バーベキューパーティ
土曜日、久しぶりにサン・ディエゴらしい青空が朝から広がっていた。
今日はルイの二十三回目の誕生日。
「ツーリングの約束は果たしてもらわないとね」
チークダンスを踊りながらルイは私にそう言った。でも、ルイはそのあと何も言わずにいつの間にか消えてしまった。きっとまたいつものようにニコニコしながら来るんだろうな。私はいつものように黒い革のがっしりとしたジャケットを羽織ってやって来るルイを待った。
「カナ、明日、何か予定はある?」
互いの気持ちを確かめ合った昨夜、アンドリューはおもむろに言った。
「さっき、私が探していた友だちのこと覚えている?」
「カナに何も言わずに帰ってしまった友だちのこと?」
私たちはどこを見るでもなく、ただぼんやりと外を眺めていた。私を包み込むアンドリューの腕の温もりと、頬にあたるヒーターの風。私はゆっくり目を閉じると暖かさを噛みしめた。
「そう。ルイっていうんだけど、明日、彼の誕生日で、ツーリングに行きたいって言うの」
「彼? カナと二人で?」
アンドリューの微かな体の動きで私の方を見たことが分かる。
「うん。フランス人でとってもおもしろくて、いい人よ。変なところもあるけどね」
「変なとこ?」
私はルイの不思議な行動――別に用事もないのに毎日部屋を訪れては数十分で帰っていく――をアンドリューに話した。
「ね、変でしょ?」
アンドリューはにこやかにうなずいた。
「それに随分前にもあったの」
私は続けた。
「初めてあなたに電話をかけようとしたとき、ちょうど彼が私の前にやって来て、色んな話で盛り上がってね」
――やあカナ、ここで何をやっているの? 今日は一人?
あれがきっかけで私たちは仲良くなった。あのときの光景が蘇り口もとに笑みが浮かぶ。
「そのときもどこかへ行かないかって誘われたんだけど、私は電話をかけるから行かれないって断ったの」
アンドリューは静かに私の話を聞いてくれていた。
「そしたら彼は、それはダニーの家で私の隣に座っていたスイス人かって訊くから、そうよってこたえたの」
「それで?」
「だから私、あなたは彼の友だちだと思ったの。でも、ルイはそうじゃないって。ならどうして分かったのって訊いたけど、おしえてくれなくて」
私はアンドリューを見上げると、ルイのことを知っているか改めて訊いてみた。でも、彼のこたえは、面識はないというものだった。それならどうしてルイはあんなことを言ったのかしら。思い返してみてもやっぱり不思議でならない。
「そのルイがカナに何も言わずに先に帰ってしまったんだ」
「ええ。友だちに訊いたらあなたが来たすぐあとですって」
「何も言わずにか」
独り言のようにアンドリューは静かに言うと、一人、含み笑いをした。
「自分から誕生日に一緒にツーリングに行きたいって言っておいて、何にも決めないまま帰ってしまうんだもの。あなたにも紹介したかったのに」
私は少し口をとがらせて言った。でも、アンドリューは、今度また会えるさ、と、まるで子供にするように私の頭を撫でて笑った。
アンドリューの指の感触がまだ残る頭の後ろに両手を組んで机の時計に目をやると、既に一時を回っていた。それなのにルイは相変わらず姿を見せない。
「つまんないなあ。なんでルイは来ないんだあ、もう」
ベッドに寝転がり、天井を見て叫んでみた。せっかくの週末なのに。
アンドリューに電話をかけたくても彼は家にいない。じゃあ明日はルイのために一緒にツーリングをして楽しんでおいで。僕は友だちを見送りにロスの空港まで行ってくるから。アンドリューは別れ際にそう言っていた。帰りは遅くなると思うから電話は日曜の朝に、とも言っていた。青空が広がる退屈な土曜の午後。
「ボーっとしていても仕方ないっか」
私は久しぶりに母へ手紙を書くことにした。
親愛なるお母さん、
今日から二月ですが、元気にしていますか。
私は寮生活にも慣れ、毎日楽しい生活を送っています。
