第4話
翌朝、また梅の花たちにお礼をして、かわせみは出発しました。その日は、魚を一匹しか捕りませんでした。命の重みを身体に刻み込むように、ゆっくりと呑み込みました。一匹だけではお腹は空いてしまいましたし、その分前日よりは進めませんでしたが、かわせみはそちらの方が良いと思っておりました。
その夜、かわせみはひとりでした。川辺の岩屋で身体を休めつつ、今までの道程を思い返します。随分遠くまでやってきました。もうめじろのいる野原は見えません。標高も高くなってきたのか、少し肌寒いような気もしました。そのようにひとりでうずくまっていると、やはり誰かのことを思い出すというものです。かわせみは、兄さんのよだかのことを思っておりました。よだかは、昨冬の山火事があった夜、突然かわせみに会いに来て、先のことを言い残すとどこかへ行ってしまいました。よだかは「遠い所」に行くといっておりました。それがどこかは分かりませんが、きっと簡単に会いに行けるような場所ではないのでしょう。かわせみは途端にさみしくなってしまいました。そのさみしさをごまかすように、あるいは深めるように、かわせみは空を見上げました。相変わらずの群青が広がっておりましたが、西の空の端には、埃のような重苦しい雲が引っかかっております。もう一度ぐるりと空を見わたした、そのときでした。
空の端に、よだかの星がありました。
気づいたときにはもうかわせみは飛び出していました。星になったよだかに向かって、「兄さん、兄さん」と叫びます。しかしよだかの星は何もいいません。凍った夜空に閉じ込められたかのように、そのままの位置でらんらんと光り続けております。かわせみはさらに飛び上がりました。よだかの星へと少しでも近づこうとしました。それでもやはり、星空は遠いものです。全く近づいた気がしません。かわせみは呼びかけ続けました。翼が刺すように冷たく、喉が砂漠のように痛みはじめたときです。
「さっきからなんだい、うるさいね」
星空から声がしました。それは、よだかの星の隣にある、カシオペア座の声でした。かわせみは、潰れた声でなんとか事情を説明しました。すると、カシオペア座は「あんた、あいつの弟か」と鼻を鳴らしました。
「悔しいけどね、あんたの兄は誇るべき死に様だったよ。たかが鳥のくせにね。金も地位もないのに、立派に星になりやがった。まあ、まだ私ほど星としての経歴が長くないから、喋れやしないけど。もう数百年ほどしたら多少は喋れるようになるだろうから、それまで待つんだね」
カシオペア座はこちらを小馬鹿にするように、そう言い捨てました。そのあともカシオペア座は自分の美しさや素晴らしさを意気揚々と語っていましたが、もはやかわせみの耳には入っておりませんでした。かわせみの頭は真っ白でした。あるいは真っ黒でした。羽ばたくことも忘れて、枯れ草だらけの地面へと墜落してしまいました。木々の茂みで、もうよだかの星は見えません。
さきほど、カシオペア座はよだかの死に様が立派だといいました。星になったのなら、それは立派だといえるのでしょう。
しかしかわせみは、そんなことどうでもよかったのです。本当に、どうでもよかったのです。死に方なんて立派じゃなくてもいい。星になんてならなくてもいい。よだかに望むのはひとつだけ。隣にいてほしかった。あの優しい兄に、ただ隣にいてほしかったのです。でも、よだかは死にました。もう、あの温かい声を聞くことすらかないません。かわせみは飛び上がりました。よだかの星に向かって、ではありません。ひたすら川沿いを上りました。大きく口を開けて鳴きました。枯れた喉ではほとんど声になりません。兄のように雄々しい声なんて出せません。かわせみは自傷のように翼をむやみにはばたかせ、まっすぐに飛んでいきました。
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