第21話 絢瀬慎也という男 壱


 ◆



 とても幸せな家族。

 仲の良い友人。

 良好な周りとの関係。


 それら全て、"何か一つ"の出来事で簡単に崩れ去る。


 僕、「絢瀬慎也あやせしんや」がそうだったように。


 これは「小宮家」に引き取られる前の偽りのお話し。


 僕、絢瀬慎也は優しい父さん、優しい母さん、そして可愛い妹、そこに僕が居るというごく普通の家庭でとても幸せで暖かい生活を……


 父の名前は絢瀬聡太あやせそうた


 僕の生前生きていた頃のの父親と母親の親友であり、高校教師でもある。家族一頼りになる理想の父さん。


 母の名前は絢瀬由奈あやせゆな


 同じく、生前生きていた頃のの父親と母親の親友であり、美容師のとてもおっとりとした性格。何よりも家族のことを考えてくれる優しい母さん。


 妹の名前は絢瀬白昼あやせまひる


 僕とは兄妹の仲だ。もちろん、僕が兄。二卵性双生児であり顔は似ていないし、性格は違う。少し兄に対して口が悪いけど……根は優しい子だ。


 そんな三人の家族に囲まれ、僕はと知らずに中学二年生まで過ごした。

 

 真実を知ったのは中学二年生の秋ごろ。


 少し肌寒くなり、今年は雪が降るのではと実しやかに囁かれていたある日。


「……ただいま――」

「じゃ、お母さん今日は遅くなるからー! げっ、いたの……」


 綺麗な黒髪をサイドテールにした我が妹こと白昼と魔が悪いことに玄関口で遭遇してしまった。


 中学生になり反抗期に入ったからか少し口が悪い妹。こちらの顔を見るやいや、本当に嫌そうな顔をする。それは生ゴミや汚物でも見るような眼差し。


「気持ち悪いから近よらないで! お母さん、また制服汚して帰ってきてるよ注意してよ!!」

「……」


 汚れた制服を見て、家の中にいる母さんに声をかける。

 そんな妹の姿をヘラヘラと薄笑いを浮かべて眺めていた。


 、と。


「――なの……」


 母さんは疲れたような悲しそうな表情を浮かべ、こちらに歩いてくる。


 あぁ、怒られるのかなぁ。やだな。


 ・

 ・

 ・


「――慎也、約束したはずだ。もう喧嘩はしないって」


 案の定、父さんが帰ってくるなり説教タイムだ。


「……ごめんなさい」

「そんな言葉を俺は聞きたいんじゃない。なんでまた喧嘩をしたのか俺は聞きたい。なぁ、父さんに話してくれないか?」


 こちらの目を見て真剣に聞いてくる。


 そんなに聞きたいならまずは僕の「本当の話し」も聞いてよと思っても、どうせ無理だろうと子供ながら思った。


「……はぁ。また相手側に謝りに行かねばならないか」

「そうね。でも仕方がないわ……この子が喧嘩なんてするから」

「……ッ」


 その言葉に、自分が何も悪くないと分かっているからこそ嫌になる。


 どうせ何もできない自分は自分を少しでも落ち着かせるため爪が手の肉に食い込む勢いで握り込み、唇も強く噛む。もしかしたら口から血が出ているかもしれない。


 「あること」が原因で家でも家の周りでも……でも「不良」として通っている。

 そんな事実などないのにみんな、誰も僕の話しなんて聞いてなどくれない。


「今度、謝りに行くからな」

「……はい」


 解放されて夜ご飯を食べ終わる頃には既に22時を回っていた。

 その日はお風呂に入る気力もなく自室に戻り、布団に倒れ込むように眠りにつく。



 深夜



「……夜、か」


 たまたま尿意を覚え、眠気まなこを手で擦りトイレへ。


「――!」

「――」


 元々眠りが浅くなっていたこともあり、毎晩とは言わずとも目を覚ます時はあった。

 音を立てずに廊下を歩いているとトイレに行く手前にあるリビングから声が聞こえる。

 それは何か言い争っているような話し声。


「……」


 気にしなければいいのに、よしとけばいいのに、その時は好奇心から耳をそば立て。


「――の子はどうして、人に暴力を振るうように育ってしまったのか……」

「でも、お父さん。あの子は、慎也は人に暴力なんて振るえない優しい子よ? 私達の勘違いかもしれないし……」