ALIは寮から歩いて五分ぐらいのところにあるから近くてとっても便利。お昼は大学のカフェテリアで食べたり、たまに外の芝生の上に座って食べたりしています(この前送ってくれたお菓子、無事に届きました。ありがとう。友だちと分けて食べています)。
他の大学は分からないけど、ここは色んな施設が揃っていて、見たらお母さんもきっとびっくりすると思うな。だって、百貨店みたいになんでも揃ってしまうブックストアや郵便局に床屋さん、それにディスコまであるのよ。本当に色々な事にカルチャーショックを受けています(いい意味でね)。
あと一カ月ちょっとでここでの生活も終わり、私は日本へ戻ります(本当はもっと長くいたいんだけど)。その間、お母さんも風邪をひいたりしないように、体には十分気をつけてね。お母さんは体が弱いのだから。
それから、ここに来られた事、本当に感謝しています。
お母さん、ありがとう。
愛をこめて、カナ。
追伸:お父さんにもよろしく伝えてね。
手紙を書き終えたころには太陽も随分西の方へと傾き、とてもツーリングに出かけられるような時間ではなかった。結局、ルイはその日、現れる事はなかった。そして、その日を境にルイはぷっつりと姿を見せなくなった。まるで糸が切れた凧のように。
翌日の日曜日も朝から気持ちよく晴れていた。知美たちと一緒にカフェテリアで朝食をとったあと、私はアンドリューに電話をかけた。
「おはよう、アンドリュー」
「おはよう、カナ。昨日のツーリングは楽しめたかい?」
踊るようなアンドリューの声。
「それが……」
口を濁して言うと、
「何かあったの?」
心配そうにアンドリューは訊いた。
「待てど暮らせどルイはちっとも姿を見せなかったの」
「えっ?」
「一日中部屋で待ちぼうけ。退屈でおかしくなりそうだったわ」
あ、そのお陰でお母さんに手紙は書けたけどね、と言うと、アンドリューは声を上げて笑い出した。
「何がそんなにおかしいの?」
アンドリューの笑っている理由が分からない。
「いや、心配して損したなと思って」
「何を心配していたの?」
アンドリューの言っている意味も、さっぱり分からない。
「何をって……」
アンドリューは少し間をおくと、
「カナの言っていた、フランス人でおもしろくていい人のルイに僕はやきもちをやいていたんだ」
と言って、また笑った。
「どうして? ルイはただの友だちよ。何も心配することはないのに」
不思議そうにこたえると、君はユニークな人だね、でも、そこがいいところでもあるんだよね、とアンドリューは言う。
「何がユニークなの?」
ますます訳が分からなくなった。
「相手の気持ちをねじ曲げて見ないところ、かな?」
くすっと笑うと、アンドリューはそう言って私をさらに困惑させた。
――カナって天然入っているでしょう。
ふと、敦子が前に言った言葉が頭の中を駆け巡った。
夕方、アンドリューのアパートでバーベキューパーティがあった。
アンドリューのアパートの共同施設にはプールやジャグジー、バーベキューが出来るグリル台のついたキッチンスペースがあり、アンドリューとルームメイトのゴードンは月に一回、友人たちを招いてバーベキューパーティを開いていた。
「今日、四時ごろ迎えに行くからね」
そのバーベキューパーティにアンドリューが招待してくれた。パーティという言葉にほんの少し身構えたが、初めて行く彼の家。嬉しさがこみ上がった。同時に心苦しさも湧き上がる。
「でも、行ってもいいのかな?」
「当たり前じゃないか。何でそんなこと言うの?」
すると、アンドリューは思い出したように、
「ひょっとして、ユキエたちのことを気にしているのかい?」
と訊いた。忘れかけていた記憶が呼び起こされる。でも理由は違った。車を持っていない私をアンドリューは送り迎えしなくてはならないし、そうなればお酒だって思い切り飲む事はできない。せっかくのパーティ、それも自宅で開くパーティだというのに、私がいることで心置きなく楽しめなくなる。甘えて良いのかためらいが生じたのだ。楽しめないパーティほどつまらないものはない。
