ワカモレチップ
ついさっきまでルイと一緒に座っていた長椅子にふと目をやりながら、私はそのときの二人の会話を思い返して一人、微笑んでいた。
「ルイってホント、とってもおもしろくていい人なんだな」
アンドリューとの約束がなかったらバイクにも乗ってみたかったけど。そんな事を思いながら私は電話の前に立つと、手に持っていた(緊張で少し汗ばんだ)手帳を開いて目の前の台に置いた。
「でも、今はアンドリューに電話をかけなくちゃ。さあ、あとは番号を押すだけよ、カナ。早くしなくちゃ。約束したんだもの」
自分に言い聞かせるのと同時に胸の鼓動も高まりだした。あまりに激しく波打つ鼓動に体までもが震え出した。窓の外を見ながらとにかく心を落ち着かせようと、何度か大きく深呼吸をしたり、唾を飲み込んでみたりした。そして、やっとの思いで受話器を手に取り、番号を押した。規則正しく鳴り続く呼出音が耳を通って体中に響き渡る。アンドリューと話せる事は嬉しいはずなのに、その場をすぐにでも立ち去りたい気持ちでいっぱいの私。いっそのこと、アンドリューは出かけてしまっていて家にいなければいいのに。そんな事さえ思ってしまっている私。それでも鳴り続けるベルの音。
「はい、もしもし?」
アンドリューだとすぐに分かる暖かい声。
「もしもし?」
「やあカナ! 僕だよ、アンドリューだよ! 元気かい?」
思いがけない人からの電話を受けたような、そんな喜びに満ちたアンドリューの声。
「こんにちはアンドリュー。ええ、私は元気。貴方のほうは?」
「宿題でちょっと忙しいけどOKさ。どう? 出かける準備は出来ているかい?」
そうなんだ。アンドリューは私と違って大学に通っている学生なんだ。宿題だってきっと比べ物にならないぐらい大変に違いない。そう思ったら出かけることに気がとがめた。
「もちろん準備は出来ているわ。でも、宿題で忙しいのなら迷惑だろうし、それに悪いわ」
私が言うと、アンドリューはすかさずこたえた。
「構わないさ。一時には迎えに行くからそれからお昼を食べよう。カナの部屋番号を教えてくれるかい?」
もう悪いから今度会おうとは言えなくなってしまった。私は部屋の番号をアンドリューに伝え、受話器を置いた。
あっという間の会話。なんて短い会話。
電話をかけ、受話器を置くまでの数分間の出来事が、まるで数時間ぐらい経っていたのではないかと思えるほど、私の体は疲れていた。でも、アンドリューのあの変わらない暖かい声。声を聞いてすぐに私だと分かってくれたアンドリューに、あともう少ししたらまた会える。あの優しい微笑みを浮かべて私を迎えに来てくれる。そう思うと、落ち着きを取り戻し始めていた私の鼓動は再び高まりだした。
部屋へ戻り時計を見ると、針は十一時半を指していた。
十一時半か。あと一時間半。
私はラジオのスイッチを入れた。スピーカーから流れてくるポップミュージック。私は鏡の前に立ち、何度も服装や髪型をチェックしては、大丈夫、おかしくない、と呪文のように自分に言い聞かせ、逸る気持ちを落ち着かせた。それでも、そわそわする気持ちを抑えきれず、椅子に座って本を開いてみたり(内容なんて上の空で全く頭に入ってこなかった)、外を眺めて木にとまった鳥を数えてみたりと、気が紛れそうなことも試してみた。でも、結局効果は一向に無かった。
えっ? もうお昼を過ぎているじゃない。
ふと時計に目をやると、すでに十二時を回っていて私は驚いた。私の腹時計はいつもなら正確に「昼の時報」を知らせるのに、この日は全くその気配がなかった。むしろ一時が近づくにつれ胸の鼓動の方が速く、大きく鳴り動き出し、「約束の時」が近づいている事を正確に知らせていた。そして、一時よりはまだかなり早い時間にドアをノックする音がした。
「やあカナ。ちょっと来るのが早過ぎたけど大丈夫? 行けるかい?」
ドアを開くと目の前には柔らかな優しい微笑みを浮かべて立っているアンドリューがいた。ライトブルーのセーターにダークブロンド色の髪、微笑みの下からのぞかせている白い歯が、彼の暖かい声を一層引き立てていた。少し前まで苦しいぐらいに高まっていた私の胸の鼓動も、アンドリューの微笑みと暖かい声に安心を覚えたのか、不思議なぐらいに落ち着きを取り戻し、穏やかな気持ちになった。