「それじゃ遅いんだ。母さんも分かるだろ? 俺達なら防衛もできるし悪いことをしたら叱ればいい。でも、いつ白昼に危害が及ぶか分からない」

「それ、は……」


 両親のそんな話し声が聞こえた。


「……は、はは」


 話し合いの言葉の意味を知り、自分のことについて話し合っているんだと思った瞬間、乾いた笑い声が口から漏れていた。


 これ以上、聞きたくない。

 聞きたくない。

 そうだ。

 僕はトイレに行くために来たんだ。

 こんなことしている場合じゃ――


 心に多少なりの傷を負いながらなんとかその場を離れようとした時、聞いてしまう。

 


「可愛い我が娘に、が手をかけるのなど我慢できない。やはり、安易に引き受けるべきではなかった……」

「――ッ」


 声をあげなかったのは不幸中の幸い。

 しかし、運が悪いことにその言葉を確実に自分の耳が捉えた。


 『他人の子』


 自分が、「絢瀬慎也」がこの家の子ではないと示す言葉を。


「飲みすぎよ。それに聞かれていたらどうするの?」

「……大丈夫だ。今日十分に説教をした。今頃熟睡でもしているだろう。もし万が一聞かれていたとしても頭の出来の悪い慎也には話の内容など理解できない」

「あなた! どうしてそんな酷いことを言うの!! それ以上は私が許さないわよ?」

「すまない……俺も、どうかしていた」


 由奈の責める声に聡太はハッとし、罰の悪そうな顔を作る。

 お酒が入っていたからといって口にしていい言葉ではない。

 己が発した言葉の意味を、失言にようやく理解したようだ。



 その話を全て聞き終えた本人は本来の用事であったトイレに行くことなく、気づいたら自室に戻り布団に丸まり、震えていた。


「そ、そうか。。そうだ。だから、父さん――は僕の話なんて聞いてくれないんだ。だって、僕は、所詮、だから……っうぇっ」


 自分に言い聞かせるように小声でぶつぶつと呟くもそんな辛い現実が受け入れられることなどできず吐き気が催しえずいてしまう。


 もしかしたら薄々自分も違和感には気づいていたのかもしれない。


 髪色は皆「黒色」と同じ。

 明らかに自分と違う他の三人の容姿。

 妹の白昼とは二卵性双生児。

 

 ただ今となってはその真実すら定かではない。もちろん先の話だってホラ話の可能性だって多いにある。

 幼い頃の記憶、五歳ぐらいまでの記憶が断片的にしか思い出せないことがただ一つの気がかり。


「確かめる術もなし、僕自ら聞き出すのも、厳しい。中学生が一人でどうこうできる問題でもない。ただ繋がってしまった。辻褄が合ってしまった……なんだ、僕の「居場所」なんて始めから、何処にもないじゃんか」


 今までに蓄積されたストレスで不安定になっている心。多大な疲労感で考えることが、判断力が欠如している頭。


 もう、何も考えたくなかった。

 だから、そう決めつける。


「う、あぁぁぁ。ぁぁぁぁ……っ」


 決めつけた瞬間、目の前の景色が灰色に塗りつぶされて行くような感覚。

 ドス黒い何かが心の中から湯水のように湧き出てくる感情。それを超える悲しみから涙が溢れた。


 声を押し殺して泣く。


 それは悔しさからなのか、悲しさからなのか、はたまたどちらともなのか分からない。


 経験から分かる通り、一人は「孤独」だ。


 誰も助けてはくれない。

 誰も守ってはくれない。

 誰も信じてはいけない。


 今までは「家族」だけが自分のたった一つの心の支えだった。その家族が自分の血を分けた「家族」ではないと知った時何かが音をたてて崩れ去る。


 誰かが言った。


『「信頼」はまるでジェンガだ。少しずつ少しずつ高くするのは簡単だ。だが、崩れ去るのはすぐだ』


 「信頼」を「信用」を失うということは人として致命的であり、終わりでもある。

 それが治ることのない亀裂が生じて崩れ去り、心にポッカリと穴が空いたら、尚更。


 もう「治らない」「治せない」。

 「修復」のしようがないほど、壊れていた。


 