「そういう事じゃなくて……」
「お酒を飲まなくても、いくらでもパーティは楽しめるんだよ、カナ」
アンドリューはまるで私の心を読だかのような台詞を吐き、
「それに、カナとドライブが出来る楽しみを僕から奪わないでほしいな」
と、弾むような明るい口調で続けた。彼の言葉に私の心配の種は遥か彼方まで吹き飛ばされ、代わりに愛情に満ちた頬笑みが口もとに現れた。
「分かった。パーティ、楽しみにしているね」
アメリカで学んだ良い習慣の一つに、「どこかへ出向いたり、誰かを招いたりする前に、シャワーを浴びて身なりを整える」というのがある。もちろん、全てのアメリカ人がそれを習慣にしているのかと言われれば定かではないが、私の周りにいた人たちは(時間が許す限り)、それを習慣にしている人たちだった。シャワーを浴びることで自分の体や気分をさっぱりさせるだけでなく、相手に対しても、かすかに漂う石けんの残り香で清潔感を与えることができ、とても理に適った習慣だと私は思った。私は昼食を済ませると、その理に適った習慣を実行した。
アンドリューはいつものようにお気に入りのコロン――ジョルジオ・ビバリーヒルズー―の清々しい香りを漂わせ、四時丁度に私を迎えに来た。少し大きめのジーパンと細い紺色のストライプの入った空色のシャツ(ボタンを三つほどはずしてある)、いつもの茶色い革のジャケット。私はその申し分のない姿に思わずアンドリューを抱きしめた。
「会いたかった」
「Wow! 嬉しい歓迎ぶりだね」
アンドリューの言葉に急に自分の行為が恥ずかしくなり、ごめんなさい、と、手を離した。
あのころの私は初だった。手を握られることも、肩を抱かれることも、口づけをされることも、まだまだ全然慣れていなかった。でも、それをごく自然に(まるで生活の一部のように)やってのけるアンドリューに私は少しずつ感化されていた。それでも根は日本人だ。アンドリューの驚いた一言で、私は自分がとてつもなくやましい行為をしてしまったかのように感じて、我に返った。
「なんで謝るの? 僕は嬉しかったのに」
アンドリューは、おいで、と言って私を抱きしめた。そして、
「うーん、カナの匂いがする」
と、私の髪に顔を埋めた。
アンドリューのアパートは彼の通っているグロスモント・カレッジ付近にある、フレッチャーパークウェイ通りを西に入った、閑静な住宅街に立っていた。日本でいうところの「テラスハウス」のその家は、一階には広いリビングとキッチン、ベッドルームが一つ、二階にはベッドルームが二つ(一つはゴードンの部屋、もう一つはゲストルーム)という、とてもしゃれた間取りになっていた。その一階にあるベッドルームがアンドリューの部屋だった。
「さあ、入って。ここが僕の部屋だよ」
ドアを開けるとアンドリューは私を部屋へ通した。主張して置かれている大きなベッド。アンドリューの優しい声が聞こえてくる電話。その横に置かれたデスクランプ。大きめの勉強机。シンプルに統一されたアンドリューの部屋。
「見せるほどのものでもないんだけどね」
アンドリューははにかんで言った。
「ううん、アンドリューらしさが見えてとても感じのいい部屋ね」
僕らしさ? 首をかしげて私を見る。
「うん。いつも落ち着いていて静かなアンドリュー」
私はこたえて微笑んだ。アンドリューは、ありがとう、この部屋に女性を入れたのはカナが初めてだよ、と、私を腕の中に引き寄せて優しく唇を重ねると、彼のすべてが感じられるほどの勢いで私をしっかり抱きしめた。
裏庭に出ると、アンドリューは集まっていた友人たちに私を紹介した。落ち着いた雰囲気を醸し出しているアンドリューの友人たち。彼らを前に(男性ばかりということもあってか)、私の緊張は予想をはるかに上回っていた。
「カナ、こっちにおいで」
何も出来ずにただ立ったままでいた私にアンドリューは手招きすると、
「はい、これ」
と、私にトングを渡し、グリル台に火をおこし始めた。
「カナは僕と一緒に焼きの担当だよ。だからそんなに緊張しないで、ね」