「ええ。ラジオを消したら行けるわ」
こたえてラジオのスイッチを切った。すると、部屋の中は水を打ったように一気に静けさが押し寄せた。その静けさが私の心に再び不安と緊張を呼び戻さないうちに用意してあったバッグを手に取り、すぐにドアの方へと向かった。そして、さあ、行きましょう、と言ってドアを閉めると、私は静寂を部屋の中へ閉じ込めた。
日本の冬の空色がライトスカイブルーであれば、サン・ディエゴのそれは限りなく深みを帯びたディープスカイブルー。湿度も年間を通して低いこの地域は、空気感さえ日本のものとは違い、とても鮮やかで綺麗に澄んでいる。特に冬の季節は格別だ。
空を見上げると、まさにそのディープスカイブルー色の空が一面に広がっていた。
「いい天気だね。こんな日はドライブにはもってこいの日だ。そう思わないかい?」
手をかざしながらアンドリューは言った。
「本当にそうね。私、サン・ディエゴのこういう素晴らしいお天気って大好き」
「それじゃあカナはきっと僕の国も好きだろうな。ここよりずっと寒いけど、ここよりもっと綺麗なところだよ」
スイスからビジネスを学ぶため一年前からサン・ディエゴに住み、まだ一度も帰国していないアンドリューはそう言って、遠い自分の国を思い出しているかのようにもう一度空を見上げた。
「本当? いつか行って見てみたいな」
「絶対に来るべきだよ」
私の方へ目線を下ろし、アンドリューは言った。
「そのときは僕が案内してあげるからね」
その言葉に私の胸はドキンと敏感に反応した。
寮の駐車場に停めてあった車の前までくると、アンドリューはこの前と同じ様に、先に助手席のドアを開いて私を乗せ、優しくドアを閉めた。
「お昼は何を食べたい気分だい? もう一時もとっくに回っているし、お腹もすいたよね?」
そう、本当ならお腹がすいていて当然の時間なのに、私の腹時計は未だに何も言ってこない。アンドリューと一緒にいられるという事があまりに嬉しくて、胸がいっぱいで、お腹の虫はどこかへ行ってしまっていた。
「私、この辺の事はあまり分からないから、アンドリューが決めてくれる?」
「いいよ。それじゃあメキシカン料理は好きかな?」
アンドリューは右腕を助手席の背にのせると、左手でハンドルを操作しながら車をゆっくりと発進させた。私はこうして運転するアンドリューの姿が好きだ。大きく伸ばした彼の腕の中で、自分がしっかりと守られているような気持ちになれる。
「ええ大好き! ディエゴズで食べた料理はとっても美味しかったもの」
学校主催のパーティで初めてアンドリューを見かけた店。懐かしさがこみ上がる。
「僕もあそこは好きだよ。でも、今日は別のレストランへ行ってみよう。どっちかって言うと、ファーストフード店っていう感じだけど、きっとカナも気に入ると思うよ」
アンドリューは車で十五分程走ったフェアマウントアベニュー沿いの所にある「タコベル」という店に連れて行ってくれた。
「カナはこの店、知っているかい?」
「ううん、知らない。でも、良さそう。それにとってもいい匂い」
カウンターからはトルティーヤを揚げた香ばしい香りが漂っている。
「カナはどれにするか決めた?」
壁には大きなメニュー――たくさんの料理名が写真付きで載っている――がかかっていて、どれも美味しそうに見える。でも、私にはどれがどんな味のする料理なのかよく分からない。
「そうだな、私はタコサラダとダイエットコーラにしようかな」
とりあえず、一番無難で一番食べやすそうなものを選んだ。
「アンドリューは決まった?」
「僕はチキンブリトーを二つとドリンクにするよ」
お腹がすいていると言っていたアンドリューは、蒸したチキンに千切りレタス、サワークリームにサルサ、たっぷりのチェダーチーズと塩茹でした(メキシカン料理では定番の)小豆のペーストをトルティーヤで巻いたチキンブリトーとコーラを注文した。お腹の虫が鳴いてくれない私は、揚げたトルティーヤをお皿の代わりにして、その中にひき肉と千切りレタス、みじん切りのトマトに塩茹で小豆とチェダーチーズ、その上にサワークリームとワカモレが載ったタコサラダとダイエットコーラを注文した。
「全部で七ドル五十セントです」
店員が言うと、アンドリューは何食わぬ顔で二人分を支払った。私はすぐに自分の分を払おうとしたが、アンドリューは、
「いいからしまって」
と、私の財布に手を置くと、
「僕のおごりだよ」
と、ウインクをして笑った。
「ありがとう。でも、なんだか悪いな」
「悪いだなんてそんな事気にしないでいいんだよ。さあ食べよう」
窓際の眺めの良い席に向かい合って腰を下ろすと、私たちは遅めのランチを食べた。周りには何組かの客が私たちと同じように楽しそうに食事をしていた。窓に目をやると、芝生で覆われた小高い丘とフリーウエイが見えた。緑の芝生と空のディープスカイブルー、行き交う色取り取りの車たち。この色のコントラストがなぜかいつもよりも数段美しく見えた。周りにある全てのものが素敵に映っていた。普通にしているつもりでも顔がほころんでいるように感じた。自分自身が幸せだと周りの人や物、全てが輝いて見え、気持ちまでもが明るくなる。そして、改めて自分がどれほど幸せなのかが実感出来る。恋をした人であれば誰もが経験する至幸の感覚。この日の私はそんな感覚で完全に満たされていた。
「カナ、サラダは美味しい? それだけで足りるかい? 僕のも少しあげようか?」
たっぷり二人分はありそうなボリュームのあるブリトーを、フォークとナイフで切りわけながらアンドリューは言った。温かいチキンと熱々の塩茹で小豆の熱で溶け出したチーズが食欲をそそる。
「ホントに美味しそう。でも、これだけで十分よ。私のサラダ、食べてみる?」
「それじゃあちょっとだけ。美味しそうだもんね」
アンドリューは言い、トルティーヤの端の部分を手で割り、サラダの上に載っていたワカモレをそれに付けると、
「ワカモレチップの出来上がり」
と言って、美味しそうに口に頬張った。その姿が常に穏やかで落ち着いて見えるアンドリューの姿とはあまりにも対照的に、とてもお茶目な姿に映り、私は思わずクスッと笑ってしまった。私の笑った顔を見たアンドリューはもう一つ同じようにワカモレチップを作ると、
「はい、これはカナに」
と、私に食べさせようとする。
「うーん、美味しい、美味しい」
更に私を笑わせようと口をもぐもぐして、眉毛を上下にピクピク動かした。私はアンドリューのこっけいな仕草に堪え切れず、思わず声を出して笑った。
「あははは、アンドリューったらおかしな顔」
「カナ、君の笑顔は本当に素敵だね」
思いもよらなかった突然の言葉に、私の心臓はドキンと一瞬大きく動いた。私は笑みを浮かべたままワカモレチップをつまんだ。そして、
「ありがとう。私も貴方の笑顔、大好きよ」
と言って、それを口に入れた。嬉しさと恥ずかしさを隠すために、さりげなく自然に振舞いながら。
楽しい食事の時間はあっという間に終わり、私たちは午後二時半過ぎの日差しが一層強くなった空の下へ出た。入り口のすぐ目の前にはアンドリューの大きなセダン車が私たちを待っている。ああもうこのまま寮まで送ってもらってさよならなんだ。楽しいときはすぐに終わってしまう事を恨みながら、私の心は無性に寂しくなった。
「ねえカナ、今夜は暇かな?」
車に乗り込むと、アンドリューはにこにこしながら訊いた。
「実は家を出る前に友だちから電話があって、今夜食事会をするから来てほしいって招待されたんだ」
「……?」
私は首をかしげてアンドリューを見た。
「僕は今から一度家に戻って宿題を終わらせなきゃいけないけど、もし今夜カナが暇だったらそこに連れていきたいんだ。場所は日本食レストランなんだよ」
今日はもうこれでアンドリューとはお別れだと思っていた私は、彼の言葉に耳を疑った。えっ、私、聞き間違いしていない? 自分の英語の理解力に不安を覚え、
「食事会は何時からなの?」
と訊いてみた。
「六時からだよ。どう? 行かれそうかい?」
聞き間違いではなかった。アンドリューの言葉に曇っていた私の心は一気に晴れ渡り、自然と笑みがこぼれてきた。今夜もまた会える。
「ええ、もちろん。行けるわ!」
「良かった」
アンドリューはハンドルをパンと叩いて嬉しそうに言った。
日本食レストランで食事会かあ。アンドリューの友だちってどんな人たちが来るんだろう。アンドリューみたいにきっと素敵な人たちだろうな。走り出した車の中で私はまだ見ぬアンドリューの友人たちを想像していた。
「宿題が終わり次第、すぐ迎えに来るからね?」
寮の前に車を停めると、アンドリューは腕時計を見て言った。
「ええ、分かったわ」
「遅くとも六時までにはなんとか来られるようにするよ」
アンドリューは言って、私の両手をぎゅっと握り締めた。その手から伝わる温かい彼の感触がしっかりと「約束だよ」と言っていた。
「今日はランチをありがとう。本当にとっても楽しかった」
「今夜はもっと楽しくなるよ」
アンドリューは私の頬に軽くキスをして寮をあとにした。
部屋に戻ると知美はまだスワップミートから戻っていなかった。待っていたのは部屋を出るときに閉じ込めておいた静寂だけ。でも、アンドリューとのひとときをもう一度思い返すには、必要な静けさだった。ラジオをつけてそこから流れてくる音楽を聴くことも今は必要ではない。私はただ一言一句、アンドリューの言葉を心に刻んでおきたかった。両手と頬に残るアンドリューの温かいぬくもりを感じながら。
約束通り、アンドリューは六時きっかりに私を迎えに来てくれた。茶色の、もう何年も着ているであろう(それも大切に)革のジャケットとレモン色のセーターにジーパン、こげ茶色の革靴といった装いでドアの前に立っていた。
「やあカナ。待たせてごめんね」
ドアを開けた瞬間に漂う清々しいアンドリューのつけているコロンの香り。
「そんな事ないわ。時間通りだもの。それより宿題は終わった?」
私は薄いモスグリーン色のジャケットを羽織るとドアを閉めた。
「全部は終わってないんだ」
「そんな……。だったら今夜は行かない方がいいんじゃないの?」
「心配しなくても大丈夫だよ。さあ行こう」
アンドリューはそしらぬ顔をして私をエレベーターに乗せた。
「でも、明日からまた学校でしょう? 本当に大丈夫なの?」
やっぱり宿題を終わらせなくちゃ、アンドリュー。ロビーへ出ると、足を止めて私は言った。
「いや、ホントに大丈夫だよ。それよりカナをそこへ連れて行って僕の友だちに会わせたいんだ。どっちみち休憩も必要なんだから」
「なんか、ごめんね」
他に言葉が見つからない。
「謝ることなんて何もないんだよ、カナ。いいね?」
アンドリューは玄関のドアを開き、私を外へと促した。外は日もとっぷりと落ち、冷え切った空気が一気に私の体を覆う。私は肩をすくめて空を見上げた。夜空には満天の星たちが、まるで自分たちの存在をめいっぱい主張しているかのようにキラキラと輝いていた。
日本食レストラン「カモン」はカレッジアベニューを右へ下り、ユニバーシティアベニューを左に少し行った所にあった。店に入るとまず目に留まるのは、すし屋で見かけるようなカウンター席。次にアメリカでも流行り始めていたカラオケの装置(テーブル席と畳の席を仕切るように置かれている)。そこでは日本人、アメリカ人を問わず、誰でも気軽に歌を歌って楽しんでいた。
アンドリューと私が店に入ると、六人程の日本人の学生がカウンター前のテーブルを横付けにして座っているのが見えた。
「アンドリュー」
アンドリューが席へ近づいていくと、一人の女性が手を挙げて呼んだ。
「ハイ、ユキエ。遅れてごめんよ」
「さ、早く座って。もう待ちくたびれちゃったわよ」
他の五人もアンドリューの方を見て挨拶をする。
「やあ、アンドリュー。元気かい?」
席の一番隅に座っていた男性が体をのりだして言った。
「アキラ、久しぶり」
アンドリューはこたえて、後ろに立っていた私の背中に手を回すと、彼の横へ引き寄せた。
「She is my very special friend, Kana : 彼女は僕のとっても大切な友人で、カナっていうんだ」
「Very Special」この言葉が素直に嬉しい。
「初めまして。中村カナといいます」
私は笑顔で挨拶をした。だが、アンドリューの友だちという彼らの私に向けられた笑顔の下には、明らかに私を歓迎していない色がうかがえる。
「日本語はずるいよ、カナ。何を言っているか分からないじゃないか」
何も気づいていないアンドリューは、席に座ると冗談めいて言った。私は一層冷たく感じる視線を無視するように、ただの自己紹介を言っただけよ、と、笑った。
アメリカで見る初めての日本のレストランがとても物珍しく私の目には映り、辺りをキョロキョロと見渡していた。レストランの中には日本を思い起こさせるような品がいくつもいたる所に飾られている。すげ笠や半被、奴凧に和傘、それに、羽子板やひょっとこまである。ここは見るからに日本だ。
「日本が恋しくなっちゃった?」
運ばれてきたビールを飲みながらアンドリューは私の肩にもたれて言った。
「ねえ、アンドリュー、今日は何をしていたの?」
テーブルを挟んで目の前に座っていた幸恵さんが私のこたえをさえぎるように、アンドリューに熱い視線を送って言った。そして、
「きっと勉強ばっかりで退屈しているだろうと思って、あなたのためにこのパーティを開いたのよ」
と続け、私の方をチラッと見た。ああそうか、彼女はアンドリューが好きなんだ。同じ気持ちの私には手に取るように幸恵さんの気持ちが分かってしまった。そして、彼女の気持ちを知る周りの人たちが、突然アンドリューの連れて来た(どこの馬の骨とも知れぬ)私に冷たい視線を送っていたことにも納得がいった。
「今日はカナと一緒で楽しかったよ」
私の方を見て微笑むと、アンドリューはこたえた。そして、
「お昼もよかったし、ね?」
と(幸恵さんの怒りにも似た視線が私に向けられている事に気づきもせず)アンドリューは言い添えた。
日本を離れてまだ一ヶ月も経っていないのに、次々と運ばれてくる日本食に私は懐かしさを感じていた。日本ではごく当たり前のように食べていた物でさえ、サン・ディエゴで出されると、とても貴重な物のように感じてしまう。食べられなくなって悟る日本食の有難さ。
「この焼き鳥も、ダシ巻き卵も、ホントに美味しいですね」
私は少しでも会話が弾んでくれたらと願いつつ、幸恵さんに言った。
「そうかしら? どこで食べても同じだと思うけど」
だが、呆気なく言い放たれてしまう。
「私、今、寮に住んでいるんです。だから今日こうやって一ヶ月ぶりで日本の物が食べられてとっても嬉しいです」
更に笑顔で言ってみた。
「別に私はこの店でなくても良かったのよ。だいたいあなたのためじゃないのよ。これは彼のための食事会で、彼が日本食を好きだからここにしたのよ」
だが、幸恵さんの冷たい一言が、槍のように私の心を突き刺した。
周りからは楽しそうな笑い声が聞こえているのに、私のところだけ別の空気が流れている。私は小さくため息をついた。
「なんかずっと静かだけど疲れた?」
心配そうにアンドリューが訊いてきた。
「もう帰ろうか?」
気にかけてくれるアンドリュー。でも、彼自身とても楽しんでいることを私は知っていた。
「ううん、大丈夫よ。楽しんでいるから心配しないで」
一人っ子の強み。いつでも自分の世界に行くことが出来る。想像力を使ってその場を楽しむ術を小さいころから見につけている。それに私の隣には、私のことを「Very Special」と言ってくれたアンドリューがいてくれる。彼のぬくもりを感じる事が出来るだけで満足だった。店内に設けられた小さなステージの上でカラオケを楽しんでいる人たちの歌声も、私を孤独から救ってくれていた。
「Are you sure? : 本当に?」
「Yes, I’m sure : 本当に」
「分かった。カナを信じるよ。でも、もう少ししたら帰ろう」
アンドリューは私の肩に腕を回して耳元で小さくささやいた。
周りを気遣っていたアンドリューには最初からお見通しだったのかもしれない。幸恵さんやみんなの態度がいつもと違っていたという事に。みんなが私にはあまり話しかけていなかったという事に。私が一生懸命みんなに笑顔を作っていたという事に。でも、事実は事実だ。私は歓迎されていなかったし、幸恵さんは私が嫌いだ。でも、アンドリューがいてくれたらそんな事はたいしたことではなかった。周りはどうでもいいことだった。あとどれくらい会えるか分からない二人のこれからを思うと、アンドリューと一緒にいられることだけが、私には大切な事だった。
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