 意識が朦朧としている中、自分が置かれている状況について考えるとともに、そんな自分にも救いの手を差し伸べてくれた一人の「先輩」のことを思い出した。


 まだ妹に嫌われることもなく、両親や他の友人達と楽しく過ごしていたある日。突然、「その時」は前触れもなく訪れた。



 小学校からの気心知れた友人がいる。


 「不良」と広まるまでは中学校生活も充実していて、他の生徒や先生とも仲が良かったし信頼されていた。

 僕の小学校からの友人は三人いて全員美男美女で、それに加えて家はお金持ち。

 本人達も皆頭が良くて、スポーツができて僕はそんな友人達が誇らしかった。

 でも、そんな楽しい日々は続かない。

 いつしか友人以外の周りの人間から「金魚のフン」と思われるようになっていた。

 僕もその自覚はあった。

 自分には何か自慢にできるような秀でたものなどない。


 だから、皆に伝えたんだ。


『僕と皆は住む世界が違うよ。だから、これからはあまり話さないようにしよう?』


 それは皆のためでもあった。

 なのに皆は。


『そんなの関係ない』


 と、声を揃えて口にした。

 それは嬉しかった。

 肯定し、受け入れてくれる皆。

 その後も皆はいつものように仲良くしてくれた……でも、それがいけなかった。


『――うぐっ!?』

『分かったか? これ以上ぶたれたくないなら雪村達から離れろ。お前、自分の立場も分かっていないのか、邪魔なんだよ』


 ガタイのいい男子生徒に突き飛ばされ。

 こちらの静止の声など聞かず他クラスの生徒達数人に校舎裏でリンチをされた。

 喧嘩なんてしたことがない自分は一方的に殴り、蹴られボロ雑巾のように捨てられる。


 その日はいつも通りの放課後。

 委員会の仕事があり遅くまで校舎に残っていた。

 他の友人達は「残っている」と言っていたけど悪いと思い帰ってもらった。

 自分も仕事が終わったから帰ろうと思った矢先の出来事。

 その生徒達の言い分は友人、雪村君と雨宮さん、伊集院さんの三人と連む僕が看過できなくなり行動に移したと。

 要は過激派達が独断で起こしたもの。


 その時は自分も戦える力はないし、怖かったし、他の皆に迷惑をかけたくなかった。


『わ、分かった。ごめんなさい。もうあの人達とは関わらないから』


 そう彼らに涙声を震わせて告げるのが精一杯で頭を下げて許しを請う。


『は、腰抜けが』

『中学生にもなってそれぐらいで泣くとかダセェ』

『見苦しい、学校来んなや』


 彼らはそう吐き捨てて去って行く。


 その日はなんとか痛みが引いた頃合いを見て家に帰宅。


『お母さん、お父さん! が怪我してる!?』

『え!? それは大変!!』

『慎也、大丈夫か!?』


 家に帰ると妹と両親がかけ寄ってくる。

 それが嬉しくて泣いてしまったけど、結局本当のことは言えず「学校の階段から落ちた」という僕の証言で話しは収まった。


 翌日、クラスメイトや先生達に怪我を見られて驚かれた。

 自分は喧嘩をするような生徒ではなかったので顔中に青タンを作って登校してきた時はさぞかし驚いただろう。

 昨夜鏡で顔を見た時、自分も驚きの声を上げたほどなのだから。

 どう考えても怪我の具合は階段で転んだくらいじゃ治まらない。

 だから父さん達は心底驚いたような顔をしていたのだと。


 中学生は手加減なんて知らないから。


 友人達にも驚かれたけど、周りと同じように伝え、数日は普段通り皆と仲良く過ごした。

 彼らの言うことを無視するつもりはない。

