イザベル
一月最後の月曜日。
天気は朝から快晴で、一日の半分を教室で過してしまうのがもったいないほど風もなく穏やかな日。勉強よりはビーチ日和といった感じだ。そう思っていたのは私だけではなかった。今度バイクに乗せてね、そうルイに言おうと思い、授業前に教室や廊下、外の踊り場など、人が集まっているところを探してみたが、ルイの姿が見つからない。きっとツーリングにでも行ったのかもな。風を切って走るルイの姿を想像しながら私は一限目のクラスへ入って行った。
放課後、私は加代子――一週間のホームステイ体験で私と同じファミリーに世話になっていた――と大学の中にあるブックストアへ買い物に出かけた。そこで私はもうすぐ誕生日を迎えるスーザンへのプレゼントと、偶然見つけた私の大好きなアーティスト「ノーマン・ロックウェル」の画集を買った。画集はハードカバーで前頁カラー版にも関わらず、半額以下の値段で売られていて掘り出し物だった。
「ハロー、カナ。一人寂しくブックストアでお買い物?」
レジに並んでいると後ろから声がした。振り向くと知美と敦子がニコニコしながら私を見ていた。
「加代子と一緒に来たんだけど、彼女はまだまだ時間がかかるって言うから、私だけ先に戻ろうと思って」
支払いを済ませて私はこたえた。
「あっ、そうなの。で? 何か良いもの見つけられた?」
二人とも私の胸に抱えている大きな袋が気になるらしい。
「ほら、スーザンの誕生日がもうすぐじゃない? だから何かプレゼントしようと思って来たの。で、自分の物も買っちゃったわけ」
買ったばかりの本を袋から出し、二人に見せた。
「わあ、なかなか立派な画集じゃない」
「でしょう? 私、この人の作品、大好きなの。それに半額以下でお買い得だったのよ」
元々絵を描くのが好きだった私に高校の友人が随分昔、誕生日プレゼントとして「ノーマン・ロックウェル」の作品を贈ってくれた。私は彼の描いた優しさと愛情に溢れる作品に一目惚れしてしまい、それ以来、彼の大ファンなのだ。
「ホント、温かい絵ばかりね。あとでゆっくり見せてもらってもいい?」
パラパラとページをめくりながら知美が言うと、
「私も見たいわ! ね、いいでしょ?」
と、めくられていくページを目で追いながら、敦子も興味を示して言った。
「もちろん。いつでもOKよ」
知美からずっしりとした重みのある本を受け取り、私は再びそれを袋の中にしまった。
二人と別れて私は眩しい日差しの中へ出た。そして、夕べの出来事に思いを馳せながら、元来た道をてくてくと歩き出した。
「カナ、今夜の彼らの態度を許してほしい」
夕べ、幸恵さんたちより少し早めに切り上げてレストランを出ると、アンドリューは私に申し訳なさそうに言った。
「みんながどうしてあんな態度を取ったのか分からないけど、でも、彼らは決してカナを傷つける気はなかったんだ。彼らはホントにいい友だちなんだよ」
アンドリューは気づいていた。幸恵さんや他の人たちの私へ向けられた冷たい視線や態度に。その裏に隠された理由は別として。
「気にしないで、アンドリュー。私は大丈夫だから」
「でも、カナ……」
罪悪感でいっぱいになっているアンドリューの心が手に取るように感じられる。私を連れて来なければ良かった。きっと彼はそう思っているにちがいない。
「だってみんなあなたの友だちでしょう? なら私だって友だちになれるわよ」
少しでもアンドリューの気持ちを楽にさせたくてそう言ってはみたが、彼らと仲良くなれるかは、正直自信がなかった。
