苦渋の決断
週末、久しぶりに二日間ともアンドリューに会えた。
ロスへ行っていたときは会えなかったからと、時間を調整してくれた。そうは言ってももうすぐ三月。卒業と同時に帰国する私を思い、少しでも多く会おうとしてくれていたアンドリューの優しさだったのかもしれない。
寮から車で三十分ほど北へいったところにある「ラホヤ」へ行ったのは、土曜の昼過ぎだった。
「カナはこのラホヤを知っているかい?」
「ううん。お金持ちのエリアとは聞いていたけど、こんなにお店があるなんて知らなかった」
辺りには洒落た雰囲気の店がいくつも肩を並べて建ち、色鮮やかな花々や常緑樹の木々たちが計算尽くされたように植えられている。
「確かにここはアッパークラスのエリアだけど、ビーチや公園もあって、一日中楽しめるいい場所なんだよ」
アンドリューは言うと、あそこがユニークなTシャツの買える店、あっちは帽子の専門店、あれがオールディーズのグッズが買える店だよ、と、車をゆっくり走らせながら教えてくれた。どのショーウィンドウを見ても、興味をかきたてられるような気の利いたディスプレイがされていて、私は食い入るように見入った。
「今日はあそこのレストランでちょっと豪華に食事をしよう」
アンドリューはストリートパーキングに車を停めると指さして言った。そこは二階に設けられた、いかにも高そうなイタリアンレストランだった。
「わあ素敵。でも、なんだか高そう」
店に入っていく人たちの姿を見ても品のある年齢層の高い人ばかりだ。
「前に一度だけゴードンたちと来た事があるんだ。メニューの数が豊富で、値段も思ったほど高くなくてね。それよりカナはそんなこと気にしないでいいんだよ」
階段を上り、入口の前に立つとアンドリューはそう言ってドアを開いた。店内から漂ってくるガーリックの香ばしい香りや清々しいハーブの香りが鼻腔をくすぐる。
「実は、カナをこのレストランへ連れてきたのにはちょっとした理由があってね」
理由? 首をかしげてアンドリューを見つめると、そう、と言って意味ありげにウインクをなげた。
入口から続く石畳の廊下を少し行くと、正方形のテーブル――真っ白いテーブルクロスがかけられている――がいくつも置かれた広く明るい店内へと出た。目の前の壁は一面大きなガラス張りになっていて、外にはヤシ、松、ユーカリなどの木々が植えられ、その先には真っ青な深い海と、それに負けないディープスカイブルー色の空がどこまでも続いていた。それはまるで巨大な額縁に納められた一枚の絵画をみているような、何とも見事な光景だった。
「わあ、ステキ!」
あまりの美しさに感激した私は、祈りを捧げるように両手を組むとしばしその場に立ち尽くしていた。
「どう? 気に入ってくれた?」
「もちろんよ!」
感動と興奮でそれ以上の言葉が見つからなかった。
「カナならきっと感動してくれると思ったよ」
私の感動振りにアンドリューはたいそう満足した様子で言い、サングラスを外すと胸のポケットにしまった。
素晴らしい景色を視界に入れながら、私はシーフードサラダとコーヒーを、アンドリューは生ハムのサラダとマルゲリータピザにコーヒーを、時間をかけてゆっくりと味わった。
食事のあと、歩いてラホヤビーチまで足をのばした。芝生の上では小さな子供たちが駆けずり回って遊んでいた。寝転んで読書をしたり、楽しそうに語り合ったりしている人たちの姿もあった。穏やかな速度で流れる週末の土曜日。
「夏に来たら暖かくてもっといいでしょうね」
夏のギラギラする、でも、乾燥地帯特有のカラッとした季節を思い描いて私は言った。
気候の温暖なサン・ディエゴといっても冬はやはり寒い。太陽が西へ傾きだすと同時に気温も下がる。セーターの袖口を引っ張って冷えてきた手を温めた。
「夏は本当に気持ちよくて最高だよ」
アンドリューはこたえて私の肩に腕をまわした。私たちは海岸線沿いに続く道をのんびりと歩いた。
私の帰国まであと二週間。
