あなたのベッドで寝ます

「……う、ううん…」


アスタロテが目を覚ますと、そこは見知らぬベッドの上だった。


「あぁ……、私ったらつい寝ちゃってたのね」


荷物を整理すると、今まで張り詰めていた気持ちが切れたのか、疲れが一気に押し寄せて少し休むつもりが、つい寝入ってしまったらしい。

部屋の中はすでに暗くなっていて、ロウソクの灯りだけが点いている。


「ふあぁ…、最近で一番眠れた気がするわ…」


侯爵家の豪華なベッドの上では熟睡もできなかったが、このお世辞にも高級でないベッドで軽く寝ただけでも疲れは取れた気がする。


「アスタロテ様、夕食の準備が出来てございます」


ノックの音がして、爺やが夕食の時間を告げる。

と、アスタロテのお腹もグゥと鳴った。


「疲れか取れたら、お腹も空きましたわ…」


◇◇◇


「いやあ、我が家の食卓に肉が並ぶのなんて何年ぶりだろう」


トリスタンが食卓の前にで手を合わせる。


「お言葉ですが、坊ちゃま、肉は出さなくともこの爺や毎回誠心誠意お作りしてましたぞ」


グラスに飲み物を継ぎ足しながら爺やがトリスタンを睨む。


「肉は無くともこの爺が釣り上げた魚をお出ししていたではありませんか、いつも豆のスープだけのような言いようは頂けませんな」


「俺が魚苦手なのを知っているだろうに」


「まったくいい歳をして未だ好き嫌いがあろうとは、亡き奥様が知ったらさぞかし嘆かれることでしょう」


広いとは言えない食堂での食事は、賑やかなものとなった。

トリスタンが何か言うたびに爺やが悪態をつくので、アスタロテは笑いっぱなしだった。


「あら、私前菜とスープでもうお腹いっぱいですわ。爺や、このお皿をあちらの腹ペコな人の所へ持っていってちょうだい」


「かしこまりました」


アスタロテの皿を恭しくうやうや捧げ持つと、爺やはトリスタンの所へと肉の皿を運んだ。


「いいのかい?お姫様」


「ええ、言ったでしょう、お腹がいっぱいですの。それにあなたには明日からも働いてもらわなければいけないんですもの。なんなら明日あなたが王太子からの刺客に襲われるかもしれないですし」


「おいおい、話が違うぜ、今日王太子をこっぴどくふったらしばらくは安全なんじゃないのか」


「そうは言いましたけど、実際の所どう転ぶかなんて解りませんもの。あの、王太子のお友達のユーリスとか無口な騎士の方とか、王太子をコケにされて怒ってるかもしれなくてよ」


「はぁ、明日心臓に穴が空いていないことを祈るとするよ」


トリスタンは大きく切った肉にかぶりついた。


「ごちそうさま、とても美味しかったですわ」


デザートを食べ終えた私は爺やに感謝の礼を述べた。


「御口に合いまして、ようございました。侯爵家の物にはとても敵いませんでしょうが、精一杯腕をふるわせていただきました」


「そんなことはないわ。私、家に居たときよりも美味しく食べられてますもの」


確かにエルフリーデ侯爵家の食事は毎回豪華で量も食べ切れないほど出てきたが、シンと静まりかえった中で大勢の給仕人に見られながら一人で食事するのはついこの間まで一般人だった私には苦痛な時間だった。


(ついさっき会ったばかりなのに……。ここにいるとなんだかホッとしますわ)


トリスタンには、どうせバレるだろうし爺やには恋人はフリであることは話す、と言われて不安だったものの、これまで接していて、爺やと言う人がトリスタンの言うように信用できるようだと分かったのでひとまずは安心した。


「アスタロテ様はお疲れのご様子、湯浴みの準備もできていますが、いかがいたしますか」


「そうね、少し早いけどお願いしようかしら」


なにしろ転生してからというもの、死ぬ運命からなんとか逃れようと必死で考えていたので、一山ひとやま越えた所に久々に安心して食事ができて急速に眠くなってきた。


(私ったらさっきも寝たのに。それだけ疲れてたってことね)


トリスタンの家の湯船に浸かると固まっていた緊張も少しはほぐれていくようだった。


(不安だったけど、今のところここに来て正解だったみたい。あのまま侯爵家に居たら緊張でおちおち寝てもいられなかったし……)


風呂から上がって部屋で鏡に向かっていると、後ろに映っているベッドの上に何か動いてるような気がして振り向いた。


「きゃああああっっ!!!」


「どうした?!」


叫び声を上げると、トリスタンが慌てた様子で部屋に飛びこんできた。


「ね、ね、ネズミですわっ!そこのベッドの上に!!」


動転して部屋にやってきたトリスタンに私はしがみついて、ベッドの上を指さした。


「なんだ、ネズミか。って、もういないみたいだが」


私の叫び声に驚いたのか、ベッドの上に居たはずのネズミは姿が見えなくなっていた。


「ほ、本当に居たんですのよ!?鏡越しに影が見えて、振り向いたらそこの上に乗っていたんですの!」


なんだか大した事のないように言われたのでムキになって言い返した。


「アスタロテ様、どうなされました?」


そこへ慌てて爺やがやってきたのだが、寝間着姿でトリスタンの腕にしがみつく私を見て、ゴホンと咳ばらいした。


「申し訳ございません、お邪魔でしたかな」

爺やにそう言われて私は慌ててトリスタンの側から飛び退いた。


「これは、ち、違いますわ!つい動転してしがみついただけですっ」


「恋人なんだから遠慮しなくてもいいのに」


「そういうんじゃありませんもの!」


軽口を叩くトリスタンの足を踏む、


「…っと、冗談はともかく、爺や、この部屋にネズミが出たらしいぞ。どうなってるんだ」


「申し訳ありません、穴という穴は塞いだつもりなのですが、なにぶん古い建物のため…」


「まあ、どこかへ行っちまったみたいだし、今夜はもう出てこないだろうよ」


「待って!私ここではとても寝られませんわ!」


話を終わらせようとするトリスタンに慌てて言った。


「ネズミが出たくらいで大げさな…」


「そんなこと言って、寝てる間に私の耳が噛じられたらどうするつもりですの?!どこか他の部屋はないんですの?」


「困りましたなぁ、ネズミが出ないのは食糧庫と坊ちゃまの部屋だけですぞ。まさかアスタロテ様を食糧庫に寝かせるわけにもいきませんし」


爺やの言葉に、


「じゃああなたのベッドで寝ます!」


反射的に言ってしまった後、アスタロテは後悔した。

トリスタンは口笛でも吹きそうな顔で、爺やといえば口をあんぐり開けてこちらを見ている。


「ち、違います!そういうつもりじゃなくて…」


アスタロテは慌てて訂正しようとした。


「いやいや、俺は大歓迎さ。こんな大胆に言われるとは思わなかったけど」


「そういうことでしたら最初から恋人のふりなどと偽らなくとも、この爺めは目も耳も塞ぎますからお気になさらずにいていただければよろしいのですよ」


「もう!ですから違いますのにー!!」


自分のうかつな言葉が原因とはいえ誤解を招いてしまってアスタロテは顔を真っ赤にして悲鳴を上げた。


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