第11話・別れた世界

次の日から健は給料が手渡しではなくなった。年齢が十五は越えていたのでアルバイトという形での雇用してくれたのだ。相変わらず、する仕事は廃材運びで、周りの日雇いの中でも一番の下っ端扱いであったが、健はむしろ自ら仕事を探した。向井の目もあるし、何より日雇いからアルバイト、それだけながら健の心持ちは変化していた。

 もちろん健のアルバイト雇用を上にかけあってくれたのは向井であった。

 向井は健の保証人にもなってくれていた。敷金も礼金もいらない安アパートも探してくれた。四畳半一間、家賃三万円。いわくがないのが不思議なくらいのいい物件であるが、向井と大家が知り合いということを知らなかった。

 家と仕事を得た健は、休むこともなく働き続けた。もともと人員が必要であった現場の仕事がなくなっても健は仕事をもらっていた。一番若い健はいつもきつい仕事を割り当てられたが、それに文句も言わずに働き続けた。現場近くに高校があるときなどは、うらやましそうに学生たちを眺めることもあったが、周りにはそんな素振りは見せなかった。

 どんな仕事でも三年も続ければそれなりにできるようになる。初めは廃材運びしかやらせてもらえなかった健だが、次第に行う仕事に幅を持たせてもらえるようになった。建設途中の私有地ということでミニユンボなどの簡単な工事車両にも乗せてもらえるようになった。


 そして、十八になったとき向井に言われた。

「健、免許取れ。そうじゃないと、ここから先使いもんにならん。」

「うぃっす。」

 二人でラーメンを食べながらそんな話をした。健ももちろん免許が欲しかった。単純に「自動車免許があるかどうか。」でできる仕事が決まることもわかっていた。実際、免許がないことを理由に外される仕事もあった。次の日から早速、教習所に通い始める健。その時期は、学生にとっては夏休みで、教習所は大変込み合っていた。健は三十万という大金を持って教習所の前に立っている。

 初めてこんな大金を使う健は、緊張から入口で所内に入ることを躊躇していた。すると後ろから声をかけられる。

「佐竹!」

 振り返るとそこには、かつての同級生たちが立っていた。

「久しぶり、真っ黒になってるから誰かわかんなかったよ。」

「おぅ。」

「お前そんな真っ黒になって何してんの?」

「現場で働いてるからな。」

 三年間現場に出続け、真っ黒に日焼けした健は自分のこの黒さが誇りでもあった。しかし、かつてのクラスメートたちには、そう見えなかったようだ。

「うわ、ダセェ。そんなになるまで働くとか、バカじゃねぇの?」

「高校も行ってねぇんだ?人生終わってんじゃん。」

 口々に健をあざ笑う、かつて友達と思っていた者たち。そいつらが今の自分の姿を見て笑っている。我慢しようと、関係ないと思っている健にさらにそいつらが続ける。

「俺の家が貧乏なそば屋じゃなくてよかったー。」

 その言葉が決定的だった。そこにいた三人を殴りつける健。腕力には当然自信がある。一人は顔面、一人は腹。最後の一人は首をつかんで力を入れると、泣きながら小便を漏らした。その光景を見て、急にばかばかしくなってしまった健は、そのまま家に帰っていった。