無言のままアンドリューは私の肩をぐっと抱き寄せた。アンドリューも私と同じことを考えていたのかもしれない。
翌日、とてものんびりとした時間をアンドリューと過した。
朝九時、アンドリューが迎えに来ると、その足で私たちはグロスモント・カレッジへ向かった。
「明日、図書館でどうしても調べものをしないといけないことがあるんだ。カナも一緒に行ってみるかい?」
夕べ、ラホヤからの帰り道、アンドリューは言った。
「もちろん、行ってみたい!」
いつかサン・ディエゴの大学へ通いたいと思っていた私には願ってもない誘いだった。
「さあ着いたよ。ここが僕の通う大学だよ」
小高い山の頂上を切り開いて建てられた、見晴らしの良い場所にその大学はあった。校舎は全体的に低層建てでまとめられ、辺り一帯は緑に囲まれている。SDSUほどの活気や施設の豊富さはないが、ゆったりと構えた校舎は来る者すべてを快く迎え入れてくれるような、そんな雰囲気を持っていた。
「山の上にあるっていうのがとてもいい感じね」
私はアンドリューのあとに続いて正面の階段を上った。冬の午前中の大学はまだ空気の澄んだ綺麗な朝の匂いがする。入り口を通り抜け、中央に中庭、向って右側に図書館はあった。一見大きな平屋建てに見えた図書館は中へ入ると二階建てになっていて、かなり広い作りの建物だった。
「しばらく集中して調べないといけないから、カナを一人にさせてしまうけど、平気かい?」
声を殺してアンドリューは言った。
「大丈夫。私は適当に時間をつぶすから気にしないで」
耳元でこたえ、図書館の中を一通り見てから外へ出た。顔に当たる空気が少しずつ温かさを増している。キャンパスを一回りして中庭へ戻ってくると、図書館に一番近いベンチに腰をおろした。数人の学生が荷物を抱えて目の前を横切っていく。彼らを目で追いながら、私はいつかここの学生になった日の自分の姿――数段上達した英語で楽しく会話を交わしている――を想像して一人笑みをこぼした。
午後はアンドリューの部屋で過した。
途中、中華のファーストフード店で料理を買い、アンドリューの部屋でそれを食べ、食後はリビングのソファーに座り、二人でテレビを見てくつろいだ。テレビの画面にどこかの町の夜景が映ったとき、夕べ、アンドリューが夜の締めくくりにラホヤのソレダッド山へ連れて行ってくれたことを思い出した。
勾配のきつい、細く曲がりくねった道をアンドリューはギアをローに入れ、アクセルを踏み込んで登っていった。十分ほど行くと、パアっと前方がひらけ頂上に到着した。山頂にはリオのキリスト像ならぬ、白亜の十字架が堂々とそびえ立っていた。ここはどこ? という表情の私に、サン・ディエゴとティファナが一望出来る場所としてとても有名なところなんだよ、と言って、アンドリューはエンジンを切った。
「丁度いいタイミングだな。このまましばらく眺めていてごらん」
車から降りると、アンドリューは私の体を温めるように後ろから抱きしめた。
しばらくして、太陽が西の空に落ちはじめると、町や家に次第に灯りがともり出し、行き交う車のヘッドライトも明るい光を放ち始めた。それは正に光の織り成す芸術だった。
瞬く間に陽は沈み、夜空は満点の星で飾られた。時折現れては消える流れ星が更に花を添える演出をした。そして、地上のもの、天空のもの、全てのものを見守るかのようにそびえ立つ巨大な十字架がライトアップされると、その瞬間、辺り一帯は聖地のような趣へと一変した。それは本当に想像を絶する美しい光景だった。
「なんて素敵なの……。こんな夜景見たことないわ」
美しく恵み深い絶景に感極まり、私の瞳からは自然に涙が溢れ出た。
「カナはホントになんでも素直に感動してくれるから、僕も連れてきた甲斐があるよ」
私を強く抱きしめたアンドリューはそう言って、私の頭上に唇を当てた。
「夕べの夜景、本当に綺麗だったね。またあの夜景を見に行こうね」
