第17話・赤と青の攻撃

健は一人歩道を歩いていた。今はちょうど駅と駅の真ん中くらい。空を見上げると雲行きが怪しい。空気も冷えて感じるため、どうやら一雨来そうな雰囲気がある。

「関係ねぇよ、雨くらい…。」


 健が「棒」に行ったとき、店には誰もいなかった。健は先ほど聞いたサイレンを思い出した。まさかと思いながらも近隣の病院に片っ端から電話をした。ほとんどの病院から訝しげな対応をされる中、一軒だけ、電話中にサイレンの音が聞こえていた病院があった。

 健はその場所を調べ、病院まで走った。およそ駅三つ分の距離を走った健。そこまで清のことを心配したにも関わらず、清のあの言葉…。


「そういやレイに連絡してねぇや…。まぁ、いっか…。」

 今走った道のりを歩いて帰る…。この二日間、自分の行動を振り返り、空しさがこみ上げてくる。清は否定したが、徹郎が言ったことが頭から離れない。

 清を、店を救いたくて店に顔を出したのだが、その原因自体が自分のせいだとしたら…。

 走る車のスポットライトが健を照らす。その光さえも疎ましい。いっそこのままどこかに引っ越してまた職人を始めるか。腕は十年の経験でこの年齢にしては充分すぎるほどのものがある自信はあった。今までの人間関係は捨てることになるが、もはや、何の未練もなかった。

 そんなことを考えながら歩いていると、車が急ブレーキの音が響き渡る。

(うるせぇ…。)

 健が文句でも行ってやろうかと振り向くと、車の扉が勢いよく開く。中から飛び出してきたのは、青柳だった。

「やっと見つけた…。」

 青柳の目は血走り、髪は掻き毟ったためか、乱れていた。

「お前が俺に怪我をさせたから、人生が狂ってるんだ。お前のせいで俺は職を無くしたんだぞ。」

 健は青柳の顔を見て、三か月前のことが蘇ってくる。忘れたこともなかった。詰め寄ってくる青柳の胸倉をつかみ、顔を目の前に引き寄せる。

「おっさん、怪我も無職になったのもてめぇのせいだろ。」

 青柳の顔がみるみる青ざめていく。怪我の時の記憶を思い出しているようだった。しかし、次の青柳が発した言葉は、健の顔を青くさせた。

「そば屋の息子なんて下流の育ちが、俺に歯向かうからだ…。」

 胸倉をつかんでいた手を放す健。支えを失い尻餅をつく青柳。青柳は咳込んでいる。

「てめぇ…。なんで知ってんだよ。」

 尻餅をついた青柳の胸元を先ほどより強い力でつかみあげる健。青柳は苦しそうな顔で健を見上げる。

「い、息が…。」

「さっさと答えろ。なんで知ってんだよ。」

 青柳は顔を赤くしながら、息も絶え絶え答える。

「社長が…社長が話していたんだ。三か月前に、怪我をしたときに…。」

 健は青柳から手を放す。そしてしゃがみこみ、倒れこんだ青柳と目線を合わせる健。

「社長…。どこに居んだ。」

「知らない。さっき辞めてきたんだ。工事現場近くの喫茶店で話したきりだ。」

 また咳込んでいる青柳はすっかり怯えているようだった。「そうか。」と健が言うと車に乗ろうとした。

「何をしている。俺の車だ。」

「借りる。現場に置いておくからてめぇで取りに来い。」

 健はそれだけ言うと、青柳の車で走り去っていった。青柳は声の限り叫んでいたが、車の中にいる健には聞こえなかった。

 ハンドルを握り、アクセルを踏む足に力を入れていく健。その目は火が灯っていた。



 赤城はまだ喫茶店に居た。四時間も紅茶で居続ける赤城に店員は裏ではひそひそ話している風であったが、紅茶がなくなるたびにレジに向かう赤城に笑顔で対応する茶髪の店員に感心していた。辞表はまだテーブルの上にある。個人の思い入れで一人の人間の人生を変えてしまった。

(まだまだ甘いな。)

 独立して三年。コンサルに携わって二十年以上。それでも人間というものはわからないと改めて思う。

 赤城は何杯目かわからない紅茶をすすりながら、パソコンをいじる。別に仕事をしているわけではない。時間をつぶしているだけなのだ。清にもう一度会うために。

 その時、喫茶店の前を青柳の車が通り抜ける。

(なんだ、帰ってきたのか。)

 やはり先ほどの行動は一時的な興奮によるものかと赤城は考えた。

(せっかくだ。こちらから迎えに行って、少しでも戻りやすくしようか。)