 次の日、あんな騒ぎを起こした場所ではさすがに通えないと思った健は、別の教習所に通うことにする。そこでは知り合いに会うこともなく、普通に通うことができた。

 仕事をしながら教習所に通うことは楽ではなかったが、向井をはじめ、同僚が健の仕事を替わってくれたりと、仕事以外の面で健のことを支えてくれた。

 そして三か月後に試験に合格すると、念願の免許を手に入れた。そのことを向井に電話すると「そうか、後で会社に来い。」とだけ言って、電話を切ってしまった。

 普段の向井らしからぬ態度に首をかしげる健。そして言われた通り会社に顔を出すと、普段現場に出ているみんなも勢ぞろいしてにやにやしている。

「どうしたんすか、勢ぞろいで…。」

「それはな、健…。」

 そこで向井は言葉を切ると、みんなそろってクラッカーを鳴らす。いきなりのことに目を白黒させ、言葉もない健。そんな反応にみんなゲラゲラと腹を抱えて笑い出す。

「静かにしろよ、お前ら。」

 向井も止めてはいるが当の本人も笑っているため始末に負えない。そんなみんなの声を静めたのは社長の鵜飼だった。

「佐竹、免許おめでとう。今日からお前はうちの社員だから。よろしく。」

「あざっす…。なんて言いました?」

「いやなら別にバイトのままにしとくが?」

「いや、もちろんうれしいっす!」

「なら、よし。皆飲むぞぉ。」

 鵜飼が声を上げると奥の部屋からケース単位の缶ビールと、弁当屋に見かけるオードブルの大皿、そして小さなケーキが持ってこられた。ケーキにはご丁寧にもローソクが立っている。健は先ほどのクラッカーの意味、そしてみんながにやついていた意味を始めて理解する。

「みんな…あざっす!」

「ほれ、健坊。最初の仕事だ。さっさと乾杯言えよ。」

 年配の社員が健を促す。みんな缶ビールを片手に今か今かと待ちわびる。

「あい!えと…。何言っていいか、わかんないけど…。とにかくこれからもよろしくお願いします。乾杯!」

「かんぱ~い!」

 野太い乾杯の声が部屋に響く。健はコーラをあおる。健のことより酒が飲めることが嬉しい様子のみんな。だが、健はそんな仲間が最高だと感じていた。みんな酒もまわってくると一人の人に、教習所での喧嘩のことを振られ、みんなの前に出され、事細かに話さなければならなかった。しかし真剣な様子はなく、全員囃し立てながら聞いていた。そんな中、しかめっ面で話を聞いていた鵜飼は健に向かってこういう。

「佐竹…。お前そりゃまずいだろ。お母ちゃんのおっぱい吸ってるようなガキに大人は手ぇ出しちゃいけねぇよ。」

 場内が静まりかえる中、誰かがつぶやいた。

「社長、そいつら健と同い年。」

 その言葉に一同吹き出してしまう。中には腹を抱えて笑っているものまでいる。鵜飼も「佐竹が老けてるのが悪い。」とこぼし、さらに笑い声が大きくなった。

 そして食べ物もなくなり、みんなが思い思い固まりだすと、健は涼みに外に出る。

健を追って、向井が後ろから呼びかける。「乾杯。」と缶ビールを差し出す。健もそれに何本目かわからないコーラ缶で応える。

「健、おめでとう。これからきつくなるから、覚悟しろよ。」

「えー。きつくなんなら、断ろうかなぁ。」

「こいつ、ちゃんと働けよ。」

 健の頭を小突きながら笑う。

(思えば最初からずっとこの人に世話になりっぱなしだ。)

「向井さん、ありがとうございます。」

 健は深々と頭を下げる。そんな健の額と自分の額に手を当てる向井。

「…熱はないようだな。」

「向井さん!」

 声を上げる健に向井は愉快そうに笑う。

「すまんすまん。いきなり真剣になるもんだから、ついな。」

「まったく…。そんなんだから彼女もいないんすよ。」

「言ったな。」

 笑顔ではあるが、健に容赦ないヘッドロックをかける向井。かなりの力で頭を締め付けられた健は、向井の腕を何度もたたく。

「ギブギブ。すんませんっした!」

「わかりゃいいんだよ。」

 そう言いながら腕を外す向井。健は自分の頭をさすっている。

「…昔付き合ってた彼女がいてな。大切にしてたつもりだった。でもあいつは、『自由にしてくれ』って俺から離れていった。その時になって、どんだけあいつに頼ってたかを思い知った。」

「向井さん、もしかして彼女作らない理由って…。」

「それは単にもてないからだよ。」

 そう言いながら、ビールを飲み干し、缶を握りつぶす。

「…女々しいのはわかってんだ。でも、今でもあいつの隣に居たくて、その方法を探して…。笑えんだろ、ガキみたいでよ。」

 向井はそう言いながら、とてもさびしそうに笑った。こんなさびしい笑顔の恩人にかける声が思い付かない健は自分が情けなく思った。そんな健に向井は続ける。

「もしお前に、この女しかないと思えるような人が現れたら、すぐに結婚しとけ。相手は待っちゃくんねぇぞ。」

「…はい。」

「あとよ。喧嘩するなら怪我させんなよ。もうちょいうまく殴れ。」

「殴んのはいいんすね。」

 二人は笑いながら室内に戻った。

 その時の健はこれが向井との最後の会話になるとは、思ってもいなかった。

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