第6話
その日の夕暮れ、かわせみはついにさざんかの群生地に辿り着きました。見わたす限りさざんかの木々が広がっております。広葉樹の葉が、つやつやと深緑に輝いておりました。しかし、かわせみはすぐ、奇妙なことに気がつきました。
花が、ないのです。
さざんかはその木の枝々に、薄紅の花をまるで爆弾のように鮮やかに咲かせるものですが、かわせみの目にその色は映りません。しかもこの時期はちょうど満開のはずです。その様は明らかに異常でした。かわせみは身体の芯が急速に冷えていくのを感じました。慌てて、木々の間を点検しながら周り始めました。
しばらくして気づいたことは、花々が故意に毟られていた、ということです。どの枝にも、強引に切断されたような、荒い傷が見つかりました。そこからは枝の表皮の内側があらわになっていて、その薄い浅黄色が余計に生々しく映ります。かわせみが何度も見てまわってもそのような荒涼とした風景が見えるだけで、花の一輪もありません。ひとつ残らず刈り取られていました。いったい、誰がこんなこと。かわせみがそう思いながら呆然としていると、夕陽がその角度を変えて、一本の木の影に光を差し込みました。そしてその影にひっそりと残っていた一輪の花が、夕陽に照らされました。かわせみは驚いてそこに向かい、慎重に枝に止まります。
「あなたも、私を毟るのですか」
夕陽のように透き通った声がしました。それはさざんかの花の声でした。その声音はあまりに切実で、触れればガラス細工のように崩れてしまいそうで、かわせみは思わず息を呑みました。
「さざんかさん、他の花はどうしたのですか」
かわせみはおそるおそる訊ねました。冬の夕暮れは速いもので、もうその淡い光は花を照らしてはいませんでした。
「皆、人間たちによって毟り取られていきました。かりそめの命を求めた、強欲な人間たちです。野蛮な彼らは花の声など解らないのですよ。友人も、兄弟も、皆悲鳴を上げながら死んでいきました。なんて悲しいのでしょう。でも、一番悲しいのは遺された私。仲間のむごたらしい死を全て目の当たりにしたあと、ひとりで死ぬんです。誰にも看取ってもらえずに。ああ、つらい。つらい。あなた、きれいな羽根をしたかわせみさん。早く私を殺してください。このつらい命を、一秒でも早く終わらせてください」
静かで、どこまでも悲痛な叫びでした。かわせみはかわいそうで、申し訳なくて、つらくて、悲しくて、何もいえませんでした。日は沈んで、沈黙が降りました。それは閉館した劇場のような、圧倒的で、絶対的な沈黙でした。かわせみとさざんかの間を濃密な静寂が支配し、そこには何の言葉も入り込む余地がありませんでした。風も吹かない、深い夜です。
その夜が、ふと明るくなりました。雪が降りはじめたのです。かわせみの羽根に落ちると、それはべちゃっと水になってまとわりつきました。重い牡丹雪です。それは空一面にゆっくりと、さざんかたちを悼むように降りてきます。さざんかの花にも落ちます。花びらが一枚、はらりと散りました。かわせみは思わず、雪から花を守るように翼を広げました。灰色の冬に、鮮やかな青色の傘が開いたような具合です。
雪はどんどん降ってきます。次第にかわせみの翼に積もっていきました。その重さと冷たさに、かわせみの身体は震えます。小さな翼からあふれた雪が、一枚、また一枚と花びらを落としていきます。翼がもっと大きく、強くあればいいのに。かわせみは悔しさと悲しさでこころがぐちゃぐちゃになって、今にも泣いてしまいそうでした。それでも雪はやむばかりか、強くなっていく一方です。かわせみの翼は、ほとんどもう役に立たなくなってしまいました。
「ありがとう」
かすかに声が聞こえて、最後の花びらが散りました。薄紅のそれが雪化粧に消えていくのを見て、かわせみはようやく自分がすべきことに気がつきました。
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