第15話・赤城の思惑
青柳は工事現場近くの喫茶店で頭を抱えてた。その原因はもちろん赤城の事なかれ主義についてだった。
(重役の俺が一介の労働者に大怪我を負わされたのに、なんで何の行動も起こさないのだ…。)
青柳は赤城の会社、「新世代クリエイト」の創業からいる。もう二十年以上の付き合いだが、一度も赤城を尊敬したことはなかった。それはもちろん年下だというからではない。かつての部下に追い越された嫉妬心からだ。青柳は以前の会社、「夏コンサル」で赤城の上司であった。社長の鈴木正の運転手だったころから赤城のことは知っている。そんな子供が、コンサルにかかわると聞いた時には驚いたが、鼻にもかけていなかった。高卒の人間に勤まる仕事と思っていなかったからだ。しかし青柳の予想は外れ、みるみる顧客を増やしていった。
そこまではまだよかった。若さが売りのコンサルタントなんてすぐに飽きられると考えたからだ。しかし青柳が許せなかったのは、自分さえできなかった独立を行い、さらには、俺を部下にしたいと鈴木社長に申し入れたことだった。
(『青柳さんをわが社にください』って言ったそうだが…。俺は猫の仔じゃないんだからな。)
この会社に引き抜きという形で副社長のイスをもらっても、青柳は赤城の会社はすぐに潰れると思っていた。むしろ祈ってすらいた。
しかし青柳の祈りも空しく、「新世代クリエイト」はわずか三年で自社ビルを持つまでに成長した。これは青柳の目から見ても快挙であった。
成功は認めているのだが、どうしても年下に、かつての部下に使われるというのは昭和という時代に育った青柳には耐え難いものに感じていた。そして、何より耐え難いのは…。
(それよりも、今はあの労働者のことだ。なんだって赤城は訴訟やその工事関係者を出入り禁止にしないのか…。)
副社長がビルを建設する依頼をしたもの、いわば雇用者に大怪我を負わされたのだ。青柳としては、断固たる対応を赤城には期待した。だが赤城はのらりくらりと青柳の訴えをかわし続けた。そして三か月。腕はとっくの昔に完治してしまった。治療には会社から金を出してもらっているため懐は痛まなかったが、客からは怪訝な顔をされ、通院のために予定を詰め、なにより日常の不便さと言ったらなかった。
にもかかわらず、赤城は何の行動にもうつさない。もともとに赤城に対していい感情を抱いていない青柳にとって、堪忍袋の緒が切れる寸前であった。
そんな感情を抱いていながらも、会社に、赤城に大変貢献していた。原動力になっていたものは「夏コンサル」に復帰したとき、自分自身の腕を落とさないためではあったのだが。
(それにしても、あのガキ、今度見つけたらどうしてやろうか…。)
青柳は子供が嫌いだった。別れた妻とは子供のことで離婚したと言っても過言ではない。ましてや仕事をする人間が、髪の毛を金髪に染めるなどもってのほかとも考えていた。そのうえであの怪我。青柳は会社のために当然の注文をしただけなのに、一人の作業員、健が口答えしてきた。こちらの言葉を聞くと健の顔色がみるみる変わり、青柳を突き飛ばしたのだ。その現場には赤城もいて、一部始終を見ていたのだった。
つまり赤城はすべての状況を知っている、なのに法的行動を起こさないのだ。
(所詮は成り上がり。想定外のトラブルには対応する能力がないのがわかっただけでも良しとしよう。)
そんなことを考えていた時に、青柳の携帯電話が震える。メールではなく電話のようだ。着信画面には赤城の文字。
「はい、青柳です。」
『今、どこに居る?』
「はい、社長がお見えにならないので建設地のすぐそばにおりますが…。」
『なら、今から合流する。』
心なしか苛立った口調の赤城。青柳は自身に火の粉がかからぬように、確認の質問をする。
「社長、今までどちらに?」
少し間が開いた。次の言葉に青柳は自分の耳を疑った。
