美しく忘れて

さら坊

愛を信じて

「何しに来た、このはげじじい!」


 施設の中に聞き慣れすぎた声が響く。

 ”はげじじい”とは紛れもなく彼女の旦那である私のことなのだが、実はこのやりとりも初めてではない。つい二ヶ月前にも同じように罵声を浴びせられた。


 最近は、彼女の中の私が良い旦那になっていたのだが、記憶にも周期があるのだろうか。

 施設の職員も慣れっこを演じているものの、またか、という感情が瞳の奥に隠しきれずにいた。それも当然だろう。長い期間をかけて、彼女の中の私を”妻を大事にしない浮気者”から”ずっと奥さんを愛し続けているよい旦那”にしてくれたのは彼らなのだから。先に断っておくと、私は正真正銘疑いようも無く、後者である。


 こうなってしまうと、私は施設にいられない。他の施設の皆さんにも迷惑をかけてしまうので、職員さんに優しく退去を促されてしまうのだ。

 実際私もその場には居づらいので、その誘導に身を任せ施設をあとにした。

 また、あの日々が始まるのか。二ヶ月前を思い出し、滲みそうになる涙を外の景色を見てごまかそうとする。私の涙は、娘夫婦に気を遣わせるには十分すぎる力をもつことを知っている。これ以上負担をかけたくないと踏ん張るのも、一種の親心だと思う。



 妻が認知症を患ったのは、二年前のことだったと思う。

 私はずっと一緒にいて変化に気付きにくくなっていたからか、妻が衰えていることに気付かなかった。あるとき会いに来てくれた娘夫婦が違和感を感じ、彼女らの紹介で看てもらった結果、認知症と診断された。

 正直、当時は全くそれを危険視していなかった。人間衰えたら誰しも物忘れも激しくなるものである。

 実際、その後の妻の一年間はそれに毛が生えたようなものであった。大きく変化したのは今から半年前である。


今までは話していたことをすぐ忘れてしまう、程度だったのが、生活に支障を来し始めたのだ。ずっと付き添ってきたパートナーがトイレや風呂などに一人で入れなくなってしまう様子を見て、私は動揺していた。

 

 現実を見られなくなっていた私は、今後どうしていけば良いのかわからなかった。


 そんな私を横目に、半ば呆れていただろう娘夫婦が施設を探し、妻をいれることを勧めてくれた。

 当時はすぐに納得できなかった。私は彼女と離ればなれになることが想像できなかったのだ。

 娘夫婦が語る”老老介護”の危険性も分かる。正論だ。君らは何一つ、間違っていない。それでも、受け入れがたかった。こんな歳になって、子供じみていることは自覚している。それが一層むなしくなって、彼らの決断にふてくされながら従った自分に、今でも失望する。

 男とはこんなに弱いものなのか。こんな男は、私だけなのだろうか。


 初めは施設という新しい環境に、妻も不安げな表情を浮かべていた。なんなら嫌がっていた、まであるかもしれない。

 それが一層娘夫婦の決断に同意しかねた理由の一つだったのだが、私に抗議する気力が無かったことは、想像の通りである。

 しかし実際施設に入ると妻は楽しそうな表情を浮かべることが多くなったように思えた。時々施設から送られてくる写真に写る妻は、なんだか少女時代に戻ったかのように無邪気さにあふれていた。その様子にある意味寂しさを覚えながらも、安堵していた私の心が一気に乾ききってしまったのが、あの二ヶ月前である。



「私を裏切ったはげじじいが、こんなところに何しに来た!」


 今まで見たことが無いような形相で私を怒鳴りつけるその女性を、自分の妻だと認識するのに時間がかかってしまった。それだけ信じられなかったのだ。

 「まったくこのじいさまは。そんなだから髪の毛も呆れて離れて行ってしまうんですよ」みたいな、お得意のからかうような笑みを浮かべながらの小言なら何度だって聞いた。私はそんな空間を愛していたんだ。それが、どうしてこんなことに。


 職員さんの話によると、今妻の中では私は「自分がいなくなった家に何人も女を呼んで、浮気している最低な旦那」になっているそうだった。これまた私は理解に苦しんだ。浮気など人生で一度たりともしたことが無い。


 しかし職員さんからすると、このようなことはよくあるという。周りの人間には想像できないような思い込みが彼らの中では事実になり、その認識をまた外から変えることはほぼ不可能、と。

 それ故に、身体中に絶望が走った。私を想っての言葉が、当時の私にとってはとても冷めたようなものに感じた。



 それから娘夫婦しか面会に行けない日々が始まった。

 前述のとおり、娘夫婦の説得も焼け石に水状態だった。それどころか、無理矢理私の冤罪を晴らそうとすると娘夫婦のことすらも信用できなくなる危険性があったことから、本格的に為す術がなくなってしまっていた。

 その間、私は家で情けなくもずっと泣いていた。しかし、どれだけ涙を流しても、心に安寧は訪れなかった。どうやら心の渇きは、涙では潤わないらしい。結局は時間が彼女の認識を改変させ、私は無罪となったわけである。


 そしてこの突発的な絶望が、二ヶ月の歳月を経て、またも私に降りかかったのである。正直、その場で赤ん坊のように泣きじゃくってやりたかった。結果、涙腺は帰りの車の中で決壊し、娘夫婦には結局気を遣わせてしまうこととなった。情けない。

 それでも、堪えられなかった。


 娘夫婦に家まで送ってもらい、彼女たちが帰路に着くと、とうとうやるせなさで無気力になってしまった。

 一人になってもしっかりとっていた晩ご飯も、もう作る気にならない。まず喉にものが通る気がしない。

 その時、私を励ますように、昔飼っていた犬の写真がアルバムの中からするりと抜け落ちた。あぁ、妻はこの子がとても好きだったなあ。四六時中肌身離さず抱きかかえていたっけ。懐古しているとまたもや涙がこみ上がってきたので、それをごまかすかのように周囲にちらばっていた画材を無造作に机に広げてみせた。

 昔から趣味で描いていた水彩画の画材。気を紛らわすにはぴったりな気がした。


 ふたりで生きてきた映像の中から、頭の中で犬と妻の部分だけ切り取った。そうして過ぎていく時間に気もとめずに描き続けていると、我ながらよい再現絵が完成した。しかも水彩画の影響か、当時の写真に磨きがかかっているようにも見えた。


「ばあさん、見てくれ。いい絵が――」


つい喜びを共有しようとした言葉が空を切る。そうか、もうこんな些細なことも分かち合えないんだ―――いや、待てよ。絵ならば離れていても伝えられる。そう思った瞬間、私はまだ乾いていない絵を封筒にいれ、ポストに突っ込んだ。


 それから私は描き続けた。

 一日一枚。家から見える風景や、ふたりの思い出。施設の人や娘夫婦によると、その絵はすべて本人によって破り捨てられているらしいが、そんなことはどうでもよい。もういっそのこと私のことなど恨んでくれてもよいのだ。なにか、少しでも彼女と思い出を共有できさえすれば。



 紅葉が目立つようになった秋の日。

 その日も、施設には綺麗な水彩画が送られてきていた。今日は、どこかの山の風景らしい。近場では無いようなので、旦那さんの思い出だろう。

 これほど愛情のこもった絵が破られる様は、見ている側も辛い。職員は憂鬱な気持ちを隠せぬまま、今日も奥さまへと絵を届けた。

 

 すると絵が破られる音の代わりに、澄んだ声が響いた。


「あら、これじいさまと行ったとこじゃない。懐かしいわねぇ。そういえばじいさまは元気にしているのかしら」


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美しく忘れて さら坊 @ikatyan

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