「たぶん、知らない日本人が突然あなたと一緒にやって来たから、みんな戸惑っちゃったのよ。日本人って変に人見知りしちゃったりするしね」
こんな子供じみた説明でしかフォローすることが出来ない。幸恵さんはあなたの事が好きだから私にあんな態度をとったのよ。そう言えてしまえば楽だったかもしれない。そうすればみんなの取った態度もアンドリューには理解出来ただろう。でも、幸恵さん本人が口にしていない彼女の思いを、私が勝手に告げるべき事ではない。私の胸の内だけに収めておくべき事だと思った。
「本当よ、アンドリュー。私は大丈夫。それよりもあなたが私をみんなに紹介したい、と言ってくれた事の方が、私にはずっと意味のある事なのよ」
「カナ」
嬉しさと切なさが混ざり合ったような響きで私の名を呼ぶと、アンドリューは大きな体で私をすっぽりと包みこみ、力強く抱きしめた。
「私、ホントにとっても嬉しかったのよ」
「君はホントに優しい人だね」
言葉に出さずとも感じられる、それは感謝と愛情のこもったハグだった。
「やあ、カナ!」
アンドリューの暖かいハグを思い出していた私を、ラルフの一言が我に返らせた。私はいつの間にかALI1の前まで戻って来ていた。
「あら、みんなまだいたのね」
「何かボーっとして歩いていたけど、どうかした?」
「ううん、何でもないの。ラルフたちはまだ帰らないの?」
「もう少しこれを転がしたらね」
ラルフは脇にかかえていたサッカーボールを軽く叩くと、額の汗を腕で拭った。
「そう。じゃあ、また明日ね」
私がラルフたちの前を通り過ぎたとき、背後からバイクの音がした。音は少しずつ私の方へと近づいてくる。振り向くとルイだった。いつものように黒い革のがっしりとしたジャケットにジーパン姿で私の横へ来ると、私の歩調に合わせてバイクをゆっくりと走らせた。
「やあ、カナ。今、君の部屋に行ったんだけど、居なかったからここへ来てみたんだ」
いつもの笑顔にいつもの口調。
「それ重いの?」
胸に抱えている大きな袋を見ると、ルイは私の腕からそれをつかみ持ってくれた。
「ああ、ありがとう」
一気に体が軽くなった。
「ところでルイ、今日、学校に来なかったでしょう? 私あなたのこと探していたのよ」
「ツーリングに行っていたんだ」
思った通りだ。今日は本当に穏やかでツーリングには最適な日だ。
「で、僕を探していたって? どうしたの?」
モンテズマ通りの手前で私は足を止めた。道路を渡れば目と鼻の先に私の住んでいる寮がある。
「昨日一緒にバイクに乗れなかったから」
信号が青に変わり、また歩き出した。
「だから今度乗せてもらってどこかへ行きたいなあって思ったの」
「本当に? いつ? 今日? 今から?」
欲しがっていたおもちゃをもらってはしゃいでいる子供のように、ルイは目を輝かせた。
「いつでも。あ、でも、夜は駄目。だって寒いもの」
「分かった。じゃあ明日は? 放課後はどう?」
ルイはきっと思い立ったらすぐ行動に移すタイプの人なのだろう。そういえばこの前、悩むには人生は短すぎる、だから楽しまないとね、と言っていたのを思い出した。
「そうね。お天気が良ければ明日の放課後にしようか?」
「OK. Great!」
さっきまで青かった空は西の方から少しずつ赤みを帯びてきた。三十分もしないうちに今日も綺麗な夕焼けが見られそうだな。ルイに手を振り寮のドアを開いた。
玄関を入ると、エレベーター前に二人の子供を連れた女性が困った様子で立っているのが目に入った。見覚えのある後ろ姿。あれ? ひょっとしてイザベル?