私は言ってアンドリューを見つめると、彼はいつの間にか柔らかい寝息をたてていた。
三月、春の訪れを感じさせるような暖かい風が肌に当たるようになってきた。
ALIの卒業式を一週間後に控え、式には出席せず帰国する生徒も少しずつ現れた。アルゼンチンから来ていたロベルトの友人、アルトゥーロもその一人だった。
「明日? 明日帰るの?」
あまりに突然で私はただただ驚いた。
「なんか寂しくなるから、ぎりぎりまで誰にも言えなかったんだ」
この数カ月で馴染んだもの全てから去らなければならない寂しさ。
「卒業式まであとたった一週間なのにね」
「僕も出来ればそれまではいたかったけど、最初から決めていた事だから」
アルトゥーロは寂しそうに笑った。
「アルゼンチンに帰っても、元気で頑張ってね」
ありがとう。カナも元気で。アルトゥーロはそう言ってハグをすると、ロベルトと一緒に校舎の外へ出て行った。彼の後ろ姿を見送るうちに私の胸はだんだんと苦しくなり、しばらくその場から動けなくなった。もうすぐ私の番がやって来る。次は私が見送られるんだ。そう思うと悲しみがこみ上げ、私はその場に座り込んでしまった。
「今日は元気がないね。どうかしたの?」
夜、電話をかけるとアンドリューは心配そうに言った。いつもと変わらぬ調子で話したつもりなのに、心の動揺を隠し切ることが出来なかった。
「今朝ね、アルゼンチンから来ていた子が帰国したの」
私はポツリと言った。
「そうか。それは寂しいね。その子はカナのいい友だちだったんだ」
慰めるような優しい口調。私は小さく息をつくと、そういう事ではないの、とポツリとつぶやき、
「もうすぐ私の番もやってくるんだなって思ったら悲しくなっちゃって」
としんみりとささやいた。
「カナ……」
「だって、あと一週間ちょっとなのよ」
こみ上げてくる悲しみが言葉になって口から飛び出す。
「その中であなたに会えるのはあと何回?」
アンドリューを責めているのではない。現実にあと数回しか会えないという事実を受け入れるのが怖かった。
「もうあと少ししかあなたに会えないなんて」
そんなことは分かっているけど、信じたくない。
「今度いつ会えるかだってまだ分からないのに……」
こみ上げていた悲しみは言葉から涙へ変わっていた。
「カナ、随分前に遠距離恋愛について話し合ったことがあったよね。覚えているかい?」
アンドリューは泣いている私をなだめるように穏やかに語りかける。
「カナは、遠距離恋愛は可能だと言ったよね。それから、僕もカナとなら不可能を可能に出来ると思う、と言ったよね?」
フライヤーズの帰り、知美たちが車から降りたあと、二人でその事について話した。忘れもしない。あのとき互いの気持ちが分かり合えた。そして、初めての口づけをかわし合った。
「それが試されるときだと思えばいいんだよ」
「アンドリュー……」
声にならない声で私は言った。
「僕はカナを信じているんだよ。だからカナも僕を信じていてほしい」
アンドリューの言葉が私の目頭をよけいに熱くする。
「私、必ずここへ戻ってくる。あなたに会いに、必ず、必ず戻ってくる。それに手紙だって書くし、電話だって……、電話だって出来るだけかける」
涙で声が詰った。
「僕もカナに手紙を書くよ。何度でも書くよ。約束する」
アンドリューは念を押すように力強く言った。そして、カナ、と静かに私の名を呼ぶと、
「君を心から愛しているよ」
と穏やかにささやいた。体中に沁み渡るアンドリューの優しい愛に溢れた声。
「私も愛している」
私は流れ落ちる涙を拭った。
アンドリューの決して取り乱さない冷静さと、常に相手を気遣う優しさが、私の心に安らぎを与えてくれた。
翌日、アンドリューは私との時間を大切にしたいと言って、一日中一緒にいてくれた。
「アンドリュー、夕べはごめんなさい」
「気にしてないから大丈夫だよ。むしろちゃんと話せて僕はよかったと思っているよ」
アンドリューは本当にいつも優しい。
「カナは今日、何をしたい? 今日はカナがしたい事をしよう」
