛隊らしい表現で言った。
「おまけにみんなの前で噛んでたから、王太子はやっぱりヘタレキャラね、みたいに言われてるなあ。あ、ちなみにこれは他の貴族の令嬢たちの意見ね」
女性に人気のエミリオが付け加える。
エミリオの言葉に王太子デミトリはまたがっくりとうなだれた。アスタロテに逆に婚約破棄された上にボロクソ言われてショックで未だに立ち直れずにいる。
「デミトリ様はヘタレじゃないわ。落ちこまないで」
側でデミトリの手を握っていたレティシアが口を開いた。
「みんながどんなに言っていても、しっかりしていればきっとそのうち悪い噂も消えていきます。だからそんなに思い悩まないで」
「レティシア……」
優しいレティシアに慰められて、デミトリ機嫌をすぐに直してキラキラした目で彼女を見た。
(でもアスタロテが言ったことはインパクトがありすぎて、なかなか噂も消えないと思うけどな)
そんなラブラブな二人を見ながらユーリスはこっそり思った。
「あと、皆さんはアスタロテ様のこと、悪く言いますけど……」
レティシアは首をかしげた。
「私はなんだか格好良いって思っちゃいました」
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