イザベルは敦子と良枝が世話になっていたホストファミリーのママ。一週間のホームステイ体験の間、彼女は知美や貴美子のホストママのサンディと共に、私や加代子を含めた六人をスワップミートやディスコ(今のクラブ)――もっともこのディスコは貴美子の強い要望から行くに至ったが――、モールなどへ連れて行ってくれた(私たちのホストママは妊婦という理由から、どこへも連れて行ってはくれなかった。イザベルはそんな私たちの事を気にかけ、どこかへ行くときには必ず声をかけてくれた)。
私の視線に気づいたのか、その女性が振り向いた。やはりイザベルだった。もうすぐ夕飯の時間なのに何かあったのではないかと一瞬不安が過る。
「カナ! あなたに会えてホッとしたわ」
久しぶりの再会に私たちは抱きしめ合った。
「アツコとヨシエに会いに来たのだけど、部屋の番号を忘れてしまって……」
「それなら大丈夫。私が連れて行ってあげますよ」
私はエレベーターのボタンを押した。
「でも、こんな時間に来るなんて、何かあったんですか?」
エレベーターからはカフェテリアへ向かう学生たちが次々と降りてくる。
「いいえ。ただ、子供たちも私も彼女たちがいなくなってから寂しくてね。だから彼女たちには内緒で会いに来たのよ」
イザベルはこたえると、カナはまだこの子たちには会ったことがなかったわね、と、二人の子供たち――エスティとラネーレ――を紹介してくれた。もうすぐ十歳になるという息子のエスティは、イザベルの白い肌とは反対に、日焼けをしたように黒くぽっちゃりとしいる。六歳になったばかりだという娘のラネーレは、恥ずかしそうにイザベルの横に立ち、もじもじしながら私を見つめているが、その容姿はイザベル似でとても美しい。
「彼女たち、みんなを見たらびっくりでしょうね。でも、きっと喜びますよ」
三人とも嬉しそうに目を細めると、エレベーターへ乗り込んだ。
たった一週間の間に築き上げられた敦子たちへの愛情。こんなに温かいファミリーに出会えた彼女たちを私はとても羨ましく思った。間違っても私たちのホストファミリーが遊びに来てくれる事はないと分かっていたから。
夕食を終え部屋に戻ると、敦子と良枝が知美のベッドに座って楽しそうに話をしていた。
「あ、カナ、お帰り。今日はありがとね」
私を見るなり敦子が言った。
「私、何かしたっけ?」
礼を言われるような事をした覚えがない。
「あっ、ひょっとして『ノーマン・ロックウェル』の本の事? もう見たんだ」
私は言って、机の上に置いてある本に目をやった。
「良かったでしょう?」
「イヤだあ、もうカナったら。イザベルたちの事よ。さっき部屋まで連れてきてくれたじゃない」
良枝が言うと、
「そうそう、その事よ」
と、敦子がうなずき、カナって天然入っているでしょう、と言って笑い出した。確か昔、高校の友だちからも同じことを言われた事がある。
――カナって他の子と違って天然入っているよね。だって笑いのポイントも話のポイントもかなりずれているもん。
どこがどうのようにずれているのか、当の本人にはよく分からない。でも、周りに言わせると、そのずれが良い意味で私を表しているそうだ。それもまた「天邪鬼」の持つ特徴なのかもしれない。
「ああその事ね。ユーアーベリーウェルカムよ。で、楽しかった? って、楽しくない訳ないか」
「もちろん! 大学近くのマクドナルド、みんなでそこに行ってディナーしてきちゃった」
良枝は言って、はい、と、私に紙袋を差し出した。
「何これ?」
「イザベルからカナへって」
中を見るとハンバーガーにポテトとドリンクが入っていた。
「多分、もう夕食は済ませてしまっているでしょうけど、私の気持ちだからカナに渡してねってイザベルから頼まれたの」
「本当は一緒に行きたかったけど、この部屋に来てみたらカナはもう夕食に出ちゃったあとみたいでいなかったのよ」
イザベルの気持ちのこもった贈り物。私は彼女のその思いが嬉しかった。イザベルの姿が目に浮かび、胸の中からグッと込み上げてくる熱いものを感じた。
「ありがとう。なんか感動しちゃう。敦子たちは本当にラッキーだよ。あんなに素敵なママと出会えて」
まだ温かい紙袋を机の上に置くと、私は心からそう言った。
なぜホストファミリーにもそのように違いがあるのか、私は何年か経ってあるとき、イザベルに訊いたことがある。ホストファミリーといっても様々で、世話をする事が本当に好きで、損得なしに学生を受け入れる家庭もあれば、ベビーシッター代わりとして受け入れる家庭、そして、一番悲しいのは、お金だけが目的で受け入れる家庭もあるという事だった。運悪く、加代子と私が世話になった家庭は、ベビーシッターとお金が目的という家庭だった。私たちの寝泊りしていた部屋は、ベッドを二つ押し入れただけの(部屋とはとても言えない)とにかく狭いところだった。シャワーを浴びても五分以上お湯を使うと、使いすぎだから早く出なさい、とドア越しに注意され、食事はほぼ毎晩カップラーメン一個やポップコーン一皿だけ。学校から戻ると、二歳になったばかりの息子と三歳の娘の面倒を見させられ、夕方になると夫婦そろって外出する。私が想像していたホームステイのイメージとはあまりにもかけ離れたものだった。毎日が辛かった。その辛さを少しでも忘れたくて、毎晩のようにコレクトコールで母に電話をかけては、もうイヤだ、などと泣き言を言い、その度に、何を言っているの、頑張りなさい、と言われて励まされた。私にはもう二度と思い出したくない一週間の辛いアメリカ生活だった。