 ただ、怪我を負ったその日から友人達と不仲になると何か良からぬ詮索をされてしまうと、浅知恵から決断。


『――あぐっ!?』

『お前アホか? あれだけ言っただろ。近づくなと。これはきついお仕置きが必要だな』


 以前と同じく彼らは僕を見つけると周りに誰もいないことをいいことに校舎裏に連れ込まれ、またリンチを受けた。


 奮闘も虚しく、怪我も治る前にまた違う怪我を負ってしまう。

 言い訳、どうしようと内心諦めていた時、彼は現れた。


『お前ら、一人を囲んで何しとん!!』


 その人は自分を囲む彼らより数段とおっかない風貌。


 背は高く、顔はイケメン。

 髪は金髪。

 目つきは鷹のように鋭く。

 ヤンキーにしか見えない男子生徒。

 

『げっ!? 噂崎うはさき先輩……っ!!』

『お、お前ら逃げるぞ!』

『殺される!!』


 彼らはその風貌がおっかない人を見て怯えていた。どうやら先輩らしい。


『……?』


 そんな中、自分は何もわからず途方に暮れてしまう。ただ、その後あった出来事は爽快であった。


 逃げようとした彼ら五人を一人だけで皆、のしてしまう。それは一瞬の出来事。


『これに懲りたら弱い者いじめはやめや』


 そう吐き捨ててこちらに歩み寄ってくる。正直怖かった。自分を一方的にリンチにした彼らを一人で制圧してしまう先輩……。


『君、大丈夫かいな? いや、怪我してるんだから大丈夫じゃないか。ちと待ってな』


 先輩は予想を遥かに上回る優しい声をかけ、体を軽々と持ち上げ近くの木に寄りかけてくれるとどこかへ走っていってしまう。

 助けてくれたのかもしれない。でも、遠くで呻いている彼らが怖くて一人で放置されるのは本当に勘弁してほしい……。


『おーい、近くのドラッグストアでスポドリと絆創膏、消毒液買ってきたで〜!』


 遠くからそんな先輩の声が聞こえた。

 そこで自分は本当に助けられ、自分のためにドラッグストアまで行ってくれたのだと知り、安堵のためか、涙が溢れる。


『あ、あの助けていただきありがとうございます』

『気にすんな。それより今は手当が優先や』


 先輩はそう言うと慣れた手つきで手当てをしてくれた。

 手当は簡単なもので周りから不自然に見えない程度のもの。

 その間、自分は手渡されたスポドリを飲んでいた。


『手当まで、ありがとうございます。でも、わざわざ道具を買ってこなくても保健室に行けば……』

『自分、やろ』

『!』


 その一言で肩がビクッと跳ねた。その様子を見て先輩は笑っている。


『ま、あんま詮索せんとくわ。その方が君もええやろ』

『……はい』


 その気遣う言葉が本当に嬉しかった。


『俺みたいなガラの悪い男に助けられて怖かったかもしれんが、よう耐えた。またあんな連中が来たら俺の名前でも使え。一応、この街じゃ少しばかし名が通っているからないよりはマシやろ。ほな』


 腰を上げながら先輩はそれだけいい、腰を下ろしていた僕の頭を軽くポンポンと叩くとその場を後にする。


『あ、あの! 本当にありがとうございました! 怖かったです。でも、怖くないです!!』


 最後、自分も立ち上がり頭を下げながらそんな意味のわからない支離滅裂な言葉を発し、先輩は一度足を止めたもの、片手を上げたきりそのまま歩いていってしまう。


 これが、クマと並ぶ数少ない友人であり、悪友でもある先輩の噂崎蓮二うはさきれんじ。通称、「蓮兄」との出会いだった。

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