詰みの一手

 それでも僕は気を抜かなかった。有栖川照也は”怨嗟の鬼”を作り終えてからというもの、なんだか身体中から力が抜けた感じになっていたが、僕はそんな彼の尻を叩いて新たな製作を進めていた。政府関連の内容でなくとも、何かしら彼の名前が世に知られさえすれば、後からどうとでもなると思ったから。それと、僕は彼に賭けるのは一年ほどで終わりにしようと考えていた。だからこそ、僕はこの限られた時間で彼とできることをできる限りやり尽くしておきたかった。








 こんな風に思っていたから余計に、最優秀賞を取れたのは生まれてきて一番びっくりしたことだった。名前が知られれば良いと思っていた僕は、全然優秀賞とかなんなら審査員賞でも喜んでたと思う。それなのにまさかのナンバーワンを獲ってしまうとは―――。有栖川照也を侮っていたのかもしれない。もちろん一つ目の賞が外れたときは非常に思い詰めたし、次の作戦を考えたほどだった。いやはや、僕の共犯者はどうやらとんでもない人間だったようだ。












 




 こうして僕は復讐相手に対しての壮大な釣り針を用意することに成功した。この時点での僕の狙いを少し説明しよう。








 まず、僕の狙いの大きな所として”怨嗟の鬼による現政党のイメージダウン”がある。第一今の情勢や世論調査からみて、僕が何かしなくても奴らに対しての評価は著しく低かった。僕はその流れに乗って、この小説を奴らへのトドメにしてやりたかったのだ。これで奴らが落選すれば僕は心から高笑いできることだろう。








 でも僕がそれだけで満足するわけはない。目には目を、歯には歯を、死には死を。お父さんを殺した連中に対しての報復がただの給料ダウンで済むはずがあろうか。片腹痛い話だ。有栖川照也と生活していても、夢の呪縛からは逃れられていない。多分これは一生続くのだろう。あいつらを地獄に送るまでは。あぁそうだ、きっとこの夢はお父さんが僕にお願いしているんだ。はやく悪を地獄に送れ、現世にお前を残してきたのはそのためだ、と。もしそうなら、この作戦が終わった暁には、良い夢が見られるようになるかもしれないな。








 ここから僕は有栖川照也にスピーチを考えさせながら、同時に獲物が罠にかかったときのための準備を始めた。まずネットの奥深くに存在する情報網の確保だ。僕がこの情報網に期待していたのは、殺害予告を出しているような連中の特定と、自身の持っている情報を効果的に使える場所の捜索だった。








 まず過激派に期待しているのは他でもない、実行犯としての働きだ。僕が実際に手を汚してやっても構わないが、それには色々と問題がある。僕には行動力もなければ情報も足らず、背丈だってまだそこまで大きくない。刃物を持っていたとしても大人に勝てるかは怪しい。だからこそ、頭のネジが外れた奴らに実行してもらうのが賢明だと判断した。








 とはいえ、殺害予告を出している大半はこけおどしだ。ちょっと嫌がらせしてやりたい―――くらいにしか思っておらず、実際に自分が人を殺める覚悟なんて微塵もありはしない。ただ、そんな中にも本物はいるものだ。その本物を探し当てたかったから、僕は情報の海に足を踏み入れた。ターゲットは、僕と同じく奴らに人生を狂わされ、無職に成り果てているような人間だ。








 もう一つの狙いの”情報の吐きどころ”というのはさっきの狙いと少し被っている。結論から言うと、僕は”怨嗟の鬼”が政府に見つかった段階で、自分の両親を襲った不祥事をこの世に公表しようと思っている。それは当然ゴシップなども利用しようとは思っているが、それだけでは闇に生きるもの達に届かない。それ故に、僕自身が確かな証拠を持ってネットにばらまかなくてはいけないんだ。この支持率最低な中、これらの不祥事が様々な場所で広まった暁には―――考えるだけでもニヤつきが止まらない。








