第42話 文母とご対面
5月7日。
ゴールデンウィーク最終日。
「――せ、先輩。すぐに母が来ますので」
「あー、うん」
隣の座布団に腰を下ろす紺色の浴衣姿に身を包む文に声をかけられるもの緊張から反応が薄く生返事になってしまう。
何も考えられん。
昨日、クマたちに話した通り文の家に着き、着いて早々挨拶もそこそこに文の母親を一緒に待つことに。
ちなみに昨日は結局妙案を貰えなかった。
『ビシッと身構えとけばええよ』
『普段通りに振る舞え』
友人二人にアドバイス?を貰い。
『懐かしいな。妻の実家に挨拶に行ったあの日――』
店長に関しては昔の思い出に浸り。
話を聞いてもらったのに申し訳ないが三人は当てにならなかった。
「せ、先輩。以前お話をした通り母はあまり話す方ではありませんがとてもお優しい方です。普段通りの先輩で大丈夫ですので」
「……うん」
一言、そう返事を返す。
一応、この場に居合わせる前に文から文母の情報は貰っている。
まず、父親はいなく本人は無口だが根はとても優しい。それは文さんのお母さんだから心配はしていない。元々文さんのお母さんはプロファッションデザイナーをしている凄腕の持ち主らしく、その界隈では有名、らしい。
ただ単に心配なのは――
二股をした事実を包み隠さずに伝えること……美春さんの話はしないと決まったけどどう考えても自分の娘が二股をされていたら……そりゃあ……怒るだろう。
心配と不安、緊張と全てごちゃ混ぜになった感情に陥ってしまうのは仕方のないこと。
「先輩」
「……大丈夫」
こちらを気遣ってか服の裾を軽く摘み心配そうに見てくる。安心させるべく自分は軽く微笑み後輩の肩を軽く叩き。
後輩兼彼女である文さんを心配させないために挑む。
トントン
意思が固まったところで襖を軽く叩く音が聞こえ、襖がゆっくりと開く。
「……」
襖から現れた女性――文の母親はその美しい顔を無表情に小宮を見下ろす。
「――ッ」
この人が文さんのお母さん……。
文さんとどことなく似ているな。親子だから当たり前だけど。でもなんだろう。この体の隅々をチェックされている様な感覚は。
文の母親は黒色の浴衣を着た美春と同じくとても若く美しい女性。髪は娘と同じく真っ白で美しく肩口で揃えた姿がクール。どことなく「儚い」というイメージが強い。
「あ、あの僕――」
「文。隣の部屋に行っていなさい」
立ち上がり自分から自己紹介を行う――こともできず遮られる。
「……」
どうしたらいいか途方に暮れてしまい雪見親子の動向を見守ることに。
「……承知しました」
「話が済んだら呼ぶから」
雪見親子は少ない会話を交わし、文母に言われた通り文が部屋を後に。文の姿が見えなくなった頃に文母がおもむろに――小宮のお向かいの席に腰を下ろす。
その一つ一つの所作に上品さが滲む。
「……座らないの?」
「あ、はい――失礼します」
少し放心状態に陥っていた自分は文母のそんな何気ない声掛けで我に返り。
「……」
「……」
しーん
腰を下ろし対面する二人の間に会話はなく。
き、気まずい。どうしよう。なんか自己紹介のタイミングも間違えたし今も無表情でこちらの様子を伺うような視線を向ける文さんのお母さんの思考も全然解らないし……。
「小宮、慎也君……名前、合ってる?」
「は、はい!……小宮慎也と申します」
何か話さなくてはと思った矢先、文母からの唐突な問い。それになんとか返す。
「挨拶遅れましたが、娘さんとは恋人関係であり――」
「もうエッチ、した?」
「ブフッ!?」
この勢いに乗って自己紹介を……と思ったが、これまた本当に唐突な質問に咳き込む。自己紹介を中断せざるを得ない状況に。
「大丈夫?」
「……う、はい。その、肉体関係はありません。僕達は学生らしく清い関係なので」
「そう」
こちらの言葉に納得をしてくれたのか一つコクリと頷いてくれる。
こう言ってはアレだが表情が乏しいから何が
どうしよう。「清い関係」とか言ったけど「二股」をしている時点で「清い関係」ではないよ……むしろ「ふしだらな関係」だ。
自分で自分の首を絞める展開に。さっきから冷や汗が止まらないことも拍車を掛け。
「……ごめんなさい嘘つきました」
「嘘?」
嘘をつくことに心苦しくなり謝罪と共に頭を下げていた。
「……はい。あの、娘さんと肉体関係がないのは事実です。ですが……娘さんとは別の女性とも付き合っていましてですね。事実上の……「二股」関係をしています……」
なんとか言葉にできた。
ただどんな返しが返ってくのか怖くて俯いてしまう。顔など見れるはずもない。
「……知ってる」
「です、よね。ごめんなさい。知ってますよ――え?」
文母が口にした言葉がすぐに理解できず俯いていた顔を上げて唖然として。
「だって――美春に聞いたから」
「美春、さん?」
「そう。君は美春と美春の娘の美咲ちゃんともお付き合いしてる」
「え、そう、ですが……あの。つかぬことをお聞きしますが美春さんとのご関係は?」
すでにパニックを起こしていた頭では正常な判断は難しく「美春と文母の関係」という疑問の解消にしか働かない。
「中学からの友人。美春本人から君が「三股」をしていることは聞いてる」
「……そうですか」
美咲と文の「二股」どころか美春との関係も知られており「三股」がバレていたことによりキャパオーバーを引き起こした。そんな頭で短い返事を返す。
だ、だから――美春さんが自分のことは話さなくてもいいと言っていたのか……。
それは昨日、美咲の誕生会が終わり帰り際に交わした会話。
『私のことは話さなくても大丈夫だからね』
『え、でも隠すのも……』