元気よく言うと、アンドリューはにっこりと笑った。
「それじゃあ、アンドリューの家に行って、アンドリューの勉強する姿を見ていたいな」
少し考えて私はこたえた。
「勉強している僕を見たい?」
驚いたように私を見る。
「そう」
私は笑ってうなずいた。
「なぜだい?」
首をかしげて不思議がるアンドリューに、私は右手を開くと、
「まずは運転するアンドリューでしょ、それから、食事をするアンドリュー。歩くアンドリューに、声をあげて笑うアンドリュー。あとは優しく微笑むアンドリューに、私を抱きしめるアンドリュー」
と彼の仕草を一つ一つ指折り数えて言った。そして、
「今日はね、部屋で勉強するアンドリューを見ていたいの」
と、元気よくつけたした。
「カナ……」
「だって、あなたの全てを目に焼きつけておきたいんだもの」
私はもう一度アンドリューを見つめなおして微笑んだ。アンドリューは愛しいものを見るような眼差しで私を見つめ返すと、
「君は本当に優しい女性(ひと)だね」
と、微笑み、
「ありがとう。そうしよう」
と言って私を抱きしめた。
「カナが見ていてくれたら宿題も勉強もあっと言う間に終わらせられるよ」
「本当?」
「ああ。そうすればカナも安心出来る、そうだろ?」
アンドリューはちゃんと察してくれた。大学生である彼の大切な時間を私だけのために費やしてもらいたくないという私の想いを、アンドリューはちゃんと見抜いてくれた。私はアンドリューの洞察力の深さにあらためて感服した。
――愛すること、それは自分より相手を大切に想うこと――
もう誰が言ったのかも覚えていない格言が私の脳裏に蘇った。そして、思った。相手のことを心から大切に想い、相手のためになる事を一番に考えてさえすれば、相手が何を求めているのかを理解するのは難しいことではないのかもしれない。
卒業式前夜の木曜日、知美と私はパッキングを始めていた。
「早いよね。明日は卒業式で明々後日は帰国だなんて」
クローゼットの中の洋服を一枚ずつスーツケースにつめながら知美はポツリと言った。
「ホントだね。三ヵ月がこんなに短いなんて思ってもみなかったな」
私は買った物をベッドの上に並べてこたえた。SDSDのロゴが入ったトレーナー。スワップミートで買った黄色いセーター。たくさんのカセットテープに掘り出し物の分厚い本。
「でもさ、日本を出る前の自分たちと、今の自分たちを比べると、随分いろんな事を学べたと思わない?」
親元を離れ、団体生活をしたことによって得ることが出来た「個」としての責任感。思ったことはきちんと言葉にしなければ伝わらないという意思表現の難しさ。そして、言葉の壁を超え、違う国の人を愛してしまったという無鉄砲な行為。三か月前には想像も出来なかったほどの私たちの成長ぶり。
「うん、本当だね。私なんかこの短期間で好きな人が出来るなんて思ってもみなかったもん」
知美は言い、
「でも、後悔はしていないんだ」
と、おだやかに笑った。
「知美はこれからどうするの? アメリカへは戻ってこないの? マークとは?」
服をたたむ手を止めて私は訊いた。
「まだ分からないな。もちろん、戻っては来たいけど、マークがどう思ってくれているのか聞くのが怖いし」
寂しそうに知美はこたえた。私は、そう、と、小さくうなずいた。
「カナは? アンドリューとはどうするの?」
心のもやもやをかき消すような明るさで知美は言った。
「アンドリューが遠距離恋愛を頑張って試してみようって言ってくれたから、それを信じて頑張ってみようかなって思っているよ」
たたみ終えた服をスーツケースに入れた。
「そうなんだ。良かったじゃない。カナたちなら離れていても大丈夫よ」
「本当にそう思う?」
「うん。だって、アンドリューのカナに対する態度を見ていたら、絶対に裏切らない人だって分かるもん。本当にカナのことを愛しているんだなって分かるもん。心配いらないよ」
