第3話『出発』
パペッティア
003『出発』晋三
俺は、この二年間仏壇の中にいる。
つまり、二年前に死んじまって仏さんになっちまった。死んでからの名前は釋善実(しゃくぜんじつ)という。
仏さんなのだからお線香をあげてもらわなきゃならないんだけど、妹の夏子は水しかあげてくれない。
「だって、家がお線香くさくなるんだもん」ということらしい。こないだまでは「火の用心」とか「水は命の根源」とか言ってたがな。
その夏子がお線香をたててくれた。
「ナマンダブ、ナマンダブ……じゃ、行こっか」
そう言うと過去帳の形をした俺を制服の胸ポケットに捻じ込んだ。
ちょ、ちょ、夏子…………!
ガキの頃は別として、妹にこんなに密着したことはない。
いま、俺は三枚ほどの布きれを隔てて妹の胸に密着している。生きていたころは、ちょっと指が触れただけでも「痴漢!変態!変質者!」と糾弾され、機嫌によっては遠慮なく張り倒された。
それが胸ポケットの中に収められるとは、やっと兄妹愛に目覚めたか? 俺を単なる過去帳という物体としてしか見ていないか?
思い出した。
妹は大事なものをポケットに入れる習慣があった。
もう何年も夏子と行動を共にすることなどなかったので忘れていたんだ。
しかし、あのまな板のようだった胸が(〃▽〃)こんなに……妹の発育に感無量になっているうちに、お向かいの寺田さんに挨拶したことも、大家さんに荷物のことを頼んだのも、駅まで小走りに走ったことも上の空だった。
切符を買うと、改札へは向かわずに駅の玄関の階段、最上段と一段下に足を置いてキョロつく夏子。
幸子を待ってるんだ。
きのう約束したもんな―― 明日は見送りに行くから、さっさと一人で行ったらダメですよぉ! ――
でもな、夏子が抜けたんだ。その分、配達増えてると思うぞ。
理不尽戦争からこっち、デジタルは影を潜めてる。理不尽戦争は、ネットを乗っ取られて偽情報がいっぱい流されるところから始まったもんな。
みんな、偽とかフェイクだとかに振り回されて、避難したところを攻撃されたり、味方を敵と思わされ同士討ちになったり。
それで、戦後は民間のネットはご禁制になっちまった。スマホに似た端末はあるけど、町内に一つか二つのスポットに行ってケーブルで繋がなきゃ連絡が取れない。ま、持ち運びの固定電話みたいなもんだ。じっさい、実益とファッションを兼ねて昔の固定電話が流行り出してる。
端末を取り出して駅のスポットに足を向けるけど、掛けられのは配達店。
心配をかけるだけだし、忙しさの原因は自分だし……再び玄関の階段へ……行こうとしたら『電車は一つ前の駅を出ました』のシグナルに変わった。
しかたない。
呟くように言って改札に向かう。
電車に乗って、線路沿いの復興道路に目をやる。心配半分、期待半分……居た!
前かごに、まだ半分以上の新聞をぶち込んだまま幸子が、懸命に自転車を漕いでいる。
幸子は、六両連結の全ての窓に視線をとばしている。六両で窓の数は百を超えるだろう。
ちょっと無理か……と思ったら、幸子がこっちを見て手を振っている!
友情のなせる業か! 夏子の念力か!
ナッツー!
え、声聞こえた!?
次の瞬間には、電車の速度が幸子の自転車のそれを無慈悲に超えてしまって、あっという間に見えなくなった。
ガタンゴトン ガタンゴトン ガタンゴトン ガタンゴトン ガタンゴトン ガタンゴトン……
電車は新埼玉行きだ……車窓から見える風景が荒れていく。
新埼玉が近くなると、理不尽戦争のツメ跡が生々しくなる。
かつて山であったところがクレーターになったり、低地であったところがささくれ立って不毛な丘になったり、かつて街であったところが焼け焦げた地獄のようになっているのは、ホトケになっても胸が痛む。
圧を感じると思ったら、夏子がポケットの上から胸に手を当てている。
ギギギギ……
歯を食いしばっている(^_^;)。
夏子も、この風景には耐えられないんだ。まだ十六歳だもんな。
住み慣れた家を出て、学校も辞めて新しい人生に踏み出す妹に哀れをもよおす。
辞めた割には制服姿だ。
それも、いつものようにルーズに着崩すことも無く、第一ボタンまでキッチリ留めてリボンも第一ボタンに重ねるという規定通り。校章だって規定通りの襟元で光っている。実は、この校章、辞めると決めた日に購買部で買ったものだ。夏子のことをよく知っている購買のおばちゃんは怪訝に思った。「記念よ記念(#^―^#)」と痛々しい笑顔を向ける、目をへの字にしたもんだから、両方の目尻から涙が垂れておばちゃんももらい泣き。
そんな制服姿なんだけど、あいかわらずスカートは膝上20センチというよりは股下10センチと短い。
まあ、これが夏子の正装(フォーマル)なんだ……よな。
☆彡 主な登場人物
舵 夏子 高校一年生 自他ともにナッツと呼ぶ。
舵 晋三 夏子の兄
井上 幸子 夏子のバイトともだち
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