 奇跡は、それを信じて準備していたものの元にしか降りてこない。その言葉は本当にその通りになった。僕が長い年月をかけて仕掛けた罠には、どでかい獲物が引っかかってくれた。それを知らせる担当編集からの電話で、僕は耐えきれず口角が上がってしまった。危ない危ない、有栖川照也に見られてしまう。








 案の定有栖川照也は落ち込んでいたが、それよりもこの人にはやってもらわなくてはいけないことがある。最優秀賞じゃなくても何かしらの形でメディアの前に出てもらい、今回の一連の流れを公表してもらうんだ。そうすれば、大賞を取り消そうとした政府の動きを、作者側から証明することができる。これは信憑性という意味でとても大きな働きをする。だから、今の境遇に満足しているようなこと言っている場合じゃないんだよ。無理矢理彼を焚き付けようとしているとき、不思議と僕の心も熱くなっていた。演技もここまで長い期間続けると感情に干渉してくるものなのだろうか。








 有栖川照也の説得が終わった後、僕はすぐに公衆電話へと向かった。そしていつもよりも低い声で、かつ口調を変えてこう伝える。








 「もしもし、竜胆桔梗が所属している編集部の編集長に代わっていただけますかい」








 しばらく時間が経った後、僕の電話は受付から編集長へと切り替わった。内心こんな怪しさ満点の電話では繋がらないと思っていたが、案外なんとかなるらしい。








 「はい、私がそこの編集長をやっているものですが、何かご要望でもございましたかな」




 「えぇ、それはもう―――ですが、これが大きな声では言いづらいものなんですよ―――場所を移して貰えますかい」








ふむ、と少し考えるようにした後で、しばらくすると周りの声が一切聞こえなくなった。








 「お待たせしました、今周りには誰もおりませんよ―――で、話というのは?」




 「なあに、簡単な取引ですよう」




 「ほう、一編集長にできることなら良いのですが、聞くだけ聞きましょう」




 「有栖川照也の受賞取り消しを、再考していただきたい」




 「なるほど―――」








これまでは子どもとままごとをしているようだった編集長も、僕がその内部情報を知っていることを自覚した途端、声色がまるで変わった。








 「一応聞いても良いかな、君はどこでそれを?」




 「このご時世、知ろうとするものの所には自然と情報が入ってくるものですよ―――情報源をたどること自体、不毛ってもんでしょうよ」




 「これはこれは、言葉遊びがお得意なようで―――君から何か聞き出すのも諦めた方が良さそうですね」




 「察しが良くて助かります。こちらの手元には二百万、用意があります。どうせ国からは報酬も出ないのでしょう?それならこのはした金、ひとつお小遣いにどうですかい」




 「その値段で私にリスクを負えと―――?これはごっこ遊びではないのだよ。そこら辺よく考えて―――」




 「約束しよう、君に責任が問われることはない」








僕は口調を強めてそう言った。これは真実であり、不透明でもある。こんな曖昧な説得でも、彼からしたら特別な効力を持つ。なぜなら、僕は今正体不明の情報屋なのだから。この二百万は勿論お父さんの保険金だけれど、僕も当然この程度で賄賂に足りるとは思っていない。でも、彼からしたらこの金額の少なさは、金額以外で何かしら返ってくるという思考に働くはずなのだ。それがリスクヘッジだとしたら、と考えれば納得がいってしまう。不思議な話かもしれないが、これが上手くいってしまうのだから人間というものは面白い。








 結局二人の契約は”有栖川照也が受賞を望むのなら、何かしらの賞の受賞を認める。それが佳作以下なら、彼にスピーチの権限を与えるように動く。その報酬は二百万と編集長の立場を守ること。報酬が支払われるのは編集長が竜胆桔梗に協力を約束している場面を録音し、それを規定のメールアドレスに送信し、その確認が取れた瞬間とする”こと。我ながらよくできたものだ。まぁ、この契約が上手くいったのも、編集長側にも不満があったからなのだろう。どちらにせよこちらには好都合だった。

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