今度いつ会えるかも分からないまま帰国することに一抹の不安を抱いていた私には、知美の言葉は大いに励みになった。
「ありがとう。その言葉を聞いてとっても勇気づけられたよ」
私は言い、カセットテープをマフラーで包むとそれをスーツケースの隙間に入れた。すると、ドアをたたく音がした。
「うわさをすれば……だったりしてね」
知美は笑ってドアを開けた。
「ルイ!」
知美の驚いた声に目を向ける。そこには(以前、毎日のように私たちの部屋へ来ていたときと同じ笑顔で)ルイが立っていた。
「ハイ、ルイ。しばらくね!」
私は手を振って久しぶりの訪問者を歓迎した。
「カナ、ちょっといいかな?」
「ん、何?」
「出来ればちょっと下まで来てくれるといいんだけどな」
ルイは戸口に立ったまま部屋へ入ってこない。
「ええ、分かったわ。ちょっと待ってね」
私はジャケットを羽織ると、ルイと一緒にエレベーターへ乗り込んだ。ロビーにはまだ何人もの学生が楽しそうに会話をしている。でも、ルイはみんなの前を横切り、そのまま玄関の方へと歩いて行った。
「ルイ、どこへ行くの?」
ルイの背中を追いながら訊いた。
「渡したいものがあるんだ。だからついてきてくれる?」
渡したいもの?
――今日は持ってきていないけど、今度渡すからね、カナ。
バレンタインデーのとき、ルイは確かそう言っていた。きっとそのプレゼントだ。期待を胸に私はルイのあとに続いた。玄関を出ると、ルイはバイクを停めてある駐車場ではなく、寮の裏手にある住宅街の方へと進んで行った。私はそのあとをただ無言のままついて行く。一ブロック、二ブロック、三ブロック。そのうち人の気配もなくなり、私は次第に不安になった。
「ルイ、一体どこへ行くの? こっちに何があるの? 私、怖いよ」
ルイはようやく足を止めて振り向いた。そして、一歩私に近づくと、
「カナにどうしても受け取ってもらいたいものがあるんだ」
と真顔で言った。
「なあに?」
私はにこやかに微笑んだ。
「カナ、目を閉じてくれる?」
直視したままのルイ。
「どうして?」
私はもう一度微笑んで訊いた。
「どうしても」
こたえたルイの無表情さが私を一瞬不安にさせ、私は後ずさりした。するとルイは、
「目を閉じていないと渡せないものだから」
と即座に言い添え、ゆっくり笑みをのぞかせた。ルイの笑顔に安堵した私は、分かった、と、うなずき目を閉じた。次の瞬間だった。ルイの唇が私の唇に重なった。あまりにも突然の出来事に抵抗しようにも彼の力に押し切られ、成すすべがなかった。彼の舌が激しく私の舌を絡め始めた。
ルイ、お願いやめて……。
心の中で叫ぶことしか出来なかった。でも、ルイは力を緩めることなく激しく舌を絡め続ける。あまりの激しさに私は気を失いそうになった。
どのくらいの長さ私たちはそうしていたのだろう。ルイはようやく力を緩め私を離した。
「ルイ、どうして? なんでこんな事するの?」
辛うじて口にすると、瞳の奥がじわじわと熱くなり、ルイの顔が歪んで見えた。
「カナが好きなんだ! ずっと好きだったんだ!」
ルイは声を荒げて言い、握り締めていた拳を振りおろした。哀調を帯びたルイの声。ルイは肩で深く息をつくと、
「毎日、カナの部屋へ行っていたのはカナに会うためだったんだよ。そうすればカナも僕の気持ちに気づいてくれるかもしれない。そう思ったんだ」
と、寂しそうにつけたした。ルイの悲哀に満ちた面持ちに、私は何も言えなかった。しばらく重たい沈黙が続いた。ルイはゆっくり空をあおぐと、呆れたようにフッと鼻で笑った。
「フライヤーズのときだって、智也のパーティのときだって、カモンのときだって、カナの中には僕のことなんか、これっぽっちも眼中になかったのにな」
独り言のようにつぶやくルイ。私の瞳に涙が溢れだした。
「バカだよな。あんな遠まわしなことをせず、ちゃんと好きだって言っていたら、こんな風にカナを泣かすこともなかったんだ」
ルイはいたたまれないほど悲しい目で私を見下ろした。