私の緊張をアンドリューはちゃんと見抜いていた。
「ごめんね。気を遣わせちゃって」
「そんな事ないよ。それより二人で出来て楽しいじゃない」
アンドリューはこたえると、嬉しそうにウインクをし、バーベキューには定番のステーキやバローニーソーセージを鉄板にのせた。
ありがとう、アンドリュー。私は心の中で彼の優しさに感謝した。
「でも、私、お料理するのは大好きだから任せてね」
アンドリューの心遣いに少しでもこたえようと、私は明るく言った。そして、トングをカチカチ鳴らして咳払いをすると、
「ミディアムになさいますか? それともウェルダン?」
と、おどけて見せた。私の姿にアンドリューは目を細め、
「それじゃあ料理長、私はオーダーを伺って参ります」
と調子を合わせて言い、周りにいた友人たちに、ミスター、何になさいますか、と、メモを取るふりをしながら一人ひとりに聞き始めた。
「それじゃあ、ウェルダンを一つもらおうかな?」
「僕はミディアムで。あ、それから君、付け合せの野菜も少し頼むよ」
みんなも面白がってこたえ、辺りは一気に笑いで包まれた。
しばらくすると、少し音調の高い、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
「ハイ、アンドリュー。来たわよ」
幸恵さんだった。今まで自然に笑えていた自分の顔が、一瞬強張ったのを感じた。
「やあ、ユキエ。よく来たね。一人かい?」
アンドリューは辺りを見渡し、
「アキラとナオキはどうしたの?」
と言って、肉の焼き加減をチェックした。
「もちろん二人ももうすぐ来るわよ」
「こんにちは、幸恵さん。お久しぶりです」
私は(あくまでも自然に)言うと、焼きあがった肉をアンドリューから受け取り、待っていた人に渡した。幸恵さんは私が来ていたことに驚いた様子で、なんで彼女がここにいるのかと、半分怒ったような口調で(わざと私に聞こえるように)アンドリューに詰め寄った。
「カナは僕のゲストだよ。君には関係ないんじゃないのかな」
一瞬彼女を睨みつけると――いつもの優しいアンドリューとは別人のように――とげのある言い方をした。幸恵さんは口をつぐんだ。
「やあ、アンドリュー、お招きありがとう」
そこへ明さんがやって来た。張り詰めた空気が解ける。アンドリューはいつもの笑顔を見せて彼を歓迎した。少し遅れてもう一人の男性が明さんの後ろからやって来ると、ビールのパックをアンドリューに差し出した。
「ありがとう、ナオキ。そこに置いてくれればいいよ」
言われた通り、彼はその飲み物をテーブルに置く。そして、私の方を向くと、
「こんにちは、直樹です」
と、にっこり笑って挨拶をした。
「ああ、ナオキはまだカナには会ってなかったね」
アンドリューは言って私の肩に腕を回すと、僕の彼女だよ、と、紹介した。それを聞いていた幸恵さんはいきなり背を向け、玄関へと歩き出した。直樹さんは突然の彼女の行動に首をかしげて、一体どうしたんだ、と、明さんを見る。明さんは、いや、実はね、と小声で説明を始め、好奇の視線を私に向けた。私はそれを無視するように、幸恵さんのあとを追った。
「幸恵さん、待ってください」
私の声に彼女は立ち止まり、振り向いた。
「今、来たばかりじゃないですか。せっかく来たんですから、もう少しここで楽しんでいってください」
目は口ほどに物を言うというのは本当だ。幸恵さんの瞳に憎悪の色が走った。
「あなたの家でもないのに楽しんでいってください? 恋人気取りもいい加減にしてよ!」
その言葉が私だけではなくアンドリューにも向けられた、彼女の悲痛な心の叫びのようにも聞こえ、それを言わせてしまった自分を悔いた。
「ごめんなさい。そんなつもりで言ったんじゃないんです」
「カナ、ごめん」
アンドリューが急いで駆けつけた。
「もう大丈夫だよ」
私の背中を軽く擦り、私の前に立つと、
「ユキエ」
と静かに呼び、
「どうして帰るんだい? 今来たばかりじゃないか」
