第10話・家無し

健は寝転がりぼんやりと天井を眺めていた。久しぶりに帰った実家。それがあんなことになるなんて思っていなかった。

(あのクソ親父…。俺がわざわざ金使いに行ってやったのに…。)

 健の耳にも、「棒」が急にさびれたことは届いていた。だからこそ十年ぶりに実家に顔を出したというのに。

 健は目線をハンガーにかけたニッカポッカに移す。現場にはもう三か月も行っていない。


 十年前、母が死んだことがきっかけで家を出た。衝動的に家を出てしまった健に持ち合わせはほとんどなく、すぐに手持ちの金は尽きてしまった。しかし当時十五歳だった健を雇ってくれるところはもちろんなかった。年をごまかしアルバイトを始めようとするも、未成年の健には保証人が必要だった。

二週間ほど野宿を繰り返して、あるとき日雇いの募集を見つけた。藁をもつかむ気持ちで健はその仕事の募集を受けてみた。結果から言えば、健は雇われた。先方が健康な人間ならば誰でもよかったおかげもあったし、その時、応募した人間も少なかった。

 健を雇った会社は建築会社だった。ゆりかごから墓場までならぬ、地ならしから更地までを謳っておりとにかく人手が欲しかったのだ。

そんなことは知らない健は、誰よりも必死に働くしかなかった。ここで仕事を失ったら、本当に生きていけなくなるからだ。

健がその現場で行った仕事は解体現場の廃材運びだった。朝八時から夜の八時まで、ひたすら手押し車で廃材を運ぶ。二週間ろくに食べていない健は、現場の暑さと飢えで何度も倒れそうになったが、それでも歯を食いしばり廃材を運んだ。

とっぷり日が暮れたころ、健は初めての給料をもらった。その額は一万円。労働時間に対してかなり少額で、誰もやりたがらないのは当然であった。

しかし健は、その金を受け取ったとき、涙が出るほどうれしかった。その金で、健はスーパーで半額となった焼き鳥と白米を買って公園で食べた。うまかった。夜の公園で泣きながら焼き鳥を食べる少年。傍目からはとても奇妙であっただろうが、健は何も恥ずかしくはなかった。その時から、健の二番目に好きな食べ物は焼き鳥になった。

あくる日も、あくる日も現場で廃材を運んだ。あまりの大変さに徐々に人が減っては別の人間が雇われていく中、健だけは残った。健がこれはどの重労働にもかかわらず、逃げ出さなかったのは、健に根性があったわけではない。それ以外の仕事をしたことがなく、比べようがなかったことと、清が今の健以上に働いている姿を見ていたからだった。

そんな日々を送っていて問題が起きる。体の匂いだ。相変わらずの野宿生活を送っているため、当然風呂にも入っていない。毎日汗まみれになっているのに、シャワーすら浴びない状況で、当然といえば当然の問題ではある。それ以来、銭湯に通うようにはしたが、それも一時しのぎにしかならない。

一週間も働いていれば、それなりに金もある。いっそアパートを借りたいが、それにも保証人が必要になる。そればかりは本人の努力でどうにかなる問題ではないから、それに働いていればそんなことを考えなくていいから、どんどん仕事に打ち込んでいった。

それを見ていた現場監督は健の働きぶりを見ていて、声をかけた。

「お前、毎日いるけどそんなに金欲しいの?」

 この場で仕事以外の会話をするのが初めてだった健は、少し戸惑った。

「んー。生活かかってますから。」

「そっか…。今日終わったら飲みに行くぞ。」

「はぁ…。」

 健は「俺、まだ酒飲めないんだけど…。」などと思ったが、断れる言い方を監督はしなかった。そしてその日の仕事が終わった後、監督の向井と飲みに行った。

 向井は三十五歳、独身で彼女もいなかった。居酒屋に入ると向井はビール、健はコーラを頼んだ。

「お前、仕事上がりはビールだろ。」

「俺酒飲めないっすから。」

 向井は笑いながら答える。

「そっか、まだまだガキだもんな。」

 健は目を丸くしながら、向井に聞く。

「なんで知ってるんすか?」

 そこで注文の飲み物が来る。向井は中ジョッキを半分ほど飲み干し、豪快に笑う。

「あ~、うめぇ…。みんな知ってんよ。取っ払いのやつらはどうだか知らねぇけど、うちのモンは知ってる。気づかねぇわけねぇだろ。」

「どうして?」

「あ?大人なめんな。」

 気づいたわけを尋ねたと思われたみたいだ。改めて聞き直す。

「じゃなくて、なんで俺使ってるんすか。」

向井は店員につまみを二、三注文し、健に向き合う。

「なめた真似したらたたき出してやるつもりだったよ。でもお前きちっとやってたし、やることやってんなら仲間だからな。…人手もたんねぇしな。」

 ぶっきらぼうにも聞こえる向井の物言いは健にとって父を思い出させた。

「なんか、困ってることあんなら言えよ。」

 泣きそうになったが健はコーラをあおり、それをごまかした。言い方が悪いが、所詮つなぎでしかないこんなところで、そこまで見ていてくれる人がいることがいるとは思わなかった。しかし、困ってること…。

「あの、いきなりいいすか?」

「おう、なんだ?」

「…家、欲しいんすけど…。」

「はぁ?」

 健から話を詳しく聞いた向井は、大笑いしながら健の肩を叩いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る