 赤城はパソコンの電源を落とし、カップを返却口に持っていく。明らかにやっと帰るのかという表情をしながら、「ありあとーございやしたー」と間延びした礼を言う黒髪の店員に、人は見かけでないことを再認識する。

 店を出るときにちょうど青柳の車のドアが開く。すると中から出てきたのは青柳ではなく、健が現れた。続いて車から降りてくるものはいない。どうやら青柳の車には健だけが乗っていたようであった。

 車から降りると誰かを探すようにあたりを見回す健。そんな健に赤城は近づき声をかける。

「きみが、なんでその車に乗っているのかな?」

 その言葉に健は目を向いて赤城に詰め寄る。

「てめぇか。親父の店に嫌がらせしてんのは。」

 健はそう吐き捨てて赤城を見る。一瞬たじろいだが、すぐに気を取り直し赤城を睨みつける。

「嫌がらせ?何のことかな。」

「とぼけんな。俺が親父の子供って知ってるみたいなこと、てめぇの部下のおっさんが言ってたぞ。」

 赤城は得心が言ったように胸の前で腕を組み何度かうなずく。

「あぁ、そのことか。」

「そのことかじゃねぇだろ。てめぇのせいで親父がぶっ倒れてんだぞ。」

 健の言葉に赤城は目を見開く。

「清さんが、倒れた…?」

 赤城が清のことを知っていることに驚いた健だったが、今そんなことはどうでもよかった。

「てめぇがネットにあることないこと書いて、店に客が来なくなって、そのせいで親父が倒れたんじゃねぇか。」

「ネット?何のことだ。」

「ふざけるなよ。徹っちゃんが見てんだよ。俺のこととか、面白おかしく書いたんだろ。」

 初めは怪訝な顔をしていた赤城も、すべてを理解したようにため息をつく。

「なるほど…。そういうことだったのか。」

 そんな態度は健の神経を逆撫でるに充分だった。

「もし、てめぇのせいで店がつぶれて親父が死んだら…誰だろうとぶっ殺すからな。」

 人通りが少ないとはいえ、道の真ん中でそんなことを口走る健にうらやましそうな目を向ける赤城。健は荒い呼吸をしながら赤城の反応をうかがっている。

「私のせい…ね。確かに今回の件はその通りかもしれない。私が近しい者に話したことが、結果として清さんの店を追い詰めたのかもしれないね。」

「今更認めても、何も…」

「ただ、きみはどうなのかな。佐竹健君。」

 健の言葉を遮り、鋭い口調で話し出す赤城。突然変わった赤城の口調に、息を詰まらせてしまう健。その時とうとう大粒の雨が空からこぼれだす。二人は冷たい雨を受けながら言葉を交わし続ける。

「俺がなんだって言うんだよ…。」

「三か月前。そのことを忘れたとは言わさないよ。きみがここに来た車の持ち主のことだ。」

「それがどうした。あれは、あいつが…」

 不安からか、声を荒げ、音量を大きくする健。対する赤城は、言葉に冷たさが増していく。

「知っているよ。私もその現場にいた。すべて見ている。」

「だったら…」

「『だったら』?状況はすべて知っている。身内贔屓もしない。『だったら』、彼の腕はどうなる?」

健は赤城の言葉の意味をようやく理解した。理解はしていても到底納得のできるものではなかった。

「なんだってんだよ…。誇りを守るのがそんなに悪いのかよ。」

 健の目には、涙が浮かんでいた。赤城は健に近づく。

「守る?てめぇみたいなガキに何ができる。何かを守りてぇなら体の一つでも張ってからその言葉、唇から出すんだな。」

 初めて聞いたはずの、赤城の荒げた声。しかし健には、母である弓子に叱られた時と重なっていた。

 その時一台のタクシーが二人の脇をすり抜ける。タクシーには青柳が乗っていた。タクシーから飛び降りた青柳はすぐさま自分の車に駆け寄る。そしてすぐに発車させようとするも、赤城に呼び止められる。

「青柳。私も乗せていきなさい。」

「社長、私はもう辞表を提出していますので、もうあなたの部下では…」

 青柳の抗議に赤城は悪びれる様子もなく答える。

「辞表は喫茶店に忘れてきてしまった。よってまだ受理していない。辞めたいのであればもう一度改めて提出するように。」

 唖然とする青柳を横目に、赤城は悠然と車の助手席に乗り込む。シートが濡れることに嫌な顔をする青柳だが、あきらめたように運転席に座る。そしてエンジンをかけ、車は健の隣を走り抜ける。窓越しに赤城が健を見つめていた。

 健は雨の中、一人立ちつくすしかなかった。

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