第19話・吉子と徹っちゃん
明くる日、清、吉子、徹郎の三人は「そば処 棒」に居た。
朝一番で病院を退院し、「棒」に戻ると清は片付けを始めた。昨日言っていた「店を閉める。」という言葉。清はどうやら本気のようであった。
吉子と徹郎は客席にいた。徹郎は厨房にいる清の様子をうかがっている。
「店、本当に閉めちゃうにかなぁ…。」
吉子は半ば諦めたようにため息をつく。
「仕方ないよね…。あれだけ赤字出せば続けられないよ。」
「吉子ちゃんそれでいいの?せっかく、これからどうにかなるかもしれないのに…。」
徹郎は健の一件が解決したことで、店に客が戻ると考えているらしい。しかし吉子はそこまで楽天的にはなれなかった。
しばらく離れていたが、吉子もここ「棒」で商売を見てきているのだ。一度信頼を失ってしまった店に客が戻ってくるのは並大抵のことではない。
原因は健の一件かもしれない。しかしそのことで店を離れると決めたのは客自身なのだ。
「人から信頼されなくなったら、大人しく去るしかできないでしょ。」
吉子はさみしそうな笑顔で徹郎に言った。徹郎は絶句するしかない。
「そんな…。」
「吉子。言うようになったじゃねぇか。」
清が厨房から出てくる。その顔は皮肉めいた笑顔を浮かべている。吉子は振り向かずに答える。涙を我慢しているのを清に見られたくなかったのだ。
「そりゃお父さんの娘ですから。」
「違ぇねぇ。」
吉子の言葉にも笑顔を崩さない清。その態度は感情を抑えていた吉子を沸騰させた。
「お父さん、いいの?この店を閉めるってことは…。」
そこからは言葉にならなかった。吉子は歯を食いしばり、涙が流れないようにすることで精いっぱいだった。そんな吉子を慮ってか、清は笑うのをやめ、吉子に声をかける。
「いつまでも取り残されているのが悪いのさ。取り残されてるだけじゃない、俺のわがままで縛り付けてるだけなんだから始末に負えねぇ。」
「そんなこと…。」
吉子は清の顔を見た。清の顔は悲しみの色を濃くしていた。こんなにはっきりと自分の前で弱音をはく清を見たのは初めてだった。
「お前は人の心配ばかりしてないで、さっさと嫁にでも行っちまえ。」
「えっ?」
吉子よりも早く、徹郎が反応する。吉子は呆然としている。
「なんで知ってるの?」
清の顔が再び皮肉めいた笑みに戻る。徹郎は口を開けたまま固まっている。
「中学生じゃねぇんだからよ。…あて、付いたんだろ?」
顔を赤らめる吉子。そしてちらりと徹郎を見る。徹郎はすでに涙目になっている。
「…まぁね。」
吉子は髪の毛をいじりながら答える。
「吉子ちゃん、好きなやついるの?」
子犬のような目で吉子を見る徹郎。涙はこぼれ出していた。吉子は頭を抱えてしまう。
「よりにもよって、なんでこんな人を選んじゃったのかなぁ…。」
吉子は店の出口に向かう。徹郎は慌てながら吉子の後を追う。
「お父さん、また来るね。」
「吉子ちゃん、待ってよ。」
二人は騒がしく店を出て行った。清は二人を見送り、短くため息をついた。
「まったく…。」
店を出た吉子と徹郎の二人は駅に向かい田んぼ道を歩いていた。
徹郎は店からずっと吉子に質問を続けていた。
「吉子ちゃん、好きなやつって誰?俺の知ってる人?」
吉子は何度ものど元まで言葉が出かかる。「なんで気づかないの、徹っちゃんだよ。」と。
徹郎が健を殴りに行ったとき、吉子は自分の気持ちがわかったのだ。
自分のことでは一切怒らない徹郎が、店の…清のために健に向かっていったあの姿。昔からそうだった。自分のことより、他人のことを考えて相手の立場や力など、何も考えずに向かっていく。そんな姿を他人は無謀だというのだろうが、吉子はそれを勇気と思っていた。
自分が信じること。信じるもの、信じる人。自分が信じている正しいことのために行動できる人間。そんな徹郎だからこそ惹かれていたのだ。
(でも、一緒になるのはまだまだかなぁ…。)
涙こそ流さなくなったものの、涙声で質問を続ける徹郎を横目で見ながらもう少し待ってみようと思う吉子。ここまで待ったのだ。もう少しだけ待っても変わらない。
「ねぇ、吉子ちゃんってば。」
「追々わかるよ。『徹っちゃん』。」
昔の呼び方をしてみる。徹郎の顔は赤らんでいる。ただそれだけで何か変わるとも思わない。だが、それでいいのだ。
徹郎から届いた一本のメール。そこから始まった慌ただしい、八年ぶりとなる帰省。
自分が何かをしたわけではない。何かできたわけでもない。今までは背負いすぎていたのかもしれない。自分一人でできることなんてほんのわずかだ。ならば、支え合えばいいのだ。
吉子の目の前には昔と変わらない田んぼ道が広がっている。子供のころは嫌で仕方なかった。今は、ここにいれることが嬉しく思う。
(何の用事なくても帰ってこようかな…。)
晴れ渡る空と、田んぼ道。冬の晴れの日は外に出てしまうと予想以上に寒い。しかし今の吉子はその寒さも嬉しく感じていた。
ほんの少しだけ、背筋を伸ばし徹郎と歩く。
冬の空は、どこまでも澄み渡っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます