第4話 栄光の龍山グランプリ

第四章 栄光の龍山グランプリ



〈1〉

 

 

 大韓六合州最大の企業ヒュンソ社長ソン・ジミンはホテルのペントハウスで目を覚ました。

 外は曇りだが部屋の中は朝日が差したように調光され、クラシックが静かに流れている。

「ポラ、準備が済んだらキム秘書に部屋まで来るよう伝えてくれ」

 ジミンが呼びかけると立体映像の中性的な人物が恭しく頭を下げる。

「畏まりました。朝食はどうなさいますか?」

 ジミンはポラを当初無骨な男性として設定していた。

 だが心のどこかで寂しさを感じていたのかポラはいつの間にか姿を変えていた。

 そしてその姿と声音がやけに心地よい。これが人間の女性であればアプローチしている所だがポラはヒュンソグループが開発したOSでありUIだ。

「部屋に届けさせてくれ。先にシャワーを済ませてくる」

 ジミンがシャワーを浴びて戻ると部屋には朝食が用意されていた。

「キム秘書は十五分後に到着の予定。五分ほど待たされる事は覚悟していると思います」

 ポラが向かいに座って言う。

「十分待たせれば機嫌を損ねるか。今日のニュースは?」

 ジミンはポラに尋ねる。

「ヨークスター太陰のマールム社がiinpを発表。脳に端末を実装する事で利便性が見込まれますが、リベルタ大陸では技術に対する疑念が大きく否定的な意見が大きいようです。マールム社と提携したディスニーの売上は過去最高、中でもサブスクリプションによるメディア収益が大きくウロボロスと競合する見込み。ヨークスター太陰の製造業が好調。ヒュンソの半導体需要の高まりで株価は上昇していますが半導体不足を懸念する声もあります……」

 ジミンはニュースを聞きながら熱いスープを飲み干す。

 マールム社のiinpはポラの大きなライバルになるだろう。

「龍山グランプリで何か新情報はあるか?」

 龍山グランプリは傑華青龍州の成龍公司と合同で開催する事になったランナバウトトーナメントだ。

 賞金は500億ヘルで最高規模の額だがヒュンソグループ単独で賄えない額ではない。

 成龍公司が対抗して同時期にグランプリを開催した場合注目度が落ちる為、それならばと共同開催にしたのだ。 

 成龍公司は巨大な物流企業で現在は多角的な経営に乗り出し、ヒュンソが得意としているIT分野にも進出している。

 ヒュンソとしてはポラを搭載した傘下のチーム『ギャラクシー』にぜひとも活躍して欲しい所だ。

「UMSでライダーの変更があるかもしれません」

 ポラが立体映像を出現させる。

「オーレリアン・バラデュール選手には高齢で引退を考えているという噂がありましたが、ウロボロスのランナバウト企画でアイドルタレント候補のヤン・イェジが試合で天衣星辰剣を使った事で新旧交代の話題になっています。また先日オリガ・エルショヴァがグリフォンでデビューを確定させた他、ロビン・リュフトが既に内定しているとの噂もあります。新型機については未だ発表はありませんがヴァンピールをカスタムしたマイスターはマイティロックを設計したという情報もリークされており、新型機が投入されるとすればかなりの注目を集めそうです」

「ウロボロスエンターテイメントか……意図的なリークだろうな。カン社長の考えそうな事だ」

 さて、と、ジミンは立ち上がる。

 ジャケットを羽織ると屋内に秘書のキム・ギジュンが入ってくる。

「社長、おはようございます」

 大学生のような雰囲気の童顔の男で多くの人間は外見に騙されるが仕事に関してはシビアでぬかりがない。

「スケジュールの変更はないな?」

「午前中は龍山グランプリの本会場の視察、ポラのプレゼンの視察、昼食を挟んで午後は会議後に決裁処理です。通常通り21時まで残業です」

 キムが律儀に言うがその程度のスケジュール管理はポラにもできる。

「俺の残業は21時までだがお前の残業は23時までだ。今日はテニスで汗を流したい」

「はい、お供します」

 嫌がる風もなくキムが答える。

 ポラのような優れた人工知能を積んだシステムができても、人がいなくては人は生きていけないのだ。

 ――ポラの普及でやらずに済む仕事が増えれば人の可能性はより広がるだろう――  

 ポラはヒュンソが送り出す商品であると同時に人類の革新につながる技術革命でもあるのだ。



※※※



 ヨークスター太陰州を出た船は順調に東リベルタの龍山へと向かっている。

 巨大なランナーキャリアを乗せたタンカーで潮風を浴びながらチームジュラシックスのマネージャーのバーナード・ハサウェイは大海原を眺めている。

 マールム社とディスニーの合同出資によりジュラシックスは大型補強を受け、一気にカーニバルチームに匹敵する新興勢力に躍り出た。

 元々ヨークスター太陰と言えばシューティングスターという全機ドラグーンという偏りも甚だしいチームがナショナルチームで、実際並みのアーマーに負ける事はない強力なランナーとライダーを有していた。

 しかし、ドラグーンのみという編成は投資家の不安を常に煽っていた。

 そこでファイター、アーマー、ドラグーンという伝統的な編成のチームが新たに作られた。それがジュラシックスだ。

 機体は全て名匠として名高いマイスター、ノーラ・ブレンディ作、選手も契約金20億イース以上のエース揃いだ。

 ――これで勝てなければ道化もいい所だ――

 ハサウェイはジュラシックスのマネージャーになる前は投資銀行の常務だった。

 投資家たちに最大の利益を還元する為に中堅チームだったジュラシックスを買収した。

 折よくVWCがマイティロックを発表し、ヨークスター太陰の誇りとも言われたシューティングスターは至る所で敗北していた。

 そこで一般投資家たちは資金の避難先としてジュラシックスに目を向けるようになった。

 ハサウェイとしては将来的にはジュラシックスをヨークスター太陰のナショナルチームと呼ばせるという野心がある。

 その為に作らせた四機のランナーは今回が初のお披露目となる。

 そして筆頭株主であるマールム・ディスニー社のiinpのプレゼンでもある。

 ――勝利の為に作られたチーム、それがジュラシックス――

「マネージャー、そんな所で見てても早く着きやしないよ」

 ブルネットの髪、目鼻立ちのはっきりとした顔立ち、グラマラスな身体はノースリーブのワンピースに包まれている。

 ライダーのリーダー、エレン・ブラフォードだ。

 最年長の27才で元々グロリー騰蛇州の強豪チーム「ウルフ」にいたベテランドラグーンライダーだ。

「海の男の気分に浸るくらいいいだろう。これまでオフィスから出て仕事をして来なかったんだ」

 ハサウェイは冗談めかして言う。

「それにしても豪勢な話だね。全機新型ノーラ・ブレンディ作。お披露目は海を渡った龍山グランプリ。どんだけ金をかけてんだか」

「スポンサーとしてはギャラクシーとウロボロスを潰して欲しいと思ってるさ」

 ギャラクシーの親会社ヒュンソとマールム社はiinpとポラで競っているし、UMSのウロボロスエンターテイメントとディスニーグループは娯楽メディア業界では二大巨頭で因縁の相手だ。

 優勝できなくてもこの2チームだけは潰せという圧力がひしひしと伝わってくる。

「新型機はトレーニングして来たつもりだけどあの2チームは強豪だよ」

「ウロボロスは全機ファイター。二枚ドラグーンはその対策だ。相手が剣豪だからってドラグーンがファイターに負けてたまるか」

 ディノニクスとスターラプトルはカウルのお陰で別のランナーに見えるが、名機として名高いシューティングスターのレッドスター026のバージョンアップモデルだ。

 2機ともエレンとルカに合わせてノーラ直々にカスタムしている。

「おっと、マネージャーの不倫現場を目撃しちまったかな」

 癖のある栗毛の長身の男、ディノニクスのライダー、リカルド・シューマッハがおどけた様子で声をかけて来る。

「やめてくれ。高校生の娘がいて不倫なんてできるか。こっちが勘当される」

「なら娘がもっと若けりゃいいってのかい?」

 エレンが憎らしい口調で言う。

「娘がガキなら分からんだろうし、もっと歳を食ってくれりゃ分別もつく」

「ひでぇオッサンだな。オイ」

 リカルドが大げさに落胆して見せる。

「相手が何人いようとだ。金に困らせなけりゃ文句は出ない。文句を言うのは思春期のガキだけだ」

 ハサウェイはわざと悪党めいた表情を浮かべて言う。

「私らが負けりゃあその金がなくなって文句が出てくるって話だね」

 エレンが言う。

「そういう訳だからしっかり勝ちを掴んでくれ」

 ハサウェイは悪びれた様子もなく言う。ヨークスター太陰州では法ではなく金がものを言うのだ。

 それはマネージャーにとってもライダーにとっても同じ事だ。

「よう、みんな揃ってこんな所で何やってんだ?」

 癖のある金髪の長身の青年、スターラプトルのライダー、ルカ・フェラーリが手を振って近づいてくる。

「じいさんが身投げしないように見張ってるのさ」

 リカルドがひどい事を言う。確かにライダーたちから見れば年上だがハサウェイはまだ53才だ。

「オムツが水吸うと二度と浮いて来ねぇだろうからな」

 ルカが笑いながら言う。

「53才を後期高齢者と一緒にしないでもらおうか」

 ハサウェイは言う。冗談にも限度というものがある。

「大丈夫だって。ホントに歳を食ったらあんたの若い愛人よりはちゃんと面倒みてやるからさ」

 ルカに堪えた様子は無い。

「口の減らない若造だ。大韓まで泳いで行くか?」

「あんたも海パンで競争してくれるならな」

 ルカが答えて言う。

「ったく、あんたら親子みたいだね。二人仲良く泳いで行くかい」

 エレンは呆れたような口調で言うがハサウェイは被害者だ。

「いいねぇ。途中でオッサンがくたばったら遺産は息子の俺がもらっていいのか?」

「誰がいつお前を息子にした。俺が死んでもお前にはびた一文入らんからな」

 ハサウェイはルカに答えて言う。

「そうそう。遺産はオッサンの若い嫁をモノにする俺がいただく」

 リカルドがニヤリと笑う。

 悪態ばかりの連中だが士気は高い。

 ――世界よ待っていろ―― 

 龍山グランプリ以降人々はジュラシックスの名前を忘れる事ができなくなるだろう。



※※※



「ほな俺らの子龍とiinpってのがめっちゃ似とるって話か?」

 まだあどけなさの残る前髪を下した東洋系の青年マイク・周が言う。

 傑華青龍州成龍公司のランナー試験場のブリーフィングルームにはチームドラゴンのメンバーが集められている。

「パクられたの?」

 黒い長髪に白い肌の女性、劉華が言う。

「技術ってのは一方が自分だけが開発してるって思う時には別の誰かが開発してるモンなのよ」

 チームマネージャー、ジェニファー・梁は赤い縁の眼鏡に手を添えて言う。

 子龍は成龍公司の電子局が総力を上げて開発した次世代型通信プラットフォームだ。

 技術の盗用も無ければ流出もない。

「そら絶対ジュラシックスに負けんなって話になるんちゃうん?」

「そういう無駄なプレッシャー絶対嫌」

 マイクと劉華が言う。二人には悪いが近々そういうお達しは出てくるだろう。

「どの道勝てば良い。その為に修練を積んできただろう」

 黒髪を後ろに撫でつけた壮年の男性が言う。

 チームリーダーの呂偉だ。

「根性で勝てたら苦労せえへんわ。マネージャー、そしたら俺らのアドバンテージは機体だけになるんか?」

 マイクが尋ねてくる。

「iinpはサンプルもないからどの程度の性能か分からないわ。とりあえず初戦で当たらなければ様子は見れるんでしょうけど」

「初戦で当たったらヤバいって話じゃないですか!」

 劉華が声を上げる。

「我々は充分に強い。自信を持て」

「いや、強いには強いで。負けへん自信はあるんや。でもソフトが同じって言われたらなぁ~。俺らこの半年子龍の調整に明け暮れててろくに試合もしてへんねんで」

 呂偉にマイクが口答えする。

「これまで想定可能な範囲のあらゆるデータを相手にシミュレーションして来ました。その中で私たちの子龍搭載ランナーの反応速度は最速でした」

 ジェニファーは不毛な言い争いを断ち切るようにして言う。

 これから情報収集を急がなくてはならない。

「何か噂なんだけど、ウロボロスが超高速化システムを開発してるらしいわ」

 SNSを見ていた劉華が言う。

 ミーティングの最中にSNSを見るなと言ってやりたい。

 劉華が見せた端末の映像に出て来たヴァンピールは羅生門に変わる前と後では別人の動きを見せている。

「何やごっついもん作ってるやん! ありえんやん!」

「良く見ろ。これは流水明鏡剣だ。シミュレーションで何度も対戦しただろう」

「せやかてここ天衣星辰剣の本家やん! 両方使えるってエグすぎやん!」

「でもこのライダーは脱落したみたい。こっちのヴァンピールに負けて」

 劉華の端末映像を呂偉と周が食い入るように見つめる。

「こら天衣星辰剣やなぁ。まだ粗削りやけど」

「本家がいい加減で継承者が絶えたと聞いていたが……後継者が現れたのか……」

「あなたたち、素人並みのゴシップで盛り上がらないでくれる? 私たちはどうやって彼らに勝つかを考えないといけないのよ」

 ジェニファーは言う。

「でもiinpの話とか羅生門とかマネージャーは全然掴んでなかったでしょ!」

 劉華が痛い所を突いて来るが、それはジェニファーだけでなく成龍公司自体が掴んでいなかった情報だ。

「情報に疎かった事は認めるわ。でも子龍は信頼できるシステムだしあなたたちだってそれは理解している訳でしょ?」

「そらうちの子が可愛い言うんと同じちゃいますの? 誰でもそう言いますがな」

 口の減らない周が言う。どうして南方出身者は口数が多いのだろうか。

「せめてもっとデータがあればな」

 呂偉はシミュレーションできない事が悔しいといった様子だ。 

「本社の方で何か掴んでないの?」

「掴んでいれば情報が下りて来てるわ。現にギャラクシーのポラのデータは来てるんだし。もっともポラは公開が早かったってのはあるんだけど」

 劉華に答えてジェニファーは言う。こればかりは仕方ない。

「子龍のバージョンアップってでけへんのか?」

「今のが最新版よ。それにiinpがどれほどのものかも分からないし。今の私たちにできるのはこれまでの練習の成果を試合できっちり出せるようにする事だけよ」

 ジェニファーは浮足立った一同を鎮めるようにして言う。

 龍山グランプリまであと一週間。今から機体やシステムに手を入れる事はできない。

 仮に手を入れたとしてもライダーがついて行けないだろう。

 ――ギャラクシーとの一騎打ちだと思っていたのに――

 思いがけない伏兵にジェニファーは内心で臍を嚙んだ。

 とはいえ半年間、子龍の開発だけに費やしてきたのだ。

 その子龍がポッと出のiinpに負けて良いはずが無い。

 ――やれる事はやった。後は自分たちを信じるしか……――

 思いかけてジェニファーは言い合いを続けている三人のライダーに目を向ける。

 凄まじい競争を勝ち抜いてきた優秀なライダーたちなのだが、どうしてこうも落着きがないのだろうか。

 ――いいんだ。私さえしっかりしていれば――



※※※    

   

 

 蘇利耶ヴァルハラを出たランナーキャリアを乗せた巨大な輸送艦は大韓六合州に向けて順調に移動している。

 チームキングダムのマネージャー木戸小五郎は貨物室を改装した貴賓室でVWCのA級特装に身を包んだチームリーダー、ネメス・ギルフォードと向かい合わせのソファーに座っている。

 木戸はキングダムのチームマネージャーという肩書になっているが、本業は蘇利耶ヴァルハラ国家公安部の課長でランナバウトに関する知識はほとんど無いと言っていい。

 目の前のネメスは蘇利耶ヴァルハラの科学者Drシュミットが開発した人造人間――バイオロイド――で、見た目は18才の金髪碧眼の怜悧な印象の青年だが実際は6才でしかない。

「龍山グランプリ参加は帝の決定だ。お前らBATは黙って従っていればいい」

 蘇利耶ヴァルハラで帝と言えばリチャード・岸の事だ。

「我々が公式戦に出る条件を再度確認させてもらおう」

 ネメスが冷えた口調で言う。バイオロイドはDr東條の方針で品質管理の問題から死ぬまで戦わせ、常に一定の基準をクリアするようにしているのだと言う。

 ネメスはその中で最強クラス。全世界のライダーを網羅したVWCのライダーランクでも特Aを持つ5名のライダーの一人だ。

「帝には直談判したのだろう? 俺に決定権がある訳ではない」

 木戸は今回のグランプリでは添え物に過ぎない。今回のグランプリは蘇利耶ヴァルハラにとって新製品であるバイオロイドのプレゼンの意味合いが強い。 

 本来の能力で言うのであれば全てネメスに任せておけば良い。

 そうも行かないのはVWCがネメスを18才のライダーとしてWRAに登録しているという事だ。

 18才以上に設定する事も不可能ではないが、見た目に無理が出るだろう。

 そこで子供ばかりのチームを参戦させる訳にも行かない為、木戸がマネージャーという肩書で随行しているのだ。

 ――そして今回の龍山グランプリには獄屠殺人剣の黒鉄衆が参戦する――

 獄屠殺人剣は大韓六合州沖の忌島という島に伝わる剣術で、一般的に知られている三流派と異なり純粋に人を殺す事を目的としている。

 その禁忌から忌島の人間は長らく島を出る事も外部と交易を行う事も無かった。

 リチャード・岸はこの忌島の出身で、獄屠殺人剣の剣士を使って現在の地位を手に入れたという過去を持っている。

 獄屠殺人剣の剣士、忌師が公に島を出るのは今回が始めてであり、彼らが蘇利耶ヴァルハラに明確に敵対するのであれば大規模な流血は免れないだろう。

 今回の木戸の派遣は忌島のチーム「黒鉄衆」の内偵にあると言っていい。

「カーニバルまでの戦績次第でバイオロイド養成所の管轄権は我々BATに渡してもらう」

 BATとはバイオロイドアサルトトルーパーの略だ。

 名前の通り蘇利耶ヴァルハラの治安維持活動の中でも突撃隊の役割を与えられた、バイオロイドのみで編成される強力な武装戦闘集団だ。

「俺に根回しをしておこうと言うのか?」

「公安部ならVWCにも顔がきくはずだ。我々バイオロイドを死ぬまで戦わせている事が公になって顧客がつくと思うか?」

 ネメスの話には一理ある。バイオロイドをライダーという名の商品で売ったり、BATを地域の治安維持活動で駐留させると言っても、過度に血なまぐさい噂が広まれば顧客がつかなくなるだろう。

「情報は我々公安部が管理している。お前が意図的にリークでもしない限り漏れる事は無いだろうよ」

 木戸が言うとネメスが唇の端を釣り上げる。

「本心ではないな。俺の言葉で心拍数が上がり、滲んだ汗にアドレナリンが混ざっている」

 個体差があるがバイオロイドには生きた嘘発見器とも言える優れた感覚器が備わっている。

「駆け引きはさせないという事か。なら取引と行こう。不動雷迅剣を襲撃して皆殺しにしたのはBATか」

 2年前、不動雷迅剣の宗家が襲撃され剣士たちが皆殺しになった事件があった。

 当時から蘇利耶ヴァルハラの仕業ではないかという噂があった。それが事実であれば致命傷ともなりかねない大スキャンダルだ。

「そうだ」

「誰の命令だ? 帝か? 東條か?」

 木戸は尋ねる。虐殺を命じたとあれば蘇利耶ヴァルハラはリベルタ大陸を中心とした勢力から強力な経済制裁を食らう事になるだろう。

 ――それでリチャード・岸が失脚すれば……――

 蘇利耶ヴァルハラと自由経済圏であるグロリー騰蛇とヨークスター太陰を握るのは強力な官僚機構、即ち公安部だ。

 もちろんそれ以前の段階として岸との取引材料としても充分な価値がある。

「期待に添えないだろうが答えてやろう。命令したのはメルキオル・クラウスだ」

 ネメスの言葉に木戸は驚きを感じる。

 メルキオルはVWC最強のライダーだが、それ以上でもそれ以下でもないはずだ。

「何故だ? 何故危険を冒してまで……」

「伝説の三大ランナーだ」

 伝説の三大ランナーとは三大剣術流派が守っている現代の技術でも解き明かせないテクノロジーで作られた太古のランナーだ。

 不動雷迅剣の剣士を虐殺してまで手に入れようとしたランナーとは一体どんなものなのか。

「メルキオルが? 何故?」

「知りたければいい保護者でいる事だ。心配しなくともカーニバル出場権くらいのポイントは稼いでみせる」

 言ってネメスが6才とは思えない生意気さで背を向ける。

 腹立たしいがバイオロイドはVWCがマイティシリーズに続いて送り出すランナバウト界に革命を起こす新商品である事に違いはなく、ネメスはそのフラッグシップなのだ。

 ――いずれ各州の警察が民間委託となりBATが治安維持を握るようになれば蘇利耶ヴァルハラの天下……――

 それは蘇利耶ヴァルハラと木戸が共有する野心の成就の形の一つであったはずだが、ネメスを見ていると必ずしもそうはならない気がするのだった。    

 

  

※※※



 忌島の黒鉄衆の頭目、土方十三は大韓六合州の定食屋でやけに辛い漬物を食べている。

 高級品の牛肉の焼肉との相性は抜群だが、食べなれないものばかり食べているせいか浅漬けと茶漬けのような食事が恋しくなる。

「大韓六合に来て一週間か……飯は美味いんだがどうにも俺には大味に感じられてな」 

 似たような事を考えていたのか前髪を下した斎藤五郎が言う。

 チーム黒鉄衆のドラグーン、鬼神丸国重のライダーだ。

「贅沢言うなよ。どうせ島に戻ったら大陸が恋しいと言い出すんだろ」

 ドラグーン播州住手柄山氏繁のライダー永倉義衛が白い歯を見せて笑う。

「私は食事は美味しいと思いますけどね。ラーメンが無い以外私に不満はありません」

 ファイター上総兼重のライダー藤堂兵輔が辛い漬物を肴に焼酎を飲みながら言う。

「忌島はラーメンは美味しかったですからね。博多、長浜、久留米、熊本、玉名、鹿児島、佐伯……」

 ファイター加州清光のライダー沖田統司が春雨の炒め物を食べながら数え上げる。

「ラーメンはラーメンでいいじゃねぇか」

 アーマー江府住興友のライダー原田三之介が豚バラの焼肉を辛味噌と共に菜っ葉で巻いて口に放り込む。

「そういう雑な所がランナーの操縦にも出るんです。いいですか、一言にラーメンと言っても博多と長浜では麺の細さと脂の濃さに差がありますし、これが久留米になると……」

 藤堂が原田に向かって言い、沖田が真剣に頷く。

「今食えんものの話をしても仕方無かろう」

 斎藤が話の腰を折る。

「俺は大韓のラーメンも好きだけどなぁ。カルククスとか美味しくねぇ?」

 永倉が言うと藤堂が目を細める。

「済州と首爾どちらのカルククスですか?」

「どっちかっつーと首爾の牛骨の方が好きかなぁ」

 永倉が答えると沖田が頷く。

「お前ら大韓まで来て麺ばっかりかよ。肉食え、肉」

 原田が焼肉を頬張りながら言う。

「まぁ、何はともあれ食事の面倒を見てもらえるのはありがたい話ですね」

 沖田が漬物を食べながら言う。

「試合まで練習場を借りられた事も感謝せんとな」

 土方は言う。全体的に飯の味付けが濃くても。とは食客の身で言える事ではない。

 土方は黒鉄衆のチームリーダーだ。

 愛機はファイター和泉守兼定、六機ともガレリア天空州の工房メルカッツェによる技ものだ。

 機体が忌島のものではないのはそもそも忌島は外部との交流がなく、ランナバウトで使うようなランナーが無かったからだ。

 60年前、忌島の頭目松平慶喜が後継者を指名せずに急逝した。

 本来であれば八人の首領による八人衆の合議で後継者が選ばれるはずだったが、流行り病で会議が開ける状況になく、その状況を利用し岸信三が松平慶喜の甥家達を暫定的な後継者とした。

 反岸派の大鳥啓介は剣腕ではなく血筋に正統性があるなら娘の鏡子にも等しい権利があるとして対立した。

 八人衆は岸派と大鳥派に別れて血で血を洗う抗争を繰り広げる事になった。

 結局敗北した岸は島を出る事になったが、出た先で蘇利耶ヴァルハラという野蛮な国を作った。

 そして50年の歳月を経て抗争から立ち直った忌島は岸を捕らえ世界をあるべき姿に戻すべく、獄屠殺人剣の剣士をライダーとして派遣する事に決めたのだ。

 ――しかし、抗争は親父の世代の話だ――

 土方が引っかかるのはそこだ。岸信三がリチャード・岸として表舞台に現れたのは30年ほど前の事だ。

 20年の空白があるし岸の容姿も老いたようには見えない。

「我らは戦には慣れていても試合の流儀には疎い。練習はしたが実戦で反則をとられないかとな」

 斎藤が不安を滲ませる。忌島でのランナー格闘は戦であり、いかにコクピットを攻撃するかに重点が置かれている。

 ランナバウトと戦は真逆のルールで普段の癖が出てしまえば即失格だ。

「結局は俺たちが物騒って話なんだろうな。だから島に引きこもってたんだけどさ」

 永倉が鶏粥をすすりながら言う。

「物騒なのは岸一派で野蛮なのは原田だけです。一緒にしないで下さい」

 藤堂が冷麺を食べながら言う。

 焼肉の後は石焼ビビンバではなく冷麺にしておけば良かったと土方は思う。

「俺たちの剣は三大流派を封じる為にあった。岸が島を出なければ出る事も無かった」

 土方は言う。獄屠殺人剣は三大流派の剣術を葬る為に存在していた。

 今の世界で剣術家以上の戦力を持つ集団はいない。まかり間違って剣術家が人を殺す事を躊躇わなくなったら誰も止められなくなるだろう。

 その時の為に獄屠殺人剣は用意され秘匿されて来たのだ。

 ――ご先祖様は獄屠殺人剣がこのような使われ方をするとは思わなかっただろう――

 と、土方の端末が着信を告げた。

 黒鉄衆のマネージャーの山南圭介だ。

 山南は現在西リベルタの胃袋とも言われるロワーヌ天后州の農協、グルメロワーヌを率いているアルセーヌ・リッシモンの元で経営を学んでいる最中だ。

『大陸のランナーには慣れたかい?』

 気さくな声が端末から聞こえてくる。

「ランナーには慣れたがコクピットを狙わないのは難しい」

『それをやったら反則だからね。所で君たちに微妙なニュースがあるんだ』

「普通良いニュースと悪いニュースと言わないか?」

 土方は言う。悪いニュースとより悪いニュースというバージョンもあるだろうが、どちらにしても吉報というのは向こうからはやって来ないものだ。

『リチャード・岸が龍山グランプリにVWCのチームを参戦させる。これまでのデータにはないけどバイオロイドという強化人間で編成されたチームだ。メルキオルみたいのがゾロゾロ出てくると思ってくれればいい』

「何だそのばいおろいどというのは?」

 強化人間と言われてもピンと来ない。

『遺伝子を操作して人為的に能力を強化された人間だよ。僕も偶然知ったんだけど蘇利耶ヴァルハラは彼らを商品として売り出す気らしい』

「遺伝子操作……岸にそのような技術があるとは思えんが」

 忌島にあったのは獄屠殺人剣だけだ。

『人為的に生み出されたとしても命は命だ。人としての幸せは守られなきゃならないし売り買いされるなんてもっての外だ。とは言ってもこっちも情報は少ない。君たちには可能な限りバイオロイドのチームを内偵して欲しい』  

 確かに微妙なニュースだ。岸が直々に来るのであれば拉致なり暗殺なりを考えるが、やって来るのは人為的に作られた兵士のようなのだ。

 ――岸は60年前の惨劇を世界規模で繰り返そうと言うのか――

 60年前忌島で決着をつけられなかったばかりに悲劇が拡大生産されている。

「承知した。御庭番衆に命じて可能な限り調査させよう」

 土方は山南に答える。御庭番衆の山崎晋を貼り付けておけば何らかの情報は得られるだろう。

『僕の方からはとりあえずそれだけだ。君たちの方から要望は?』

「浅漬けを所望する」

 斎藤が会話に割って入る。

『白キムチって言えば出てくるよ』

 当たり前のような口調で山南が言う。裏メニューにあったのだろうか。

 そういう大切な事は前もって教えておいて欲しい。

『僕は直接応援に行けないけど健闘を祈るよ。また連絡する』

 言って山南が通信を切る。

「無茶ぶりするなぁ、あの人」

 鶏粥を平らげた永倉が大げさに溜息をつく。

「ランナーを用立てたのはさんなんさんだ。無下にはできん」

 忌島にはファイターやドラグーンといった種類のランナーはなく全て武者という形で括られていた。

 ルール無用の戦であればどの型のランナーと当たっても遅れをとる事は無いだろうが、ランナバウトという試合ではどの型と戦っても負けてしまう。

 そこで山南がリッシモンを通じてガレリア天空州のチームフレイトライナーのランナーを作っている工房メルカッツェに話をつけて六機のランナーを用意してくれたのだ。

 ――岸の蛮行を止めなければならない――

 その為にもまずは……

「店主! 白キムチをくれ!」

 土方は厨房に向かって言う。何はともあれ食べなれたものを食べて落ち着きたいのだった。



〈2〉



 バレンシア朱雀州のウロボロスエンターテイメント本社の会議室にはいつもの面々が集められている。

 へウォンは一同の顔を見回す。バスチエだけは現在大韓六合州にいる為にリモートだ。

「……先日のヤン・イェジとファビオ・フェラーリの一戦でイェジに注目が集まっています。ただし現状では新規でランナーを建造するほどのスポンサーがつく見込みはありません」

 羅生門を破ったイェジは一躍スーパークラスの期待が高まったし、他のチームなら一軍昇格していてもおかしくないだろう。

 しかしUMSにはクリスチャン、オーレリアン、アナベルという看板が存在し、ここに加えて待望されていたドラグーンのオリガ、更に内定しているロビンがいる。

 万年補欠になるかも知れないライダーのランナーのスポンサーになろうという企業はないと言ってもいいだろう。

『本社から予算を出してもらう事はできないんですか? イェジは逸材です』

 バスチエが端末越しに言う。

「天衣星辰剣のライダーでは会長とオーレリアンとかぶるでしょう? 若さを別にすれば目新しさもありません」

 専務のマリアが身もふたもない事を言う。

 UMSを天衣星辰剣のチームと割り切ればイェジの参入は歓迎されるべきだが、ランナバウトという競技と収益性を考えた時にイェジは不確定要素が大きすぎる。

「注目度を更に上げる事、スポンサーに資金を提供させる事が第一目標になります。加えて言うなら現在進行中のロビンの企画と重複する事態も避けねばなりません」

 へウォンは言ってマーケティングのロゼッタ・ヴァネッリに顔を向ける。

「現在G&Tと交渉中ですが現状では資金調達は困難です。ただし機体を改修する程度の予算は捻出できます。イェジがヴァンピールでスーパークラスを撃破したなら評価は一気に上がりG&T社に限らずスポンサーの獲得が可能になるでしょう」

 企画部が作成したスポンサー候補リストが表示される。

『ヴァンピールを改造ですか……あと一週間しか無いんですよ』

 バスチエが困り果てた様子で言う。

「新規より早いでしょう。それに観客は逆転劇のようなドラマを求めるものです」

 マリアがバスチエに向かって言う。

『おたくらはそれでいいかも知れませんがカスタム機と量産機にはとんでもない差があるんです。ライダーってのは特徴的な体つきをした人でランナーってのはそれに合わせて仕立てられた特別製の服なんです。量産機じゃ本来の才能さえ引き出せません』

 バスチエの言いたい事は分かるが予算には限りがあり、抱えられるライダーも無制限という訳には行かないのだ。

「羅生門は使えないのですか」

 へウォンは尋ねる。あれは素人が乗っても強力なランナーであったはずだ。

『確かに機体はチューンされてますがイェジに合うかどうかは分かりません』

「おたくのマイスターは何と言っているんです?」

 イェジに好意的なアンドレイが言う。

『いや、それがまだ……昨日の今日ですよ? 昨日まで誰もイェジに期待なんぞしてなかったでしょう』

 バスチエの言う事にも一理ある。

 龍山グランプリで一山当てたいというのは企画部の都合であって現実を反映したものではない。

 しかしイェジを売り出すならこれは千載一遇のチャンスなのだ。

「まずはマイスターと話をして下さい。マーケティングは機体が無い場合のイェジのプレゼン案の策定をお願いします」

 へウォンはバスチエとヴァネッリに向かって言う。

 ――ただのヴァンピールでイェジが惨敗する事が一番怖い――

 ファビオの羅生門に勝った事がまぐれだと思われればその後の選手生命はないと思っていいし、天衣星辰剣の後継者という肩書も親の七光りのように思われてしまうだろう。

 ――オルソン、何とかしてくれるかしら――

 へウォンは願いにも似た思いで自閉症の青年の姿を思い出す。

 羅生門をカスタムした事を考えれば一週間でヴァンピールをチューンする事も不可能ではないように思えるのだった。



※※※



 一つの商品を開発する時に重要なのはお客様の声ではない。

 お客様の声を大切にしなければならないのは広報であったりカスタマーサービスといった仕事をする人間だ。

 顧客が商品を選ぶ時、自分の声が反映された商品を選ぶだろうか?

 ――その目の前に想像もしなかった素晴らしい商品が置かれていたら?――

 それまでの自分の声など忘れてその「新商品」に飛びつくだろう。

 ヒット商品や人に愛される商品というものはお客様の声ではなく、開発者の孤独の中で生まれるものだ。

 龍山グランプリまで一週間。

 深夜のランナーキャリアでオルソンは二機のヴァンピールを見上げている。

 一機はカウルが破壊された羅生門、一機はただのヴァンピール。

 羅生門は急場しのぎで作った割りには良くできたランナーだっただろう。

 ――でもそれは正しかったのか――

 ロクに面識はないがファビオをぬか喜びさせ、流水明鏡剣のパウルには迷惑をかけた。

 千本桜はそういった事の無い機体にしたい。

 可能であればゼロから設計したいが予算があったとしても時間的余裕が無い。

 ――そしてイェジはヴァンピールの操縦に慣れている――

 チューンするのであれば正攻法が望ましいだろう。

 端末でイェジの羅生門との四度のランナバウトを再生する。

 最初の三戦は天衣星辰剣の剣士としての動きができていなかった。

 だが、四戦目は粗削りとはいえ天衣星辰剣を使いこなした。元々天衣星辰剣は流水明鏡剣に強いという事もあるが、次期当主の呼び声高いパウルの動きをトレースした羅生門を撃破したのだから大したものだ。

 ――イェジは今後も安定して天衣星辰剣を振るえるのだろうか?――

 イェジは剣術もライダーも三か月という初心者だ。

 ゆくゆくは一流になるとしても今はそうではない。

 ヴァンピールを千本桜として再生させるには二つのプランがある。

 一つは現在のイェジに合わせて天衣星辰剣を使えない状況でも戦えるランナーに仕上げるもの。

 もう一つは天衣星辰剣を振るえなければ扱えないエッジの効いた機体に仕上げる事。

 ――どうするオルソン――

 マイティロックは汎用性の高いランナーとして設計された。羅生門も誰でも扱えるという点では基本的な考え方は変わらない。

 しかしそれでは頭一つ抜け出る事はできない。ヴァンピールの改修であっても汎用性を高める事と専門性を高める事では真逆の発想になる。

「オルソン、夜食まだ?」

 いつの間にかやってきたトレーニングウェア姿のイェジが言う。

「僕にとっては朝食だけどね」

 今日もアイドルとしてのレッスンに加えて深夜までクリスチャンと練習して来たのだろう。 

 普通の人間なら投げ出していても逃げ出していてもおかしくない。苦労を苦労と思わない所がイェジの長所なのだろう。   

「これから作るの?」

「今日はまだ食材がない。市場に行かないと」

 オルソンは端末の時計に目を落とす。一時半だから市場が開くまでにはまだ時間がある。

「おなかすいた~。いつも材料切らしてないじゃない? どうして?」

 ――ヴァンピールのチューン設計の方針を少なくとも今日中に仕上げなければ――

 龍山グランプリには間に合わない。

「コンビニの材料で何か作れないの?」

「できるにはできるけど大したものは作れないよ。料理を作るならどの道市場には行かないとだよ」

 コンビニの食材でもそれなりの料理を作る事はできる。

 だが三食コンビニ食材の料理というのは食べる気にならない。

 ――そうなんだよな、龍山グランプリではコンビニ食材で料理を作れって言われてるようなものなんだよな……――

 イェジには今のヴァンピール以上のランナーが必要だ。

 いずれ正規ライダーになった暁には完全新規の機体を用意できるが、今はヴァンピールというコンビニ食材を調理するしかない。

「君はさ。自転車に始めて乗るなら補助輪があった方がいい? それとも傷だらけになりながら補助輪のない自転車に乗りたい?」

「補助輪が無い方。どうせ補助輪を外した時転ぶでしょ? 痛いのが先か今かってだけの話じゃない?」

 イェジがさも当たり前の口調で言う。

 オルソンは笑いが込み上げるのを感じる。この子はそういう子だ。

「龍山グランプリで大恥をかいてもいい?」

「何それ?」

 イェジが頬を膨らませる。イェジに補助輪はいらない。

 プランAは消えた。ヴァンピール千本桜はエッジの効いたタイトな機体になる。

「君が乗りこなせないじゃじゃ馬を作ってもいいかって話だよ」

「羅生門みたいに操られるより自分で動かす方がいいし……それに負けるなら思い切り負けてスッキリしたい」 

 負けた方がスッキリするとは潔い。

 イェジは他人の目や会社の評価を気にしていない。

 ――顧客の話も少しは聞いてみるもんだな―― 

 時間は一週間。手直しを入れるとして基本的な設計にかけられるのは今日だけだ。

「僕は君のランナーを作る。今日は食事を作ってる時間はない」

 オルソンはメインコンピューターの置いてある電算室に向かう。

 ランナーのパーツは電装系は大韓六合で調達できるだろうし、骨格に近いパーツやカウルは重工業に強い傑華青龍で注文できるだろう。

 オルソンは端末に取りついてヒュンソや成龍公司が出しているパーツのリストとヴァンピールの設計図を見比べる。

 いくらかは羅生門のチューンナップパーツも流用可能だ。

 様々な機体のパーツを寄せ集めて一機の機体を作る。

 ――小さい頃に作ったプラモデルみたいだな――

 ふと思ってオルソンは苦笑する。

 ダンスを踊るイェジの軽快な動きが端末の画面に重なって見える。

「まだやってんの? もうすぐ人が来るよ」

 背後からかけられた声に目を向けるとイェジがカップと紙袋を手に立っている。

「あんたが作ってくれないからコンビニ行ってきた」

「僕は君の専属料理人じゃない」

 マイスターだ。と、心の中で付け加える。

「コーヒーとチキン。大韓六合ではチキンが名物らしいからさ」

「朝から胃もたれするチョイスで感激だよ」

 言いながらオルソンはイェジからカップを受け取る。

 すきっ腹に熱いコーヒーが染みる。

 ――美味いなぁ~――

 オルソンはほっと一息ついて伸びをする。

「仕事は順調なの?」

「お陰様でね。君をランナー嫌いにさせるくらいのじゃじゃ馬にしてやるよ」

「意地悪だなぁ~」

 イェジが言葉ほどに嫌がる様子もなく言う。

 何も分からないだろうがイェジが端末の画面を覗き込む。

「ヴァンピールは生まれ変わるんだね」

「本物のヴァンピールは……君の思っているヴァンピールはコクピットの事だ。それはどんなランナーになったとしても変わらないよ」     

「大事に乗らないとだね」

「サーバーにバックアップがあるからハードまでバカ丁寧に扱う必要は無いよ」

「ロマンがないなぁ~」

「僕にロマンがあったらライダーになってるよ」

 オルソンが言うとイェジが驚いた表情を浮かべる。

「オルソンってライダーになりたかったの?」

「いや、比喩みたいなもんだよ。あんなに人の注目を浴びる仕事はしたくない」

 ライダーとしての才能があったとしても大勢の人に囲まれるような仕事はできない。

「オルソンって何か病気になるようなきっかけってあったの?」

「ドラマじゃないんだ。僕は物心がついた時には病気だったよ。何でそんな事を?」

「治らないかなって思って? 人から逃げて生きるのって大変そう」

「逃げるっていうより僕は人がいると苦痛なんだ」 

 コーヒーのカップを置いてオルソンは言う。

「例えばさ、君は寝るとき布団に知らない人が入ってきたらどう思う?」

「そんなの絶対に嫌だよ」

「何もしないとしても?」

「嫌」

 むくれた様子のイェジを見てオルソンは笑う。

「それをパーソナルスペースって言うんだ。誰にでもある人に踏み込んで欲しくない距離。僕の場合はそれが何十メートルとあるんだ」

 オルソンの説明にイェジが納得した表情を浮かべる。

「オルソンは人が近づくと女子シャワー室にいきなり男子が入って来たみたいに感じるんだ」

「まぁそんな感じだね」

「それは怖いね……でも私がいるのは平気なんだね」

「いくら何でも毎晩来られれば慣れるよ。一人くらいならね」

 それだけではない。イェジには心の壁を溶かすような不思議な魅力がある。

 イェジが紙袋から取り出したチキンをもりもりと食べる。

 コーヒーしか入っていない胃袋が悲鳴を上げる。

「やっぱり僕ももらうよ」

 オルソンはイェジからチキンを受け取って口に運ぶ。

「朝になって人が来そうになったら部屋に戻るからイェジも戻って寝るといいよ」

 オルソンが言うとイェジが笑顔でガッツポーズをして見せる。

「オルソンファイト!」

 オルソンは手についた油を拭うと再び端末に取りつく。

 ――イェジがイェジを超える為の―― 

 一代目千本桜の基礎設計を何としても完成させるのだ。



※※※



 オリガはランナーキャリアの格納庫で復活したグリフォンを見上げている。

 オリガのイメージに合わせて白と緑とピンクの差し色のカウルになったが、それにはビギナーが乗るには元のグリフォンのカウルは荘厳すぎたという事情もある。

 横に並んだオーレリアンが一緒にグリフォンを見上げる。

「どうだ、グリフォンは」

 テストではグリフォンはオリガのイメージ以上の動きをしてくれている。

 問題は適当な練習相手がいないという事だ。

 ドラグーンはファイターに対して圧倒的な優位にある。

 これまでUMSにはファイターしかおらず、練習生のヴァンピールを除けば修理だけで簡単に億単位の金が飛んでいく高級ランナーしかない。

 大事な試合前にレギュラーの機体が破壊されるような事があってはならないし、ただでさえグリフォンの修理で会社とメカニックには負担がかかっているのだ。

「グリフォンは答えてくれます。ただシミュレーションだけで実戦に出るのが正直不安です」

 オリガはオーレリアンに答える。

「俺が練習相手になれればいいんだがさすがに試合の前ではな……それにイェジのヴァンピールが大規模改修に入る予定だ」

 オーレリアンの言葉にオリガは胸が痛む。

 ヴァンピールは心優しい初心者向けランナーだ。

 それが悪鬼のような羅生門に改造された。今度はどんな姿に改修されるのか。

 マイスターやメカニックはランナーの声を聞いていないのかと言いたい。

「ヴァンピールが可愛そうです」

「イェジ機の方は羅生門みたいな事にはならんだろう。ヴァンピールの潜在能力を100%引き出した機体になるはずだ」

 オーレリアンの言葉にオリガは心がささくれ立つのを感じる。

 ロビンは会社がプロデュースしてくれる。イェジのヴァンピールも予算と人手を裂いて改修される。

 オリガはグリフォンという相棒を得たが、会社からの扱いが少しぞんざいなのではないかと思う。

 しかし、SNSのフォロワーがロビンやイェジより少ないのも事実なのだ。

 グリフォンが来てくれた時にはそれなりに注目もされたが、ロビンがプロレスを始めたりイェジがファビオと激戦を繰り広げたり間に人々の関心はオリガから離れてしまった。

 ――私だって頑張ってるのに――

 確かにイェジの方が明るいし企画として映えるのは事実だろう。

 しかしアイドルとしての積み上げとランナーとの相性はオリガの方が上のはずだ。

 能力で劣っているとは思わないのにどうして人気で劣ってしまうのだろうか。

「イェジが妬ましいのか?」

「違うと言えば嘘になります。私だって人並以上に練習しているんです。アイドルとしてもライダーとしても」

 オリガが言うとオーレリアンが端末を操作する。

「オリガ・エルショヴァ。真面目、不思議ちゃん、電波弱い、オーラ薄い……」

「わざわざ変換候補を言われなくても分かっています。でも真面目な事ってそんなに悪い事ですか?」

「大衆は良くも悪くも見える部分でしか判断せんし、見たいようにしか見やしないもんだ。お前は一流のボーカリストだがパフォーマンスでは華がないし、企画で気の利いた事を言える訳でもない。ランナーとは響き合えるがそれの見せ場もない。現状で迷宮少年のファンがどう思うかと言えば検索結果通りという事になるだろうな」

 オーレリアンの言葉にオリガは唇を噛む。

「それが悔しいならソロステージで観客を魅了し、ランナバウトで実力を示す事だ」

「でも迷宮少年ではユニットですし、ランナバウトは練習相手もいませんし」

「何を言っている? 龍山グランプリは目の前だぞ?」

 オーレリアンが面白がるようにして言う。

「練習もろくにしないでランナバウトをしなきゃならないんですか?」

「お前がグリフォンを手に入れ、グリフォンの改修が終わるのと、龍山グランプリの間まで準備期間が無かったんだ。お前は歌と振り付けがあって、練習期間が足りない状態でステージに立たなくてはならない時に準備不足だからとボイコットするのか?」

「それとこれとは違います。それに舞台ならギリギリまで練習をします!」

「今お前の目の前にあるのは何だ? グリフォンならそのシステムに先代のジェラール・コートマンシェのデータが残っているはずだ。実際に起動してのテストには限界があっても戦闘シミュレーションはこなす事ができるはずだ」

 オーレリアンの言う事は充分に理解できる。否、それが真っ当な考え方なのだと理解できもする。

 ――だけど私は喧嘩もした事がない――

 戦い方など分からない。グリフォンがそれらしい動きをしてくれても自分には歌う事しかできない。

 ロビンはプロレスを、イェジは剣術を教えてもらえるのに自分は戦い方というものを教えられていないのだ。

「戦闘シミュレーションって……私は剣を持って踊る事もできません」

 オリガが言うとオーレリアンが苦笑する。

「それでもランナーに守りたいと思わせるものがある。お前に足りないのは闘争心ではなく、未知に対して一歩踏み込む勇気だ」

 オリガはオーレリアンの言葉に頷く。確かにランナーに乗るのは良くてもランナバウトというものに抵抗感があるのも事実だ。

「ランナバウトは性別問わず、障害を問わずにライダーになれる。ウロボロスにいると剣術家か格闘家ばかりだから勘違いもするだろうが、格闘技のかの字も知らないスーパークラスは幾らでもいる。そいつらに素手で戦えるか聞いてみるといい」

 オーレリアンの言わんとしている事は理解できる。

 ――私に足りないのは一歩踏み出す勇気―― 

 ランナバウトの事をろくに知らなくても格闘技ができなくてもいい。

 それでもシミュレーションもして来なかったのは心が弱かったからだ。

 師匠のいるイェジやロビンと比べたのも言い訳のようなものだ。

 自分には二人にはない、スーパークラスのランナーが既にあるのだ。

「オーレリアンさん。私、やってみます」

「実際にランナーは動かせんがシミュレーションなら俺が相手になってやる。なぁに、やる気が出りゃあ後はグリフォンが教えてくれるさ」

 言って背を向けたオーレリアンが格納庫を出ていく。

 ――グリフォン、私を導いて―― 

 オリガはコクピットに跨るとヘッドギアをかぶった。

 龍山グランプリまで幾らも日がある訳ではないが試合直前まででもシミュレーションを重ねてグリフォンと共に晴れの舞台に出るのだ。



※※※   

  


 スジンにチリマでマットに叩きつけられたキャサリンが隣のリングにぼんやりとした視線を向けている。

 チリマとは抱えた相手を身体を反らすようにして身体を半回転させてマットに背中から叩きつける技で、本気でやったら食らった相手は息ができなくなるし打ちどころが悪ければ大怪我のフロントスープレックスとも呼ばれる技だ。

「スジン、信じられる?」

「プロレスだけして生きていけるなんて嘘みたいだよね」

 スジンはキャサリンの手を取って立たせながら言う。

 生活の安定とは何と素晴らしいのだろう。ハンナが住居や食事の心配もなく息子を育てているのを見ていると恋愛をしたり結婚をしても良いような気がしてくる。

「あの美形がさ、動いているのよ」

 元々アイドル好きだったキャサリンが見ているのはロビンであったらしい。

「人間だもん。動くに決まってるんじゃない?」

 スジンが言うとキャサリンがくわっと目を見開く。

「生ロビンだよ! それも毎日だよ! 毎日夢でも見てるんじゃないかって思うわ」

「あんた……三か月入門のうちの一か月目だよ。そのうち見慣れるって」

 スジンから見てロビンは嫉妬するほどの美形だが、恋愛感情的なものは不思議と感じない。どこか浮世離れしているように見えるせいかもしれない。

「見慣れるって……ロビンを見慣れたら男はみんな人間に見えなくなるわ」

 キャサリンは色々と重症のようだ。

「ちょっと、何もしないならリング空けてよ」

 リングに上がってきて最年少22才のリリーが言う。

 これまでは最年少だったがロビンが相手だと四歳年上だ。

 キャサリンの視線を追ったリリーが不満げな表情を浮かべる。

「あの子チヤホヤされすぎじゃない? アイドルだからって甘くする必要ないのよ」

 ――あんたが入門して来た時もすごく大切にしたじゃない―― 

 最年少のレスラーに逃げられてはかなわないとサイクロンを上げてリリーを仕込んだのだ。

「ちょっと、三人とも何ボサッとしてんの」

 隣のリングでロビンに受け身を取らせていたハンナが声をかけて来る。

 ロビンに練習をつけているのがジェーンとアグネスだったらリリーは発狂しているだろう。

 とはいえ代表のジェーンと副代表のアグネスは経営もトレーニングメニューも完璧にミニョンとブラッドに丸投げ状態。経営者が最も練習熱心という状態はいかがなものか。

 ――何かただの先輩って感じになりつつあるような……――

 それも引退が見え始めた大先輩だ。

「あ、すみません」

 リリーがハンナに謝罪する。ぼんやりしていたのはキャサリンなのだから完全にとばっちりだ。

「私ら練習するからロビンに適当な技を教えてやってくれよ。もう受け身は大丈夫そうだからさ」

 ヒルダがロビンの肩を叩いて言う。一か月強、言われるがままに、言われた以上に受け身の練習をしてきた事はサイクロンのメンバーなら全員知っている。

「あ、はい」

 答えたキャサリンがスジンに顔を向けてくる。

「ねぇ、こっち来るってよ」

「そりゃうちに入門してるんだからいつかは来るんじゃない?」 

「投げられていいの?」

「最初は投げてやらないとダメでしょ」

 ロビンはハンナとヒルダの高度な技自体は見ているが、実際にかけたりかけられたりという事はない。

 ロビンが軽い身のこなしでリングに上がってくる。

「先輩、よろしくお願いします」

「しごいてやるから覚悟する事ね」

 リリーが腰に手を当てて言う。しごくというより逆恨みを晴らすに近い事になるのだろう。

「とりあえずケブラドーラからにしようか」

 スジンはリリーをけん制して言う。

 不満を抱えているリリーに任せたらどんな技をかけるか分かったものではない。

「抱え上げて投げる技ですね」

 瞳を輝かせてロビンが言う。

「投げるのはコンヒーロだけどまずはケブラドーラで確実に抱え上げるようになる事」

 言ってスジンはキャサリンに目を向ける。

 頷いたキャサリンをひょいとスジンの身体を肩の上に背中が反る形で抱え上げる。

 首と足に腕がかけられており、本気でやられたら身体のあちこちを痛める技で、この形の場合はアルゼンチンバックブリーカーとも言う。

 キャサリンに下されたスジンはロビンの肩を叩く。

 ロビンが歩み寄るとキャサリンが目を泳がせて動揺する。

 荒療治だがキャサリンに三か月もポンコツでいられる訳にもいかない。

「よろしくお願いします」

 キャサリンが低姿勢でロビンに言う。

「こちらこそよろしくお願いします」

 ロビンが答えるがキャサリンは動き出さない。

 と、背後から近づいたリリーがロビンを抱え上げてケブラドーラに持ち込む。

 多少は手加減されているのだろうがロビンが苦しそうな表情を浮かべる。

「からの……」

 リリーがコンヒーロでロビンを投げる。

 ズダンと音を立ててロビンがマットの上に落ちる。

 不意を打たれた形だがさすがに一週間受け身だけを続けてきただけあって受け身はしっかり取れている。

「ききますね……もう一回お願いします」

 ロビンが言うとキャサリンがスイッチが入った様子で間に割って入る。

「次は私が教えてあげる」

 ――えっと……私は何をすればいいんだろ―― 

 キャサリンはやる気に火が付いたようだし、リリーも対抗心があるとはいえやる気になっている。

 少し早いがブラッドのサーキットトレーニングに行ってもいいだろう。

 一か月強で6%も体脂肪が落ちているとトレーニングにも張り合いがあるのだった。



※※※



 チームギャラクシーのマネージャー、カン・ソルは龍山にあるホテルの広間を訪れている。

 五日後に控えた龍山グランプリのトーナメント抽選会があるのだ。

 会場には各チームのマネージャーが集まっている。

 今回のグランプリにエントリーしたチームは10チーム。

 優勝候補となるのはやはりギャラクシー、ウロボロス、ドラゴンだろう。

 ダークホースはジュラシックス、そして今回初参戦のVWCのキングダムとロワーヌの風来坊と言われるアルセーヌ・リッシモンが発掘したという黒鉄衆。

「それでは抽選を開始します」

 電光掲示板の前でWRAのコミッショナーがビンゴのガラガラを回転させる。

 最初のボールが出てくる。

「一番、チームギャラクシー」

 微妙な気分でソルは電光掲示板を眺める。

 この先どのチームと当たる事になるかで優勝は大きく左右される。

 二番、ギャラクシーの初戦の相手は無名のチーム。

 三番は黒鉄衆、四番はBクラス上がりのチーム。

 五番はジュラシックス、六番は中堅どころ、七番がVWCのキングダム、八番がウロボロス、九番がオハーディ・アルカルン、十番がドラゴンだ。

 ギャラクシーは決勝まで強豪とぶつかりそうにないが、ウロボロスは勝ち抜いたとしてもキングダム、ジュラシックス、ドラゴンとオハーディ・アルカルンの勝者と戦わなくてはならない。

 ――バスチエも気の毒ね――

 順当に行けばギャラクシーは決勝まで強豪とは当たらない。

 リッシモンが発掘したという黒鉄衆に相応の力があるのであれば第二試合が第一関門となるだろう。

 ソルはやや癖のある黒髪の青いコートの男に近づく。

「始めまして。チームギャラクシーのカン・ソルです」

「黒鉄衆の土方十三だ」

 心ここにあらずといった様子で土方が言う。

 視線の先にはキングダムのマネージャーの木戸の姿がある。

「ギャラクシーは眼中になしかしら?」

 ソルが言うと土方が我に返った表情を見せる。

「これは失礼した。ギャラクシーは強豪と聞いている。ただ我らはキングダムと当たりたかったので」

「キングダムの事を何かご存じで?」

 ソルは土方に尋ねる。何か知っているのであれば好都合だ。

「キングダムのマネージャー、木戸は我らと同じ獄屠殺人剣の使い手。忌島出身者の子孫だろう。キングダムのライダーは……バイオロイドというらしいが、やはり獄屠殺人剣を使ってくるかも知れん」

 聞き覚えのない単語ばかりで訳が分からない。

「聞いたことの無い話ね。獄屠殺人剣というのは?」

「三剣封じ、三流派の剣術を封じる事に特化した剣術だ」

 そんなものがあるとは初耳だ。それほど強力な剣術があるならどうしてこれまで世に出てこなかったのだろうか。

 ――それともVWCのメルキオルも獄屠殺人剣の使い手なのかしら――

「バイオロイドというのは?」

「VWCが開発した人造人間というものであるらしい。なんでも先天的に我々より優れた能力を持っているのだそうだ」

「そんな……遺伝子操作なんて禁忌じゃないの?」

 幾ら優秀な人間を作る事ができるからと言って人工的に人間を作ってよいはずがない。

 仮にそんな事ができたとして遺伝子情報が売買されるようになれば経済的に豊かな家の人間ばかりが優秀になり、貧しい人々との格差が埋めがたいものになるだろう。

「我らもまた禁忌の存在だ。この星で唯一……」

 言いかけて土方が言葉を濁す。

「とにかくランナバウトにて相まみえよう」

 言うだけ言って土方がホテルの広間を出ていく。

 ――臭わせるだけ臭わせておいて……それにしても人造人間なんて――

 それが事実なら大問題だ。州警察が取り締まらなくては……。

 そこまで考えてソルは一つの壁がある事に気付く。蘇利耶ヴァルハラは州ではなく国というものなのだ。

 フェーデアルカを起源とする法の支配は蘇利耶ヴァルハラには及ばない。

 その中で何が行われているのかは外部からでは分からないのだ。

 別の「国」なのだと言われれば立ち入り調査もできない。

 ――キングダムの第一試合の相手はウロボロスか……――

 土方の話が事実ならウロボロスは初戦で思わぬ強敵と当たる事になるかも知れない。

 ソルはオハーディ・アルカルンのマネージャー、タタンと話をしているバスチエに歩み寄る。

「バスチエ、久しぶりね」

「こちらこそだ。そっちは決勝まで楽に行けそうじゃないか」

 バスチエが苦笑しながら言う。キングダムの事を知らなくともジュラシックスやドラゴンと当たる可能性のあるバスチエには相当のプレッシャーがかかっているはずだ。

「黒鉄衆っていうのが相当厄介らしいわ。それよりあなたが当たるキングダムだけど」

「VWCだな。聞いた事のないチームだが」

「あなたはバイオロイドって聞いた事がある?」

「何だそれは」

 バスチエには全く心当たりが無さそうだ。

「噂だけなんだけど、人工的に作られた人間で私たちより優れた能力を持っているそうよ。それがライダーとして出てくるらしいの」

「SFの見すぎじゃないのか?」

 バスチエが笑いながら言う。

「そうであって欲しいわ。遺伝子操作なんて禁忌を犯す相手と当たりたくなんてないもの」

 ソルが言うと背後から咳払いの音が聞こえた。

「社交場が噂話の場とはいえ、噂される方としてはあまり気持ちの良いものではないな」

 キングダムの木戸がグラスを片手に言う。

「不快な気分にさせたのであれば謝罪します。御社がバイオロイドというものを使っていると耳にしたもので」

 ソルが言うと木戸が不敵な笑みを浮かべる。

「耳が早い事だな。我々VWCの新製品だ」

「新製品?」

 ソルは聞き返す。ライダーではないのだろうか。

「今はアーマーと言えば我々マイティロックの時代だ。だが、これからはライダーと言えばバイオロイドの時代が来る。かつては三大剣術流派の時代などというものがあったそうだが、新たな時代を作るのは我々VWCだ」

「人間を製品呼ばわりするのか?」

 バスチエが木戸に向かって憤慨した様子で言う。

「何も不思議な事はあるまい。我々は賃金を手にする為に労働という形で人権を放棄している。そして我々は賃金を得なければ生きられない。人権などというものは既に形骸化している。私もお前も商品なのだよ」

 木戸が傲然とした口調でバスチエを見下ろす。

「俺たちはランナバウトが好きで、そんなランナバウト好きが集まってグランプリやカーニバルをやってるんだ。お前らのような人間と一緒にするな」

「それをVWCではやりがい搾取と言う。ろくな対価も得られないまま働かされるなど家畜と同じ。社畜だ」

 バスチエと木戸はまるで別世界の人間だ。ランナバウトは確かに巨大な経済活動だが、人権が無いだの社畜だのだという考えが出てくる世界ではない。

「つまりそれはVWCのライダーは自らの意志でランナーに乗っている訳ではないのですか?」

 ソルは木戸に尋ねる。

「そんな必要がどこにある。勝てる駒を乗せて勝ちさえすればそれでいい事だ。駒の意志など我々の知った事ではない」

「そんなものはランナバウトではない!」

 激高したバスチエが言う。何事かとフロアの人間たちが視線を向ける。

「バスチエさんは少し深酒をされたようだ。私はここで失礼させてもらう」

 余裕の笑みを浮かべて木戸がホールから出ていく。

「何て男だ。ランナバウトを何だと思っているんだ」

 バスチエが拳を握りしめて言う。

 ――キングダムはダークホースどころじゃない―― 

 ソルはキングダムを強敵として認識する。

 そしてそれがリチャード・岸がやろうとしている事ならこれからのランナバウトは純粋なスポーツでは無くなってしまう。ただの経済活動、否、賭博になり下がるだろう。

 ――もしそうなら……――

 事実を知っていてキングダムと戦う事を目的としていた黒鉄衆も強豪という事になりはしないだろうか。

 ――アルセーヌ・リッシモンは何を知っていて何をやろうとしているの――


  

〈3〉

 

    

『龍山グランプリの共同主催者ヒュンソグループのソン・ジミンです』

 イェジは落ち着かない気分でホテルの大広間のテーブルに座っている。

 龍山グランプリまであと二日。ヴァンピール改こと千本桜は完成していない。

『後夜祭の挨拶は成龍公司のアルバート・王氏に譲るとして、前夜祭の今、私にスポットライトが当たっている訳ですが』

 ソン・ジミンが言葉を切る。

「イェジ、何を気にしているのですか?」

 クリスチャンが小声で言う。さすがに各チームのマネージャーとライダーが集まっている中では気を使っているらしい。

『真にスポットライトを浴びるべきはグランプリを戦うライダーたちです』

「何か大人の世界で場違いな気がして」

「ライダーになったのです。諦めなさい」

『主催者の長広舌ほどひんしゅくを買うものはありません。ですので王氏は原稿が無駄になるかもしれませんが挨拶はこの程度にさせてもらいます』

 ソン・ジミンが笑顔でグラスを掲げる。

『オン・ユア・マーク。ゲットセット』

 ソン・ジミンが言うと出席者たちがグラスを掲げる。

『GO!』

 声が重なりグラスが合わされる音が響く。

 ホテルの外で花火が上がり、ステージに上がったアイドルユニットが華やかなショーを繰り広げる。

 ――そっか、ほんの少し前まであっち側に行くかも知れなかったんだ―― 

 イェジは感慨深くステージを眺める。前夜祭のステージに上がれるなど光栄な事だろうが、ライダーもその声援を受けるだけの存在なのだ。

 各チームの人間が席を立って勝手に動き出す。

「クリスチャン。久しいな」

 黒髪を後ろに撫でつけた壮年の男がクリスチャンに声をかける。

「呂偉、ごきげんよう」

 いつもと変わらぬ様子でクリスチャンが対応する。

「我らが当たるなら準決勝という事になるな」

「あなた方が敗北しなければ」

「では確実に戦える自信が貴殿にもあるという事だな」

 口元に笑みを浮かべて呂偉が言う。

「はじめましてやなぁ。羅生門っちゅうけったいなランナー倒したんはお前か?」

 さほど歳の差があるようには見えない青年が声をかけてくる。

「あ、はい」

「ウロボロスはすごい技術者捕まえたなぁ~。お前も途中で天衣星辰剣と流水明鏡剣を切り替えて戦うんか?」

「私は……」

 言いかけるとクリスチャンに足を蹴とばされる。

「乗せられて迂闊な事を言うんじゃありません。前夜祭は情報戦という前哨戦でもあるんですよ」

「お師匠さんは良く見てはるわ。でもこれで分かった。あんたらは天衣星辰剣のチームで流水明鏡剣を使ってくる事はあれへん」

「失礼な事を言うんじゃないよ。私の事を忘れてもらっちゃ困るね」

 アナベルがワイングラスを傾けながら言う。

 イェジも真似をしてみたいが未成年はソフトドリンクだ。

 と、イェジの視界に金髪をポニーテールにした長身の男が飛び込んだ。

 どことなく見覚えがある顔のような気がする。

 視線が合うと片手を上げて男が近づいてくる。

「あれ? ウロボロスにこんな子いたっけ?」

「今大会から出る新人だよ。そういうあんたは誰なんだい?」

 アナベルが男に尋ねる。

「ジュラシックスのルカ・フェラーリ。ランナバウトに伝説を作る男だ」

 白い歯を見せてルカが言う。

 ――この人がファビオのお兄さん――

「どんな時代を作る気やら」

「最高に燃えるイカしたランナバウトの時代さ」

 ルカが親指を立てて見せる。

「それだと私たちがつまらなかったみたいだね」

「それも明後日までだ。俺と戦えばみんなスターだ」

 ルカには嫌味というものがまるで通じないらしい。

「あの、ルカさんはファビオのお兄さんですよね」

「会ったら殺されるほど嫌われてるけどな」

 肩をすくめてルカが言う。

「立ち入った事が聞きたいので人けのない所に行きませんか?」

 ――ファビオの事を聞きたい。ルカという人を知りたい――

「立ち入られても大した話は出てこないと思うぞ」

 気を悪くした風もなくルカが言う。

「うちの子に手を出すんじゃないよ」

「俺はリカルドじゃねぇよ」

 アナベルに答えてルカが言う。

 ルカが先導して歩きイェジは人込みの中をついて歩く。

「どうせ質問ったってどうして家を出てったとかそんな話だろ?」

 ルカが唐突に口にする。

「ファビオがお兄さんが家から出てったから家がめちゃめちゃになったって」

「俺が家を出たのはファビオが6才の時だ。アイツには悪いがその時家はめちゃくちゃで俺もブッ倒れそうだった」

 家の話をする事はルカにとってはタブーではないらしい。

「でもその後お母さんが病んで大変だったって」

「違うよ。元から病んでたんだ。俺は12の時にそれが分かって家を出た」

「ファビオを残して?」

 それはあまりに無責任ではないだろうか。

「児童相談所には連絡したよ。んで俺は12才で日雇い労働者になって、小金を貯めてランナーの免許を取った。リベルタ大陸じゃ12才で現場仕事なんて信じられないだろ?」

 確かにリベルタ大陸では未成年の労働は基本的に認められていない。

 イェジもライダーにはなったが一応ウロボロス歌劇院の学生という身の上だ。 

「ランナー同士の喧嘩の仲裁してたのが目に留まって個人チームに拾われて、そこからジュラシックスにスカウトされた。ツイてたと思うけど俺だって楽をして来た訳じゃないし、ファビオほど早く成功した訳じゃない。やっかまれても困るだけだ」

「お母さんの葬式にも来なかったって」

「その時は試合があったし、そもそも母親から逃げて家を出たんだし、ファビオは親の仇だと思って取り付く島もないし。確かに常識じゃ葬式くらい出ろって話なのは分かるんだけど常識的な家じゃなかったんだから仕方ないだろ?」

「それでもファビオはすごく心細くて……頼りたかったんだと思う」

「俺を恨む事を支えにしてたならそれも頼ってたって事なんだと思うぜ?」

 ルカの言う事は分かる。それをファビオに言えば良かった事も、ファビオが聞く耳を持たなかった事も。

「ファビオが仲直りしようって言ったらするの?」

「拒む理由がないからな。でも正直俺は6才までのファビオしか知らないし、どんなヤツかも分からない。赤の他人と友達になる感覚に近い。でも……」

 ルカが顎に手を当てて考えるような素振りを見せる。

「これだけ人に心配されるって事はいいヤツに成長したって事だな」

 笑顔を見せてルカが言う。

 ――この人悪い事ができそうに見えないな―― 

 ファビオには悪いけど家族の問題はファビオの一人相撲だったんだ。

 ルカを頼れずに意固地になって……

 ――そっか、自分に才能があったから―― 

 タレントという才能があって成功もしたから他人を頼る方法を知らなかった。

 イェジもまだ子供だがファビオもまだ子供なのだ。だから失敗も考え違いもする。

「オイ、ルカ。こんな所で何やってる。ガキを口説いてんのか」

 ルカに負けず劣らずの長身でがっしりとした体格の黒髪の男が言う。

「最近そっちに目覚めちまったんだ。あー、15才以上が女に見えない……」

 顔に手を当てて大仰にルカが言う。

「バカばっか言いやがって。お嬢ちゃん迷惑かけたな」

「ルカさんの知り合いですか?」

「俺はジュラシックスのジョー・ランズデール。ノーラ・ブレンディの最新鋭機T―LEXのライダーだ」

 君は? と、ジョーが右手を差し出す。

「私は……ウロボロスのヤン・イェジ。千本桜のライダーです」

 手を握り返してイェジは言う。

「新人で新型機か?」

「あ、そうじゃ……」

 言いかけてイェジは言葉を濁す。余計な事を言うなと言われたのでは無かったか。

「まぁいい。二回戦で会ったら本物のパワーってヤツを見せてやるぜ。行くぞ、ルカ」

 ジョーが言うとルカが肩を竦める。 

「俺がファビオに謝ったって本気にしちゃくれないだろうが、悪かったと思ってるって伝えてくれると助かる。じゃあな」

 言ったルカとジョーが人込みの中に消えていく。

 イェジは辺りを見回してウロボロスのメンバーを探す。

 長身のはずのクリスチャンとオーレリアンが見当たらない。

 ――迷子です!――

 


※※※



 ネメス・ギルフォードは広間の片隅で賑やかなフロアを観察している。

 当然ながらネメスを知る者はいない。知っているのはマネージャーの木戸とチームメイトだけだ。

 ――人間とは身勝手な生き物だ――

 これほど華やかな場所にいても自分に居場所はない。

 キングダムというチームのリーダーであるからには自分は売られていく事はないが他のバイオロイドたちは商品として売られていく。

 ライダーとして売られるならまだいい。その身体能力を買われて反社勢力の用心棒にされたり、女性型に作られた者は愛玩用として性欲のはけ口として売られもする。

 ――最初から俺たちに人間性など与えなければ良かったものを――

 Drシュミットの時代は淘汰の為に殺し合いもさせられなければ売り飛ばされる事も無かった。

 シュミットがVWCから離反、逃亡し、Dr東條が研究の主任になってからバイオロイドを取り巻く環境は大きく変わった。

 シュミットはバイオロイドはランナバウトの革新でいずれ人類の革新になると言っていた。

 ――しかし今はどうだ――

 ただの商品だ。ネメスにも特Aというラベルが無ければヨークスター太陰のヤクザの用心棒にされたりランナーバトル賭博の八百長ライダーにされていたかも知れない。

 と、グラスを持った一人の大人の女性が近づいてきた。

「君はキングダムのライダーね。私はギャラクシーのチームリーダー、キム・ヘジン」

 差し出された右手をネメスは握り返す。

「キングダムのネメス・ギルフォードです」

「君は人間ではないという話を聞いたんだけどそれは本当なの?」

 ヘジンの言葉にネメスは内心で溜息をつく。

 額に指を押し当てると皮膚に割れ目ができて三つ目の目が現れる。

 ネメスの目は単純に三つある訳ではない。この三つ目の目はマダラヒタキという特殊な生き物の眼の構造を応用しておりフリッカー融合頻度が人間の二倍となっている。

 この三つ目の眼を動かしている時、人間はスローモーションのように見えると言っても過言ではない。

「ふぅん。少し変わってるかもしれないけどただの人間じゃないの?」

 三つ目の眼を一瞥したヘジンが言う。

「普通に生まれた人間には二つしか目がないのでは?」

「一つの人もいるわ。身体的特徴なんて個性の一部じゃないの?」

 ヘジンがグラスを傾ける。

「俺たちはVWCが人為的に作ったものです。自然の結果じゃない」

 望んで生まれて来た訳ではない。望んで同胞の命を奪った訳ではない。望んで自らの手を血で汚した訳ではない。

「そうね。望まぬ妊娠をする女性もいるし、生まれた事を悔やむ人もいる。誰も自分の生まれを選ぶことはできない。だからその枷から逃れるための翼がある。それを人は心というのよ」

「何故俺にそのような事を? VWCは俺たちを……」

 ――流血の道具としか思っていない――

 リベルタ大陸の人間には理解できない概念だろう。そしてそれ故に滅びの道を歩む事になる事も。

「ランナバウトに勝ちたいからって強い人間を作っても、それは結局は人なのよ。別に分かり合おうなんて言う気はないわ。話の通じないオッサンは世の中にゴマンといるんだし。分からなくてもいい、むしろ分からないのが人間だと割り切っておけば憎みあう事はないって話」

 ヘジンが何を思ってそんな事を言っているのか分からない。

「俺は元々人を憎んでいる訳じゃない」

 何故バイオロイドに生まれたのかを恨んではいる。

 生み出したVWCこそが諸悪の根源であるという事は分かっている。

 ――リチャード・岸とメルキオルとDr東條――

 出会ってはならない人間たちが出会った結果、生まれてはならないものが生まれたのだ。

「それが分かって良かった。憎しみの感情でランナバウトをしたくないからね。言っておくけど私のファヌンVは強いよ。当たったならいい試合をしよう」

 言って再び握手をしてヘジンが去っていく。

 ネメスは毒気を抜かれたような気分でその背を眺める。

 ヘジンは純粋にランナバウトのできる相手かどうか知りたかっただけなのだろう。

 ――俺もランナバウトだけできていればいいものを――

 と、ネメスは淡い気配を感じた。

 人の気配だが異様に存在感が薄い。まるで誰かを暗殺する為に息を潜めているかのようだ。

「ネメス様、木戸様を狙っている輩がいるようです」

 腹心でありチームメイトのマリク・ボンドが声をかけて来る。

 細身で長身、切れ長の目をしたハンサムなA級ライダーだ。

「気配は感じた。エステラは?」

「敵を探しています」

 ネメスは小さくため息をつく。狙われているのはネメスか木戸か。

 ――俺たちの素性と目的を知る者か――

 ネメスはベルトに挟んだ仕置き棒の感触を確かめる。このような人気の多い場所で仕掛けてはこないだろうが念のためだ。

「……木戸と言ったか。俺は黒鉄衆頭目土方十三だ」

 鋭い殺気を放つ男が木戸に話しかける。

「貴様が忌島の刺客か。ここで私を殺す気か?」

 木戸が言うと土方が鼻で笑う。

「使い走りを斬った所で枝葉を刈るも同じ。我らが狙うは岸の首ただ一つ」

「獄屠殺人剣一つでそれを成せると思っているのか?」

 木戸がチラと目くばせしてくる。蘇利耶ヴァルハラにはBATがある。

 人間を凌駕する身体能力を持つバイオロイドの兵士たちを倒して岸にたどり着くのは不可能に近いだろう。

「勘違いするな。暴力だけで制せぬのはお前ら見れば良く分かる。貴様は獄屠殺人剣の二代目か?」

「剣腕で貴様らに劣るつもりはない。それに我らにはバイオロイドがある」

「哀れな少年少女を弄んで野心を果たさんとする貴様らには反吐が出る」

「その少年少女を斬らねば我々の肌に刃は届かんのだよ。理解したまえ」

 木戸が傲然とした口調で土方に言う。

 土方は激怒しているようだが、さすがに衆人環視の中丸腰で仕掛けるほど愚かではないだろう。

「子供たちを解放するまで貴様らの出る大会で尽く撃破してくれる」

「今回の大会だけで組が違うだろう? 貴様らの相手はギャラクシーだ」

 木戸がグラスを傾けてから笑い声を立てる。

「なるほど。抽選会前から俺たちに目はつけていたという事か」

 冷えた口調で土方が言う。瞬間木戸の表情が引きつる。

「せいぜい怯えるがいい。獄屠殺人剣の刃の届かぬ者はない」

 言い捨てて土方が去っていく。

 木戸が怒りに手を震わせながらテーブルにグラスを置く。

「ネメス、監視してた連中は離れたよ。どうやら土方って男の護衛だったらしい」

 赤い艶やかな長髪を持つエステラが耳打ちする。

「なるほど。面白い見世物だった。社交場という場所にも来てみるものだな」

 ライダーという人種にはヘジンのような人間もいる。VWCに挑戦状を叩きつけるような土方のような人間もいる。

 ――戦う理由は人それぞれか――

 自分は何の為に戦うのだろうか。理由があるとするなら様々な理由で人間に使役されているバイオロイドたちの為、バイオロイド養成所と名づけられた孤島で生産、隔離されているバイオロイドたちの為だ。

 人質のような彼らの存在が無ければVWCに従う理由などない。

「ネメス、敗北は許されんぞ」

 歩み寄った木戸が言う。土方の捨て台詞が余程堪えているらしい。

「それならご自身で戦われては?」

 言ってネメスはマリクとエステラを率いて背を向ける。

 勝負は水物、特に龍山グランプリで一回戦で当たるのは優勝候補のウロボロスなのだ。

 勝ち進めと言うなら自分のくじ運をどうにかしろと言ってやりたい所だ。

 ――とはいえ勝たなければ同胞たちも守れないか――

 ネメスの双肩には自分だけではない、多くの仲間の人生がかかっているのだ。 

 


※※※

    

 

「お前さんがこんな所まで出てくるなんて珍しいじゃないか」

 半分酒の回ったバスチエは目の前の壮年の女性に言う。

「実験的な機体を作ってね。実際のバウトでどんな風に動くか見てみたいんだよ」

 ローストビーフの塊を豪快に食いちぎりながら答えたのはノーラ・ブレンディ。

 40年前に彗星のように現れたランナー界の鬼才、天才の名を欲しいままにしたマイスターだ。

「実験的か。お前さんは一向に落ち着かないな。どこの機体だ?」

「ジュラシックスのT―LEXだよ。見たら腰を抜かすだろうさ」

 満足げな口調でノーラが言う。そこまで言うという事は余程自信があるのだろう。

「お互い勝ち進めば二回戦か」

 バスチエは周囲を見回す。マネージャーたちもライダーもすっかり代替わりして馴染みの顔がほとんどいない。

 40年前はランナーチームのマネージャーはそれほど金勘定に強くなくても務まっていた。

 純粋にランナバウトの好きな人間が集まっている業界だった。

 ――変わっちまったなぁ――

 ジュラシックスは昔からあるチームだが、買収されてマネージャーも金融畑のハサウェイという人物に変わった。

 ライダーを補強し、ノーラのランナーも入って強いチームになったのは確かなのだろうが純粋に対戦相手として楽しめる気がしない。

「アタシは勝ち負けはどっちでもいいのさ。作ったランナーが相応の動きをしているのを見られれば満足さね」

「昔から変わらねぇなぁ。俺はどうも……」

 ウロボロスエンターテイメントの中で肩身が狭い。経営能力が低いのは確かに認めざるを得ない。

 ――ランナバウトは金勘定じゃないんだ――

 ロマンなのだと言いたいがへウォンには相手にされないだろうし、クリスチャンが彼女に全て任せると決めたのだ。

「アタシだって変わったさ。あんたはアタシが変わった事に気付かなかっただけさ」

 ノーラはかつてブラックオックスというチームの専属マイスターだった。

 ブラックオックスの全盛期は比肩するチームなど無かったし、ウロボロスも強豪と言えるチームでは無かった。

 しかし、人間関係のもつれからブラックオックスは空中分解した。

 ――ノーラは変わったと言ってるがあの日から変われなくなっちまってるんじゃないか―― 

 だからヨークスター太陰のテクスタの工房に何十年も引きこもってランナーを作り続けている。

「人は変わり続けなきゃならないんだ。だがどうにもな」

 古い価値観を捨て去る事ができない。ランナバウトに対する理想を捨てられない。

 今の若者たちがこれを良しとしているのなら楽しみ方が変わったという事なのだろうがそれについて行く事ができない。

「あんたの言いたい事は分かるよ。ただ技術屋から言わせてもらえばね」

 ノーラがワインでローストビーフを流し込む。

「自分がぶれなきゃ何年か巡ってまた自分の時代がやって来る。そういうもんなのさ。人生はやたらと尺の長い映画みたいなモンなんだよ。アタシもその途中だけどね」

 さすが天才と言われた人間は言う事が違うとバスチエは思う。

「これはこれは、ランナバウト界の重鎮が何の相談ですか」

 若き経営者ソン・ジミンが歩み寄って来て言う。

「老後の心配さ。お前さんにはまだまだ必要ないだろうがね」

「アタシは心配なんざしてないよ。ヒュンソは最近金回りがいいみたいじゃないか」 

 ノーラがジミンに向かって言う。

「経営努力の賜物です。いずれブレンディ工房にもギャラクシーのランナーを発注したい所ではありますが」

「お世辞はいいんだ。あんたんとこのポラだっけ。アタシはそっちの方に興味があるよ」

 ノーラが言うとジミンが笑みを浮かべて端末を起動させる。

 ――ああ、ついて行けてないって思ってるのは俺の方か――

 バスチエは手酌でグラスにワインを注いで飲み干すと話に加わる。

 一周回った時代遅れには時代遅れなりの戦い方というものがあるはずだった。

 

      

〈4〉



 ランナーキャリアの会議室にはUMSの首脳とライダーが集められている。

 龍山トーナメント一回戦のブリーフィング。

 イェジは見慣れた顔ばかりという事もあって学校の授業ほどの集中力ほどで参加している。

「……一回戦の相手はバイオロイドという強化人間だ。VWCの新商品だそうだ」

 バスチエが言う。

 イェジが何より気にしているのは千本桜の進捗状況だ。

「データがまるでないからな。連戦を取るべきか団体戦を取るべきかを考える事もできない」

 広報兼営業のネリオが言う。一応業界では耳の早い方という人であるらしい。

「VWCならマイティロックは外さんだろう。アーマー相手ならファイターのうちは一本は取れる。団体戦の方が有利だろう」

 オーレリアンが落ち着いた口調で言う。

 ウロボロスはグリフォン以外ファイターという非常に偏ったチームだ。これまでは相手が全機ドラグーンのシューティングスターにはカモにされていたらしい。

「アーマーを外さないという事は初陣のグリフォンが当たればカモられる事になるな」

 オーレリアンが言う。イェジはグリフォンが戦っている所を見た事が無いから良く分からない。

「結局の所グリフォンを使うにしろ相手のファイターの戦力次第ですね。仮に三大流派に匹敵する力を持っているなら互角という事になります」

 クリスチャンがまともな事を言う。

「定石通り一機がドラグーンなら敗北を視野に入れないといけないだろうね」

 アナベルが悲観的な事を言うが、イェジもファイターとドラグーンの戦いを見た事がある訳ではないから分からない。

「つまりはグリフォンを抜きにして確実に勝てそうなのは相手のアーマーだけという事だ。相手のファイターにクリスチャンが当たればビンゴだがそうでなければ厳しい結果も覚悟しなくてはならん」

 バスチエが話をまとめる。普段は冴えないオジサンだがランナバウトの事になるとそうでもないらしい。

「あの、グリフォンは出られないんですか?」

 オリガがやけに緊張した様子で言う。

「相手はVWCの隠し玉だ。ドラグーン同士で勝ちが見込めないなら敢えて危険を犯す事もないだろう」

 バスチエが険しい口調で言う。

「グリフォンと千本桜を外すとしていっそ連戦を取ってみたらどうだ?」

 オーレリアンが言う。

 連戦とは簡単に言えば勝ち抜き戦で、団体戦とは先鋒、中堅、大将の三試合で勝利数で勝敗が決まるものだ。

「最初にドラグーンが出てきたら総崩れになる可能性がある。相手もそれを織り込んでるだろうしリスクが大きすぎる」

 アナベルが言う。

「最初のドラグーンをサシで潰してアーマーを捻れれば、相手のファイターには二人で当たる事ができる」

 オーレリアンが言う。確かにドラグーンを倒せればそれでいいだろうが、そもそもファイターはドラグーンに弱いから困るという話だったのではないだろうか。

「逆の考え方もできますね。二機を使ってドラグーンを確実に沈めて、アーマーとファイターを1.5機で潰すのであればこちらが有利です」

 クリスチャンが言う。オーレリアンもそうだがそこまでアーマーを軽視して大丈夫なのだろうか。

「結局は相手のファイターの能力次第なんだが……お前らがいいなら連戦でオーダーを提出するぞ。順番はどうする? 俺としてはアナベル、オーレリアン、クリスチャンで考えているが」

 バスチエが言う。

「俺が先に出よう。いずれにしても勝てないのなら限界まで相手を疲労させておいた方がいい」

 オーレリアンが提案する。

「私がドラグーンにトドメを刺してアーマーを潰してファイターに道を作る」

 アナベルが言う。

「そう順調に事が運べばいいですが、私が大将戦を戦うという事で問題はありませんね」

 クリスチャンが紅茶のカップを傾ける。

「お師匠様、私のデビュー戦はどうなるんですか?」

 イェジは尋ねる。確か事前の話では初戦がイェジのお披露目になるはずだったのではないだろうか。

「相手が悪すぎます。それにオーレリアンのルビコンの損傷が大きければあなたかオリガのどちらかは二戦目で投入される事になります。ジュラシックスであればある程度の対策は可能です」

 クリスチャンが説明する。確かにバイオロイドというものがランナバウトに出てくるのは始めてなのだし、それがどんな試合をするのか誰にも想像がつかないのだ。

 ――まあお師匠様たちに任せておけばいいか――

 イェジは炭酸のジュースを口に運ぶ。仮に参加するとしても先鋒だろうし、相手が悪ければ恥をかくだけという事もあるのだ。

 ここは経験豊富なプロに任せておけば良い。イェジはイェジの戦いをするだけだ。



※※※



 ランナーキャリアの中におろしたてのカーボンと電子臭の混じり合った臭いが漂っている。

 床に倒れている者、壁にもたれて寝ている者。

 一週間の突貫工事で行われたのはヴァンピールの改修などという次元のものでは無かった。

「俺たちゃメカニックだ。ファクトリーでやるような仕事やらせやがって」

 ダニオは端末に向かって言うと目の前の白いカウルのランナーを見上げる。

 ピンクと金の差し色の入った曲線を多用した花弁を思わせるカウルには、ウロボロスの他は本体パーツを請け負った成龍公司と電装系のパーツを請け負ったヒュンソのスポンサーロゴしか入っていない。

『でも完成したじゃないですか』

 オルソンの声が端末から聞こえてくる。顔くらい出せと言いたいが二人ならまだしも何人もメカニックのいるような環境では会話するどころか倒れてしまうだろう。

「させたんだ。バカ野郎」

 千本桜は従来のパーツを使いつつも従来にないランナーになったと言っても過言ではない。

 慌ただしい足音を立ててイェジがキャリアのハンガーに駆け込んで来る。

「うわぁ! 完成したんですねぇ!」

 感激した様子でイェジが言う。オーバーリアクション気味だがそれくらい喜んでもらえた方が作り甲斐があるというものだ。

「このランナーハイヒール履いてるんですね」

 目の付け所が良いというべきか、イェジが特徴の一つに注目する。

『一見ハイヒールだけどここには関節が組み込んであるんだ。普通のソルジャーより一個関節が多いと思えばいいよ』

 端末ごしにオルソンが言う。現実のオルソンはキャリアのハッチの外、少し離れたキャンピングカーから双眼鏡でこちらを見ているはずだ。

「どうして?」

『蹴り出す力を強くしているのと、ショックアブソーバーとしての機能もあるよ。ただし固定した金属フレームと違って耐久力はない。ヴァンピールより遥かに身軽だけど、相手を持ち上げたり重量級の武器を振るうのは難しい。天衣星辰剣以外の戦い方をすれば故障の可能性が高くなる』

 オルソンが説明する。千本桜はピーキーなランナーだ。

 千本桜の重量であればこのヒール状の関節はかなりの衝撃にも耐えられるし、運動性と機動性を底上げできる。

 その半面、金属繊維の関節に大きな負担がかかり続ける為に相手を抱えて投げ飛ばすような動きはできない。

 合気道のように相手を投げ飛ばす事はできるが、柔道やレスリングのように相手を持ち上げるような動きは困難だし踏ん張りがきかないという事だ。

「そうなんだ。でも私は天衣星辰剣しか知らないし……乗ってもいいの?」

「お嬢ちゃんが乗る為に作ったんだ。いいに決まってるだろ」

 ダニオが言うとイェジがコクピットを呼び寄せる。

 颯爽と跨って千本桜の胸部に格納される。

『システムヴァンピール、千本桜ライド・オン!』

 千本桜の両目がピンク色の光を放ち雷音がハンガーに響く。 

 千本桜が勢いよく立ち上がってよろめく。

『ふおぉぉぉ、動きが……』

『エレベーターが急に動いたみたいだろう? これまで君が乗っていたヴァンピールとはスピードが違う。コクピットにかかるGも全然違う。操縦補正もないから君の操縦がダイレクトに反映される』

 オルソンが言う間にも千本桜が一歩踏み出す。

 ぐらりと上体が揺らいで千本桜が転びそうになる。

「気をつけろ! 作業員は全員目ェ開いてとっとと出ていけ! テスト始めんぞ!」

 ダニオが言うと疲れ切ったメカニックたちがハンガーを出ていく。

『何かこのランナー、ぐらぐらする』

『天衣星辰剣の動きを外れればヴァンピール以下になる。剣術をやっている時と同じ感覚で動かすんだ』

 オルソンの声を聞きながらイェジがその場でストレッチのような動きをする。

『コクピットの揺れが大きいね』

『サスペンションの設定が固めだからね。コクピットが揺れると機体への負担も大きくなる。それだけ千本桜はタイトな設定になっているんだ』

 千本桜は市販品とその加工で作られたランナーだが、その性能はSクラスに劣るものではない。

 ――まぁ、下手なランナーを新造するより金もかかってるんだがな――

 試合で交換されるソールも全て特注品。運用するだけでも並みの量産機とは比較にならない金がかかるランナーだ。

『試験ってここで動かすだけ?』

 イェジが言う。ある程度は千本桜に慣れつつあるらしい。

「オイ、ファビオ、出番だ」

 隣のキャリアのハッチが開いて羅生門が姿を現す。

 その手には薙刀が握られている。 

『ファビオが相手?』

 イェジが不満そうに言う。確かに羅生門は一度倒した相手だ。

『それがテストに付き合ってやる相手に言う事かよ! 俺はこの一週間この日の為に練習させられて来たんだ』

 薙刀を振ってファビオが言う。

 千本桜が龍山グランプリの開催日にずれ込む事は事前に予想できていた。

 レギュラーのランナーは万が一を考えて模擬戦の相手にはできない。

 で、あるとするならインストールした動きをトレースできる羅生門がうってつけの模擬戦相手になると踏んだのだ。

 千本桜の組み立てと同時並行で作業は進められ、ファビオもトレースした動きを再現すべくトレーニングを積んできたのだ。

『私の武器は剣だけ?』

『君は剣以外の武器を使った事がないだろう。最初は千本桜に慣れる為にも剣だけで戦うんだ』

「千本桜、表へ出ろ! ソール班! バッテリー班! 準備いいな!」

 ピット作業のメカニックたちが一斉に動き出し、ダニオはモニタールームに向かう。

『……龍山グランプリの開催を宣言します!』

 端末から開会式の音が響いてくる。

 今頃龍山のメインスタジアムでは華やかな開会式が催されているはずだ。

 ダニオがモニタールームに入ると千本桜と羅生門が先導車に誘導されてサッカーのスタジアムに入る。

 ダニオはモニターを見ながらマイクを口元に寄せる。

「オン・ユア・マーク」

 二機のランナーが白線の前に立つ。

「ゲットセット」

 千本桜が二本の剣を、羅生門が薙刀を構える。

「GO!」

 ダニオが言うと同時に羅生門が薙刀を振るう。

 咄嗟に躱したように見えた千本桜が大きくジャンプする。

『うわあぁぁぁぁ!』

『言っただろう。こいつはとびきりピーキーなランナーなんだ』

 着地した千本桜に向かって羅生門が薙刀を振り降ろす。

 先ほどの衝撃を気にしたのか千本桜が抑制された動きで躱そうとする。

 振り降ろした薙刀を棒高跳びの棒のように使って羅生門が飛ぶ。

 薙刀の石突で千本桜を殴りつけようとする。

 剣で受けた千本桜の機体が転がる。千本桜は相手の攻撃を踏みこらえるようにはできていない。

 天衣星辰剣のように軽くいなさなければBクラスのランナーにも歯が立たないだろう。

 羅生門が薙刀を構えて突進する。

 羅生門の突きを千本桜が飛翔して躱す。羅生門の薙刀が追尾するように逆風で繰り出される。

 二機の刃が触れ、千本桜がそれを梃子に空中で前方宙返りをする。

 千本桜が剣を振るい、羅生門が薙刀の柄で受け止めようとする。

 剣が跳ね返ると同時に千本桜が後方宙返りで着地する。滑空する燕のように千本桜が姿勢を低くして羅生門に突進する。

 羅生門が横薙ぎで千本桜を撃墜しようとする。

 千本桜が剣を合わせ、衝撃を利用して大きく前方に飛ぶ。

 千本桜の剣が羅生門のマスクを砕く。

 ――このランナーをもう乗りこなしてるってのか……――

 今回の羅生門はリーチの長い薙刀を使い、剣術殺しの動きを取り込んでいる。

 並みの剣術家では仮にAクラスのランナーに乗った所で勝てないだろう。

 ――クリスチャン……化け物を発掘しやがった――

0.5秒の間を置いて振り返った羅生門が薙刀を左右に引っ張る。

チェーンで薙刀が三分割されて三節棍に変わる。

『イェジ、まだまだだ!』

 三節棍を構えたファビオが言う。取り込んだ動きとはいえ短期間でここまで使いこなすのは彼にもまた才能があるからだろう。

 三節棍と千本桜の剣が火花を散らす。

 薙刀の刃と違い三節棍のそれは軽い。それ以上の軽さで剣を繰り出さなければ千本桜は本来の動きをできないだろう。

 踏みこらえようとした千本桜に連結した薙刀が突き出される。

 千本桜が飛びのいて躱そうとする。薙刀のロックが外れてチェーンで延長される。

 千本桜が横に躱しながら体勢を整えようとする。

 三節棍を身体に巻きつけるようにした羅生門が刃を振るう。

 剣と呼吸を合わせた千本桜が空中に舞い上がる。

 三節棍が千本桜を撃墜しようとする。

 剣を合わせた千本桜が横に飛んで着地間際に機体を捻る。

 力を乗せた地を這うような一撃で羅生門の胴を振りぬく。

『ブレイク、ターン・ユア・コーナー』

二機にメカニックが取りついてソールを交換する。

羅生門はカウルを破壊されているがこの先使う予定が無いのだから交換の必要はない。

二機が再びフィールド中央に戻る。今度の羅生門は長短の二刀流だ。 

『オン・ユア・マーク。ゲットセット……GO!』

 二機の剣が激突して互いに飛びのく。

 後半戦の羅生門にインストールしてあるのはクリスチャンの動きだ。再現性は3割あればいい方だが千本桜のテストをするには流水明鏡剣の動きはイェジに知られすぎている。

 二機の斬撃の応酬が火花を散らす。

 二十合ほど斬り結んだ所でイェジが優勢になる。

 と、羅生門がカウルを斬らせながら回転した。

 ――今回は流水明鏡剣の動きはインストールしていないはず……――

 剣で受けた千本桜を羅生門の長剣が追う。

 千本桜の肩のカウルが切り裂かれてカーボンの破片が飛び散る。

『やっと一太刀浴びせたぜ!』

 ファビオの嬉しそうな声が響く。

『やったなあぁぁっ!』

 千本桜が地を這うように剣を繰り出したかと思うと舞のような動きで上段からの斬撃に切り替える。

 受け流せない事を悟っている羅生門がショルダータックルで千本桜を突き放す。

 ――ファビオ……ここまで成長していたとは……――

 羅生門が流れるような動きで長剣を振るう。呼吸を合わせた千本桜が宙を舞う。

 羅生門と降下する千本桜の間で斬撃の火花が散る。

 打ち勝った千本桜が羅生門のカウルを破壊する。

 純粋な剣術家としてはイェジの方が優れているのだろう。

 だがファビオのセンスも捨てたものではない。

 羅生門のカウルの損耗率が60%を超える。ランナバウトの基準で考えるなら白旗だ。

 千本桜と羅生門の剣が激しく交錯する。

 瞬間、ダニオは驚きを感じる。これほどの激戦ながら千本桜はほとんどカウルを損耗していないのだ。

 ――これは……―― 

 クリスチャン・シュヴァリエの再来。魂が乗り移っていると言っても過言ではないだろう。

 ――これが真の天衣星辰剣の継承者……――

 羅生門のカウルの損傷が80%に達する。ランナバウトの公式戦でもKOだ。

 ダニオは羅生門の白旗のボタンを押し込む。

『ウィナー! 千本桜! ヤン・イェジ!』

 一時はどうなる事かと思ったが終わってみれば心配する事など何もない。

 ――イェジも大したライダーだが……――

 この千本桜を設計したオルソンは、このイェジの成長すら見越していたなら素晴らしいマイスターだ。

 市販のパーツだけでこれだけのランナーを組み上げるのであれば完全新規であればどれほどのものができるだろう。

 ――こいつらには自由にやらせてやりてぇな――

『勝ったよおぉぉぉ!』

『当たり前だよ。僕がAクラスでも戦えるようにチューンしたんだ』 

『羅生門もいい線行ってたと思うんだけどな……互角のつもりだったんだけどな……』

 ファビオが悔しそうな口調で言う。傍目で見るより体感的には競っている感覚だったのだろう。

『そういえばさ、ファビオ、ルカがごめんって言ってたよ』

 ふと思い出したようにイェジが言う。

『は? それ今言うような事かよ』

 言ってファビオが笑い声を立てる。

『ファビオが怒ってて言えなかったって』

 イェジの言葉にファビオが突き抜けたような笑い声を立てる。

『そうか……そうだよな……俺もどっかで分かってたんだ。に、してもこのタイミングって。お前天才かよ』

 何の話か分からないが、ファビオはイェジに心を許しているようだ。 

 ファビオがアイドルになるにせよ、ライダーになるにせよこの経験とイェジという人間は彼の糧となる事だろう。

『あ~俺も強くなりてぇな』

 年相応の明るさでファビオが言う。

 ――確かにそうだな――

 今のファビオであればライダー失格の烙印は取り消しだ。

 ダニオは三人の若者を見ながら新しい時代の風が吹くのを感じた。



※※※



 開催式を終えたバスチエはWRAコミッショナーの事務所を訪れている。

 胸には試合方式とオーダーを書いた便箋を入れた封書がある。

 隣にはキングダムの木戸の姿がある。

 ――この野郎にだけは負けたくねぇ――

 人を駒呼ばわりするこの男にだけは負けてはならない。

「両チームマネージャーはオーダーを提出して下さい。開封後のオーダー変更は一切認められません。よろしいですね?」

 バスチエは木戸と同時にテーブルに封書を置く。

「開封します」

 コミッショナーが封書を開封する。

「チームウロボロス、連戦。チームキングダム、団体戦」  

 キングダムのオーダーは一番手がマリク・ボンド、二番手がエステラ・スイフト、大将はネメス・ギルフォードだ。 

 ランナーのオーダーではアーマー、ドラグーン、ファイターになる。

 ――クリスチャンにぶつけてこようとするとはネメスには絶対的な自信があるという事か……――

 グリフォンは出さなくて正解だった。一試合目に出していたらオリガのデビュー戦は悲惨なものになっただろう。

「開催方式が異なりました。コイントスで開催方式を決定します」

 コミッショナーが言う。

「表で」

 バスチエが言うと、

「ならば裏で」

 木戸が言うとコミッショナーがコインを投げる。

 手の甲に落ちたコインが明かされる。

「表です。第三試合は連戦勝ち抜き方式となります。それではフェアプレー精神に則り良いランナバウトを」

「誓います」

 バスチエに続いて木戸も「誓います」と、続く。

 ――バイオロイドなんてものを作っておいて何がフェアプレーだ――

 バスチエは形ばかりの握手をして事務所を出る。

 木戸とは目を合わせる気にも話す気にもならない。

「連戦を選ぶとは……自業自得とはこの事だ」

「うちはライダーでもランナーでもお前たちに負けるとは思っていない」

 バスチエは木戸に答えて言う。

「そういきり立つ事もなかろう。お前もバイオロイドが欲しいとVWCオーナーズクラブに頭を下げるかも知れんのだ」

「その……人をもののように言う言い方だけは我慢ならん」

 バスチエは肩を怒らせて木戸に背を向ける。何を言われても相手にするまい。

 伝統と格式あるウロボロスでVWCが尻尾を巻いて逃げ出したくなるようなランナバウトをするのだ。 

    


〈5〉



 オーレリアン・バラデュールは第三試合会場のピットでルビコンの雷音を聞いている。

 相手はバイオロイドという人造人間だそうだがオーレリアンには興味がない。

 ライダーとして、天衣星辰剣の剣士として美しい試合をするだけだ。

『龍山グランプリ第三会場、チームウロボロス対キングダムの試合を取り行います』

 審判の声を受けてルビコンをフィールドに進ませる。

『オーレリアン、格の違いを思い知らせてやれ』

 バスチエの声がコクピットに響く。

 ――どうだろう――

 オーレリアンは楽観していない。VWCには優勝候補のラグナロクがある。

 ラグナロクの戦いも対戦相手も研究し尽くされているはずだ。

 その上でVWCは新たなチームを立ち上げたのだ。単に能力の高い強化人間ができたからランナバウトに出してみるなどという軽い事ではないはずだ。

『第一試合。サイドレッド、ルビコン、オーレリアン・バラデュール』

 オーレリアンがフィールドに姿を現すと大歓声が上がる。

 ――この歓声を聞くのはあと何回なんだろうな――

 オーレリアンは選手としての年齢を超えている。ドラグーンのオリガや天衣星辰剣の後継者のイェジも現れた事だしそろそろ引退してもいいだろう。

『サイドブルー、ストームタワー、マリク・ボンド』

 両端に鉄塊のついた戦槌を手にしたマイティロックに似た機体が姿を現す。

 一見した所ではカウルを変えただけのマイティロックだ。

 ――違いはあるのか?――

 いずれにせよアーマーを片づけてドラグーンに進まなくてはならない。

『オン・ユア・マーク』

 オーレリアンはルビコンを白線まで進める。

『ゲットセット』

 白線の向こうでストームタワーが戦槌を構える。

 オーレリアンは逸る気持ちを抑えようとする。

『GO!』

 ストームタワーが大きく踏み出しながら戦槌を振るう。

 オーレリアンは剣を合わせて機体を舞い上がらせる。

 パワーはあるが動きの鈍いアーマーに対してファイターは優位にある。

 と、ストームタワーの戦槌が二つに分割された。

 ストームタワーが一方の戦槌をルビコンに向かって放る。

 ルビコンが剣で受けて更に舞い上がる。と、ワイヤーで連結していた戦槌が背後から襲い掛かった。

 ストームタワーがアーマーに似合わぬ機敏さで一方の戦槌で殴りかかる。

 前後から挟まれたオーレリアンは軽く剣を合わせて軌道を変える。

 空中で衝突した二つの戦槌が衝突して火花を散らす。あんな攻撃を食らったら一撃で3割はカウルが持っていかれるだろうしフレームにも大きなダメージが残るだろう。

 着地したルビコンに向かって戦槌が襲い掛かる。

 ルビコンが飛びのいて躱すとストームタワーがワイヤーを持って戦槌を回転させる。

『オーレリアン、距離を詰めろ!』

 バスチエの声が響くが迂闊に近づける状態ではない。

 間合いに入って戦槌を食らえば一撃でアウトの可能性もある。

 ――やるしかないか……――

 オーレリアンは右手の長剣をストームタワーに向かって放る。

 ストームタワーが左手の戦槌で弾き飛ばす。

 一気に間合いを詰めて左手の剣で斬りかかる。ストームタワーの機動盾が斬撃を阻む。

 オーレリアンは肩のカウルに取りつけられた柄を右手で掴む。

 そのままの勢いで斬撃を繰り出す。右手のカウルとストームタワーのカウルが衝突して砕け散る。

 左手の剣を振るうとストームタワーの右手の戦槌が刃に叩きつけられる。

 オーレリアンは逆らわずに右手で腰のカウルの柄を掴んで斬りかかる。

 ストームタワーは迎撃の準備が整っていない。

 天衣星辰剣のランナー操術に奥義があるとするならカウルを剣に見立てて無数の斬撃を繰り出す事だ。

 オーレリアンは最大で同時に四本までの剣を振るう事ができる。

 ストームタワーのカウルが砕け、オーレリアンは更にカウルの剣を振るう。

 ――四割を超えたか―― 

 ルビコンのカウルも二割が剣として消費されている。

 ストームタワーが大きく腕を振って間合いを取ろうとする。

 ルビコンは攻撃を躱しながら落ちている剣を掴む。

 ストームタワーの戦槌が凄まじい勢いで繰り出される。

 剣と呼吸を合わせてルビコンが再び舞い上がる。ストームタワーが迎撃しようと戦槌を振るう。

 ルビコンが剣を手放す。

 戦槌に手を添えてその破壊力を逆転させる。

 ルビコンが地上に降り立ち、ストームタワーが空中に放り投げられる。

 天衣星辰剣体術奥義真空投げだ。

 ストームタワーのライダーは空中戦の経験が無いのか体勢を整えられていない。

 オーレリアンは二本の剣を両手で掴む。

 空中に舞い上がりながらストームタワーに斬撃を浴びせかける。

 ――六割を超えたか――

 普通であれば白旗だ。と、ストームタワーが戦槌を捨てて両腕でルビコンに抱きついた。

 ――まさか俺を道連れにする気か……――

 コクピットに凄まじい衝撃が走る。頭から落ちたのかコクピットが0.5秒のブラックアウトになる。

 オーレリアンは全身を耳にして相手の気配を探る。

 ランナーの雷音の向こうに立ち直ろうとしているストームタワーが見える。

 ――そこだ!――

 ルビコンが剣を振るい、その腕に確かな感触が伝わる。

 続いて二撃。ブラックアウトが解けて目の前に傷だらけになったストームタワーの姿が現れる。

 ストームタワーの機体から白旗が上がる。

『KO! 勝者ルビコン! オーレリアン・バラデュール!』

 大歓声が上がるがオーレリアンには応えるだけの余裕が無い。

 オーレリアンは時計に目を向ける。13分の試合だったが気力も体力も限界だ。

 これでピットに戻って20分、ソールを交換してカウルを付け替えたら第二試合。

 ――次はドラグーンか……―― 

 定石でファイターがドラグーンに勝利する術はない。

 それがランナバウトの醍醐味とも言えるのだが、今はそれを楽しめる気分に無かった。



※※※



 エステラ・スイフトはハンマーチャリオットのコックピットで戻って来たストームタワーを眺める。

 木戸は憤慨しているようだが、アーマーでファイターをあそこまで追い詰めたのだから大したものだ。

 ライダーは20分でロクに休息も取れないまま第二試合に臨む事になる。

 ――ここで負ける訳には行かない――

『エステラ、気負うな。お前が負けても俺がいる』

 ネメスの声がコクピットに響く。

 ――そう、ネメスは強い―― 

 最初に作られたバイオロイドにして特Aを持つ三人のバイオロイドの一人。 

 ――だからっていつまでもAに甘んじていられない――

『第三会場第二試合を取り行います。サイドレッド、ルビコン、オーレリアン・バラデュール』

 オーレリアンというライダーは強い。

 ――だが自ら捨てたカウルをどれだけ回復できた?――

 ストームタワーの抱きつきと落下でルビコンは5割はカウルを失ったはずだ。

 2割回復しても3割失えば判定負けだ。

 ハンマーチャリオットもエステラもコンディションに問題はない。

『サイドブルー、ハンマーチャリオット、エステラ・スイフト』

 エステラは歓声を浴びながらフィールドに進み出る。

 ――妙な気分だな――

 これからランナー同士の潰し合いをするのにどうしてこれほど楽しそうなのだろう。

『オン・ユア・マーク』

 エステラは白線まで進み出る。

 ――ルビコンのカウルは失われたまま?―― 

 否、武器として使っていたカウルは残されている。

 ルビコンは極限まで軽量化して来たのだ。

『ゲットセット』

 エステラは長柄の戦斧を構える。4本足のドラグーンの機動力と戦斧の破壊力に抗する力を持ったファイターなどそうはいない。

 ――それでも相手は超一流チーム、エースの一人――

『GO!』

 ハンマーチャリオットが戦斧を構えて突進する。

 剣を合わせたルビコンが舞い上がるが無視して駆け抜け、スピンするようにして方向転換する。

 着地しようとするルビコンに向かってハンマーチャリオットを突進させる。

 ルビコンが足を狙った低空の斬撃を放つ。

 エステラはゴルフのグラブをスイングさせるように戦斧を振るう。

 剣で防いだルビコンが追撃しようとするが一気に駆け抜けたハンマーチャリオットには追いつかない。

 ファイターは確かに運動性が高く、足を止めて戦ったならドラグーンより強いだろう。

 しかし、駆け回るドラグーンを捕らえる事はできない。

 ここにランナー同士の相性というものが存在するのだ。 

 エステラは戦斧を回転させながらルビコンに突進する。

 ルビコンがサイドステップで躱そうとする。

 ――ファイターの考える事なんざ――

 エステラは前足を踏ん張って機体をスピンさせる。

 後ろ足でルビコンの機体を蹴とばす。吹き飛ばされながらも体勢を整えたルビコンがフィールドに着地する。

 エステラはルビコンに向かって駆ける。

 戦斧を投げつけるとルビコンが振り子のように舞い上がる。

 後ろ足でフィールドを蹴ってルビコンに体当たりする。

 ルビコンのカウルがはじけ飛ぶ。

 エステラはそのままルビコンを抱え込む。

 ――これで終わりだ――

 と、ルビコンが両足を前足に絡めた。

 ――しまった!――

 瞬間衝撃が来た。フィールドに落下したルビコンはマスクを破壊されカウルも失っている。

 しかし、ハンマーチャリオットの右前足のフレームに損傷がある。

 ルビコンの機体から白旗が上がる。

『ウィナー、ハンマーチャリオット! エステラ・スイフト!』

 審判の声と共に大歓声が上がる。

 ――オーレリアンと言ったか……片足持って行くとは――

 次の相手が誰であれ楽観できる状況では無かった。



※※※



『オーレリアンは仕事をした。ヤツの前脚には相当ダメージが蓄積してるはずだ』

 バスチエの声がコクピットに響く。

 アナベルはシートを両足で挟み、両手でグリップを握りながら汗が滲むのを感じる。

 オーレリアンは他のチームであればリーダーでもおかしくない強力なライダーだ。

 シューティングスターとでも当たらない限りそこいらのドラグーンに負ける事はないだろう。

 ――それがあの有様だった――

 バイオロイドかどうかは脇においておいてエステラというライダーとハンマーチャリオットというランナーは強敵だ。

『第三会場第三試合を取り行います。サイドレッド、ナイトライダー、アナベル・シャリエール!』

 アナベルがフィールドに姿を現すと大歓声が上がる。観衆の中にはアナベルの親衛隊だと言う横断幕を持った人々の姿もある。

『サイドブルー、ハンマーチャリオット、エステラ・スイフト!』   

 傍目から見てハンマーチャリオットにダメージは見られない。

 カウルの損傷が少ない事もあるが純粋に良いランナーなのだろう。

『オン・ユア・マーク』

 アナベルはナイトライダーを白線まで進ませる。ハンマーチャリオットを撃破しなければウロボロスのプランは崩壊だ。

『ゲットセット』

 アナベルはナイトライダーで身構える。

 強力な突進力と長柄の戦斧を振るうパワーを持つドラグーン相手にどう戦う。

『GO!』

 アナベルはハンマーチャリオットに向かって駆ける。

 ハンマーチャリオットが戦斧を振り降ろす。

 ナイトライダーがフィールドを蹴ってドロップキックのような形で飛翔する。

 戦斧の柄を両腕で掴み、両足でハンマーチャリオットの右腕を挟みこむ。

 幾らパワーがあろうとランナーが機械である以上握力には上限がある。

 腕を捨てるつもりでナイトライダーをフィールドに叩きつければ右手の指が破壊されるだろう。

 ハンマーチャリオットがナイトライダーが絡みついたままフィールドを駆ける。

 ――バリア(内壁)に突撃する気か!――

 ナイトライダーの両足がハンマーチャリオットの右腕を締め上げる。

 このままバリアに激突すればカウルだけでなくフレームのダメージが大きなものになる。

 内壁が目前まで迫る。ドラグーンの突進力と重量で挟まれたら終わりだ。

 アナベルはハンマーチャリオットの胴を蹴って離れるとバリアに対して垂直に着地した。

 そのまま飛び上がり突っ込んできたハンマーチャリオットのマスクをオーバーヘッドキックで破壊する。

 振られた戦斧を躱して着地すると右前足膝裏を蹴りぬく。

 前につんのめるようにしてハンマーチャリオットが体勢を崩す。

 そのまま右足を振り上げて右ひじを蹴り上げる。続けて胴を蹴とばしてカウルを剥がした所でハンマーチャリオットのブラックアウトが終わった。

 ――――

 アナベルはバリアを背にして立つ。

 ハンマーチャリオットが突進するなら後ろの無い状態の方が有利だ。

 ハンマーチャリオットが左足を前にして戦斧を構える。

 振り降ろされた戦斧を躱した所にハンマーチャリオットの右足が襲い掛かる。

 右足を捨てにかかった相手に四の字をかけても意味が無い。一本失ってもドラグーンには三本の脚があるのだ。

 蹴りを躱したアナベルは左前足の足首を蹴りつける。

 半円を描くように再び右腕の肘に蹴りを打ち込む。

 苛立った様子でハンマーチャリオットがショルダータックルで突進して来る。

 突進を躱しながらナイトライダーのナックルガードを下してハンマーチャリオットの肩のカウルを叩き割る。

 ボディに二発、すれ違いざまにスカートに一発。

 横薙ぎに振られた戦斧をダッキングで躱して懐に潜り込む。

 胸部側部のカウルに拳を叩きつけ、左足首を蹴って再び離れる。

 ――KOを狙うか判定を狙うか――

 ハンマーチャリオットが前脚を軸にスピンしてナイトライダーを弾き飛ばそうとする。

 前脚にダメージが蓄積しているせいか幾分キレがなくなったように見える。

 振り上げた戦斧が振り降ろされる。

『ブレイク! ターンユアサイド!』

 審判の声が響く。

 15分があっという間だ。

 アナベルはナイトライダーを駆ってピットに戻る。

 機体が懸架されてソールが交換される。

『アナベル、いい試合だったぞ。後半もその調子で頼む』

 バスチエの声がコクピットに響くがドラグーン相手では生きた心地がしない。

『あのハンマーチャリオットの前脚と右腕はどうだと思う?』

 残り10分でKOに持ち込めるかどうか。

 判定ならばカウルを破損しないように逃げ切らなくてはならない。

『悔しいがあのドラグーンは思ったより出来がいい。KOは狙わなくていい』

『了解』

 アナベルは言ってミネラルウォーターを口に含む。

 後のないハンマーチャリオットは捨て身でかかって来るだろう。

 その猛攻を躱しきれるか……

『試合を再開します。両選手フィールドに戻ってください』

 懸架していたアームが外れ機体がピットに下りる。

 歓声の中フィールドに進み出る。

『オン・ユア・マーク』

 アナベルはハンマーチャリオットを観察する。前脚を痛めているが致命傷に持って行くのは不可能に近いだろう。

『ゲットセット……GO!』

 機体の負荷を無視した様子でハンマーチャリオットが突進して来る。

 戦斧を躱して左足を前に出す。

 ハンマーチャリオットが僅かに怯む。脚を攻撃され続けて神経質になっているようだ。

 アナベルはナックルガードを下してショートアッパーでハンマーチャリオットの右肘を殴りつける。

 判定勝ちにするにしてもインファイトの体勢を崩しては駄目だ。

 距離を取ればパワーとスピードに圧倒される。

 ハンマーチャリオットが前脚を振るってナイトライダーを引きはがそうとする。

 横に躱しながら右足の膝をフックで殴りつける。

 機体を屈ませて両足の付け根にアッパーカットを叩きつける。

 コクピットの揺れを気にした風もなくハンマーチャリオットが戦斧を振り降ろす。

 ――至近距離なら――

 ナイトライダーが足刀で戦斧を受け止める。

 コクピット下に横蹴りを加え、右膝を正面から蹴とばす。

 戦斧を捨てたハンマーチャリオットがナイトライダーに掴みかかろうとする。

 回り込むようにして躱したアナベルはハンマーチャリオットの戦斧を手に取る。

 ナイトライダーにはこのような大きな武器を扱うだけのパワーはない。

 斧の刃を後ろ側にして柄の石突を前にして構える。

 フィールドを蹴ったハンマーチャリオットが突進して来る。

 ナイトライダーの石突とハンマーチャリオットの肩が激突して肩のカウルが粉砕される。

 アナベルは石突を振るってハンマーチャリオットの頭を狙う。

 ハンマーチャリオットがコクピットを盾にする。うっかりでもコクピットを攻撃すれば反則負けだ。

 アナベルが躊躇った瞬間ハンマーチャリオットが戦斧の石突を掴んだ。

 ナイトライダーごとハンマー投げのように放り投げる。

 ナイトライダーの機体がフィールドを転がりカウルが剥がれ落ちる。

 善戦して来たが一気に3割ほどのカウルがはじけ飛ぶ。

 ハンマーチャリオットのカウル損耗もそう変わらない。

 アナベルはハンマーチャリオットに向かって突進する。

 残り時間は2分。

 後ろ足を蹴ったハンマーチャリオットが跳躍する。

 まともに受け止めればナイトライダーのカウルははじけ飛ぶだろう。

 ――しかし――

 ナイトライダーが身を屈めて膝を突き出して飛翔する。

 空中でハンマーチャリオットの巨体とナイトライダーの飛び膝蹴りが激突する。

 ナイトライダーが僅かに勝りハンマーチャリオット機体が揺らぐ。

 アナベルは拳でハンマーチャリオットのマスクを狙う。

 瞬間ナイトライダーのコクピットがブラックアウトした。

 ――考える事は同じか――

 アナベルは可能な限り飛びのく。最後の一撃が決まっていれば相手もブラックアウトであるはずだ。

 永遠にも思える一瞬が過ぎて視界が回復する。

 彼我の距離は200メートルほど開いている。互いに反対方向に移動したという事だろう。

『タイムアウト! 第三試合は判定になります。両者計量台に乗って下さい』

 アナベルはナイトライダーで計量台に向かう。

 カウルの損耗は26.4%。対するハンマーチャリオットの損耗は……32.5%。

『勝者ナイトライダー! アナベル・シャリエール!』

 歓声が沸き起こるがアナベルは素直に喜べない。

 この後まだ一戦残っているのだ。



※※※



『これ以上の敗北は許さんぞ。これはお前らバイオロイドのプレゼンなのだ。自ら商品価値を落としてどうする』

 木戸の声がコクピットに響く。

 敗北は許さないと言っても相手は優勝候補のウロボロスなのだ。

 おまけに試合巧者ときている。バイオロイドが戦闘用に作られていると言っても試合の勘が一朝一夕で身につくものでもないだろう。

 ネメスはデスサーティーのコクピットで溜息をつく。

 後二人とはいえ、ナイトライダーのライダーは相当消耗しているはずだ。

『第三会場第4試合サイドレッド、ナイトライダー、アナベル・シャリエール!』

 コールされたナイトライダーがフィールドに進み出る。

 カウルはそのままにマスクとソールだけを交換したらしい。

『サイドブルー、デスサーティー、ネメス・ギルフォード』

 ネメスはフィールドに進み出る。ネメスの素性を知ってか知らずか歓声が上がる。

 ――能天気なものだ――

 ランナバウトで熱狂していられるなど今のうちだ。

『オン・ユア・マーク』

 ネメスは白線まで歩を進める。

『ゲットセット』

 ナイトライダーが身構えデスサーティーが仕置き棒を構える。

『GO!』

 デスサーティーを駆って一気に距離を詰めて仕置き棒を振り降ろす。

 ナイトライダーが仕置き棒を前腕で受け止める。

 素早く仕置き棒を振るってナイトライダーのボディを打ち据える。

 カウルが砕けるのを見る事も無くナイトライダーの膝を打つ。

 右足を振りぬいてナイトライダーを蹴り飛ばす。

 倒れたナイトライダーが起き上がってファイティングポーズを取る。

 ネメスは右手を前に出すと挑発するように手招きする。

 飛び込みかけたナイトライダーが何かに気付いたように動きを止める。

 デスサーティーの仕置き棒が伸びてナイトライダーのマスクを破壊する。

 ネメスは仕置き棒の真ん中を持って回転させるとナイトライダーの両肩のカウルを破壊する。

 ――3割台後半か――

 視界を取り戻したナイトライダーが右足を振り上げる。

 踵落としに軌道が変わるより早く機体を屈めて水面蹴りで軸足を払う。

 転倒したナイトライダーのボディに縮めた仕置き棒の先を叩きつける。

 ナイトライダーの機体から白旗が上がる。

『KO! 勝者デスサーティー! ネメス・ギルフォード!』

 圧倒的な試合展開に観客が大歓声を上げる。

 相手はエステラと戦って心身共に限界だったのだから当然の勝利だ。

『ネメス、よくやったな。あと一人だ』

 そのあと一人が問題だ。その一人は現役最強のライダーの一人に数えられるクリスチャン・シュヴァリエなのだ。



※※※    

 

   

 一方的な試合だった。

 バスチエは無残な姿になったナイトライダーをから下りて来るアナベルを出迎える。

「ドラグーンは片づけてくれたんだ。充分だ」

「油断してた訳じゃない。あのライダーは強い」

 アナベルが苦々しい口調で言う。

 アナベルはドラグーン相手に35分フルに戦った後だった。完調であったならまた違った結果があるかもしれない。

 セラフィムでは既にクリスチャンがスタンバイしている。

「クリスチャン。ランナバウトを教えてやれ」     

 バスチエはマイクに向かって言う。

「愚問です。私はただフィールドを舞うだけです」

『第三会場ファイナルバウト。サイドレッド、セラフィム、クリスチャン・シュヴァリエ』

 セラフィムが大歓声を浴びながらフィールドに出ていく。

『サイドブルー、デスサーティー、ネメス・ギルフォード』

 セラフィムとは対照的な黒と銀の機体が姿を現す。

『オン・ユア・マーク』

 白と黒、2機のランナーが白線を挟んで対峙する。

『ゲットセット』

 セラフィムが天衣星辰剣無形の構えを取り、デスサーティーが串に刺さったきりたんぽを大きくしたような武器を構える。

『GO!』

 デスサーティーが仕置き棒を手にセラフィムに突進する。

 セラフィムが切っ先を合わせて機体を横にスライドさせる。

 残像が残る程の速度でセラフィムがデスサーティーに剣を振り降ろす。

 信じられない反応速度でデスサーティーが仕置き棒で受け止める。

 セラフィムの右手の剣が跳ね返り左手の剣がデスサーティーの胴に襲い掛かる。

 デスサーティーが飛びのいて躱した所にセラフィムが突進する。

 右手の剣を突き出し、弾かれた反動で更に加速する。

 左手の剣がデスサーティーの右足を狙う。

 瞬間、デスサーティーの両目が輝いた気がした。

 これまでとは比較にならない速度でデスサーティーがセラフィムの攻撃を躱しながら仕置き棒を振るう。

 剣を合わせたセラフィムが空中に舞い上がる。

 デスサーティーの姿が視界から消える。稲妻のような速度で空中を駆けるデスサーティーがセラフィムに突進する。

 ――これは不動雷迅剣!――

 現在世界でこの剣術を使えるのはデビルキッチンのジャンヌ・ランスただ一人であるはずだ。

 ネメスの仕置き棒がセラフィムの肩カウルを粉砕する。

 剣術の相性で言うなら最悪だ。天衣星辰剣は流水明鏡剣を圧倒できるが、不動雷迅剣は天敵と言っていい。

 セラフィムが空中で繰り出した剣をデスサーティーの仕置き棒が激烈な勢いで弾き返す。

 天衣星辰剣は圧倒的な手数を誇るが一撃の重さは羽毛のように軽い。

 一方不動雷迅剣は手数は少ないが一撃の破壊力が桁外れだ。

 空中で激突したセラフィムが距離をとってふわりと着地する。

 デスサーティーが稲妻のようにセラフィムに突進する。

 空中に逃れれば再びカモにされる。

 セラフィムがデスサーティーの突きを逆上がりするような動きで躱す。

 機体を丸めて2本の剣を連続で浴びせかける。

 両肩のカウルが破壊されながらデスサーティーが仕置き棒で突きを繰り出す。

 剣を交差させたセラフィムの機体が吹き飛ばされながら空中で体勢を整える。

 デスサーティーがセラフィムに向かって疾走する。

 デスサーティーの動きはまるで地を這う雷だ。

 着地したセラフィムに仕置き棒が襲い掛かる。

 仕置き棒を受け止めたセラフィムの剣が折れる。

 セラフィムが折れた剣を突き出すとデスサーティーが仕置き棒で弾き飛ばす。

 セラフィムが肩のカウルを剣にしてデスサーティーの腰のカウルを破壊する。

 デスサーティーが体当たりでセラフィムから距離を取ろうとする。

 躱したセラフィムが腰のカウルを抜いてデスサーティーのマスクを狙う。

 僅かに逸れた剣がデスサーティーの肩の付け根のカウルを破壊する。

 セラフィムが空中に2本の剣を放り投げ2本の剣でデスサーティーに斬りかかる。

 全身のカウルを剣にして目にも止まらぬ速さで高速の斬撃を繰り出す。

 クリスチャンにだけ可能な7本の剣をほぼ同時に扱う奥義。

 ――奥義七星剣!―― 

 一瞬でデスサーティーのカウルが剥がれ落ちる。

 セラフィムも多くのカウルを失ったが相対的に見るなら三対七の割合だ。

 デスサーティーが不動雷迅剣の脚力を生かして距離を取る。

『ブレイク! ターンユアコーナー!』

 ベルと審判の声が鳴り響く。

 ピットに剣として使えるカウルを使い切ったセラフィムが戻って来る。

「クリスチャン、よくやった。剣の装着急げ!」

『まさか七星剣を使う事になるとは思いませんでした』

 クリスチャンがこの技を使う相手と言えばラグナロクのメルキオルかホウライのコウリュウくらいだ。

 ――バイオロイドと不動雷迅剣のコンボはそれほど強力なのか―― 

 セラフィムのソールが交換され、カウルの剣と折れた剣が補充される。

 後半10分で決着がつく。奥義七星剣を食らったデスサーティーはカウルの補充が追いついていないはずだ。

 ――このまま押し切れば判定勝利だ―― 



 ※※※



『オン・ユア・マーク』

 ネメスは電子臭と自らのアドレナリンの臭いが充満するコクピットでほぼ無傷のセラフィムの姿を見つめる。

 強敵などという次元のものではない。不動雷迅剣はネメスにとっては最後まで取っておきたい奥の手だった。

 それを全力で使わなければクリスチャンには太刀打ちできないのだ。

『ゲットセット』

 ネメスは仕置き棒を構える。元より不動雷迅剣以上の武器は持ち合わせていない。

『GO!』

 ネメスは機体を疾走させる。不動雷迅剣の突進はセラフィムも躱しきれていない。

 と、剣を捨てたセラフィムが迫る仕置き棒に手を添えた。

 デスサーティーとセラフィムが入れ替わりデスサーティーが吹き飛ばされる。

 セラフィムが天衣星辰剣に似合わぬ挙動で吹き飛ばされたデスサーティーに向かって突進する。

 デスサーティーが着地した瞬間足をすくわれて上下が逆転する。

 セラフィムのカウルの剣がデスサーティーのカウルを破壊する。

 ――何だと!?――

 ネメスは距離をとって仕置き棒を構えなおす。

 瞬間、第一試合でオーレリアンがストームタワーを投げ飛ばした姿が脳裏で蘇る。

 ――これは天衣星辰剣の体術なのか?――

 不動雷迅剣の突撃は全て投げ飛ばされてしまうだろう。

 ――ならば――

 ネメスは仕置き棒を腰にマウントして拳を固める。

 縮地でフィールドを蹴って拳を繰り出す。

 投げられるより早く次の拳を放つ。セラフィムの掌とデスサーティーの拳が交錯する。

 天衣星辰剣が投げ技だと言うなら不動雷迅剣は唐手だ。

 鎧すら貫く正拳突きさえ決まればセラフィムをダウンに追い込む事ができる。

 しかし、ジャブしか放つ事ができない。

 ――最大の手数を誇るのが天衣星辰剣だと言うのなら――

 ネメスはリミッターを解除して自らの第三の目を起動する。

 残像を残すような動きでデスサーティーがセラフィムの横に回り込む。

 ――取った!――

 正拳突きを繰り出した瞬間、デスサーティーはフィールドに叩きつけられていた。

 ネメスは距離を取りながら起き上がる。

 リミッター解除が使えるのは30秒がいい所だ。

 仕置き棒を抜いてかつてない高速の突きを放つ。

 当たったと思った瞬間セラフィムの機体が舞い上がりデスサーティーの背後のカウルを破壊しながら着地する。

 ――何故だ!?――

 ネメスは機体をスピンさせながらフィールドを蹴る。

 突きを放つ事ができるのはこれが最後だ。それ以上はリミッター解除した機体が持たない。

 ネメスの突きをいなしたセラフィムが視界から消える。

 瞬間、足に衝撃が来た。死角に回り込んだセラフィムが剣で膝を一撃したのだ。

 ネメスが機体を向けようとした時、リミッター解除の限界を超えた。

 動きの鈍った所でマスクを粉砕される。

 ――俺はここで終わるのか――

 最後の一撃を覚悟してコクピットのグリップを握るが衝撃は来ない。

0.5秒が経過してデスサーティーの前に剣を下げたセラフィムの姿が現れる。

セラフィムはデスサーティーにトドメを刺さずに回復するのを待っていたのだ。

 ――勝てない―― 

 自信の表れか、それともスポーツマンシップとでも言うのか。

 セラフィムが二本の剣を交差させて十字架を作る。

 ――あれが来る!――

 ネメスは機体を全力で後退させる。セラフィムが突進してくる。

 放られた二本の剣を仕置き棒で弾く。

 カウルを剣にしたセラフィムが迫る。カウルの剣が閃き残されたカウルが次々と破壊されていく。

 ――それでも一太刀……――

 仕置き棒を繰り出した瞬間デスサーティーの機体が投げ飛ばされ……。

 フィールドに叩きつけられずにそっと立たされた。

『KO! 勝者セラフィム! クリスチャン・シュヴァリエ!』

 ネメスはどっと息を吐いてシートに突っ伏す。

 ――完敗だ――

 怒りどころか悔しさも感じない。それどころか清々しさすら感じる。

 文字通り格の違いを見せつけられた。現役最強クラスはデータ上の特Aクラスを凌駕していたのだ。

 ――でも、次に戦う時には――

 もっと強くなって見せる。この男を超えて更なる高みを目指す。

 ――そしてこの手でメルキオルを倒す――



※※※



 一回戦で敗退した木戸は輸送艦で帰途につく事となった。

 バイオロイドの華々しいデビューのはずが何と無様な結果に終わった事か。

 輸送艦のデッキから見える夜の海の暗さは自らの将来を暗示しているかのようだ。

 岸は今回の敗北を許さないだろう。公安局の官僚としてどころか人生が終わる。

 ――ここで終わってたまるか――

 木戸は端末でDr東條をコールする。

 ややあって端末に糸のように細い目をした、痩せぎすで青白い顔をした白衣の男が姿を現す。

『第一世代の性能ではやはりクリスチャンを撃破できないか』

 東條が低く笑いながら言う。第一世代とはDrシュミットが作った作品群で、第四世代から第六世代までが東條の作品になっている。

 しかし、特AもAも第一世代から第三世代までに集中している。

 簡単に言えばDr東條の作ったバイオロイドはポンコツ揃いという事だ。

 とはいえ岸に重用されているしメルキオルも東條を支持している。

「やはりと言われても帝は敗北を許しません」

『私の口添えが欲しいという訳か?』

 東條が引きつるような笑い声を上げながら言う。

「はい」

 メルキオルより東條の方が駆け引きがしやすいだろう。

『ロワーヌのアルセーヌ・リッシモンに完全体のバイオロイドが強奪された。それを取り戻してくれるなら帝にも口添えしよう』

「完成品のバイオロイド?」

 木戸が尋ねると東條が嬉しそうな笑い声を立てる。この男の薄気味悪い笑いを止める事はできないものだろうか。

『そもそもバイオロイドとはそうしたものだったのだ。Drシュミットはバイオロイドに人間の遺伝子を組み込んで人間に近づけようとした。それがそもそもの過ちだ』

 木戸には東條の言っている事が分からない。

「リッシモンに奪われたバイオロイドとは?」

 東條の講釈を聞いた所で木戸に理解できる事ではないだろうし、シュミットに劣った科学者である事は確かなのだ。

『アリア・ディザスターという少女のフリをしている。古の時代に甲種生体戦闘機として開発された存在だ。不完全とはいえこの私が現代に蘇らせたのだ』

「アリア・ディザスターか……それはリッシモンが確保しているのか?」

『リッシモンは人間だと思っているがね』

 笑いながら東條が言う。

 アルセーヌ・リッシモンはまだ若いが蘇利耶ヴァルハラに対抗しようというリベルタ大陸の重要人物だ。

 グルメロワーヌと言われる組織を率いているだけでなく、リベルタ大陸のみならずヨークスター太陰にも顔がきく。

 各州に独自通貨を発行させるという計画がVWCによって何度立てられ、リッシモンに何度潰されてきたか分からない。

 ――各州に中央銀行を置いて独自通貨を発行させる――

 それが世界に大分断を引き起こすトリガーとなる。既にグロリー騰蛇は蘇利耶ヴァルハラに次ぐ経済立国で、通貨の価値の低いヨークスター太陰は商品の生産国だ。

 リベルタ側であってもヨークスター太陰には南方のサンタマージョ白虎から一攫千金を夢見る者が集まって来る。

 ヨークスター太陰で財産や健康、全てを失った労働者は難民となって逆流し、サンタマージョ白虎を疲弊させてもいる。

 リベルタ大陸がサンタマージョ白虎を支援しているが無尽蔵に支え切れるものでもない。

 いずれサンタマージョ白虎も独自通貨を発行しなければ公的債務とインフレに堪えられなくなるだろう。

 そうなればベスタル大陸は完全に自由経済圏としてフェーデアルカの法の支配による旧世界から独立できる。

 ――持てる者はより強く、持たざる者はより低く――

 それこそが人間という種が本能的に持つ社会構築のあり方。

 法の支配を唱えるリッシモンやフェーデアルカは人間の本質の逆行して自由な世界に向けた革新の妨げとなっているのだ。

 バイオロイドの出来損ないを拾うまでもなくリッシモンは木戸が倒すべき相手だ。

「バイオロイドを人間だと考えるか。リッシモンらしい愚かな考えだな」

 木戸は見えない敵を幻視するようにして言う。

『一か月半後にミチエーリ玄武がグランプリを開く。まずはそこでポイントを稼いでおくといいだろう。どうせ強豪は参戦せんだろうしな』

 クククと笑いながら東條が言う。

 ――一か月半後か……――

 木戸には一回戦で敗退してしまうようなバイオロイドが成果を上げる事に確信を持つ事ができなかった。



〈6〉 

  


 第二試合会場の傑華青龍に向かうウロボロスのランナーキャリアのブリーフィングルームにはUMSの首脳が集まっている。

 千本桜建造の為に前回欠席していたダニオも参加している。

「まず我がチームの現状から確認しよう。好材料としては千本桜がテストを無事クリアした」

 バスチエが言うとイェジが嬉しそうな表情を浮かべる。

「次に悪材料だ。ルビコン、ナイトライダー両機は損傷がひどい。中二日で修理可能なのはどちらか一方だけだ」

 ダニオは腕を組んだまま無反応、ネリオは大きなため息をつく。

「では二回戦の対戦相手の情報からだ。相手はジュラシックスだ」

 バスチエはデータを表示させる。

「ジュラシックスは一回戦でのオーダーでドラグーンのディノニクスを失っている。相手はアーマーのT―LEX、ファイターのアントロデムス、ドラグーンのスターラプトルになる」  

 アントロデムスとスターラプトルはカウルが派手なだけで目立った特徴はないが、T―LEXはかつてない姿をしている。

 一言で言えば物語に出て来る恐竜のT―LEXと同じ姿だ。

 右腕が巨大な頭になっており、左腕が尾になっている。恐竜であれば手であるべき所には機動盾の名残がおまけのようについている。

「T―LEXはノーラ・ブレンディが開発した最新の実験機だ」

 バスチエはランナバウトの映像を表示させる。

 T―LEXはその巨大な二本の足でドラグーンのように相手に向かって突進する。

 巨大な右腕の頭それ自体が武器になり、打たれた相手は戦槌の痛烈な一撃を受けたようにカウルを粉砕されて吹き飛ばされる。

 巨大な顎が開いて――右手を開いて――相手を挟みこんで捻り潰す。

 その戦いは圧倒的の一言に尽きる。

「この頭にゃカウルが幾重にも重ねてあんのか……」

 ダニオが言う。判定勝利を狙うなら頭を徹底的に攻撃してカウルを剥いでしまえば勝つ事ができる。

 しかし、その頭がT―LEX最大の武器でもあるのだ。

「T―LEXのライダー、ジョー・ランズデールは元ドラグーンライダーです。突撃戦法は得意中の得意でしょう」

 ネリオがジョーのデータを表示させる。ルカと共にシューティングスターの育成選手だったライダーだ。

「不幸中の幸いだな。一回戦でドラグーン一機を失ってなければこっちはドラグーン三機を相手にするのと同じ羽目になる所だった」

 オーレリアンが言う。

「その通りだ。我々が確実に勝ちを拾いに行けるのはアントロデムスだけだ」

 バスチエが言うとクリスチャンが、

「そう言われてデスサーティー相手に苦戦を強いられましたが」

 デスサーティーは強敵だった。クリスチャンが手の内を全てさらけ出す相手はそういるものではない。

 とはいえアントロデムスのライダー、エレン・ブラフォードはベテランライダーで充分なデータが存在する。  

 優秀なランナーというだけであればクリスチャンであれば苦戦はしないだろう。

「今回のオーダーではグリフォンと千本桜のどちらかを外す事ができん。グリフォンがT―LEXと当たった場合は想像がつかんし、千本桜がアントロデムスと当たれば厳しい試合になるだろう。どちらが当たるにせよスターラプトルのルカは新進気鋭のライダーだし、T―LEX相手にどこまで戦えるのかも分からん」

「それは私が負けるって事ですか?」

 イェジが頬を膨らませる。

「エレン・ブラフォードはベテランでお前はデビュー戦のひよっこだ。しかも千本桜はカスタムじゃなくてヴァンピールの改修機でどう考えても分が悪い」

 バスチエはイェジに向かって言う。

「グリフォンは出せないんですか?」

 オリガが緊張した表情で言う。グリフォンは本来ならアントロデムスに対して有利となるが問題は同格のスターラプトルと正体不明のT―LEXだ。

 T―LEXに本来のアーマーとしての能力があるのなら、グリフォンにとって天敵となるだろう。

「グリフォンを出すには相手の情報が少なすぎる。目下の問題は二つ、ルビコンとナイトライダーのどちらを修理するか、連戦を取るか団体戦を取るかだ」

 バスチエは本題に入る。T―LEXとスターラプトルのどちらが強敵かは判然としない。

「俺はもう引退してもいい歳だ。模擬戦を見たがイェジは天衣星辰剣の剣士としてやって行けるだろう。剣士ばかり三人も並べた所で意味が無い」

 オーレリアンが軽く息を吐く。

「俺を選ぶなら俺はこの試合をオリガに譲りたい」   

 バスチエは半ば予想していた言葉を聞く。

 クリスチャンがイェジに肩入れするのは当然だが、オーレリアンもオリガに肩入れしている。

「良く分からないんですけど、私が出たらどうしてもドラグーンに当たるって話なんですか?」

 考えが追いつかない様子でイェジが言う。

「T―LEXは一応はアーマーだという話ですよ。アーマーにファイターが負けたら恥さらしもいいところです」

 クリスチャンが涼しい顔で言う。

「私が出るとしたら有利と不利のどっちなんですか」

 イェジが困惑した様子で言う。

「ランナバウトにビギナーズラックなんてそうそうねぇんだ。それにな、ジュラシックスのこの布陣はウロボロスを意識してやがる」

 ダニオがイェジに答えて言う。

「まぁオーレリアンの意向もあるしこの試合はグリフォンと千本桜を出して経験を積む事だけを考えるか。次はオーダーだ。連戦になれば疑似ドラグーンとドラグーンを持つジュラシックスが有利だ」

 バスチエは言う。T―LEXに二機抜かれれば幾らクリスチャンでもアウトだ。

「団体戦を取るしかないでしょう。問題は順序です。確実に勝利を拾いに行くなら先鋒で私が出るのが一番だと思います」 

 クリスチャンが言う。相手が連戦で先鋒にT―LEXを持ってくる事は充分考えられる。

 その場合、最大の戦力であるクリスチャンでT―LEXを撃破、スターラプトルを可能であれば撃破するというのが理想的なシナリオだ。

 大将にオリガを置いておけばアントロデムスにそう遅れを取る事はないだろう。

「相手がT―LEX、スターラプトルの順で来るならそれが理想的だ。だが、団体戦で先鋒にアントロデムスが来れば勝てる相手に最強のカードを使っちまう事になる」

 バスチエは言う。団体戦と連戦では試合展開がまるで異なる。

 クリスチャンがアントロデムスを瞬殺したとしても、第二試合を戦える訳ではない。

 オリガとイェジが負けてしまえば敗北だ。

「どうせ負けるなら私が最初に行けばいいんじゃないですか?」

 負ける負けると言われて拗ねているのかイェジが言う。

「あなたがアントロデムスと当たった時が問題なのです。私たちが高確率で勝ちに行ける相手をあなたで浪費する事はできません」

 クリスチャンが弟子のプライドをすりおろす。

「でも勝てば儲けもんだろう? あんたが勝てば二勝なんだ」

 アナベルが言うとクリスチャンが顎を摘まむ。

「相手が連戦狙いで先鋒にアントロデムスなら大将はスターラプトルの可能性が高い。クリスチャンを大将にして先鋒イェジ、中堅オリガの布陣で挑む」

 バスチエは決定を下す。団体戦になったとしてもまだまだルーキーのスターラプトルにクリスチャンが当たるのであれば勝率も高いはずだった。



※※※



 

 傑華青龍のホテルの広間にはジュラシックスの首脳とライダーが集まっている。

 マネージャーのバーナード・ハサウェイは一回戦の結果に満足していない。

 ドラグーンのディノニクスが一回戦でアーマーと当たって敗北したのは痛手だった。

 もともと金融畑のハサウェイはランナバウトに詳しい訳ではない。

 とはいえ、高い金を払って作らせたドラグーンとシューティングスター育成選手だったリカルド・シューマッハが敗北したのは事実なのだ。

 第二試合、ウロボロスとの戦いまでにディノニクスを間に合わせるのは難しい。

「いやぁ、ツイて無かったねぇ~」

 悪びれた様子もなくリカルドが言う。

 幾ら相性が悪いのだと言われても金を預かるハサウェイがすんなりと受け入れられるかと言えば話は別だ。

「お前にもランナーにも高いカネがかかってるんだ。これでウロボロスに負けたらスポンサーに顔向けできん」

 ハサウェイは言う。問題はそこだ。マールム社はともかくメディア企業ディスニーはウロボロスを敵視して近年ドラマ映画の買収を重ねている。

 ディスニーは元々アニメーションを中心としたコンテンツの会社で、アニメ業界では不動の地位を築いており、メディア事業の他にもアミューズメント施設を持つディスニーリゾートやホテルを始めとした観光事業も保有していたが、あくまで子供向けの感は拭えず、コアなファンに支えられている部分があった。

 それが他のアニメや特撮映画企業の買収も始め、ディスニーのコンテンツは充実。事業規模は急拡大の方向に向かい、遂に実写ドラマやドキュメンタリーの領域に進出した。 

 それはドラマとドキュメンタリーで覇を唱えるウロボロスに正面から挑戦する事と同じだった。

 ディスニーは企業買収の資金力を増す為にヒュンソと覇を競うIT大手のマールム社と手を結び、サブスクリプションで顧客の獲得と同時に囲い込みを開始した。

 しかし、ウロボロスのドラマとミュージックの牙城は高く、顧客の乗り換えは思ったほど順調には進んでいない。

 そこで投資家たちにより一層のカネを出させてより多くのコンテンツを買収して囲い込みをすべく、ランナバウトでウロボロスに勝利して耳目を集める必要があるのだ。

 ――そう、この一戦には象徴的意味があるのだ―― 

「今のジュラシックスは発足半年みたいなモンなんだ。もっと腰を据えて成長を見守って欲しいもんだね」

 アントロデムスのエレンが言う。

 今のジュラシックスは半年前にマールム・ディスニーが買収したものだ。

 それまでジュラシックスは中堅もいいところでカーニバル参戦ができれば恩の字といった程度チームだった。

 ランナーどころか当時から残っているライダーを全て追い出した新生ジュラシックスがリーダーとして迎え入れたエレンはその安定した操縦と試合の巧みさに定評がある。

「投資家はそう思っちゃくれんさ。で、ウロボロスに勝つ算段はあるのか?」

 ハサウェイはエレンに尋ねる。ことランナバウトに関しては頼らざるを得ない。

「ウロボロスはファイターだけのチームだ。厄介なのはライダーとランナーの能力で相性を克服しちまう事さ」

 エレンがウロボロス一回戦のナイトライダー、ハンマーチャリオット戦の映像を表示させる。

 激戦である事はハサウェイにも分かる。とはいえナイトライダーはKOを取った訳ではなく判定だ。

「ルカのスターラプトルならナイトライダーを倒せるのか?」

 ハサウェイは尋ねる。

「俺は誰にも負けないさ」

「もっと客観的にものを見な。ナイトライダーは同じノーラ・ブレンディ作のランナーだけど旧式、おまけに相性はこっちはドラグーンで有利。残るはアナベルの技量だけだ」

 エレンがルカに向かって言う。

「スターラプトルがセラフィムに当たった場合は?」

「セラフィムはオーギュスト・ル・ヴェリエの傑作ファイターだ。おまけに乗っているのは天衣星辰剣の当主クリスチャン・シュヴァリエ。旧式ランナーだけど勝率は低いね」

 エレンが答えて言う。

 オーギュストはノーラの師匠筋に当たる御年90才の、数々の伝説的ランナーを世に送り出してきた熟練のマイスターだ。

「で、T―LEXはどうなんだ?」

 今一つ良し悪しの分からないハサウェイは言う。

 アーマーというものは走り回るものではなくどっしりと構えるものではないのだろうか。

「すげぇランナーだ。ファイター相手で負ける気がしねぇよ」

 ジョーが言うが要領を得ない。

「T―LEXの特徴はアーマーでありながら攻撃に特化してるって事さ。こいつの突撃を受ければドラグーンだってひとたまりもない。ノーラ・ブレンディはアーマーの概念を覆したのさ」

「素人目に見てこれはドラグーンの亜種に近いんじゃないのか? それならアーマーに対して弱い事にならないか?」

 ハサウェイはエレンに向かって言う。

「ウロボロスにアーマーはいないし、T―LEXの顎で武器を破壊しちまえばアーマーだってひとたまりもないだろうさ」

 確かに一回戦でT―LEXは相手のファイターを圧倒した。

 とはいえ対戦相手は無名のチームではない。優勝候補のウロボロスなのだ。

「このT―LEXでセラフィムに勝てるのか?」

「難しいだろうね。でも、逆に言えばクリスチャンにさえ当たらなければ勝利できる。スターラプトルも同じさ。相手のオーダー次第だよ」

 エレンの言葉にハサウェイは考え込む。

 古い逸話に競馬の鉄則の話がある。ある二人の人が早い馬と普通の馬と遅い馬の三頭をそれぞれ出して競っていたが、一人の男は決して勝つ事ができなかった。

 負けてばかりの男に賢者が伝えた。

 早い馬に遅い馬、普通の馬に早い馬、遅い馬に普通の馬を競わせなさいと。

 これで負けてばかりだった男は勝つことができるようになったのだという。

 これを今回のランナバウトに当てはめるならクリスチャンには一敗すると見てエレンを当てるのがいいだろう。ナイトライダーとルビコンはハイレベルだがファイターである事を考えればスターラプトルとT―LEXのどちらが当たってもいいだろう。

「つまりはクリスチャンが何番手に出るかという話か」

「連戦で来るなら大将に置いておくだろうね。スターラプトルとT―LEXを削れるだけ削っておいて勝負をかける」

「それならこちらは大将をお前にしておけば良いという事か?」

「連戦を取れるならね。団体戦で来られたらクリスチャンに勝つのは厳しいだろうね」

 エレンが率直に言う。アントロデムスはノーラ・ブレンディの作だがそれでも難しいと言うのだろうか。

「団体戦だとクリスチャンの出番が読めずに不利になるか……」

 クリスチャンがT―LEXかスターラプトルを撃破してしまえばエレンの相手はナイトライダーかルビコンになる。

 剣術を使わないという点ではナイトライダー相手の方が戦いやすいのかも知れないがアナベルも乗りに乗っているスター選手で実際にドラグーンを撃破してもいる。

 どの道エレンには厳しい戦いになる。

 それならば相手を疲弊させる事に特化してもらった方がいいだろう。

「オーダーは連戦、T―LEX、アントロデムス、スターラプトルで行く」

 ハサウェイが言うと一同が頷く。

 ほとんどエレンが決めたようなものだが餅は餅屋だ。

 ――第二試合はジュラシックスが頂いた―― 



※※※



 深夜のキッチンでオルソンは珍客を迎えている。

 UMSのバスチエだ。何をしに来たのかは半分以上察しがついている。

「オルソン、お前の目から見てT―LEXはどんな機体だ?」

 元々会議に参加しろと言っていたがそれは丁重に断った。リモートワークでも画面に二人以上の顔が出て来るのは恐怖でしかない。

「参考になる機体ですよ。アーマーに機動力を持たせようって発想は普通はないです」

 パエリア風の鯛めしを仕込みながらオルソンは言う。

「そうじゃなくて攻略法を知りたいんだ」

 バスチエの言葉は予測済だ。だが必勝法のようなものがあるほどの欠陥品をノーラ・ブレンディは作らない。

「肝はアーマーの足とスタビライザーの役割を持つ頭と尻尾を持ってるって事です。実の所T―LEXはシンプルな機体で構造的には人型というより鶏に近いんです。闘鶏と子猫が戦ったら闘鶏が勝つでしょう?」

「長所を知りたい訳じゃないんだけどな」

 バスチエは残念そうだがオルソンにとっても攻略対象というより興味の対象なのだ。

「弱点と言える場所は相応に強化されているでしょう。ドラグーン並みの突進をする足の太さは標準的なアーマーを上回りますし、頭を支える首、つまり腕も相当強化されている。正攻法で倒すなら頭を肥大化させている積層構造のカウルを剥がしきるしかありません」

 それすら容易ではない。通常はカウルはビスで留められているがT―LEXの頭部のカウルはフレームに挟みこまれている。

 フレームを破壊するくらいの衝撃を与えないとカウルを剥がせないという事だ。

 とはいえT―LEXは武器を持ったり相手の武器を奪って戦うという従来のランナバウトのスタイルを取る事はできない。

 ――革命となるのかそれとも世紀の失敗作になるのか――

「クリスチャンなら何とかするだろう。だがオリガやイェジにも白星をやりたい」

「ライダーのキャリアから考えても勝利すれば白星どころか大金星ですよ」

 オルソンは言う。勝ち目はないと言ってもいい。可能な限り被害を抑えつつ敗北するのが上策というものだろう。

 ――イェジに負けろと言うのは酷だけど――

 それはバスチエの仕事になるだろう。

「後はスターラプトルだ。グリフォンもドラグーンだから相性では拮抗することになるんだが……」

 ファビオの兄、ルカが駆るドラグーン。

「フレームはノーラ・ブレンディ作のレッドスター026を正統進化させたランナーです。T―LEXで博打をしている分堅実な仕上がりなっています。グリフォンは名機とはいえ二十年前の機体です」

 レッドスター026は前回のカーニバルで一躍名を馳せた名機だ。

 シューティングスターはその後ブレンディ工房との契約を延長せずにジェネラルエンジニアリングと契約した。

 しかしレッドスター026は並みのエンジニアでは手を加える余地がないほど完成された機体だった。

 レッドスター027としてリリースされた機体の改修は性能の向上よりはフォルムの小幅な変化に留まり、今はマイティロックのカモにされている。

 一方でノーラ・ブレンディはレッドスター026の後継機としてジュラシックスでスターラプトルを作ったという訳だ。   

 ランナー性能だけで見たとしても間違いなく強敵と言えるだろう。

「クリスチャンが当たってくれればいいが……オリガに二戦連続でドラグーンもどきとドラグーンとはやらせたくない」

「それは僕に言っても仕方ないでしょう」

 オルソンはバスチエに答えて言う。相手の編成は事実上のドラグーン二機とファイターなのだ。つけ入る隙などないだろう。

 親会社の都合を考えてもウロボロスにターゲットを絞って来たのは事実なのだろうし、対策を重ねたチームにほぼ無策のまま挑むのだから不利は仕方ない。

 ――ウロボロスにアーマーがあればいいんだけど――

 軽量級の動きばかりするライダーばかりで重量級のランナーを動かせるイメージが湧かない。唯一期待が持てるとすればプロレスに入門しているロビンくらいなものだ。

 そのロビンも今回の龍山グランプリに参戦できる訳ではなく、当然ながら機体がある訳ではない。

 ――名門チームには名門チームの苦労があるんだな――

 仮にジュラシックスを下したとして次は新兵器を投入してくるドラゴンだ。

「オルソンご飯……ってバスチエさん?」

 当たり前の顔でキッチンに入ってきたイェジがバスチエを見て言う。

「ランナーの事を聞きたくてね。強敵だって事が分かっただけだった」

「良く分からないんだけど、ジュラシックスはすごいお金持ちでウロボロスはすごいケチだって話なんだよね。ちゃんとしたシューズで踊るのと裸足で踊るのと同じくらい差がある訳でしょ?」

 イェジは意外にも状況が正しく認識できているようだ。

「でもジュラシックスは投資家頼みだから負ければ負債を抱える事になるよ。基本的に自己資本の範囲でやっているウロボロスの方が健全なんだ」

 オルソンは言う。知る限りでは金融資本というものが世界に溢れだしたのはここ60年ほどの事だ。

 それまではチーム間の差もそこまで大きくなく、個人がガレージから立ち上げたチームがカーニバルに出る事さえあったのだ。

 リベルタ大陸ではフェーデアルカの法の下で金融の力は限定的だが、自由経済圏を標榜する自州通貨発行域では富の集中と格差の極大化が起こっている。

 ジュラシックスのように巨大資本で成りあがる者がいる一方で難民とも呼ばれる人々が生まれているとも聞く。

 オルソンが自己責任社会のベスタル大陸に生まれていたらとっくに死んでいただろう。

「真面目な人が損をしてるのね」

「俺も真面目なつもりだが役員会じゃ肩身が狭いもんだ」

 バスチエが冗談めかして言う。

 オルソンは鯛めしが炊きあがったのを確認すると、湯がいた蛸のマリネと鶏のささみを使ったサラダを出す。

「いやぁ、美味そうだなぁ」

 バスチエが何を勘違いしたか嬉しそうな声を出す。

「二人分しかありませんよ。僕の分は譲れませんし、残りはイェジの分です」

 オルソンが言うとバスチエが切なそうな表情を浮かべる。

「そう言うなよ。この時間になると小腹がすいて仕方ないんだ」

「棚にラーメンがあるよ」

 イェジが一応の雇用主であるバスチエに向かって言う。

「この歳になって一人さみしくラーメンかよ」

 棚を漁ってバスチエが言う。

「じゃあご飯にしようか」

 オルソンが言うとイェジが席に着く。

「いただきまぁす!」

 龍山グランプリ第二戦。勝利できる確率の方が低い戦いだ。

 どうせなら気持ちよく戦わせてやりたい所だった。



※※※



 バスチエはWRAコミッショナーの事務所を訪れている。

 ランナー免許も取り扱うWRAの事務所は基本的に警察署に併設されている為、文字通りお役所の窓口といった雰囲気がある。

「両チームマネージャーはオーダーを提出して下さい。開封後のオーダー変更は一切認められません。よろしいですね?」

 バスチエはジュラシックスのハサウェイと同時にテーブルに封書を置く。

 この一連の作法はバスチエが知る限り変わっていない。

「開封します」

 コミッショナーが封書を開封する。

「チームウロボロス、団体戦。チームジュラシックス、連戦」  

 ジュラシックスのオーダーは一番手がジョー・ランズデール、二番手がエレン・ブラフォード、大将はルカ・フェラーリだ。 

 ランナーのオーダーではアーマー、ファイター、ドラグーンになる。

 ――最初からT―LEXに頼んだ連戦狙いという事か……――

 仮に団体戦で千本桜がT―LEXを撃破すればグリフォンがファイターと当たる事になりストレート勝ちに持ち込める可能性が出て来る。

「開催方式が異なりました。コイントスで開催方式を決定します」

 コミッショナーが言う。

「表で」

 ハサウェイが言う。

「それでは裏で」

 バスチエが言うとコミッショナーがコインを投げる。

 手の甲に落ちたコインが明かされる。

「裏です。第三試合は団体戦方式となります。それではフェアプレー精神に則り良いランナバウトを」

『誓います』 

 バスチエとハサウェイの声が重なる。

 ――コイントスでは勝ったか……――

 一戦目は予想通り千本桜対T―LEX、イェジに泣いてもらう事になるだろう。

 大将戦のクリスチャンにも負担がかかるが、経験の差でどうにか勝って欲しい所だ。

 部屋を出たバスチエにハサウェイが声をかけて来る。

「団体戦でも我々の勝利は揺らぎません。帰り支度を始めてはいかがですかな」

「昨日の晩はラーメンだったんでね。傑華青龍名物の中華を食べるまでは帰れませんよ」

 バスチエは軽口を返して言う。

「試合中にデリバリーでも取る事ですな。試合後は喉を通らんでしょう」

「それはそっくりお返ししよう。投資家が逃げ出したらお宅には借金しか残らんでしょう」

 バスチエが言うとハサウェイが石を飲んだような表情を浮かべる。

 ――ランナバウトの古き良き伝統を破壊されてたまるか―― 

 ランナバウトでジュラシックスに勝利して駒を進めるのだ。



※※※



 イェジは千本桜のコクピットで躍動する雷音を聞いている。

 千本桜は完成直後という事もあってコンディションは抜群だ。

 ――ファビオと練習しといて良かった――

 千本桜は油断すると暴走してしまう繊細なランナーだ。

 その分天衣星辰剣を振るう限りではイェジの想像を遥かに超える動きをしてくれる。

『龍山グランプリ第二会場チームウロボロスとチームジュラシックスの試合を取り行います』

 スピーカー越しの審判の声が響く。

『相手は建前はアーマーだがドラグーンだと思って戦え』

 バスチエの声が響くがイェジにはドラグーンとの対戦経験がないし、試合を見たのはナイトライダーとハンマーチャリオットの一戦くらいなものだ。

 ――オーレリアンさん負けたんだよね――

『サイドレッド、千本桜、ヤン・イェジ』 

 赤のサイドから出ていくのはポイントで勝るチーム、挑戦者を待ち受ける側だ。

 千本桜がフィールドに姿を現すと一瞬静まった観衆が大歓声を上げる。

 ――千本桜カッコいいもんね――

『サイドブルー、T―LEX、ジョー・ランズデール』

 目の前に異形のランナーが姿を現す。身の丈は千本桜と変わらないが奥行が違う。

 よくレギュレーションを通ったものだと思うが、この恐竜の頭は建前では右腕という事になっているのだ。

『落ち着いて躱していけ。奴はまずは突進してくるはずだしそれ以外の攻撃手段もないはずだ』

 バスチエの声が響く。

『オン・ユア・マーク』

 イェジは千本桜を白線まで進める。固められたフィールドにハードソールが馴染んでいる。

 ソフトのソールだったら試合中にグリップがきかなくなったかもしれない。

『ゲットセット』

 千本桜が二本の剣を抜いて構える。

 T―LEXは特に構える必要はないらしい。

『GO!』

 審判の声と共にT―LEXが突進して来る。山道で熊に遭遇したのと同じくらいの威圧感と迫力がある。

 千本桜が横に飛びのいて躱す。

 T―LEXがスピンし、尻尾が横から襲い掛かる。

 千本桜が剣でタイミングを合わせて空中に舞い上がる。

 T―LEXの顎が開いて空中にいる千本桜を捕らえようとする。

 千本桜が剣でT―LEXの頭を叩いて反動で宙返りする。

 背中の部分に申し訳程度のマスクが見える。

 振り上げられた尻尾が千本桜に襲い掛かる。剣で受け止めると千本桜の機体が空中で弾き飛ばされる。

 ――パワーが段違いだ!――

 空中で体勢を整えてフィールドに降り立つ。

 T―LEXが口を開いて突進して来る。千本桜が剣を構える。

 ――バカの一つ覚えなら――

 勝機はある。T―LEXの突進に合わせて少しづつ頭部のカウルを破壊して行けばいい。

 と、大きく開いた口から鋭い杭が打ち出された。

 咄嗟に躱した千本桜の肩カウルが破壊される。

 ――しまった!―― 

 こんな仕掛けがあるなんて聞いてない。そう思うより早くT―LEXの頭が千本桜を横から殴りつける。

 千本桜の機体がフィールドを転がりカウルがはじけ飛ぶ。

 地響きを立ててT―LEXが千本桜に迫る。

 千本桜がフィールドを蹴って大きく飛びのく。方向転換したT―LEXが突っ込んで来る。

 ――こんなものとどうやって戦えって言うのよ――

 千本桜が頭に剣を合わせて宙に舞う。背中にあるマスクめがけて急降下する。

 振り上げられた頭が横から襲い掛かる。

 ――動きが早い!――

 マスクを守るようなものは特にないというのに近づけない。

 千本桜はT―LEXの胴を掠めて落下しながら足を斬りつける。

 カウルが飛び散るが露出した頑強なフレームには傷一つついたように見えない。

 T―LEXが真横に飛んで体当たりしようとする。

 剣を合わせて横に飛んだ所に尻尾が襲い掛かる。

 機体を屈めて躱した所にT―LEXの顎が迫る。

 顎が千本桜の右手の剣を咥えて大きくのけ反り、機体が空中に放り上げられる。

 空中で体勢を整えた千本桜が左手の剣でT―LEXの頭に斬りかかる。

 幾らかカウルを破壊できたが全体から見れば微々たるものだ。

 顎がくわっと開いて杭が打ち出される。

 剣を合わせて宙を舞うがこれといった攻め手が無い。

 マスクを破壊したいがドスドス走り回るT―LEXの背中を狙うのは困難だ。

『ブレイク! ターンユアコーナー』

 審判の声が響く。いい所がないまま前半戦が終了だ。

 イェジがピットに戻ると懸架された機体に集まったメカニックが一斉に作業を開始する。

『イェジ良くやったぞ! 直撃一発だけなら次の試合に間に合わせる事ができる』

 褒めているのかけなしているのか分からないバスチエの声が響く。

「手も足も出ないですよ」

 イェジは言う。相手に手があって武器を持っていてくれれば剣術が使えるのだ。

 ――そっか……これは剣術家を倒す為の……――

 そういうランナーなのだ。だからどう攻めていいのか分からなくて当然なのだ。

『勝てる相手じゃない。まずは損害を最小限に抑える事を考えるんだ』

 悔しいがバスチエの言う通りだ。と、イェジは一つの事を思い出す。

「羅生門が使ってた大きい刀ってあります?」

『薙刀を使うのか? お前使った事がないだろう?』

 剣が届かないなら届きそうな武器で戦うしかない。

「やらせて下さい」

 イェジが言うと作業用ランナーが三節棍にもなる薙刀を持ってくる。   

 グリップの部分にボタンがあり、薙刀状態と三節棍を切り替えられるらしい。

『試合を再開します。選手はフィールドに戻ってください』

 審判の声を受けてイェジは千本桜をフィールドに進ませる。

 歓声が千本桜を出迎え、正面からT―LEXが姿を現す。

『オン・ユア・マーク』

 イェジは千本桜を白線まで進める。

『ゲットセット』

 イェジは薙刀を構える。ファビオの見様見真似だがやってやれない事はないはずだ。

『GO!』

 イェジは薙刀を頭上で回転させて遠心力をつける。

 T―LEXが唯一にして最強の突進をしてくる。

 ――食らえっ!――

 薙刀を突き出してボタンを押し込む。三節棍になった刃がT―LEXの頭を痛打する。

 T―LEXの突進が鈍る。千本桜が飛翔して三節棍を身体に巻きつけて遠心力をつける。

 三節棍の刃がT―LEXの頭を真上から殴りつける。

「まだまだぁ!」

 天衣星辰剣の真髄はその軽さにある。だからT―LEXにはまるで通じなかった。

 しかし遠心力に乗せた薙刀と三節棍の刃は重い。

『行けイェジ! 相手の弱点はそのでかい頭だ! 首に相当負担がかかってるぞ!』

 コクピットにバスチエの声が響く。

 イェジは鞭のように三節棍を振るってT―LEXの頭を殴り続ける。

 カウルが剥げてフレームが露わになる。

 骸骨のようなT―LEXが身体を大きく振って三節棍から逃れようとする。

 T―LEXの振った尻尾を三節棍で弾き返す。

 T―LEXが明後日の方向に疾走して距離を取る。足を止めると危険だと判断したらしい。

 千本桜が薙刀を回転させて遠心力を付ける。

 T―LEXが口を大きく開けて突進して来る。

 千本桜の三節棍の刃とT―LEXの口の中の杭が衝突する。

 と、T―LEXの首が奇妙な角度にゆがんだ。

『イェジ効いてるぞ! 畳みかけろ!』

 バスチエの声を受けて千本桜が三節棍でT―LEXの頭を殴りつける。

 巨大な恐竜の頭が外れ前腕に杭のついた腕が姿を現す。

『相手のカウルは五割を切ってる! やれるぞ!』

「散々負けるって言っといてえぇ!」

 薙刀を捨てた千本桜が剣を抜いて突進する。突き出されたパイルバンカーに剣を合わせて空中に舞い上がる。

「頭ががら空きだぁ!」

 千本桜がT―LEXのマスクを破壊する。背後を降下しながらカウルを破壊する。

 膝裏に斬撃を打ち込んで転倒させる。

 ――これでトドメだっ!――

 千本桜が剣を振り上げるとT―LEXの機体から白旗が上がった。

『ウィナー! 千本桜! ヤン・イェジ』

「やったあぁぁぁぁっ!」

 イェジはコクピットでガッツポーズを取る。負ける負けると言われた試合に勝利したのだ。

『イェジ良くやった。これで半分勝ったも同然だ』 

 バスチエが図々しく言うが今は怒る気にはなれなかった。



※※※



 オリガはコクピットでグリフォンの雷音を心地よく聞いている。

 イェジは見事な試合をしたと思う。前半戦を見る限りでは勝ち目は無いと言っても良かった。

 咄嗟の機転で薙刀を使ったイェジにはセンスというものがあるのだろう。

『オリガ、落ち着いていけ。相手はベテランだがファイターだ』

 バスチエの声が響くがオリガには試合というものがまだ今一つ良く分かっていない。

 ――私は私の歌を歌うだけ―― 

『第二会場第二試合、サイドレッド、グリフォン、オリガ・エルショヴァ』

 グリフォンの雄姿に観客席が湧き上がる。グリフォンが観客の前に姿を現わしたのは前回のカーニバルが最後だったし、その時は不動雷迅剣のチーム「エクレール」だった。

『サイドブルー、アントロデムス、エレン・ブラフォード』

 目の前にやけにとげとげしいカウルのトマホークを手にしたファイターが姿を現わす。

 相手は新型機とベテランだと言うが……

 ――グリフォン、やれるよね――

 二機のランナーが白線の前に立つ。

『オン・ユア・マーク』

 オリガは激しいエレキギターと早いドラムのスイッチを入れて息を吐くように歌を紡ぐ。

『ゲットセット……GO!』

「いけぇ! グリフォン!」

 グリフォンが円錐形の槍を構えてアントロデムスめがけて稲妻のように疾走する。

 アントロデムスが横に飛びのいて躱そうとする。

 グリフォンが前脚を踏ん張り後ろ半身を半回転させて後脚でアントロデムスを蹴とばす。

 そのまま機体をスピンさせて、カウルをまき散らしながら吹き飛ばされたアントロデムス目掛けて突進する。

 アントロデムスがトマホークを投げて時間稼ぎしようとする。

 グリフォンの槍先がトマホークを弾くとアントロデムスがジャンプして上半身に組みつこうとする。

 グリフォンが棹立ちになって前脚でアントロデムスを蹴とばしてフィールドに這いつくばらせる。

 カウルを半分は持って行かれたアントロデムスがそれでも立ち上がろうとするとグリフォンが槍の先でマスクを破壊した。

 アントロデムスの機体から白旗が上がる。

『ウィナー! グリフォン! オリガ・エルショヴァ!』

 圧倒的とも言える勝利に大歓声が上がりオリガは槍を掲げてそれに答える。

 ――グリフォンとなら私はやって行ける―― 



※※※



 ロビンはサイクロンの事務所のディスプレイでレスラーたちと一緒に龍山グランプリの中継を見つめていた。

 一回戦は前半は絶望的だった千本桜が後半でT―LEXを圧倒し、オリガは相性を生かして圧倒的な勝利を収めた。

 ――二人のセンスは本物だ――

 イェジの薙刀三節棍はピットからの指示かもしれないが、使いこなしたのはまぎれもなくイェジだ。

「この千本桜ってカッコいいわね。私はマッチョなT―LEXの方が好きだけど」

 ブラッドが言う。T―LEXは確かにすごいランナーだった。

「あんたもランナーに乗るの?」

 リリーが訊いてくる。

「うん。僕もウロボロスのライダーだからね」

「それが何でうちでプロレスやってんだ?」

 ジェーンが全く分からないといった様子で言う。

「カッコ良く勝ちたいから。みんなのプロレス技ってすごくカッコいいじゃないですか」

 ロビンが言うと一同がまんざらでもない表情を浮かべる。

「あれだけの観客の前で仕事ができたらいいのに」

 スジンが羨ましそうに言う。

「一か月半後のミチエーリ玄武グランプリではエキシビジョンで試合をする事になるわ」

 決定事項だとばかりに言ったミニョンが、

「もっともミチエーリ玄武には強豪の参加は予定されてないから龍山グランプリほどの観客は入らないでしょうけど」

「気張っていかねぇとな」

 ジェーンが言うとミニョンが、

「そこでなんだけど試合時間を十分にできないかしら」

「普通は30分くらいやるもんだ。それだけの金をもらって観てもらってるんだし」

 ジェーンが答えて言う。

「力比べとかありきたりの絵はいらないのよ。十分間大技だけで繋いでくれる?」

 ミニョンの言いたい事はロビンであれば理解できる。

 プロレスを純粋なショーとして見るならティヘラやヌカドーラのような大技をつないだ方がダイナミックだ。

 だが、格闘技として見た場合それはあり得ない。過程もあっての大技だから観客が納得するという部分もあるだろう。

「そんな試合はした事がないしプロレスとは言わない」

 ジェーンが不服そうに言う。

「プロレスじゃなくていいのよ。一種のプロモーションだと思ってくれれば。プロレスにはすごい技がある、ダイナミックで面白いと思わせられればそれでいいのよ」

「そんなのはスタントマンにでもやらせればいいんじゃないか?」

「プロがやってこそ説得力のある事ってあるでしょ? それにエキシビジョンをスタントマンにやらせてサイクロンの宣伝になるの?」

 ミニョンの言葉にジェーンが苦虫を噛んだような表情を浮かべる。

「経営の事はプロに任せておきなさいな。試合も終わったしトレーニングに戻るわよ」

 ブラッドが言うと七人が不承不承といった様子で事務所を出ていく。

「ロビン君。プロレス技はだいぶ覚えられたの?」

「いえ。相手が受けてくれてもきれいに決められるレベルではないです」

 ロビンが答えるとミニョンが端末に目を落とす。

「そう遠くない未来オーレリアンが引退するそうよ。チームとしてもファイター以外の機体がもう一機欲しいらしいわ」

 ――僕に戻れと言うのか?――

 だがまだ三か月のうち一か月半ほどしか練習していないし、見様見真似でできるほどプロレスは甘くない。

「ランナバウトをするにしても実戦でプロレス技を出せるほどの技量はありませんし、最低でもミチエーリ玄武のエキシビジョンには参加しないと」

 サイクロンのレスラーは七名。タッグマッチをするとしても一人足りない。

 ロビンのファンがショーを見ればサイクロンのファンも増えて恩返しができる。

 これは義理の問題でもある。

「多分そう言うだろうと思ったわ。ただあなたがデビューする時には新型機が必要で、完全新規の機体を作ろうと思ったら本来半年は必要だって話。覚えておいて」

 ミニョンの言葉にロビンは頷く。

 ヴァンピールに乗りはしたがまだ自分がランナバウトをするという実感が湧かない。

 ――それにオリガとイェジには差をつけられた――

 T―LEXを撃破したイェジとアントロデムスを前に圧倒的な強さを見せつけたオリガはウロボロスの次世代のライダーとして認知されただろう。

 ――それ以上のパフォーマンスを見せなければいけないんだ――

 それが協力してくれているサイクロンのレスラーたちに対する礼儀でもあるはずだった。



※※※ 

  

  

 試合会場にほど近いホテルの自室でバーナード・ハサウェイはストレート負けという結果を飲み込めずにいた。

 多額の資金を集め、最高のマイスターと一流のライダーをそろえたのでは無かっただろうか? 

 第二試合の伝説のグリフォンはともかく、第一試合でT―LEXを破ったのはこれがデビュー戦だという新人と新型ランナーだと言う。

 金だけではない。この大会まで半年という準備期間をかけてきたのだ。

 ハサウェイはグラスに注いだバーボンを呷る。

 この結果を投資家たちにどう納得させるべきか。相手が悪かったなどという事は理由にならない。

 ノーラ・ブレンディに責任転嫁できない以上、ライダーの体調管理という事も考えられるが、身体が資本なのに自己管理もできないライダーを雇ったとあればそれも失態だ。

 端末が着信を告げる。

 ――マールム・ディスニー会長ジョシュア・B・コーエン――

 3コール待たせる事など許されない。ハサウェイは震える手で端末をオンにする。

『試合は見せてもらった。まずはご苦労と言っておこう』

「は……ははあっ」 

 ハサウェイは端末に平服する。ITメディアの巨人を前にすればハサウェイなど羽虫のようなものだ。

『試合前は威勢が良かったではないか。一体どうしたと言うのだ?』

 落ち着いた口調だがその裏に煮えたぎる怒りを感じる。

「その……ジュラシックスがストレート負けをした件で……」

 負けという言葉を口にして初めて実感が湧いてくる。

 ――俺は戦いに敗れたのだ――

『ジュラシックスのルカ・フェラーリと言ったか。元々シューティングスターの育成選手だと言うではないか。スターラプトルとルカ・フェラーリは今後シューティングスターで運用する』

 コーエンの言葉にハサウェイは全身の血が引くのを感じる。

 ルカとスターラプトル以外は全て敗残兵だ。これはジュラシックスから資金を引き上げると言われたに等しい。

「あと一度チャンスを! ミチエーリ玄武では勝利して見せます!」

 ミチエーリ玄武にはウロボロスもギャラクシーもドラゴンも出ないだろう。

『キングダムと言ったか……連中でさえウロボロスをあそこまで追い詰めたと言うのに…

…そのキングダムもミチエーリ玄武に参戦するそうだ。どうやって勝利するつもりかね』

「無傷のルカとスターラプトルがあればまだ戦えます!」

『お前はいつから私の決定を覆せるほど偉くなったのだ?』

 ハサウェイの自負と自尊心がズタズタに切り裂かれる。せめてオーダーの二番手をルカにしていれば……否、T―LEXが無名の新人に敗北した時点でチームの敗北は確定していたのだ。

 ――ウロボロスを見くびっていた――

 今更時計の針を戻す事などできない。この敗北を糧に何とか再起しなくてはならない。

「お力添えが無くともミチエーリ玄武では勝利して御覧に入れます」

『己の有用性を示せるのは己以外にはおらんのだ。またお前の名を耳にする日を待っておるぞ』

 通信が切られる。最大の後ろ盾、最大のスポンサー、ハサウェイをジュラシックスのマネージャーにした存在に見放された。

 ――俺はおとなしく銀行の常務でも目指しておけば良かったのかも知れん―― 

 今更古巣に戻る事などできないし、弱肉強食のヨークスター太陰では出世も望めないだろう。

 ――このチームと共に勝利を目指すしかないのだ―― 

 ハサウェイはグラスのバーボンを一気に飲み干す。灼熱の塊が胃を熱くする。

 この敗北を忘れまい。再び脚光を浴びるその日まで。



〈7〉



 チームドラゴンマネージャー、ジェニファー・梁は本拠地である傑華青龍の事務所の会議室にチーム首脳とライダーたちを集めている。

「次の対戦相手がウロボロスに決まった事はみんな知っているわね」

「ジュラシックスっちゅうのもあっけないモンやったなぁ」

 マイク・周が言う。

「ジュラシックスは強かったよ。1回戦の後半戦の戦略があたったんだわ。二回戦は相性通りだったし」

 ジェニファーは劉華が言う通りだと思う。前半戦を見る限りでは千本桜の勝機はゼロと言っても過言では無かった。

「グリフォンのライダーもあれで初陣とはあっぱれだ。それにあの千本桜のライダー、イェジと言ったか。見事な対応力だった。ピットの10分で良くあそこまでメンタルを回復させた」

 呂偉が言う。確かにウロボロスは素晴らしい新人を獲得したとジェニファーは思う。

 それだけに次の試合が激戦になる事は避けられないと感じる。

「我々には子龍がある。ライダーとランナーが互角であれば負けはしない」

 チーフエンジニアの文秀が言う。

「それが分からんのとちゃうか? 俺はルーキーどもに勝てるとしてやで」

 アーマー蚩尤は伝説のランナー「ビッグホーン」をオマージュして設計されている。

 ビッグホーンにはスパイクのついた機動盾があったが蚩尤には2本のサブアームがある。

 合計4本の腕が360度全方向の攻撃に対応する。そしてそれを操れるのが周なのだ。

「それだと私が負けるみたいね。まぁ正直クリスチャンとは当たりたくないけど」

 劉華が操る伏羲は一見スタンダードなドラグーンだが、子龍による高速機動を前提に設計され基本性能ではレッドスター026を凌駕する。

「クリスチャンに俺が当たれば一勝を取れる」

 青龍王は子龍の力を120%引き出す事を目的として設計されたファイターで、ライダーの呂偉は三大剣術流派と戦い続けて来た拳法の使い手でもある。

「男性陣は自信家の集まりのようで何よりね。今回ウロボロスはドラゴンに関してデータ不足である事に間違いはないわ。もしキングダム戦と同じで来るならルーキーのうち一方と、ナイトライダー、セラフィムで来る可能性が高い」

 ジェニファーは言う。連戦でも団体戦でもセラフィムに絶対的信頼を置いてくるだろう。

 そのセラフィムを青龍王で潰せば伏羲でファイターは潰す事ができる。しかも蚩尤は従来のアーマーの弱点を克服した機体でもある。ファイター相手でも敗北する可能性は低い。

「そのオーダーであれば劉華、周、そして俺の順でいいだろう」

「ルーキーズ相手に伏羲を使うの?」

「それなら周が負けても二勝取れるだろう」

 自らの敗北の可能性は無いとばかりに呂偉が言う。

 だが確かにナイトライダーと比べて新人の方が倒しやすいだろう。

 決勝戦に備えて戦力を温存する為にもそのオーダーの方が無難だ。

「そうね。キングダム戦でウロボロスは連戦には懲りているはず。団体戦を取るけど構わない?」

 ジェニファーが言うと一同が同意する。

 ――優勝するのは私たちドラゴンよ―― 



※※※



 赤い円卓の目の前には大皿の中華料理がこれでもかと盛られている。

 バスチエは会議を兼ねて幹部やライダーたちと共に中華料理店を訪れている。

「やけに気前がいいな」

 ダニオが料理を皿に取って言う。

「ジュラシックスに快勝してボーナスが出たんだ。新人二人の白星デビュー祝いでもある」  

 バスチエは料理に舌鼓を打ちながら言う。

「ようやく準決勝だ。これで負けたとしても三位はほぼ確定した訳だな」

 ネリオが多少肩の荷が下りた様子で言う。

 ジュラシックスとの試合は事実上ウロボロスとディスニーとの企業戦争だったのだから広報兼営業には大きなプレッシャーがかかっていたのだろう。

「三位の賞金は幾らだった?」

 ダニオが言う。

「20億ヘルだな。まぁ整備費にもならんが無いよりマシだ」

 バスチエは言う。賞金よりジュラシックス戦の広告収入の方が大きい。

 グリフォンの強さは相手がファイターとはいえ新人が乗っているとは思えないものだった。

 ヴァンピールの改修だから新造ではないが千本桜も傍目には新型機だし、対戦相手はノーラ・ブレンディ作の怪作T―LEX。前半戦の苦戦と後半の逆転劇は殿堂入りもののランナバウトだった。

「この調子で優勝できるかな。まぁお師匠様が負ける訳ないし」

 イェジが能天気な口調で言う。

「次の対戦相手のドラゴンだが、チームリーダーの呂偉とクリスチャンの戦績は三勝四敗だ。どうにも相性が悪い」

 ネリオがデータを端末で表示させて言う。

「呂偉は武器の扱いをまだ覚えていない拳法家なんですよ。野蛮な猿に負けたからといって恥ではありません」

 クリスチャンが涼しい顔で言うがほとんど負け惜しみだろう。

「相手が拳法家ならアナベルが当たった方が勝率は高くなる。劉華はドラグーンライダーでマイク・周はアーマーだが……」

 バスチエはデータを表示させる。

 周のアーマー蚩尤には四本の腕がある。360度全方位に対して対応可能で一回戦では天敵であるはずのファイターを難なく撃破している。

「全方位対応ったってこっちの手数が多けりゃ関係ないさ。クリスチャンが当たればいいだろ」

 アナベルが料理を口に運びながら言う。

 全員が美味しそうに食べているのを見ると奮発した甲斐もあったというものだ。

「劉華の伏羲も強敵だぞ。こっちはファイター四枚ドラグーン一枚で有利なカードがないんだ」

 ネリオが言う。

「ドラグーン相手ならグリフォンがいい試合を見せてくれるさ。それに千本桜がまたミラクルを見せてくれるかも知れねぇしな」

 バスチエは半分冗談半分本気で言う。

「……T―LEXの時は散々負けるって言ったくせに」

 根に持っているらしいイェジが言う。

「何の実績も無かったし、今だってまだ一勝だけだからね」     

 アナベルが冷静な口調で言う。

「そんなぁ~。あ、そうだ。お師匠様、呂偉さんと戦いにくいなら薙刀を使うといいですよ」

 イェジがクリスチャンの方を見て言う。

「あなたはいつから師匠にものを教えられるほど強くなったのです?」

 冷え切った目線と口調でクリスチャンが言う。

「じゃあオーダーと行こう。ドラゴンは呂偉をクリスチャンにぶつけようとするだろう。クリスチャンが避けるのを織り込んで来るとするなら呂偉は先鋒か中堅だ」

 バスチエは言う。

「蚩尤は異形でもアーマーだ。こっちがグリフォンを出すと読めば潰しに来るだろうけど、こっちのファイターの枚数を考えるなら大将に置いてなるべく出したくないだろうね」

 アナベルが言う。

「と、すればこっちのオーダーはイェジ、アナベル、クリスチャンだな。向こうは伏羲で連戦を狙ってくるだろうからこっちは団体戦だ」

 バスチエは話をまとめて言う。

「グリフォンは出ないんですか?」

 オリガが尋ねる。

「ドラゴンの後にはギャラクシーが控えてる。お前はルーキーとはいえウロボロス唯一のドラグーンなんだ。戦力は温存しておきたい」

 バスチエは説明する。目の前の勝利は重要だが、その次の事も考えておかねばならないのだ。

「それって遠まわしに私を生贄にするって言ってませんか?」

 イェジがむくれた様子で言う。

「またミラクルを起こしてくれ。奇跡も三回起こせば実力だ」

 バスチエはイェジに向かって言う。

 ――ウロボロスは波に乗っている――

 オリガとイェジが入ってチームが若返ったせいか、不思議と負ける気がしないのだった。



※※※



 バスチエはWRAコミッショナーの事務所を訪れる。

 隣にはジェニファー・梁の姿がある。

「両チームマネージャーはオーダーを提出して下さい。開封後のオーダー変更は一切認められません。よろしいですね?」

 バスチエはドラゴンのジェニファーと共にテーブルに封書を置く。

 WRAの対応は毎度ながらお役所的だとバスチエは感じる。

「開封します」

 コミッショナーが封書を開封する。

「チームウロボロス、団体戦。チームドラゴン、団体戦」  

 ドラゴンのオーダーは一番手が劉華、二番手がマイク・周、大将が呂偉だ。

 ――……やられた―― 

 ランナーのオーダーではドラグーン、アーマー、ファイターになる。

 劉華にイェジが敗れるのは織り込み済みとして、クリスチャンと呂偉が戦うのはまずい。

 ――完全に裏をかかれた……――

「第五試合は団体戦方式となります。それではフェアプレー精神に則り良いランナバウトを」

『誓います』 

 バスチエはジェニファーと共に言うが気分が重い。

 事務所を出るとジェニファーが笑みを浮かべて話しかけて来る。

「浮かない表情ね」

「クリスチャンと呂偉の戦績は知っているだろう? そっちはいいだろうが」

 バスチエは溜息をついて言う。クリスチャンもいい顔はしないだろう。

「そう言わないで欲しいわ。今回のうちのチームは全員がエースみたいなモンだし新機能の子龍も搭載しているしね」

「何なんだ、その子龍って言うのは」

「簡単に言えばランナーの側からアプローチして操縦を円滑にするシステムね。超音波みたいに電子を当てて帰って来た電気信号で操縦する訳。従来より30%の高速化が可能になったわ」

 自信に満ちた様子でジェニファーが言う。羅生門とは違った方法で神経伝達の速度を上げたものであるらしい。

「次から次へと新技術が出て嫌になるよ。お手柔らかに頼むよ」

「それは胸を貸してやるって意味かしら?」

 冗談めかしてジェニファーが言う。

「貸せるほどありゃあいいけどな。まぁいい。試合では全力を尽くすだけだ」

 オーダーのレベルでは完全に敗北した。

 ――イェジがもう一度ミラクルを起こしてくれりゃあな――

 それはあまりに希望的観測がすぎるというものだった。



※※※



 イェジは千本桜のコクピットで心地よい雷音を聞いている。

 相手はドラグーン。T―LEXと似て非なるもの。

 千本桜の手には薙刀が握られている。相手がドラグーンであれば得物と破壊力は大きい方がいい。

『イェジ、気負わずに行け。勝てれば儲けものだ』

 バスチエの声が響く。前回と同じく全く勝てると思っていないらしい。

 ――私の力を見せてやるんだ―― 

『龍山グランプリ第五試合チームウロボロスとドラゴンの試合を取り行います』

 審判の声が響く。

『第二会場第一試合、サイドレッド、千本桜、ヤン・イェジ!』

 千本桜がフィールドに進み出る。

『サイドブルー、伏羲、劉華!』

 赤と黄色の色鮮やかなドラグーンが姿を現す。手に持っているのは傑華式の斧槍、戟だ。   

 ドラゴンのホームだけあって大歓声が湧き上がる。

 ――アウェイってやりずらい――

『オン・ユア・マーク』

 千本桜と伏羲が白線まで進む。

『ゲットセット』

 千本桜が薙刀を構える。

 身長はほとんど変わらないはずだが、人馬型のドラグーンは一回り以上大きく見える。

『GO!』

 伏羲がフィールドを蹴って突進して来る。戟がゴルフクラブのように大きく振られ、千本桜に襲い掛かる。

 千本桜は薙刀を棒高跳びの棒のように使って舞い上がる。

 瞬間、千本桜は棹立ちになった伏羲の前脚に蹴り飛ばされた。  

 ――すごいパワー!――

 千本桜の機体がカウルを弾け飛ばしながらフィールドを転がる。

 戟を構えた伏羲が突進して来る。

 遠心力の乗った戟が襲い掛かる。薙刀で迎撃しようとした瞬間、戟で払われて千本桜の機体が大きく揺らぐ。

 ――ダメだ。踏ん張りがきかない――

 元から千本桜はパワー型の機体ではない。横殴りの戟を肘を折りたたんで受ける。

 千本桜の機体が再びフィールドを転がる。

 ――薙刀じゃあ戦いようがない――

 カウルを失ったのは軽量化と考えてイェジは二本の剣を抜く。

 伏羲が戟を構えて突進して来る。戟の刃に剣を合わせて空中に舞い上がる。

 千本桜が攻撃を繰り出すより早く伏羲が駆け抜ける。

 スピンした伏羲が飛翔して戟を繰り出して来る。一撃目を剣を合して躱した所で連続して二撃目が襲い掛かる。

 ――この人普通に強い!――

 戟が千本桜のカウルを破壊し、機体がフィールドに叩きつけられる。

 カウルは既に三割以上が失われてフレームが露出している。

 伏羲が戟を構えて突進して来る。

 千本桜の剣を合わせて横に躱すと、フルスイングの戟が追尾して来る。

 千本桜は剣を交差させて伏羲の戟を防ぐ。

 吹き飛ばされながら空中で体勢を整える。

 ――このままじゃやられっぱなしだ!――

 千本桜は伏羲に向かって剣を放る。戟に弾かれた剣が空中を舞う。

 千本桜を伏羲に向かって突進させる。戟が襲い掛かるより早く空中に舞い上がる。

 宙を舞っていた剣の腹に着地して伏羲の背に向かって急降下する。

 身体を捻った伏羲の戟と千本桜の剣が衝突する。

 音高く剣が折れる。

 ――終われない!――

 千本桜がダメージを無視して伏羲に体当たりしようとする。

 棹立ちになった伏羲の戟の石突が千本桜を横殴りにする。

 コクピットにブザーが鳴り響いて機体から白旗が上がる。

『KO! ウィナー、伏羲、劉華!』

 審判の声をイェジは呆然と聞いた。

 ――これがドラグーンと戦うっていう事―― 

 第一試合でハンマーチャリオットを倒したアナベルはすごいライダーだったのだ。



※※※



 普通ドラグーンとファイターが当たればああなる。

 アナベルはナイトライダーのコクピットでグリップの感触を確かめている。

 イェジには気の毒だが、ランナーの相性を知るにはいい機会になっただろう。

 ――私の相手はアーマー――

 相性で言えばファイターはアーマーを圧倒する。それは運動性で大きく勝っているからだ。

 しかし、ドラゴンのランナーは子龍を積んでいるし、蚩尤には360度をカバーする四本の腕がある。

『第二試合、サイドレッド、ナイトライダー、アナベル・シャリエール!』

 アナベルは機体をフィールドに進ませる。熱狂的なファンが声援を送ってくれる。

『サイドブルー、蚩尤、マイク・周!』

 ホームゲームならでは大歓声を浴びて緑色に銀の意匠の入った四本腕のアーマーが姿を現す。

『オン・ユア・マーク』

 アナベルは機体を白線まで進ませる。

 蚩尤は大型の二本の腕に戟と盾、ファイターほどの小ぶりの手に剣を手にしている。

『ゲットセット』

 蚩尤が四つの武器を構えるのは圧巻だ。人間の反射神経と処理能力で四つの武器を同時に扱えるものだろうか。

『GO!』

 ナックルガードを下してナイトライダーを前進させる。蚩尤が盾と剣を構える。

 ナイトライダーが間合いを詰める。蚩尤の巨大な盾が正面から襲い掛かる。

 盾を躱した所に剣による斬撃が襲い掛かる。ナイトライダーが半身になって躱す。

 そこに振られた戟が襲い掛かる。ナイトライダーが潜るようにして戟の攻撃を躱す。

 更に剣がナイトライダーに突き出される。

 ダッキングで躱した所に盾による打撃が襲い掛かる。

 ――近づかせないつもりか――

 マイク・周は四本の腕を完全に使いこなしていると言っていいだろう。

 一つ一つの攻撃はアーマーらしくファイターから見れば大振りだが、残り三本の腕がその隙を埋めている。

 盾を構えた蚩尤が頭上で戟を回転させながらジリジリと距離を詰めて来る。

 ――戟と盾を抜けても剣か……――

 ナイトライダーが蚩尤に向かって突進する。

 振り降ろされた戟をサイドステップで躱す。突き出された盾を回り込む。

 繰り出された斬撃を避けながらサブアームの肘に拳を叩きつける。

 横殴りの盾を肘を折りたたんでガードしてサブアームをミドルキックで蹴り上げる。

 ――思った通りだ――

 サブアームの強度はそこまで強くない。そもそも腕と同等のパワーと強度があったらレギュレーションに引っかかるだろう。

 ナイトライダーがサブアームの拳を上から握りこむ。

 手首を捻ってサブアームの指を破壊する。

 振り降ろされた戟を蚩尤から奪った剣で受け流す。

 蚩尤の斬撃をスウェーで躱してマスクに剣を投げつける。

 盾で防いだ蚩尤の懐に飛び込んで二本目のサブアームを狙う。

 戟の攻撃を半身になって躱し、突き出された剣を掌で受け流す。

 拳でサブアームの肘を殴りつける。

 腕を折られる事を警戒したのか蚩尤が体当たりして来る。

 ナイトライダーが前転して蚩尤の足元をすり抜けるようにして躱す。

 水面蹴りの要領で脚を引っかけて蚩尤の巨体を転倒させる。

 そのまま脚を取って四の字固めに持ち込む。

 振り降ろされた戟を躱して一旦距離を取る。頑強なアーマーのフレームにどれだけダメージを与えられたかは不明だが、今後蚩尤は足元への攻撃を警戒して来るだろう。

 守勢は不利と見たのか蚩尤が戟を回転させ、盾を押し出しながら突進して来る。

 ナイトライダーがボクシングスタイルで戟と盾を躱す。

 繰り出された剣を潜って肘めがけて脚を振りぬく。

 蚩尤のサブアームにダメージが蓄積しているのが分かる。

 サブアームを両足で挟みこんで腕ひしぎに持ち込む。

 蚩尤が戟で突き放そうとするより早く距離を取る。

 蚩尤の二本目のサブアームがだらりと下がる。これで蚩尤は二本腕のアーマーと変わらない。

『ブレイク、ターンユアコーナー』

 ベルと声が響きアナベルはナイトライダーをピットに向ける。

 蚩尤は優れた技術で作られているが、レギュレーションに縛られその性能を充分に発揮できてはいない。

『よくやったぞアナベル。これでヤツは少しできがいいだけのアーマーだ』

 バスチエの声が響きナイトライダーが懸架される。

『後半は一気に畳みかけて行け』

 ナイトライダーのカウルが取り外され、ソールがソフトに交換される。

 機体の軽量化と足回りのグリップの強化。

 アナベルは機体に取りつくメカニックたちを身ながらミネラルウォーターを飲む。

『後半戦を開始します。選手はフィールドに戻って下さい』

 アナベルは軽く機体をジャンプさせて軽量化された機体の感触を確かめる。 

 フィールドに機体を進ませるとサブアームに応急処置をした蚩尤が現れる。

『オン・ユア・マーク。ゲットセット……GO!』

 ナイトライダーが突進すると蚩尤が戟を振るう。

 ソフトソールのグリップを効かせてナイトライダーが攻撃を躱して疾駆する。

 目の前に迫った盾を半身になって躱す。

 ナックルガードを下して蚩尤のボディに拳を打ち込む。

 カウルがはじけ飛び、蚩尤が体当たりでナイトライダーの攻撃を潰そうとする。

 ナイトライダーがオーバーヘッドキックで蚩尤のマスクを破壊する。

『ラッシュだ! アナベル!』

 バスチエの声がコクピットに響く。

 ナイトライダーの拳と蹴りが閃き蚩尤のカウルが次々と剥がされる。

 ブラックアウトから復帰した蚩尤の盾の攻撃をバックステップで躱す。

 振り降ろされた戟を躱しながら再び懐に飛び込む。

 ローキックの挙動をすると蚩尤が足をかばうように身を屈ませる。

 前半戦の四の字が効いているらしい。ナイトライダーがコクピット下とコックピット脇に拳を叩き込む。

 ――これで四割近くカウルを剥がしたはず――    

 サブアームは封じた。これ以上の試合継続は無意味なはずだ。

 ナイトライダーが一旦距離を取った所で蚩尤の機体から白旗が上がる。

『KO! ウィナー、ナイトライダー、アナベル・シャリエール!』

 歓声が上がり、ナイトライダーが片手を上げて声援に答える。

『嫌やぁ~。俺はまだ負けてへん!』

 蚩尤から訛りのある声が聞こえてくる。

 アナベルは蚩尤に軽く手を振ってフィールドを後にする。

 ――これで一勝一敗――

 勝利の行方はクリスチャンの戦いに託された。



※※※



 一戦目のイェジにはいい所がまるで無かった。二戦目のアナベルは鮮やかな勝利を決めた。

 バスチエはピットでセラフィムの機体を見上げる。

 一回戦でクリスチャンと伏羲が当たっていたらどうなっていただろうか?

 幾らクリスチャンが強いと言っても相手はドラグーンで「普通に」強いライダーだった。

 敗北する可能性は充分にあっただろう。

『第三試合、サイドレッド、セラフィム、クリスチャン・シュヴァリエ!』

 審判の声が響くとセラフィムがフィールドに出ていく。

 バスチエはモニタールームに入ってフィールドの様子を見る。

『サイドブルー、青龍王、呂偉!』

 大歓声を浴びながら赤と白に金の意匠の入ったファイターがフィールドに姿を現す。

『オン・ユア・マーク』

 セラフィムと青龍王が白線を挟んで対峙する。

『ゲットセット』

 両者とも構えているようには見えない無形の構えだ。

『GO!』

 青龍王がダッシュして一瞬で200メートルの距離を詰める。

 青龍王がそのままの勢いで飛び蹴りを放つ。

 セラフィムが半身になって躱すと、着地した青龍王が身体を捻って鋭い拳を繰り出す。

 剣を合わせてセラフィムが空中に舞い上がり斬撃を繰り出す。

 青龍王がセラフィムの剣を掴んで投げ飛ばす。

 セラフィムが空中で体勢を整え着地体勢に入る。

 青龍王がフィールドを蹴って飛翔する。青龍王の拳を剣で受けたセラフィムが更に吹き飛ばされる。

 ――これはまずい――

 呂偉が強くなっているのか、それとも子龍というシステムが優れているのか。

 バリアに追い詰められたセラフィムが垂直に着地して剣を振るって青龍王に突進する。

 青龍王の両掌がセラフィムの剣を挟みこんで粉砕する。

 青龍王が掌を突き出しセラフィムのボディのカウルが破壊される。

 刹那、セラフィムがカウルの剣で青龍王に斬りかかった。

 青龍王のジャブのような高速の打突がセラフィムの奥義七星剣を迎撃、粉砕する。

 ――まさか……――

 セラフィムが一本だけ残された剣を構える。

 セラフィムが斬撃を繰り出した瞬間、青龍王が剣を掴んで投げ飛ばす。

 セラフィムの機体がカウルをまき散らしながらフィールドに叩きつけられる。

 ――セラフィムがこんな風になるなんて……――

 フレームを露出させたセラフィムが青龍王に向かって剣を放る。

 剣を拳で弾いた青龍王がセラフィムに向かって突進する。

 セラフィムが青龍王の拳に手を添えて真空投げで投げ飛ばす。

 着地した青龍王が拳法家らしく身構える。

 青龍王の拳が高速で繰り出され、セラフィムの掌が劣らぬ速度で捌いていく。

 激しく拳と掌が交錯し、主導権の取り合いが続く。

 一瞬の隙を突いたセラフィムの蹴りを青龍王が膝で受け止める。

 青龍王が両手の掌をセラフィムのボディに押し当てる。

 鈍い音が響いてセラフィムの機体が崩れ落ちる。

 ――これは人間で言う所の発頸というやつか……――

 並みのランナーでは再現不能だろう。呂偉という拳法家と青龍王という機体はウロボロスの想像を完全に上回っていたのだ。

 バスチエは白旗のボタンに手をかける。

 どう考えてもセラフィムに勝ち目はない。それでもクリスチャンならと思ってしまう。

 セラフィムがフィールドに両手を着いて立ち上がる。

 機体からライダーの手動で白旗が上がる。

『KO! ウィナー青龍王! 呂偉! チームドラゴンの勝利です!』

 観客席から沸騰したように歓声が上がる。

 ――仕方ない――

 バスチエはインカムをモニタールームのコンソールに置く。

 誰が悪かった訳でもない。ドラゴンは実力でウロボロスに勝っていたのだ。



 ※※※



 オルソンは春雨を湯で戻しながら、深夜のキッチンで昼間見たウロボロスとドラゴンの試合を思い出していた。

 結果を見たからこそ言える事だが、オーダーの失敗がなくとも敗北していた可能性は大きい。

 ドラゴンはライダーの質が高い事は言うまでもなく、ランナーは三機とも完全新規で更に新技術を搭載していた。

 ――セラフィムは20年前、ナイトライダーも10年前の機体――

 新しいものが良いものとは限らないのがランナーだが、ドラゴンの機体はライダーの能力を充分引き出す事ができていた。

 しかしウロボロスの機体は必ずしもライダーの能力を100%引き出せているとは言えない。

 ウロボロスはライダーの質で劣る事がないとしても、ランナーの質という点ではドラゴンに劣っていたと言える。

 春雨を玉ねぎやパプリカと一緒に炒めて甘辛に仕上げる。

 白身魚を薄い衣をつけて揚げ、甘酢あんかけをかける。

 ――僕の手でウロボロスの機体を刷新できるのだろうか―― 

 子龍というシステムのようなものは機械屋であるオルソンには作れない。ソフトはソフトの専門家が作るしかない。

「オルソン、おなかすいた~」

 疲れた様子のイェジがキッチンにやって来る。

「君はいつも僕が料理を完成させるタイミングで来るよね」

「そう? 練習して帰ると大体いい匂いがしてるから」

 イェジが椅子に座って言う。

 オルソンは白身魚の甘酢あんかけと春雨の炒め物の皿をイェジの前に出す。

「オルソン、私負けちゃった」

「ドラグーンに勝てると思うなんて思い上がりも甚だしいね」

 オルソンは椅子に着いて言う。

「T―LEXには勝てたのに」

「早く食べないと冷めるよ」

 オルソンが言うとイェジが「いただきます」と言って夜食を食べ始める。

「T―LEXはあれでもアーマーだからね。伏羲は正統派のドラグーンだった。君のランナーがオリジナルだったとしても勝てたとは思わない」

「正直に言うと伏羲が突っ込んで来た時怖かったんだ」

 イェジが少ししおれた様子で言う。

「そりゃ怖いと思うよ。それは君が怖いってのもそうだろうけどランナーの感覚ってものじゃないかな?」

「ランナーの感覚?」

 イェジが不思議そうに聞き返す。

「ランナーの声が聞こえるならだけど、ファイターから見てドラグーンっていうのは天敵なんだ。もしランナーが生き物だったら回れ右して逃げる相手だね。それと戦うんだから相当なプレッシャーだとは思うよ」

 オルソンは春雨を食べながら言う。

「T―LEXと戦った時に山道で熊に会ったみたいだって思ったんだ。でも、伏羲はそんなレベルじゃなくて……」

「それが相性なんだ。多分だけどT―LEXと伏羲に同レベルのライダーが乗っているならT―LEXが勝つ。これはT―LEXが本質的にアーマーだからだ」

「相性ってそんなに厳しいの?」

 イェジが言う。確かにハンマーチャリオットとナイトライダーの戦いのようにファイターが勝つ可能性もゼロではない。

 それでもナイトライダーは辛勝だったし、一歩間違えば敗北だった。

 それはアナベルが優れたライダーだったからで、機械同士が戦っていたならハンマーチャリオットが勝利しただろう。

「だからオーダーが大事なんだ。読み違えると即敗北につながると言っていい」

「オルソンも会議に出ればいいのに」

「誰も来ないなら参加するよ」

 リモートでも嫌なのに直に会って話すなど悪夢でしかない。オルソンが一度に相手をできるのは三人までが限界だ。

「映像無しで声だけで参加するとか」

「余計怖いよ。僕は複数の人と一緒に話したりする事はできないんだ」

 オルソンが言うとイェジが残念そうな表情を浮かべる。

「……お師匠様負けたんだけど……何だかまだ信じられなくて」

「剣術以外にも相性があるんだと思うよ。初戦のキングダム戦でも相性が悪かったよね」

「でもデスサーティーには勝ったでしょ?」

「君もクリスチャンも天衣星辰剣の剣士だけど差はあるよね」

「だってお師匠様はお師匠様だもん」

「デスサーティーのライダーは不動雷迅剣の剣士としてはまだ一人前じゃなかったんじゃないかな。クリスチャンも不動雷迅剣の当主のジェラール・コートマンシェには勝ててないし」

「お師匠様が勝てない相手って結構いるんだ」

 驚いた様子でイェジが言う。

「二年前にコートマンシェは行方不明になっちゃったけどね。今も不動雷迅剣が健在なら三流派がランナーの相性みたいにあったはずだよ」

 三大流派の時代は二年前に不動雷迅剣が消えた事で終わりを迎えた。

 ――使い手と言われるのは一人だけだったけど――

 バイオロイドが不動雷迅剣を使ってきたのは驚きだった。

「ランナーの相性の他に剣術や拳法の相性もあるのかぁ~。難しいなぁ~」

「だからランナバウトは面白いんだよ」

 オルソンはイェジにジャスミンティーを出しながら言う。

 組み合わせは正に無限大。その中で最高のランナーを作るのがオルソンの役割だ。

 ――勝てるランナーを作りたい――

 クリスチャンは本当にライダーとして呂偉に弱いのか。

 ランナーが旧式でクリスチャンの剣才に追いついていないだけではないのか。

 ――やってみたい――

 叶うのであればウロボロスの機体を全てカスタムしたい。

 しかし……

 ――予算が厳しいんだろうなぁ――

 まずはオーダーにあるロビンの新型機「遮那王」を設計しなくてはならない。

 プロレスに入門して一か月半といったところだがロビンは幾らかでもプレイスタイルを見出す事ができたのだろうか。 

 


〈8〉



 龍山グランプリ最終日は午前中に三位決定戦、午後に決勝戦が行われる。

 土方は龍山グランプリのメインスタジアムのある大韓六合のチキン屋で黒鉄衆のメンバーと顔を突き合わせている。

「このチキンのパリパリの衣だが、忌島の天ぷらと違って中々どうしてやみつきになる」

 土方は慣れとは恐ろしいものだと思う。食事が合わないとホームシックになりかかっていたが、大韓六合に一週間以上滞在していると舌も順応してくるものらしい。

 ――島に戻ったら味が薄いか塩気のきついものか……――

 島で濃厚な味わいが楽しめるものと言えばラーメンくらいなものだろうか。

「交易が行われれば島でもチキンやピザが食べられるのではないか」

 斎藤がたれのついたチキンを食べながら言う。

「まぁ岸を倒すまでは帰らなくてもいいんだ。大韓六合以外にも飯の美味い所はあるだろう」

 永倉は既に世界に目が向いているらしい。

「我らが三位決定戦で戦うウロボロスだが、優勝候補の筆頭だったらしい」

 土方は話を切り出す。黒鉄衆は二回戦でギャラクシーと戦って敗北した。

「優勝候補の筆頭なのに準決勝で負けたんですか?」

 沖田がチキンを炭酸で流し込みながら言う。

「ドラゴンというチームが予想以上に強かったらしい。だが我々がウロボロスに勝てば存在感を示す事が、岸にプレッシャーを与える事ができるだろう」

「でもギャラクシーに歯が立ちませんでしたよね? それにドラゴンに負けたウロボロスに勝ってもプレッシャーもクソもないでしょう」

 藤堂が面白くなさそうに言う。

「まぁ負けて終わるより勝って終わりてぇよな」

 原田がアイスコーヒーを飲みながら言う。

「そこでオーダーを決めなくてはならないが、先鋒は原田、中堅は斎藤、大将は俺で構わないか?」

 土方は言う。黒鉄衆の序列から言ってもその順番だ。

「オーダーは機体の相性が大事なのではないか?」

 斎藤は土方のオーダーに不服があるようだ。

「頭目の俺が大将に決まっているだろう」

「そういう発想がダメなんじゃねぇの?」

 原田が言う。確かにギャラクシーは大将をコロコロと入れ替えているようだった。

「うむ……ファイターはドラグーンに弱く、ドラグーンはアーマーに弱く、アーマーはファイターに弱いのだったな」

「練習でいい加減身に染みたと思っていましたよ」  

 藤堂が呆れた口調で言う。

「ウロボロスはどういうチームなのだ?」

「土方さん自分でさっき優勝候補の筆頭だったって言ってただろ」

 永倉が言う。山南から優勝候補の筆頭だったと聞かされていたが三大流派のチームという事以外は良く分からない。

「それは……さんなんさんに聞いてみるしかないだろう」

 土方は端末を操作して山南をコールする。

『やぁ、君たちは時差ってものを知らないのかい?』

 ややあって眠そうな山南が端末に現れる。

「三位決定戦でウロボロスと戦う事になった。どんな相手なのか教えて頂きたい」

『優勝候補の一角で天衣星辰剣の宗家。今回の大会では不動雷迅剣が使っていたグリフォンを使って一勝を上げてもいる。まぁそれでもアーマーは無いから斎藤くんと永倉くんにとっては戦いやすいチームかもね』

「原田は出さん方がいいのか?」

『グリフォンを確実に潰すなら原田くんが適任だけど、斎藤くんや永倉くんでも互角に戦えるなら賭けに出る必要はないと思うよ』

 山南の言葉に土方は納得する。

「それではオーダーを決めねばならんな。前の試合でクリスチャンのセラフィムはかなり破損したように見えた。クリスチャンが出て来る可能性は低いが、代わりにグリフォンはほぼ確実に出て来るといった所か」

 土方は考えながら言う。

「千本桜とグリフォンのライダーは新人だそうです。恐らく先鋒中堅のどちらかに出て来るでしょう」

 藤堂の言葉に一同が頷く。

「団体戦で二勝すれば大将戦まで持ち込む必要もないな」

 斎藤が言う。

「じゃあ最初の二人は俺と斎藤で決まりだな」

 永倉が笑みを浮かべる。

「大将は誰にする? 沖田が行くか?」

 土方は沖田に聞いてみる。先ほど大将をやるといって集中砲火を浴びたばかりだ。

「ここは土方さんに締めてもらった方が恰好がつきますよ」

 沖田が言う。

「何だよ。土方さん怖気づいたのかよ」

 原田が言う。大将をやるなという話では無かったのだろうか。

「そんな訳がある訳無かろう。先鋒永倉、中堅斎藤、大将は俺で行く」

 土方が言うと一同が頷きを返す。

 優勝とは行かなかったが三位になって黒鉄衆ここに在りという事を岸に知らしめるのだ。



※※※



 イェジはランナーキャリアのブリーフィングルームで会議に出席している。

 ドラゴンとの試合ではアナベル以外いい所がまるで無かった。

 心なしかというよりは明らかに空気が重い。

「いっそ前もってメールで済ませてもいいかと思ったんだが、とりあえず残念なニュースがある」

 バスチエが口を開く。

「はっきり言え。セラフィムはフレームにガタが来てファクトリー送りだ。中二日じゃ直せねぇ」

 ダニオがむっつりとした様子で言う。

 クリスチャンのやられっぷりはいっそ清々しいほどだった。

 ――あれでランナーが無事とかないよね――

「もっと早く白旗を出していたら何とかなったかもしれないけどな」

 ネリオが苦い口調で言う。とはいえ、クリスチャンも簡単には引き下がれない試合だっただろう。

「呂偉は以前とは別物の強さでした。素直に優勝してくれる事を祈りましょう」

 クリスチャンがやけに謙虚な様子で言う。

「それはいいけどセラフィムなしでウロボロスは三位決定戦はどうするんだい」

 アナベルが現実的な問いを投げかける。

「グリフォンは無傷だし、ナイトライダーと千本桜も軽傷だ」

 バスチエが言う。クリスチャンとオーレリアンが両方出られないという事は天衣星辰剣としてはどうなのだろうかとイェジは思う。

「だとすると今回のチームリーダは私になるね。黒鉄衆ってのはどんなチームなんだい? これまで聞いた事が無かったけど」

 アナベルが首脳陣に問いかける。

「データがほぼ無いんだが、ファイター三機とドラグーン二機、アーマー一機のチームだ。金回りがいいのはバックにグルメロワーヌがついているからだ」

 バスチエは答えて映像を表示させる。

「機体はメルカッツェ製。元はBクラスの量産機だがメルカッツェの技術チームが入ってかなり改修されてる。ウチの千本桜みたいなモンだな」

 ダニオが機体の一覧を総評して言う。

「ウチはお金が無いから千本桜もヴァンピールを改造したんですよね?」

 イェジは尋ねる。

「向こうは龍山グランプリに合わせる為に急場しのぎで六機揃えて来たようだ。グルメロワーヌは何せ大陸の胃袋って言うくらいだから金はあるのさ」

 ネリオが答えて言う。

「その布陣だと普通に考えてもドラグーン二機とファイターで来るだろうね。連戦でも団体戦でもって考えるならドラグーン二枚を先に出してファイターか。素人でも玄人でも確実に勝ちに行くならそれしかない」

 アナベルが細い顎をつまんで言う。

「アーマーがありゃあどうにかなるんだがな。こっちとしちゃ一番手と二番手のどっちにグリフォンを持って行くかくらいしか考えようがねぇ」

 バスチエが言う。

「それだとグリフォンを大将にすれば一勝はできるんじゃないですか?」

 イェジは尋ねる。

「団体戦ならグリフォンを出す前に敗北する事になるね」

 アナベルが冷え切った声で切り捨てる。

「先鋒千本桜、中堅グリフォン、大将ナイトライダーで行くか。団体戦ならまだ勝ち目がある」

 バスチエが言うと一同が不承不承といった様子で頷く。

「それにしてもよドラゴン戦の惨敗を本社は何も言って来ねぇのか」

 ダニオが言うとバスチエがげんなりした表情を浮かべる。

「何とも言われないから不気味なんだ。ドラゴンが新システムを投入してるんだからうちだって何かないとこの先もな……」

「オルソンってマイスターは大丈夫なのか? 千本桜はいい仕事だったと思うが」

 ネリオが言う。

「毎晩ご飯を作ってくれますよ」

 イェジは答える。オルソンの作る食事はとても美味しいのだ。

「フォローする気があるのかないのかはっきりしなさい」

 クリスチャンが言う。

「あとランナーの事に詳しいです」

「私がズブの素人をリクルートしたとでも思っているのですか? 包丁で叩いて酢飯の上に乗せますよ」

「まぁ何だ……何はともあれ俺たちは三位に食い込めなけりゃ荷物まとめて帰るだけになるって事だ」

 バスチエがハッパをかけるようにして言う。

 ――もう一回勝ちたいけど――

 イェジはT―LEX戦と伏羲戦を思い出す。

 今度戦う相手もドラグーンなのだと思うと重圧を感じずにはいられなかった。



※※※



 試合を控えたバスチエはWRAコミッショナーの事務所を訪れている。

 隣には黒鉄衆の土方十三の姿がある。

「両チームマネージャーはオーダーを提出して下さい。開封後のオーダー変更は一切認められません。よろしいですね?」

 バスチエは土方と共にテーブルに封書を置く。

 土方はどことなくモータースポーツに関わる人間とは異なる雰囲気がある。

「開封します」

 コミッショナーが封書を開封する。

「チームウロボロス、団体戦。チーム黒鉄衆、団体戦」  

 黒鉄衆のオーダーは一番手が永倉義衛、二番手が斎藤五郎、大将が土方十三だ。

 ――……想定通りか……―― 

 ランナーのオーダーはドラグーン、ドラグーン、ファイターだ。

 永倉にイェジが敗れるのは織り込み済みとして、オリガが斎藤に勝ってくれない事にはどうにもならない。

「第六試合は団体戦方式となります。それではフェアプレー精神に則り良いランナバウトを」

「誓います」

「誓おう」

 バスチエは土方と共に言う。

 事務所を出ると土方が顔を向けて来る。

「貴殿らはVWCと戦って勝利したが奇異な所は無かったか?」

「強いチームだったとしか答えられんね。あそこでルビコンを失ったのは痛かった」

 バスチエ答えて言う。

「うむ。敵将が不動雷迅剣を使って来ただろう? VWCにそのような剣客がいると思うか?」

 土方の言葉を受けてバスチエは試合を思い出す。

 確かにVWCは三大流派のような剣術を使って来る事は無い。

 それにバイオロイドというのは人工的に作られた存在でまだ子供、クリスチャンを脅かすほどの剣技を身につけているとは普通に考えて思えない。

「普通に考えてあり得ないし、覚えたにしても期間が足りなすぎると思うね」

「そうであろうな。連中が使ってくるとしたら不動雷迅剣ではなく獄屠殺人剣であろう」

「そんな剣術の名前は聞いた事が無いぞ」

 バスチエが言うと土方が不敵に笑う。

「地方のマイナーな剣術とでも思ってくれれば構わん。我々はその剣術の使い手で岸を倒す為に島を出たのだ。願わくば良い試合にならん事を」

「事情は知らんが俺たちはランナーチームだ。俺たちが考える事は観客を最高に沸かせる最高の試合をする事だけだ。そうだろう?」

 バスチエが言うと土方が笑みで頷いて背を向ける。

 三位決定戦とはいえウロボロスの前に強敵が現れたのは間違いなさそうだった。



※※※



 龍山グランプリのメインスタジアムは三位決定戦と決勝戦が行われるとあって満員御礼だ。

 イェジはコクピットで千本桜の声に耳を澄ませている。

 ――相手はドラグーン。無理をさせる事になる――

 ドラゴンの伏羲と戦った時には手も足も出なかった。しかし、アナベルは一回戦でハンマーチャリオットを撃破しているのだ。

 ベテランのアナベルと自分を比べるのもおこがましいが、伏羲戦のような惨めな負け方だけはしたくない。

『イェジ、負けて元々だ。経験を積むつもりで行け』

 バスチエが応援する気があるのかないのか分からない事を言う。

『龍山グランプリ三位決定戦チームウロボロスとチーム黒鉄衆の対戦を行います』

 イェジは薙刀を背負い、剣を手に千本桜を駆ってフィールドに向かう。

『第一試合サイドレッド、チームウロボロス千本桜、ヤン・イェジ』

 イェジがフィールドに進み出ると割れんばかりの大歓声が響き渡る。

『サイドブルー、チーム黒鉄衆播州住手柄山氏繁、永倉義衛』

 どこか羅生門に似た黒いドラグーンが姿を現わす。

『オン・ユア・マーク』

 互いに白線の前に立って相手を見据える。

 播州住手柄山氏繁の手にはドラグーン用に用意されたであろう長い湾曲した片刃の剣が握られている。

『ゲットセット……GO!』

 審判の声が響いた瞬間、イェジは播州住手柄山氏繁が突っ込んで来ると身構えたが相手はその場で軽く足踏みをしただけだった。

 千本桜ですり足をするように少しだけ歩を進める。

 グリップを握る手が汗で滲む。

 トーン、トーンとリズムを刻むように播州手柄山氏繫が跳ねる。

 瞬間、イェジの目の前に播州住手柄山氏繁が拡大された。

 相手は素振りも見せずに凄まじい勢いで突進して来たのだ。

 千本桜が相手の剣に剣を合わせようとした瞬間、播州住手柄山氏繁の体高が急に下がった。

 危ない!

 反射的に飛びのいた千本桜の足首があった場所の空気を片刃の刃が切り裂く。

 そのまま舞うように下から上に向かって播州住手柄山氏繁の片刃の刃が振られる。

 千本桜が剣を合わせて宙に舞い上がる。

 播州手柄山氏繫の手の中で刃の方向がくるりと変わって千本桜に襲い掛かる。

 千本桜は更に剣を合わせて播州住手柄山氏繁の背面に向かって飛ぶ。

 後脚で立ち上がった播州手柄山氏繫が横薙ぎに剣を振り、防いだ千本桜の機体が空中で弾き飛ばされる。

 宙返りして着地しようとした所に播州手柄山氏繫が突っ込んで来る。

 ――足元を狙われたら着地もできない!――

 咄嗟の判断でイェジは背負っていた薙刀を抜く。

 互いの刃が交錯して火花を散らし、力で劣る千本桜の機体がフィールドを転がる。

 播州住手柄山氏繁が突進し、千本桜が薙刀を立てて棒高跳びのように蹴りを放つ。

 剣とソールが衝突してコクピットに衝撃が吹き荒れる。

 イェジは薙刀のボタンを押し込んで三節棍にして振るう。

 播州手柄山氏繫が剣を振って三節棍の刃を弾く。

 千本桜が三節棍を身体に巻きつけるようにして遠心力を乗せて刃を放つ。

 播州手柄山氏繫が冷静に三節棍の切っ先を弾いて体当たりして来る。

 千本桜が姿勢を低くして播州手柄山氏繫の前脚を狙った斬撃を放つ。

 播州手柄山氏繫が前脚を膝蹴りのように折り曲げて迎撃する。

 モロに膝蹴りを食らった千本桜のカウルが弾け機体がフィールドを転がる。

 播州手柄山氏繫が軽く屈伸するように跳ねる。

 ――あれが来る!――

 イェジは播州手柄山氏繫の猛烈な突きを横に転がって躱す。 

 播州手柄山氏繫が後脚を滑らせるようにして蹴りを放つ。

 剣で受け止めた千本桜の機体が転がりカウルがはじけ飛ぶ。

 更に横薙ぎの斬撃が来るのをギリギリで剣を合わせて宙に逃れる。

 ――お師匠様なら――

 イェジは千本桜のカウルの一つを宙に放って足場にする。

 追尾するように迫った播州住手柄山氏繁の斬撃をカウルを蹴って間一髪で躱す。

 フィールドのバリアに垂直に着地して剣を構え、真一文字に播州手柄山氏繫に向かって飛ぶ。

 播州住手柄山氏繫の剣と千本桜の剣が火花を散らしながら交錯する。

 播州住手柄山氏繫のマスクに刃が届いたと思った瞬間、千本桜の画面が失われた。

 マスクを砕かれたのだ。

 イェジは闇の向こうに播州住手柄山氏繁を感じようとする。

 刃と刃が激突し千本桜の膝が砕ける。

 視界が回復し、互いに飛びのいて距離を取る。

 播州住手柄山氏繫が突進してくる。

 千本桜が牽制するように剣を放る。

 播州住手柄山氏繫が弾く間に薙刀を手に取る。

 薙刀を回転させて遠心力をつけて刃を振るう。

 薙刀の刃が播州住手柄山氏繁に力負けする。

 その衝撃を生かして千本桜が前方宙返りするようにして蹴りを放つ。

 千本桜の蹴りが播州住手柄山氏繁の肩カウルを破壊する。

 その時播州住手柄山氏繁の剣の柄が千本桜の背に振り降ろされた。

 カウルが飛び散りフィールドに叩きつけられた千本桜は立ち上がる事ができない。

 機体から白旗が上がる。

『ウィナー播州住手柄山氏繫! 永倉義衛!』

 審判の声を受けて播州住手柄山氏繫が剣を掲げて歓声に答える。

 ――精一杯戦ったよね――

 イェジはコクピットでどっと息を吐いた。



※※※



 グリフォンのコクピットでオリガは息を詰めていた。

 イェジはドラグーン相手によく戦ったと思う。

 ――私が負ければウロボロスは四位になってしまう――

 三位への望みを繋ぐ一戦がオリガの双肩に託されたのだ。

『三位決定戦第二試合サイドレッド、チームウロボロスグリフォン、オリガ・エルショヴァ』

『落ち着いて行け。グリフォンはカーニバルランナーだ。必ずお前を守ってくれる』

 オーレリアンの声がコクピットに響く。

 オリガは小さく息を吸って旋律を紡ぎ出す。グリフォンがフィールドの白線に向かって軽快に走り出す。

 一回戦の激戦もあって観客席が大歓声に包まれる。 

『サイドブルー、チーム黒鉄衆鬼神丸国重、斎藤五郎』

 オリガの目の前に黒いドラグーンが姿を現わす。播州住手柄山氏繁と同じように長い片刃の剣を手にしている。

『オン・ユア・マーク』

 白線についた二機が互いに身構える。

 オリガは手に汗を滲ませながら歌う。

『ゲットセット……GO!』

 グリフォンが円錐形の槍を手に稲妻のように突進する。

 鬼神丸国重の切っ先がグリフォンの槍で逸れる。

 グリフォンはそのままの勢いで正面から体当たりする。

 鬼神丸国重がたたらを踏み、グリフォンが重量のある槍を振るう。

 体勢を崩しながらも躱した鬼神丸国重が距離を取る。

 グリフォンが再び突進する。力負けすると見た鬼神丸国繁が横に飛び退き、横薙ぎに鋭い一閃を放つ。

 グリフォンが真横に飛んで間合いを殺して斬撃を防ぎ、更に後脚で鬼神丸国重を蹴り飛ばす。

 フィールドを転がった鬼神丸国重が起き上がってフィールドの中を弧を描くようにして駆ける。

 グリフォンが狙いを定めるように円錐形の槍を構える。

 鬼神丸国重がグリフォン目掛けて突進する。グリフォンが迎撃しようとした瞬間、相手の姿が消えた。

 激突の寸前で鬼神丸国重はグリフォンの死角に回り込んだのだ。

 グリフォンがフィールドを蹴って死角からの斬撃を間一髪で躱す。

 猛追する鬼神丸国重が更にグリフォンの死角から斬撃を放つ。

 グリフォンがカウルを犠牲にしながら体当たりでダメージを最小限に抑える。

 鬼神丸国重が再び死角に回り込もうとする。

 ――そうはさせない!――

 純粋なランナーとしての性能ではグリフォンが勝っている。

 正面から戦えば恐ろしい相手ではない。

 ――死角から来るのだと分かっていれば―― 

 それはもう死角ではない。

 鬼神丸国重の斬撃をグリフォンの円錐形の槍が受け止める。

 後脚でフィールドを蹴って鬼神丸国重に体当たりする。

 鬼神丸国重がカウルをまき散らしながらフィールドを転がる。

 グリフォンが円錐形の槍を構えて猛然と突進する。

 起き上がった鬼神丸国重が真一文字に剣を突き出す。

 グリフォンが剣を上に弾き鬼神丸国重が棹立ちになる。

 グリフォンが円錐形の槍を横薙ぎに振るい、鬼神丸国重を打ちのめす。

 鬼神丸国重の機体から白旗が上がる。

『ウィナー、グリフォン! オリガ・エルショヴァ!』

 観客席が大歓声に包まれる。

 ――ありがとうグリフォン――

 これで一勝一敗、次の試合が龍山グランプリでのウロボロスの最後の試合になるのだ。

 

  

※※※



 アナベルはコクピットでナイトライダーの鼓動に身を任せている。

 イェジは相性が悪い中でも良く戦ったし、オリガも格上のランナーを使っているとはいえ堂々たる勝利を収めた。

 一勝一敗で泣いても笑ってもこの一戦が最後となる。

『アナベル。何も説明する事ぁ無い。思ってる通りの事をやって来てくれ』

 バスチエの声がコクピットに響く。

『龍山グランプリ三位決定戦第三試合、サイドレッドチームウロボロスナイトライダー、アナベル・シャリエール!』

 コールを受けてアナベルはナイトライダーをフィールドへと進める。

『サイドブルーチーム黒鉄衆和泉守兼定、土方十三!』 

 アナベルの目の前にどことなく羅生門に似た黒いファイターが姿を現わす。

 ところどころ赤や金、紫の装飾がある所を見ると意外にお洒落に気を使う相手なのかもしれない。

『オン・ユア・マーク』

 和泉守兼定が片刃の剣を抜いて構える。

 ナイトライダーがナックルガードを下ろしてファイティングポーズを取る。

『ゲットセット……GO!』

 アナベルは相手の剣の間合いを図りながら前に足を進める。

 和泉守兼定がつっと足を滑らせるようにしてから一気に間合いを詰めて来る。

 真一文字に突き出された鋭い突きを間一髪で躱してナックルガードで相手の手を破壊しようとする。

 と、和泉守兼定がそのままの勢いでショルダータックルでナイトライダーに激突した。

 ナイトライダーは倒れこみながら瞬間的に和泉守兼定の左腕を取る。

 和泉守兼定が刀の柄でナイトライダーのマスクを殴りつけようとする。

 咄嗟にアナベルは相手の攻撃を躱して距離を取る。

 下方向から振られた和泉守兼定の剣がナイトライダーに迫る。

 アナベルはクリスチャンと呂偉の試合を思い浮かべながらショートアッパーで迎撃する。

 ――距離を取られると厄介だな――

 アナベルは和泉守兼定に肉薄してジャブを放つ。

 和泉守兼定が肘で受け止め体当たりで距離を取ろうとする。

 ナイトライダーの下段蹴りを和泉守兼定も片足を上げて防ぐ。

 ――剣だけじゃなくラフファイトもお手の物か―― 

 和泉守兼定の剣の柄の攻撃をナックルガードで跳ね返す。

 近接戦闘では不利と見たのか和泉守兼定が距離を取ろうとする。

 ナイトライダーが追いかけるように突進してタックルを決める。

 ナイトライダーが和泉守兼定を抱え上げて機体を捻りながらフィールドに叩きつける。

 和泉守兼定の手から剣が落ちる。

 と、和泉守兼定がナイトライダーの手を取った。咄嗟にアナベルも相手の腕を取る。

 大外刈りで転がされそうになったのを寸前で堪えて団子状態でフィールドを転がる。

 ――泥臭いったらありゃしない――

 アナベルがナイトライダーで距離を取ろうとすると今度は和泉守兼定が突っ込んで来る。

 掴みかかろうとする和泉守兼定の手とナイトライダーの拳が高速で捌き合い火花を散らす。

 相手は最低でも剣術、柔術を得意としているし立ち技格闘の心得もある。

 一瞬の油断が致命傷になりかねない。

 と、和泉守兼定の手が引けた。ナイトライダーには殴り合いを想定したナックルガードがあるが、剣で戦う前提の和泉守兼定にはそれがないのだ。

 ここが勝負所だとナイトライダーが鋭いストレートを放つ。

 見切った様子の和泉守兼定が躱しながら剣を手に取ろうとする。

 それを読んでいたナイトライダーが宙を飛んで和泉守兼定の左腕を腕ひしぎに持ち込む。

 和泉守兼定がナイトライダーの機体を持ち上げようとするがそこまでのパワーがなく、悲鳴にも似た凄まじい雷音がフィールドに響く。

 和泉守兼定がサブウェポンらしい長いナイフを引き抜く。金属繊維の断末魔と共に和泉守兼定の左腕が破壊される。

 アナベルはナイフを警戒して一旦腕ひしぎを解いて和泉守兼定を蹴とばそうとする。

 往生際が悪いなら判定にでも持ち込むしかない。

 和泉守兼定がナイフを手にジリジリと距離を詰めようとする。

 アナベルの視界に和泉守兼定の剣が入る。相手からもあと少しで手の届く距離だ。

 ナイトライダーが先に動いた。前のめりに剣に向かって飛びつこうとする。

 和泉守兼定がナイフを振り上げてナイトライダーの背に迫る。

 瞬間、フィールドに手を着いたナイトライダーは逆立ちするようにして足を回転させてカポエイラの蹴りを放っていた。

 奇襲を受けた和泉守兼定のカウルがはじけ飛ぶ。ナイトライダーは水面蹴りで追撃しようとするが和泉守兼定は背後に後転してギリギリの所で躱す。

 それを見越したナイトライダーは前方宙返りのように浴びせ蹴りを放つ。

 ナイトライダーの踵が和泉守兼定のマスクを破壊する。

 和泉守兼定の機体から白旗が上がる。

『ウィナー! ナイトライダー! アナベル・シャリエール! チームウロボロスの勝利です!』

 アナベルは大歓声に右手を振って答える。

 満身創痍の和泉守兼定がゆっくりと起き上がる。

 アナベルは和泉守兼定の右手を掴んで上に掲げる。ひどく諦めと往生際の悪い相手だったが不思議と嫌な感じはしない。

 どこかスポーツ選手らしくない所はあるが彼もまたフィールドの上では一人のライダーなのだ。



※※※

 

 

 華やかな音楽が響き紙吹雪が文字通り吹雪のように舞っている。

 沿道を埋めつくす人を数えるのは野鳥の会でも不可能だろう。

 イェジは応急処置とカウルの化粧直しを受けた千本桜のコクピットから観衆に手を振っている。

 当然激戦の後という事もあって自力で歩いている訳ではなく、どのランナーも牽引車に引かれている。

 前にはグリフォン、ナイトライダー、ルビコン、セラフィムの姿もある。

 気の毒な話ではあるが黒鉄衆は四位だった為にパレードには参加できていない。

 龍山グランプリ決勝戦はチームギャラクシーの勝利に終わった。

 伏羲に敗北したイェジからすると信じがたい話だが、上には上が存在するのだ。

 とはいえイェジは龍山グランプリでは一勝二敗で負けた数の方が多い。

 オリガが二勝、アナベルが三勝一敗、クリスチャンが一勝一敗で結果だけ見ればアナベルがウロボロスのMVPだ。

 ――でもお師匠様が勝ったキングダムのデスサーティーにアナベルさん瞬殺だったしな―― 

 いずれにせよそんなハイレベルな試合はまだイェジが挑めるステージではない。

 パレードが龍山グランプリのメインスタジアムに入る。

 観客席は満員でパブリックビューイングもすし詰め状態だ。

 イェジもコクピットから降りてフィールド中央のライダー席にクリスチャンたちと共に並ぶ。

『龍山グランプリの共同主催の成龍公司のアルバート・王です。私はこの素晴らしい大会に当たって400字詰め原稿用紙五枚分のスピーチを用意してきました』

 メインスタジアムの大型モニターに龍山グランプリの名シーンが次々に映し出される。

 そうして見ると一回戦でクリスチャンが見せた七星剣の華麗さは群を抜いて見える。

 食らわずに躱す方が不粋というものだ。

 選手たちにシャンパンやソフトドリンクが配られる。

『ですがヒュンソグループのソン・ジミン氏の短いスピーチが好評だったという事で、貧血で倒れる人が出る前に私もそれに習いたいと思います』

 冗談に笑い声が広がり壇上のアルバート・王がシャンパンのグラスを掲げる。

『オン・ユア・マーク』

『ゲットセットGO!』

 アルバートの音頭に続いて一同がグラスを掲げる。

『それでは今大会の表彰式を取り行います。各チームの代表は壇上に上がって下さい』

 アナウンスに従ってギャラクシーのキム・ヘジン、ドラゴンの呂偉、ウロボロスのクリスチャンが壇上に上がる。

 トロフィーの贈与が行われ、それぞれにシャンパンが手渡される。

 ヘジンと呂偉とクリスチャンがシャンパンをかけあう。

『続きまして今大会最優秀選手を発表します。大会最多勝、最多ポイント取得でMVPに輝いたのはチームギャラクシー、キム・ヘジン選手! どうぞ壇上へ』

 アナウンスがプログラムを粛々と進めていく。

『……敢闘賞、チームウロボロス、アナベル・シャリエール選手』

 アナベルが優雅な身のこなしで壇上に上がってトロフィーを受け取る。

「お師匠様、アナベルさんって一回負けてませんでしたっけ?」

 イェジはシャンパンが滴るいい男のクリスチャンに尋ねる。

「観客による投票も含まれますし魅せる試合をしたのは事実です。一勝二敗の人間が言うのはおこがましいというものですよ」

 美しい所作でグラスを傾けながらクリスチャンが言う。

「どうせ私は負け越しですよ」

 言いはしたもののイェジはそこまで自分の試合を恥じて卑屈になっている訳ではない。

 唯一勝ったT―LEXは変態ランナーだったし、残りの二戦はドラグーン相手で相性最悪だったのだ。

 ドラグーンとの一試合目になった伏羲の時は竦んで何もできなかったが、二戦目の播州住手柄山氏繁とはそれなりにいい試合ができたという自負がある。

「相性が悪かったんだ。そういう事もあるさ」

 オーレリアンが声をかけてくる。

「あなたは第一試合でルビコンを産業廃棄物に変えるという成果を上げたのでしたね」

 クリスチャンが酷評して言う。

「まぁそれをとやかく言いやしないさ。それよりオリガの二勝もデビュー戦にしちゃ大したモンだろう」

 オーレリアンに言われたオリガが顔を真っ赤にして俯く。先輩ながらこれほどの恥ずかしがり屋でよくアイドルになろうと思ったものだ。

「アナベルの時といい、あなたという人はどうして選手をなし崩し的に参入させてしまのですか」

 クリスチャンが言う。

「お陰でアナベルは敢闘賞だし、オリガも二勝だろう」

 オーレリアンが言うとクリスチャンがさも憎らしいといった様子で眉を顰める。

 と、カメラマンとインタビュアーが近づいて来た。

「龍山グランプリで三位に輝いたチームウロボロスの席に来ています。リーダーのシュヴァリエ選手、今回の結果をどう思いますか?」

「勝利の美酒は甘い。敗北の後の勝利の美酒は薫り高いと言っておきましょう」

「三位では満足できないシュヴァリエ選手でした。エルショヴァ選手は今回がデビュー戦でしたね。元エクレールのグリフォンは話題になりましたが見事に二勝を手にしましたね」

「チームが三位に食い込めて良かったです」 

 オリガが輝くような笑顔をカメラに向けて言う。アイドルは伊達ではないらしい。

「それではチームドラゴンの席に行ってみましょう」

 インタビュアーとカメラが行ってしまう。

 自分もデビュー戦だったのに扱いが雲泥の差だ。

 表彰を受けたアナベルが席に戻って来る。

「イェジ腐ってるじゃないか」

「カメラもインタビューもスルーされたんですよ」

 イェジが言うとアナベルが苦笑して頭を振る。

「あんた分かってないね。四位の黒鉄衆が今何してると思う? 今回のグランプリの参加チームは10チーム。レッドカーペット歩いてここに来れるって事がどれだけ凄い事か」        

 言われてイェジはハッとなる。T―LEXのランズデールも播州住手柄山氏繁の永倉もここにはいないのだ。

 そしてカーニバルまでに負けた選手も勝った選手も、より強くなって再び自分の前に現れるだろう。

 その時にライバルたちに恥じる戦いをする訳には行かない。

 ――その為にも……――

「お師匠様、いえ、会長、私もカスタム機が欲しいです!」

「あなたの戦いに感動した誰かがお金を出してくれればすぐですよ」

 答えにならないクリスチャンの返答にイェジは溜息をつく。

 だが、これがクリスチャンのクリスチャンたる所以でもあるのだ。

 ――私は私の力でスポンサーを引き寄せて見せる!――   



エピローグ


 

 バレンシア朱雀、ウロボロスエンターテイメント本社の会議室には重苦しい空気が流れている。

 チームウロボロスの龍山グランプリの結果は三位だった。

 ウロボロスが敗北したドラゴンが優勝したならまだ救いはあった。

 そのドラゴンもギャラクシー相手にストレート負けしてしまったのだ。

 龍山グランプリはギャラクシーの最高のプレゼンの場になり、二位になったドラゴンが存在感を示した大会となった。

 へウォンは笑み一つない役員の顔を見回す。

「UMSの敗北はやむを得ない部分はあるかも知れません。問題は敗北したとしてもそれを挽回できる宣伝材料が存在しない事です」 

 確かに見せ場は存在した。しかし、光を放ったチームと比べると明らかに明度が劣る。

「今回の結果に対する弁明はありますか?」

 専務のマリア・ルカレッリがリモートのバスチエに向かって尋ねる。

『ドラゴン戦はオーダーが違えば勝てた可能性はあります。しかしながらクリスチャンの敗北で明らかなようにUMSのランナーが型遅れである事は否めません』

 バスチエの言葉に役員たちが低く唸る。

「ノーラ・ブレンディの最新作のT―LEXには勝てた訳ですよね? それも新人ライダーで」

 マリアが追及する。

『あれはイェジの機転で……前半戦から薙刀を持っていればT―LEXのライダーは対応して来たと思います。それにT―LEXは実験的な機体で良い意味でも悪い意味でも普通のランナーとは異なっています。同じアーマーでも蚩尤が相手だったとしたらイェジが勝てたとは思えません』

 バスチエが答える。一言で言ってしまえばイェジはビギナーズラックだったのだ。

「次にドラゴンと当たった場合の勝算は?」

 へウォンは解答の分かり切っている問いを発する。

『オーダーが当たったとして五分五分です。いや、七対三で負けるでしょう』

「それはランナーが旧式である事が問題なのね?」

 へウォンはバスチエに尋ねると頷きが返る。

「だから予算をケチるなと言っていたんだ」

 会長派で副社長のアンドレイ・張が言う。    

「予算を度外視して勝利したとしても会社が倒産したのでは意味がありません。私はランナバウトは宣伝の一環であると考えています」

 へウォンはアンドレイに釘を刺す。

「その上でこの結果を好材料にする方法として一つの方策を考えました」

 へウォンは端末を操作して資料を表示させる。

「我が社が主催となってランナバウト朱雀グランプリを開催します。ここでウロボロスが優勝するのであれば、敗北から優勝までのドラマは多くの顧客にプラスのイメージを与える事ができるでしょう」

『社長、恐れながら今のUMSの力で優勝は困難です。優勝候補はギャラクシーやドラゴンだけではありません』

 バスチエが言う。そんな事は分かり切っている。だから勝利する為の方法を考えなくてはならないのだ。

「ヴァネッリ社長、G&T社のスポンサーの件はどうなっていますか?」

 へウォンはマーケティングのロゼッタ・ヴァネッリに尋ねる。

「イェジの二連敗が痛すぎました。再度説得を試みつつ他のスポンサーを探します」

 へウォンは一つ頷く。

「バスチエ社長、UMSはランナーさえ新調すれば勝てるものなの?」

 それが問題だ。多額の投資を行ってやっぱり負けましたでは済まされない。

『勝率は上がりますがランナバウトは総合力で決まるものです。単純に機体を新しくしたからと言って勝てるものでもありません』

 バスチエが言うが聞きたいのは何をどうすれば勝てるのかという事だ。

「現在オルソン・カロルにロビンのデビュー機を依頼中です。ただ今回の敗戦はハードウェアではなくソフトウェア面での敗北が大きかったように思います」

 アンドレイが言う。確かにギャラクシーはポラという新OSを投入してきたし、ドラゴンは子龍というシステムを運用した。

「つまりソフトウェアやシステムもアップデートしないと機体のアップグレードにはつながらないという事ね?」

 へウォンの言葉にアンドレイが頷く。

「ヒュンソグループと成龍公司との技術協力の為、業務提携を行います。しかし現状で我が社が売りにできるのはサブスクリプションやチケット販売などの割引になります。他にアイデアはありますか?」

 へウォンは役員たちに問いかける。

「勝っているヒュンソと交渉しても我が社単独では足元を見られるでしょう。それに我が社は基本的にソフトウェアが中心で成龍公司に対する商材がほとんどありません」

 ヴァネッリ社長の言葉にへウォンは頷く。

 確かにヴァネッリの言う通りだ。現状のままヒュンソと交渉しても言い値で技術を買わされる事になるだろう。      

 そういった意味でもヒュンソと成龍公司は試合と戦いの両方に勝利したのだ。

「特に名案が無いのであれば閉会とします。それぞれ次回までに打開策を考えて来て下さい」

 へウォンは会議を終了させる。状況が悪いという事の追認ができただけで生産的な内容が一つもない。

 ランナバウトは宣伝の一環だと言いはしたがウロボロスは元々は歌劇とランナーチームの会社であり、少なくともクリスチャンにとってはUMSこそがウロボロスであるだろう。

 ――UMSにリソースを割く事ができればいいんだけど――

 UMSの最大のスポンサーはウロボロスエンターテイメントだ。

 UMSがカーニバルで優勝して最大の宣伝効果が得られるはずのウロボロスエンターテイメントには充分な知名度があり、当然ながらスポンサー料が入る訳ではない。

 新規でスポンサーが獲得できるとしても、それを当てこんで予算を組む事などできないし、今はその前提となる戦果を出す為には新技術が必要とされるのだ。

 ――でも他のチームがポラや子龍を導入して運用を始めたら……――

 ウロボロスは今以上に勝てなくなるだろうし、そうなれば今のスポンサーも離れてしまう。

 ――新しい収入源が必要……――

 ランナバウトに必要な費用は可能な限りUMSの独自財源というのがウロボロスエンターテイメントの方針だしそれを変更するつもりはない。

 クリスチャンから会社の運営を任せられてから六年。寝る間も惜しんで会社を守る為に奔走してきた。

 ――やっと経営再建したんだから―― 

 クリスチャンにランナバウトを続けさせるためにも会社を第一に考えなくてはならないのだ。

 


※※※ 



 ルートルの中はちょっとしたお祭り騒ぎになっている。

 迷宮少年サバイバルグループが慰労会を企画したのだ。

「イェジってば最初の一勝ビギナーズラックだったんじゃないの?」

 立食パーティーでエリザベッタがイェジに向かって言う。

 慰労会と言ってもカメラはしっかり回っている。

「実力だってば。お前は運で負けたって言ったらT―LEXとライダーに失礼じゃん?」

 イェジは答えて言う。アナベルやクリスチャンも迷宮少年のメンバーに如才なく答えている。

「じゃあやっぱりドラゴンの伏羲や黒鉄衆の播州住手柄山氏繁は強かったんだ」

「いや、本当にすごかったよ。今のままで勝てるとは思えないし」

「イェジの千本桜は元が量産品のヴァンピールだもんね。専用のカーニバルランナーなら勝てたんじゃない?」

 ランナーには詳しくないはずのエリザベッタが言う。動画配信を意識してフォローを入れてくれているのだろう。

「ドラゴンの青龍王くらいのランナーなら分かんないかなぁ。お師匠様に勝ったランナーだし」

 イェジはカメラを意識しながら言う。正直に言えば播州住手柄山氏繁はともかく伏羲には勝てる気がしない。

 強力なランナーに乗ってみれば別なのかも知れないが、相性が重要という事を思い知らされた試合でもあった。

 ――ずっとカメラが回ってるのもな……―― 

 今回の慰労会は純粋にメンバーが企画してくれたものだ。

 T―LEXに勝った時にはイェジにはG&Tがスポンサーとしてつきかけたらしい。

 しかし、伏羲にボロ負けし、播州住手柄山氏繫にも敗北した事でG&Tは態度を硬化させた。

 そこでメンバーたちはイェジを支援すると間接的に迷宮少年がついてくるという、宣伝効果をくすぐる策を考えてくれたのだ。

 カメラが回っているのは疲れるが、完全新規の千本桜の為とあれば仕方ない。

 迷宮少年のマネージャーが配信終了の合図をする。

「お疲れ様です」

 迷宮少年のメンバーたちが口々に言うとカメラが止まり、撮影クルーが引き上げる。

 セットの片づけが始まりメンバーたちが引き上げていく。

「イェジ、ちょっと話があんだけど」

 ファビオが声をかけて来る。

「何?」

 イェジが言うとファビオが親指で背後を指さす。どうやら二人で話をしたいらしい。

 イェジはファビオと共にランナーキャリアのハンガーに向かう。

 カウルを失った千本桜と羅生門が解体されて平置きにされている。

 ヴァンピールの大改修と龍山グランプリで徹夜続きだったメカニックには一週間の休暇が出ている。

 修理されるとしてもしばらく先の事になるだろう。

「イェジ俺さ、ライダーは諦めるよ」

 ファビオが羅生門に目を向ける。

「俺、コイツでお前に一太刀浴びせた時すげぇ嬉しかった。俺も強くなったんだって思った。でも龍山グランプリでお前が苦戦してたり負けたりするのを見て、ランナバウトの世界は甘くねぇって思い知った。お前に一太刀浴びせただけで喜んでる人間がやって行ける世界じゃねぇ」

「答えが出たんだね」

 イェジが言うとファビオが爽やかな笑顔で頷く。

「俺はアイドルとして成功したいし、それがこれまで支えてくれた人たちに対する一番の恩返しだって思う。それに俺がイェジを応援する方法ってこれくらいしか思いつかねぇし」

「別にそんなに頑張って応援して貰わなくても大丈夫だよ」

 イェジが言うとファビオが頭を振る。

「そうじゃなくてさ……俺は多分……」

 ファビオが視線を落として言葉を濁す。

「いや、多分って言い方は卑怯だな。イェジ、俺はお前が好きだ」

 ファビオの言葉にイェジは頭が漂白される。こんな事を言われるとは想像した事もない。

「何で?」

 他に言葉が出てこない。

 ファビオの中でどのような心境の変化があったのだろうか。

「人が人を好きになるのに理由なんて必要かよ」

 ファビオの真摯な眼差しを真正面から受け止める。良い意味でも悪い意味でもファビオは正直だ。

 ――お兄さんを恨んでいた時も、新しい道を歩き始めた今も――

 その言葉に嘘がないという事だけは分かる。

「ファビオの事をそういう目で見た事が無かったから返事できないよ」

 今はランナバウトの事でいっぱいいっぱいで他の事を考える余裕が無い。

「そんな事は見てれば分かるって。だからさ、お前は俺に精一杯応援されてくれよ。俺の仕事はたくさんの人を応援する事だけど、お前の事を一番に思ってるって事、忘れないでくれ」

 言ってファビオが背を向ける。今日の慰労会はファビオの発案だったのだろう。

 龍山グランプリで負け越してスポンサーのつく見込みがなくなってしまったイェジに迷宮少年という付加価値をつけてくれたのだ。

 ――ファビオ、ありがとう―― 

 自分には応援してくれる力強い仲間がいる。

 ――……仲間……か――

 ファビオはイェジの事を純粋に仲間だと思っている訳ではない。  

 ――一度もそういう目で見た事が無かったから―― 

 いつか答えを出さなくてはいけない日が来るのかも知れない。

 その時まではファビオという一人の人間と向き合う事も必要なのだろう。


   

※※※



 どうして僕はこうも間が悪いんだろう。

 格納庫の片隅で様子を見ていたオルソンは溜息をつく。

 こんな場面に出くわした事が前も無かっただろうか?

 とはいえ心のどこかで安堵感も感じている。

 イェジはファビオの告白に答えなかった。

 ――何で僕がホッとしなきゃならないんだ――

 かつて恋したエミリーとイェジのタイプは全く異なる。

 イェジとはライダーとマイスターという以上の関係でそれ以上でもそれ以下でもないはずだ。

 ――じゃあ僕はどうして彼女の食事を毎日作っている?――

 全人類が滅びても構わない自分が何故毎日彼女と会う事を楽しみにしている?

 イェジとファビオが去ってからオルソンは千本桜の前に立つ。

 千本桜を作った時の熱に浮かされたような情熱の中に、恋と呼べるような感情が無かったと言い切れるだろうか?

 イェジは図々しく他人の領域に足を踏み入れる。

 オルソンが自分の為に作った食事を当たり前のように食べ、オルソンが自閉症だという事を知らないかのように好き勝手に喋る。

 ――でもそれを心地よいと感じてはいなかっただろうか?――

 他人と接する事が困難なオルソンにとって、イェジは世の中に向けて開かれた唯一の窓のような存在ではないだろうか?

 実際イェジ以外にこれほど心を許せる相手がいるだろうか?

 データで見る以外に外の世界を知れるのはイェジがいるからではないだろうか?

 ――それが羅生門と千本桜を生んだ―― 

 二機のヴァンピールをここまでカスタムできたのはオルソン一人の力ではない。

 オルソンにイェジが干渉する事で新たな着想が生まれた結果なのだ。

 ――イェジ不在でこの先新たなランナーを作れるのだろうか?――

 当然設計する事自体はできるが、このような化学反応のようなランナーを作る事はできないだろう。

 ――これが愛や恋といったものではないとしても――

 オルソンにとってイェジは不可欠な存在に変わって来ているのだ。

 ――だから僕はイェジの潜在能力までをも引き出す真の千本桜を作りたい――

 その機体ができた時自分の中でも一つの答えが出る筈だった。


第一部 完

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アイドルになるはずが剣士になってロボットで戦えってどんな謎理論ですか? 朱音紫乃 @akane-sino

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