『君を怪我させた者の家族に会ってきた。』
「なんですって。」
立ち上がりながら、叫んでしまう青柳。
「社長、なぜ相手の家族の住所を知っているんですか。詳しくお聞かせください。」
『だから、今から合流すると言ったのだが。』
「そうでしたね…。わかりました、お早い到着をお待ちしています。」
電話を切り、席に座る青柳。周りを見渡すとあたりの客が青柳を見ていた。そして目が合うとすぐに視線をそらす。
居心地の悪くなった青柳は喫茶店からそそくさと立ち去るのだった。
工事現場の前に立っていると、五分ほどで赤城が到着する。「立ち話もなんだから。」と先ほどの喫茶店に入ろうとする赤城、それをさりげなく別の店に誘導する青柳。そして先ほど電話で話したことを詳しく聞きたい青柳だが、赤城の様子がどうにもおかしい。普段ならば強引ともいえる話し方で自分を通す赤城にしては非常に歯切れが悪い。そこで青柳が質問攻めをすればいいのだが、雰囲気の違う相手ともなると、どう攻めたらよいのか、青柳には正直わからなかった。
そしてお互い無言のまま、十五分が経っていた。ちらりと腕時計を見る青柳。まだ十五分しか経っていないのかと、内心驚く。それほどまでに重苦しい時間だったのだ。出し抜けに赤城が話し出す。
「後遺症はないのか?」
「はぁ、おかげさまで。」
何が「おかげさま」なのかわからないが、青柳はつい答えてしまう。青柳は赤城のことを尊敬していない。しかし、赤城の前に出ると恐縮してしまう。それがなぜなのか、三年たった今でも理解していないのだが。赤城は紅茶をすすりながら言葉を続ける。
「それはよかった。君に休まれていると、会社も緊張感がなくてね。」
「ありがとうございます。それで社長、とうとう行動なさるのですね。」
「行動?何の話か分からないのだが。」
赤城は首をかしげながら青柳に尋ねる。青柳は内心苛立ちを覚えながら、さらに切り込んでいく。
「何をおっしゃっているんですか。私の腕を折った輩の家族に会ったのでしょう。しっかりと賠償していただかないと。」
青柳は息を荒げながら、落ち着くためかアイスコーヒーを喉を鳴らして飲み干す。しかし興奮冷めやらぬのか、立ち上がり、徐々に声が大きくなっていく。周りの様子なんて気にしていない。
「もともと中小企業など信用するからこんな事故が起こるのです。どうせまともに経営なども考えず、日雇いばかりを雇って、低賃金で利益を上げているのでしょう。そんなレベルの低いことをしていたからこそ、発生した事故。今回のことは、向こうにとっていわば天罰、なのです。」
そこまで一気にまくし立てると、満足げな顔で椅子に座り直す。ここまで言えば必ず行動してくれる。そんな自信に満ちたりた顔をしている。
対して赤城は、青柳の興奮に反比例するように冷ややかな目を向ける。
「この際はっきり言っておく。私は先方を訴えるつもりはない。刑事はもちろん民事もだ。そこのところを理解してほしい。」
にこやかな青柳の顔が一変、無表情に変わる。先ほどまでの朗らかな声から平坦なものになる。
「社長。どういう意味でしょうか。」
「意味も何も、そのままに受け取ってほしい。」
「冗談じゃない。」
テーブルをたたき、また立ち上がる青柳。
「せわしないね、青柳。」
「何を言っているのですか。…所詮、他人事ですか。」
すでに赤城に臆していない、敵意を隠してもいない。
「あなたのこれまでの態度で、私へのお気持ちは十分理解いたしました。私も社長のお気持ちに答えようと思います。」
青柳は背広の内ポケットに手を入れると、中から封筒を取り出す。そこには「辞表」と書かれていた。
「お世話になりました。」
封筒をテーブルに置くと、青柳は喫茶店を出て行った。
赤城は一人、紅茶をすすっていた。
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