初心な娘みたいに

「……うう、寝られない…」


アスタロテはトリスタンのベッドの中で寝返りをうった。

あの後、結局揉めながらも、なんとかトリスタンに客間の方で寝てもらう事に了承してもらったのだが、


(なりゆきだとはいえ、男の人のベッドで寝てるなんてーっっ!!)


恥ずかしさのあまりベッドの中で悶えてしまう。もちろんこんな経験なんて今までしたことがない。


(だ、だってネズミが出る所でなんか安心して寝られないんだもの、しょうがないじゃない!)


この世界ならいざ知らず、現代育ちの私にはネズミがウロウロする中寝るなんてとても耐えられそうもない。どうしてトリスタンの部屋にはネズミが出ないのか聞いたら、本や紙類が噛じられるのが嫌だからと、この部屋は徹底的に隙間を封鎖したらしい。


(確かに本が多いわね)


布団の隙間から覗いた室内には立派な本棚が見える。アスタロテはそっとベッドを降りた。

枕元にあった灯りを手に取ると本棚に近づく。


(思っていたより硬い内容の本が多いわね、以外だわ。年季の入った本が多いようだけど、これなんか侯爵家にあったのと同じ……。あら、これは…?)


手に取ったのは一冊の本、大きくて薄いそれはひと目で子供向けの絵本だと分かった。


「まあ、懐かしいこの絵本。トリスタンの物かしら」


彼には似つかわしくないが、部屋に有るということはそうなんだろう。それを持ってベッドへと戻った。

転生した私は見たことはないはずなのたが、懐かしい、という気持ちが湧いてくるのは、悪役令嬢のアスタロテの記憶なのだろう。

絵本のストーリーはみなし児の主人公が本当の両親を探しに旅へ出る話だった。道の途中でおしゃべりなアヒル、臆病なキツネ、怠け者のロバ、嘘つきなコウロギと出会い大きな町へと向って行く。

この絵本の最後はどうなっていたかしらと思い出そうとするがアスタロテの記憶は曖昧だった。

寝ながらページをめくっているとウトウトし始める。いけない、ロウソクの灯りを消さなくちゃと思う内にアスタロテは眠りについた。


◇◇◇


「まったく調子が狂うな」


トリスタンはアスタロテの寝顔を見下ろして言った。

ロウソクの淡い光に照らされたアスタロテはあどけない顔でスースー寝ている。

枕元に広げっぱなしの絵本を手に取る。これは両親との思い出が詰まった大切な物だ。そっと閉じて書棚に戻した。そんな大事な物をアスタロテに触られて以前なら苦々しく思っただろうが、今は不思議と腹は立たない。

アスタロテが以前のような高慢ちきで意地悪な性格ではないからなのかもしれない。

ベッドに腰を下ろして、アスタロテの顔を見る。

一週間前、いつものようにアスタロテに呼び出されて、今度はどんな無茶な事を命じられるのだろうとうんざりしながら侯爵家の門をくぐったのだが、部屋で待っていたアスタロテはまるで人が変わったかのようにビクビクしながら彼を待っていた。


「……今からとても変なお願いをするけど聞いてくれるかしら」


他人に聞かれるのを恐れてるかのように、ヒソヒソ声でアスタロテが言った。

いつもならメイド達を下僕のように沢山従えているのに今はアスタロテとトリスタンの二人きりだという事にも気付いた。


「以前にも言いましたけど、金になるならなんでもしますよ」


「そう……、よね。ええ、前金もはずむわ」


そう言うとアスタロテは意を決したようにこちらを見て、


「お願い、今から3ヶ月だけ恋人のフリをしてくださらない?」





「……急にとんでもない事を言い出したと思ったが…」


今日はアスタロテが言った通りに王太子が新しい婚約者を連れてきたので内心驚いた。

王太子が新しい婚約者を連れて来る、そしたら命が危ない、なんて怯えているアスタロテから聞かされて、とうとうこの侯爵令嬢は頭がどうかしたのかと思ったのだが、

あれだけいつも王太子の婚約者としてべったりひっついていたのだから王太子の浮気に気付いていたのかもしれない。

一応トリスタンにも王宮の事情に詳しい知り合いは居るのだが、あの王太子の婚約者の出現は誰も予想してなかったようだ。


「何を考えているんだかな」


シーツに波打つアスタロテの髪をもてあそんでみる。

以前の彼女なら、絶対にトリスタンの家に泊まるなんて事は絶対にしなかったはずだ。


『下賤の者が軽々しく私に話しかけないでくださらない?』


『無礼者!!触らないで!』


『この私に口答えする気?!』


『私はエルフリーデ侯爵家の者で王太子の婚約者なのよ?!私の言うことは絶対なんですの』


金払いは良いが厄介な依頼人で、こちらが金に困っていなかったら近寄ってはいなかっただろう。

どこまでも尊大で身分の低いこちらの事など虫ケラのようにしか思っていなかったようなのに、


『…お願い……』


『…あなただけにしか頼めないのよ…』


あれだけさげすんでいた自分に恋人のフリを頼むなんて、最初は何かの罠なかと思ってしまった。

けれど仕事を頼まれた一週間前から今日まで、嘘をついているようにも見えないし、徐々に慣れ慣れしい言葉づかいにしているのに、人が変わったかのようにあのアスタロテが怒る気配もない。いや、怒ってはいるのだろうが、子犬がキャンキャン吠えるみたいで可愛いものだ。

トリスタンが腰を抱いても手を払いのけるでもなく、


「男が初めてでもないのに、あの反応ときたら」


トリスタンが腰を抱いた途端、初めて男にふれた初心うぶな娘みたいにカチコチに固まっていたアスタロテを思い出して、トリスタンはフフッと笑った。


「この間まで王太子と随分いちゃついてたってのに、それともそんな振りをしてただけなのか?」


あまりに王太子に対して興味も執着もなくなっているアスタロテを見ると、本当に王太子の事が好きだったのかと思ってしまう。

そんな人が違ったかのように大人しくなったアスタロテに、トリスタンとしてはこの恋人のフリといった仕事が終わった後もこのまま友好的な関係でいたいと思っている自分がいる。


「できればこのまま可愛いお姫様のままでいてくれよ」


美しい髪をかきあげてトリスタンはアスタロテの額に軽くキスをした。

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