『大丈夫大丈夫。慎也君は気にせずに文ちゃんのお母さんと会話を楽しめばいいから〜』
こちらの心配を他所に余裕綽々と軽く答えていた。
お酒が入ってたから適当なことを言っているものと思っていたけど……ようやくあの余裕がどこからくるのかガッテンがいった。
「遅くなったけど。私の名前は
どこまでもマイペースに無表情から変わりはないがそう淡々と自己紹介をしてくれた。
「……でも、いいんですか? 僕は娘さん――文さんの他に付き合っている人がいます。そんな奴に大切な娘をなんて……」
「問題ない。娘は人を見る目はいい方だと思う。娘が選んだ人なら安心。君も誠実そう」
「……ありがとうございます」
な、なんとか危機は脱した……のか? 一応はお母さんにも許可を貰ったし。
「時に慎也君」
「は、はい?」
「挨拶をしにきたということ。それ即ち……娘を選んだということ?」
「え、っと。それは……」
無表情の問いに口籠もり。目を逸らし、俯き、顔を上げ、諦め――
「ごめんなさい。情けない話まだ決められていません。娘さんと交際をしていながら弄ぶ様なことをしてしまい、すみません」
「問題なし。君が娘を選ばないということ。それは文に魅力がないだけだから」
「いえ、そういうわけではありません。文さんはとても可愛く甲斐甲斐しく僕には申し訳ないほど素敵な女性です。ただ、僕が優柔不断で選べない……腰抜けなだけなんです」
本当のことを話す。どんな罵声を浴びせられようと覚悟は決めていてる。
「そう。なら娘にはまだチャンスはある」
「それはお答えできません。僕に決める権利はなく、彼女に対して「チャンス」など烏滸がましいことです。なので返事は慎みます」
「……そう」
出過ぎた真似なのは承知。それでも僕にはそんな決定権などない。彼女たちを選ぶのは僕ではなく、僕を選ぶのも見捨てるのも彼女たち次第なのだから。選択を迫まれてなお、今も何も決められない僕など。
「うん。君の様な青年が文の「彼氏」で安心した。もし、この場で
「(プルプル)」
文母は脅しのような言葉を使うがどうやら小宮のことを本当の意味で認めているらしく、すぐに優しい?雰囲気に戻り。
「怖がらなくても大丈夫。それにこれはいい機会なのかもしれない」
「えっと、何がでしょうか?」
「文を選んだ暁には特典として私が本当の意味で君の「母」になってあげる」
「へ?」
その素っ頓狂な発想に唖然とし。
「驚くのも無理はない。私は知っている。君が「母親」に関心を抱いていることを……美春から聞いたから」
そう自慢げに話す。表面上無表情だが、その瞳にはどこかこちらを――獲物でも捕らえる猛禽類の様な目付きで――
「私も「息子」が欲しいと常日頃から思っていた。それが優しく誠実で娘の彼氏である――小宮慎也君。君なら歓迎」
無表情で何の感情もこもっていない声量で――両手を広げる姿はシュール。
「どうかな?」
「そう言われましても……」
さすがにこれは答え難い。
「む。なら――美春と同様に君の――」
「お母様、それ以上は許しません!!」
自分の母親の奇抜な発想からくる発言を止めるべく呼ばれていないのに文が乱入。
「文、まだ呼んでいない。今は私と慎也君のこれから――」
「そんな話はいりません! いくら先輩がお母様「念願の息子像」だとしても譲れませんし譲らないです!!」
「それは言わない約束だったはず……」
「お母様が余計なことをしようとしたからです!!」
雪見親子のやり取りを蚊帳の外で見せられる。
「あの……」
「先輩すみません。母の許しも貰い許可も得たので今日は帰りましょう。これ以上母の与太話に耳を傾ける必要はありません」
「いや、でも」
「いやもでももありません! 行きますよ」
「うわっ!?」
腕を掴まれた小宮は強引に立ち上がらされ、文に連行される形で部屋を後にする。
背後から聞こえる「慎也君、待ってくれ」という言葉を耳で捉えながら。
・
・
・
雪見家の玄関で。
「先輩、すみませんでした! 強引に連れてきてしまい」
「それはいいけど。お母さんの話を聞かなくて本当に良かったの?」
「はい」
清々しいほどの笑顔で即答。
「……わかった。これ以上は聞かない」
「はい。では帰りましょうか」
「最後に挨拶くらいは」
「大丈夫です」
「でも」
「大丈夫です」
「……はい」
その笑みに根負けして。
段々と笑みの圧が強張り黒くなっていくことが怖かったから了承したわけではない。
その日は色々と不完全燃焼だったが、文さんに急かされた通り帰宅――をすることなく「帰宅」という名の「デート」をした。
「あ、そう言えば南條さんは……」
デートの最中にふと気になり。
「はい? 今他の女性の話題いります?」
「いえ」
ドスの効いた声が怖くて横に首を張るだけの首振り人形に成り下がる。底知れない恐怖は違うものあの母にこの子と思えた。
これは後日談になるが。
文さんの母親――式さんは僕の顔写真を見た時から何か惹かれるものがあったそうで文さんと付き合う件は初めから了承済み。
今日呼んだのは「挨拶」という名目上の体裁。本来は僕を式さんの「息子」あるいは「夫」にさせる計画だったとか……。
「息子」については……文さんと結婚をすれば芋づる式に勝手になるが「夫」はちょっと……別に式さんのことが嫌いというわけではないがこれ以上彼女候補はちょっと。それも「お母さん」はもうお腹いっぱいです。
蓮兄に言われた「女性に好かれる」ということは忘れずに肝に銘じようと思った。
この体質「異能」レベルすぎるだろ。
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