私がまだイザベルの優しさに思いを馳せていると、ドアをたたく音がした。
誰かしら? 知美がドアを開いた。
「こんばんは。カナは今いるかな?」
「はい、いますよ」
カナ、と、知美がドアを大きく開いて呼んだ。そこには茶色い革のジャケットを羽織ったアンドリューが立っていた。
「アンドリュー、一体どうしたの? 私、これから電話しようと思っていたのよ」
アンドリューの顔からはいつもの柔らかい笑顔はなく、どこか不安げな表情が見える。
「カナに会いたかったんだ。昨日の事で……」
言いかけると、アンドリューは知美たちの方へ目を移し、
「こんばんは。カナの友人のアンドリューです。よろしく」
と言って手を差し出し、一人ひとりに挨拶をした。みんなは、私たちの知らないこの人は誰なの、とでも言うような不思議そうな顔をしながら、アンドリューと私を交互に見つめていた。
「カナ、少し下で話せるかな?」
「ええ、もちろん」
彼女たちの視線を背に、私はアンドリューのあとに続いた。
「突然でごめんよ、カナ。でも、夕べの事もあったから、今夜は電話をもらえないんじゃないかと思ったんだ」
アンドリューは私を見つめて言った。
「だから今夜どうしてもカナに会いたかったんだ」
アンドリューの目の奥からは明らかに不安の色が見えている。
「アンドリュー、会いに来てくれてとっても嬉しい。だって今夜会えるなんて思ってなかったもの」
アンドリューのうかない表情を和らげようと私は明るく言った。でも、彼の表情は変わらない。
「まだ私が夕べの事を気にしていると思ったの?」
「ああ。それに今夜カナに会えなかったら、もう会えないような気がして」
だから許して欲しい、と言わんばかりのアンドリューのすがるような眼差し。アンドリューは何一つ悪い事はしていないのに。
「全然気にしてないわ。ホントよ。それにもう少ししたら電話をするつもりだったのよ」
私は真っ直ぐにアンドリューの瞳を見つめて言った。
「Promise? : 本当に?」
「Promise : 本当に」
私は言って、更に胸に十字を切り「Cross my heart : 神様に誓って」と、つけたした。私の姿を見てアンドリューはようやくホッとした様子に戻り、いつもの柔らかい笑顔を見せてくれた。そして、カナ、ありがとう、と、私に優しくハグをすると、これで落ち着いてレポートが仕上げられるよ、と言って、翌日が提出期限のレポートを仕上げるために、本当はもっと一緒にいたいけど、と、不満を漏らしながら、でも、安心しきった表情を浮かべて寮をあとにした。
部屋に戻ったら何か言われるだろうなあ。知美たちの姿を思い浮かべながら私はエレベーターのボタンを押した。
「おっ帰りい。待っていたよお、カナちゃん!」
ホラ、来た。
「で、あの人はどこのどなたかなあ?」
性格も明るく好奇心旺盛の敦子が真っ先に訊いてきた。
「優しそうな感じの人だよね」
「知美もそう思った? 私もそう思った。で、彼はアメリカ人なの?」
良枝も事のいきさつを聞こうと私をじっと見つめて言った。その瞳には「感興」という色が見え隠れしている。きっと万国共通で、多かれ少なかれ女性はこういう話題が好きなのだろう。私は彼女たちにアンドリューは自分より三つ年上のスイス人で、一年前までALIでケイトの生徒だった事、今は大学へ通い、ケイトからディエゴズでパーティがあると誘われて私たちのパーティに顔を出した事、そこで初めて私がアンドリューを見かけた事、その後、ダニーの家にも現れて、私の隣に座ったことから仲良くなった事、でも、名前はうろ覚え、連絡先も分からないまま数週間が経ち、知美たちと行った騒音パーティで偶然に再会した事(アンドリューが私を探してくれていた事は言わなかった)、そして、昨日初めてデートをした事をかいつまんで話した。
「へえ、ディエゴズのパーティに来ていたんだ」
「私たち全然気づきもしなかったよね」
ホント全然記憶にないなあ、と、みんな口を揃えてうなずいている。
「そのあと、あのうるさかったパーティで偶然にまた再会したんだ」
知美は、すごいじゃない、と、喜んでくれた。
「なんかドラマだわあ」
両手を組み天井を見上げながら敦子が歌うように言った。
「しかも一年前まではALIの生徒で、それもカナとおんなじでケイトのクラスにいたなんて、ホント、すごい偶然じゃない」
「私たちもあと一年早くにここに来ていれば、カナもアンドリューと一緒にケイトのクラスで仲良く勉強していたかもしれないね」
一年前に来ていたら、果たして私たちは同じ気持ちで互いを見られたのだろうか? 「この人と何かある」という突拍子もない感情に抱かれたのだろうか?