「ならどうして?」
言うのと同時に涙がポロポロと流れ落ちた。
「私がアンドリューとつきあっていることはルイだって知っているじゃない。なのに今になってどうして?」
ルイは目をそらした。
「そう。ちゃんと分かっていたさ。だから一度はカナを諦めようとしたんだ。でも、どうしても諦めきれなかった」
「ルイ……」
私の声は限りなく切ない響きだった。その響きにこたえるようにルイは言った。
「僕のことを忘れてほしくないんだ。カナの記憶から僕を消してほしくないんだよ。だからキスをしたんだ。嫌われると分かっていてもしたんだ。そうすればたとえ何年経ってもカナは僕を、僕のキスを肌で覚えていてくれるだろ」
ルイの表情もまた切なさをたたえていた。
私がアンドリューを好きでいたように、ルイは私を想い続けてくれていた。アンドリューの存在を知り、心の整理をしようとしてくれていた。ルイの突然の告白に私は正直どうしてよいか分からなかった。ただ無性にやり切れない気持ちになった。でも、ひょっとしたら、私はルイの気持ちに気づいていたのかもしれない。ルイとの友情を信じたかったから、気づかない振りをしていただけなのかもしれない。だから「ルイはカナが好き」というとんでもない言葉が頭の中で組み合わさったとき、それはただの自惚れ、ルイには彼女だっている、とルイの言動に目を向けないようにしていたのかもしれない。だけどそれが反ってルイを追いつめていた。全てを知った上で「キス」という行為に至ったのは、ルイにとっては苦渋の決断だったのだ。私は目を閉じて息をついた。涙は一向に止まらなかった。
「ルイ、ごめんね。今まであなたの気持ちを無視してしまって」
私はルイを見つめると心から謝った。瞳からはいく筋もの涙がこぼれ落ちた。突然のルイの激しい行動に腹を立てるどころか、ルイの気持ちが痛いほど伝わるだけに、私はただ無性に悲しかった。どうもがいてみてもルイの気持ちにこたえてあげることが出来ない事実に、私の心はひどく痛んだ。
「謝らないでくれよ。嫌われて当然のことをしたのは僕なんだよ。なのになぜカナが謝るんだ。余計に辛くなるだけじゃないか」
ルイは眉間にしわを寄せ、やるせない表情で言うと横を向いた。
「ルイ、そんな風に言わないで。私はあなたを嫌ったりしないし、ましてや忘れるなんて、そんなこと出来るわけないじゃない。だって、私にとってあなたは大切な友だちなのよ」
真実だった。私にとってルイは本当に大切な友人だった。出来ることならいつまでもルイとの友情を守りたいと思った。
「カナにひどい事をして泣かせた僕を本当に許せるのかい? これからも友だちだって本当に言えるのかい?」
半信半疑でルイは私を見た。私は彼をまっすぐに見つめ返し、深くうなずいた。
「許すも何も、ルイはひどい事なんてしてないじゃない。ただ気持ちの伝え方がちょっと情熱的だっただけよ」
私はこたえて涙をぬぐい、ちょっとびっくりしたけどね、と言うと、ようやく笑顔をつくることが出来た。
「ごめん、カナ。本当にごめんよ」
ルイはすまなそうに私を見つめ、祈るような響きで何度も謝った。
「もういいの。ね、もういいから」
私はルイの腕をつかんでなだめた。メルシー、カナ。私の手にそっと触れるとルイは恥ずかしそうに微笑み、私をそっと包み込んだ。それは私の知っているいつもの優しいルイのハグだった。私の知っているいつものルイに戻っていた。
「久しぶり。ルイの『メルシー』を聞くの」
私は言って体を離すと、
「私、あなたの『メルシー』っていう響き、大好きなの。知ってた?」
と、ルイを見つめてニッコリ笑った。ルイは頭をかきながら、
「メルシー」
と嬉しそうにもう一度言うと、目を細めて笑った。
きっと大丈夫。
私たちはこれからも良き友人でいられる。私は心からそう確信した。
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