と彼女をなだめるように優しく言った。
「あなたも同じことを言うのね」
「どういう意味だい?」
「私にここにいて楽しめって言いたいんでしょ。彼女が言ったように。だいたいその子はただのガールフレンドであなたの恋人でもないくせに、恋人きどりで出しゃばり過ぎなのよ!」
幸恵さんは声を荒げて私を睨みつけた。
「幸恵さん、本当にごめんなさい……」
私はもう一度謝った。
「やめるんだ、カナ!」
アンドリューは強い口調で言うと、小さく息をつき、
「ユキエ、ちゃんと話し合おう」
と幸恵さんを見て言った。でも、彼女はただじっとして何も言おうとしない。アンドリューは気持ちを落ち着かせるためか、今度は深く息を吐いた。
「ユキエ、君はどうしてカナにそう冷たくあたるんだい?」
問いただすというよりは、こたえを聞かせてほしいとすがるような響きだった。
「ユキエは友だちだから僕は君にカナを紹介したんだよ」
幸恵さんは唇を噛み締めたままアンドリューを見つめていた。
「だけど、君やアキラたちはカナを受け入れてくれなかったよね」
「だって、あなたには好きな人がいるって、そう言っていたじゃない」
幸恵さんが重い口を開いた。
「でも、それが彼女だとはあなたは一言も言わなかったわ」
微かに声が震えている。
「誰なのか教えてって頼んだのに」
「もし僕の好きな人がカナでなかったら、君はカナを友人として受け入れてくれたのかい?」
幸恵さんはそれにはこたえず、アンドリューから目をそらすように横を向いた。
「でも、僕の好きな人はカナなんだ。君と同じ日本人の」
アンドリューは私をそばに寄せると続けた。
「君に聞かれたとき、僕はまだ彼女の名前しか知らなかった。だから、好きな人がいるとしか言えなかった。でも、カナに出会ったときから、ずっと僕の心の中には彼女が住んでいたんだよ。ずっとね」
幸恵さんは小さく息をついた。
「その僕の好きな人」
ほんの一拍間ができる。
「カナとやっとまた再会でき、二人の思いも分かった。僕にとっては本当に嬉しい事だったんだ。だから一早くユキエたちにその事を伝えたかったし、カナを紹介したかったんだ。アメリカで出会った最初の友人の君たちに」
だから、と言ってアンドリューは私を見つめた。
「あの日、カナをカモンに連れて行った。そして、今日もこうして招待したんだ」
幸恵さんは口を真一文字に結んで下を向いた。
「それでもカナを、いや、僕たちを受け入れてもらえないのなら仕方ない。でも、僕の気持ちは分かってほしい。僕にとって……」
「でも、アンドリュー、幸恵さんはあなたのことが……」
私はアンドリューの言葉をさえぎり、幸恵さんを見つめた。彼女はゆっくり顔を上げるとアンドリューを見つめた。目には薄っすらと涙が光る。
「私が言ってしまってもいいんですか?」
私が代弁したところで幸恵さんの思いが報われるわけではない。余計みじめな気持ちにさせてしまうだけだ。それでも彼女ははっきりさせたかったのだろう。アンドリューから目をそらすと、無言のまま私を見つめた。私は小さくうなずき目を閉じた。
「アンドリュー、幸恵さんはあなたのことがすきなの。だから……」
「知っていたよ」
アンドリューは哀傷の表情を浮かべてポツリと言った。
――愛するという事はその裏で誰かを傷つける事でもある――
随分昔に誰かがどこかで言った言葉を思い出した。同時に幸恵さんの深い悲しみが伝わり、私の心は鉛のように重くなった。
「ありがとう、ユキエ。君の気持ちは嬉しいよ」
アンドリューは幸恵さんの腕を優しくつかむと言った。そして、穏やかな表情を見せると、
「でも、僕にとって君は大切な友だちなんだ、ユキエ」
と静かに言い、
「でも、僕にとってカナは大切な恋人なんだよ」
と諭すような響きで言い添えた。その瞬間、アンドリューの腕に力が入るのを、私の肩はしっかりと感じ取っていた。
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