「そうすればもう少し長く一緒にいられたのにね」
知美の言葉が私を現実の世界へ引き戻した。そう。私たちの滞在はあと二ヶ月。あと二ヶ月で私たちは日本へ戻らなくてはならない。「逢うは別れのはじめ」と母はよくそんな事を言っていた。もうすぐ私たちもここで出逢った人たちみんなと別れて、それぞれの道を歩んでいかなくてはならない。知美の言葉が耳に残る。もう少し長く一緒にいられたら……。
「帰ることを考えると本気で好きにならないほうがいいかもよ、カナ」
良枝がポツリと言った。
「彼だっていずれはスイスに戻るんでしょう?」
興味津々で聞いていた彼女たちの笑顔が、いつしか心配とも哀れみともとれる寂しげな笑みに変わっていた。
「日本とアメリカ、スイスと日本かあ。どっちもかなり遠いよねえ。でもさ、まだ二ヶ月はあるんだから今からそんなにしょげていても仕方ないよ。まだこれからどうなるかなんて誰にも分からないしさ」
敦子は言うと、良枝の方を向いて言った。
「ね、良枝、さっきのイザベルの話、カナに教えてあげなよ」
「あっ、そうだよね」
カナがきっと喜ぶような事だよ、とニコニコしながら良枝はこたえた。
「今日、夕食を食べているとき、カナは『チップス』に憧れているっていう話をイザベルにしたのよ」
良枝が言い始めると、
「そうしたら彼女、カリフォルニア・ハイウエイ・パトロールにアポを取ってカナを連れて行ってあげようかしらって言っていたよ」
と、敦子が続けて言った。
「最初イザベルも『チップス?』って言って不思議そうな顔をしてたけどね」
「私なんかドラマ自体見た事なかったから、『チップス』の意味さえ分からなかったもん」
腕を組み、わざとエバった真似をして敦子が笑って言った。
小さいときからアメリカという国に憧れていた私は、テレビで海外ドラマやアニメが放送されると噛り付いて見ていた。その中でもロサンゼルスを舞台に二人の白バイ警官が活躍するドラマ、通称「チップス」が私の大のお気に入りだった。真っ青な空、輝く太陽、盛観に走る白バイ、それにまたがるハンサムな男たち。ドラマと現実は違うにせよ、いつかカリフォルニアへ行ったら本物の「チップス」を見てみたい。そんな秘かな夢を抱いていた。でも、言われてみれば確かに不思議かもしれない。いや、変かもしれない。わざわざ警察署へ出向き、ドラマと同じ白バイを見たいだなんて。そんな事を思う人はよっぽどの物好きぐらいしかいないだろう。私は急に自分が馬鹿げた事を言っていたような気がして恥ずかしくなった。
「まだアポが取れるか分からないけど、とれたら連絡してくれる事になっているから、そしたらカナにすぐ知らせるね」
良枝は言って席を立つと、敦子と一緒に部屋をあとにした。
「カナ、チップスに行けるといいね」
机に向かって宿題をやり始めた知美が、思い出したように言った。
「そうね……」
イザベルの気持ちはとても嬉しいが、この件はこれで終わりになってくれればなお嬉しい。馬鹿げた夢は夢のままで終わったほうがいいんだ。返事をしながら私はそう思った。
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